本土復帰
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本土復帰(ほんどふっき)とは、敗戦によりアメリカに施政権が移った、トカラ列島、奄美群島、小笠原諸島、沖縄県が日本に復帰したこと。
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[編集] トカラ列島
復帰を求める対米働き掛けは奄美諸島と合同で行われていたが、1951年連合国司令部の覚書きによって復帰が決定した。サンフランシスコ講和条約でもアメリカの信託統治下に入る地域からははずされている。
[編集] 奄美群島
アメリカ軍の琉球列島米国民政府による自治権剥奪などの政策や、沖縄戦で疲弊した沖縄本島への資金集中、本土との分離に伴う換金作物や物産の販売経路の途絶などにより、経済が疲弊し飢餓の兆候さえ出てきていた奄美の住民は不満を増大させた。分離直後から始まっていた奄美群島祖国復帰運動は激しさを増し、日本復帰を願う署名は14歳以上の住民の99.8%に達し、ガンジーの運動を真似て集落又は自治体単位でハンガーストライキが行われ、小中学生が血判状を提出する事態も発生した。
1952年(昭和27年)4月28日にはサンフランシスコ講和条約が発効したが、アメリカは基地が少なく復帰運動の激しい奄美の統治を諦め、1953年(昭和28年)12月25日に施政権を返還した。クリスマスであることから、米国政府は「日本へのプレゼント」と皮肉った。
[編集] 小笠原諸島
サンフランシスコ講和条約によりアメリカ海軍の統治下に置かれ、欧米系の旧島民のみに帰島が許される。
米軍政時代にはアメリカ海軍の基地が設置され、物資の輸送は一ヶ月に一回、グアム島からの軍用船によって行われた。欧米系住民は戦前の土地区画に関係なく、決められた区画に集められ、その多くは米軍施設で働いた。島民の自治組織として五人委員会が設けられた。島の子供たちは、軍の子弟のために1956年に設立されたラドフォード提督初等学校で軍の子弟と一緒に学び、高等教育はグアム島で行われた。
米軍によって戦前の土地区画に関係なく決められた区画に集められたことは、日本返還後も効率的な開発の都合から踏襲され、戦前の土地所有者との補償交渉で揉めることとなった。後に、日本政府の意向を無視して父島に核兵器の貯蔵施設が作られていたことが、アメリカの情報公開によって知れ渡った。軍政時代に数基の核弾頭が保管されていたという。1968年4月に日米間で小笠原復帰協定が締結され復帰が決定された。
[編集] 沖縄県
サンフランシスコ講和条約では、国際連合との協議によりアメリカの信託統治の下に置くこと、それまでの間アメリカが行政、立法、司法のすべての権限を行使することが規定された。そこでアメリカは、「行政主席」を行政の長とする琉球政府を置き、公選の議員で構成される立法機関「立法院」を設けるなどの一定の自治は認めたが、最終的な意思決定権はアメリカ軍の統治機構である琉球列島米国民政府が握ったままだった。
朝鮮戦争、台湾海峡危機と、連続して極東における軍事的緊張が高まると、アメリカの関心は次第に琉球自治拡大による施政権の固定化から前線基地としての沖縄の重要性に移っていった。その間にも各地に基地・施設を増設し、さらにアメリカ兵による事故・事件が頻発し、住民の死亡者や犠牲者が相次いだため、住民有志は「島ぐるみ闘争」と呼ばれる抵抗運動を起こし、1960年(昭和35年)には沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成した。なお、このころの米大統領ドワイト・アイゼンハワーは、沖縄を返還する気は全く無かったようである。
1960年代後半のベトナム戦争によって沖縄が最前線基地とされると、駐留米軍は飛躍的に増加し、これに伴って事件・事故も増加した。また爆撃機が沖縄から直接戦地へ向かうことに対し、復帰運動は反米・反戦色を強めた。一方、米軍による需要がある土木建築業、飲食業、風俗業などに携わる勢力は、復帰反対や米軍駐留賛成の運動を展開し、彼等の支援する議員が復帰賛成派の議員と衝突した。1968年(昭和43年)11月には琉球政府の行政主席選挙が行われ、90パーセント近い投票率を記録した。この選挙によって復帰協の屋良朝苗が当選、「即時無条件全面返還」を訴えた。
1969年(昭和44年)の日米首脳会談で、アメリカ大統領リチャード・ニクソンが安保延長と引き換えに沖縄返還を約束し、これに基づき1971年(昭和46年)6月17日に沖縄返還協定が締結されたが、屋良や復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に、米軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の復帰が決定した。
1970年(昭和45年)12月20日未明、沖縄本島中部のコザ市(現・沖縄市)で、米軍兵士が連続して起こした二件の交通事故を契機にコザ暴動が発生した。常日頃から米軍兵士の犯罪行為が微罪として扱われることに対する怒りが爆発したもので、これ以上沖縄をアメリカ軍政下に置くことは適当でないと内外に知らしめた。
[編集] 関連項目
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