杉田日布
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杉田 日布(すぎた にっぷ、安政2年11月29日(1856年1月6日)-昭和6年(1931年)12月7日)は、明治-昭和期の日蓮宗の僧侶。身延山久遠寺81世法主・日蓮宗24代管長。字は湛誓(たんせい)、号は智明院。戦後の内閣総理大臣・石橋湛山の実父でもある。
甲斐国南巨摩郡増穂村に杉田武左衛門の4男として生まれる。4歳で地元の昌福寺に入り、14歳で得度して身延山の西谷壇林で学ぶ。明治8年に中教院で吉川日鑑の2年後には大教院で新居日薩の門に入った。30歳で昌福寺に戻って住職になると、積極的に山梨県下での布教活動に励み、後に身延山山務監督・日蓮宗宗務統監として宗務の近代化に尽力した。この間、日蓮宗を代表して台湾・朝鮮での布教活動にあたるなどの活動を行っている。
教育活動にも熱心で山梨時代には「教友雑誌」の創刊や「山梨普通学校」の設立にあたり、後に日蓮宗大学学長を務めた(なお、戦後に立正大学と改名された後に息子の石橋湛山も学長を務めている)。
大正13年に久遠寺法主となり、翌年には日蓮宗管長となって、身延山の整備などに尽力した。昭和6年に開祖・日蓮上人の650回遠忌の成功を願って全国を布教行脚している途中で突然倒れて遷化(死去)した。
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