杉山愛
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杉山愛 |
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基本情報 |
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英語名 | Ai Sugiyama |
国籍 | ![]() |
出身地 | 同・神奈川県横浜市 |
生年月日 | 1975年7月5日 |
身長 | 163cm |
体重 | 55kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1992年 |
ツアー通算 | 39勝 |
シングルス | 6勝 |
ダブルス | 33勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト8(2000) |
全仏 | 4回戦(1995・2000・03) |
全英 | ベスト8(2004) |
全米 | 4回戦(2003・04) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 8位 |
ダブルス | 1位 |
Template |
杉山 愛(すぎやま あい, 1975年7月5日 - )は、神奈川県横浜市出身の女子プロテニス選手。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス1位。これまでにWTAツアーでシングルス6勝、ダブルス33勝を挙げる。世界トップレベルのフットワークとバックハンド・ストロークを武器にする。
神奈川県立湘南高等学校(通信制)を卒業し、1992年10月にプロ転向。ジュニア時代には、日本人選手として初のジュニア世界ランキング1位を記録する。プロ転向後、1994年のジャパン・オープンでダブルス初優勝を果たし、1997年の同大会でシングルス初優勝。4大大会(全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープン)のシングルス成績は、2000年全豪オープン、2004年ウィンブルドンでベスト8進出が2度ある。2003年11月、年間獲得ポイント世界上位8名による「WTAツアー選手権」では、同年度世界ランク1位のジュスティーヌ・エナン・アーデンを撃破し、自己最高のシングルス世界ランク10位になる。2004年2月に世界ランキング8位となり、日本人の世界トップ10入りは伊達公子(自己最高ランキングは1995年の4位)以来の2人目となった。
杉山はダブルスの名手としてよく知られ、1999年の全米オープン混合ダブルスではインドのマヘシュ・ブパシとペアを組んで優勝した。2000年と2003年、彼女はダブルス世界ランキング1位を記録した。シングルスとダブルスの同時トップ10入りは日本人初であるとともに、世界でも限られたトップレベルのオールラウンド・プレーヤーであることを意味する。2000年の全米オープン女子ダブルスで優勝した時のパートナーは、フランスのジュリー・アラール・デキュジスであった。しかしアラール・デキュジスが直後に現役を引退したため、杉山は長い間パートナー探しに苦労を重ねた。その後ベルギーのキム・クライシュテルスと名コンビぶりを発揮し、2003年の全仏オープンとウィンブルドンのダブルスで4大大会2連勝を達成する。
しかし、クライシュテルスがシングルスに専念するため、2003年のWTAツアー選手権を最後にペアを解消する。杉山は再びパートナー探しに悩み、2004年は南アフリカのリーゼル・フーバーと組んだ。その後、急遽ロシアのエレナ・デメンティエワをパートナーに指名したが、このコンビは臨時の組み合わせであった。その後スロバキアのダニエラ・ハンチュコワと組み、2006年の全仏オープンで決勝に進出したが、リサ・レイモンド(アメリカ)&サマンサ・ストーサー(オーストラリア)組に敗れて準優勝になった。
先輩の伊達公子が引退した後、日本女子テニス界(テニス界全体を含めても)は杉山ひとりの活躍に頼りきりの状態が長期間続いていた。杉山と同年代の遅咲き選手だった浅越しのぶも、2006年全米オープンを最後に現役を引退する。日本女子テニスの後輩選手としては、森上亜希子や中村藍子などが著しい成長を見せている。また、15歳で全日本テニス選手権の女子シングルスを制した森田あゆみも登場した。
[編集] 4大大会ダブルス優勝
- 全仏オープン 女子ダブルス:1勝(2003年) [同部門準優勝1度:2006年]
- ウィンブルドン 女子ダブルス:1勝(2003年) [同部門準優勝3度:2000年、2001年、2004年]
- 全米オープン 女子ダブルス:1勝(2000年)/混合ダブルス:1勝(1999年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 杉山愛オフィシャルサイト
- 杉山愛 - WTAツアーのプロフィール(英語)