京阪1800系電車 (初代)
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京阪電気鉄道1800系電車(けいはんでんきてつどう1800けいでんしゃ)は、京阪電気鉄道に在籍した元・特急形車両(後に一般形車両に格下げ)であった電車。2代目京阪特急専用車である。
日本で初めてカルダン駆動方式を実用化し、またテレビカーとしても話題になった車両である。
[編集] 特急時代
1953年8月にまず2両 (1801-1802) が落成。日本初の高性能車として鉄道事業者や鉄道車両メーカー等から注目された。この時落成した1801には東洋電機製造製の主電動機 (TDK-808/2-B) と同社が独自開発した中空軸平行カルダンを、1802には三菱電機製の主電動機 (MB-3005-A) と同社が提携先のウェスティングハウス社のライセンスの元に製作したWNドライブを、それぞれ搭載した。
これは初のカルダン駆動車という事で、両者の比較、およびいずれか一方が故障しても列車運行が続けられるようにする目的であったと考えられる。一方、主制御器(停止用電気制動付)は東洋電機製造製(ES-555A)、空気ブレーキ関係は従来の1700系と共通のA動作弁を使用する日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)製(AMA-R)で揃えられ、制御系・制動系共に1700系のそれとの互換性を備えていて、混用が可能であった。
車内設備は当時の京阪特急の標準と言える転換クロスシート、車体塗装は赤とオレンジの特急色で登場した。主に特急に充当され、ダイヤ編成上は釣り掛け式の1700系と特に区別無く運用された。
全体のデザインは1700系をベースとしており、外観上は前照灯が砲弾型になった事以外には同系との間に目立った相違は存在しない。但し、外板に高抗張力鋼を採用した全金属車体とされた事と、プレス材溶接構造を多用する新型台車の導入により、1700系に比して軽量化が実現した。内装にはピンク色に塗装された化粧板が貼られており、1810系(後に一部を除いて1900系に編入)にも継承された。本系列ではこの内装は一般車に格下げられたあとも変更されずに維持され、特に夜間に異彩を放った。
この最初の2両は1700系同様、広幅貫通路を採用している。
翌年1954年より量産が開始された。このときは、連結面側に広幅貫通路を持つ1800形制御電動車と1880形制御車で組成されるMc-Tcによる基本編成2両 に、狭幅貫通路を連結面側に備える増結用1800形制御電動車1両を追加したMc-Tc+Mcによる3連で製造され、同じ形式の制御電動車の中に2種類の貫通路が混在することになった。これは、当時の京阪では朝夕ラッシュ時や季節ごとの輸送波動の調節を1両単位の増解結で対応することが好まれたために起きた現象である。そうした中で編成の組み替えに制約のある広幅貫通路は京阪にとってはメリットが少なく、続く1810系以降の系列では1801-1802の間に挿入するための中間付随車(1887)に広幅貫通路が採用されたが、それ以外は全車狭幅貫通路仕様で製作されている。
なお台車は、1801が汽車製造製KS-6A、1802が住友金属工業製FS-302、1803が日本初のシンドラー式台車である汽車製造製KS-9、1804~09が1700系で採用されていたKS-5の改良型に当たるウィングバネ式の汽車製造製KS-10、1881~83が軸バネ式の住友金属工業製FS-304で、いずれも枕バネにコイルバネを用いているが、各台車それぞれについて当時両社が研究開発していた最新技術が惜しみなく投入されており、それらの新技術の実用試験車として貴重なデータを提供した。
テレビカーは沿線にある松下電器産業の協力を得て1801-1802で実験運用開始されたが、本格的には1882・1883に白黒テレビを取り付け、1954年9月3日より日本放送協会(NHK)総合テレビの番組放送を開始している。このテレビは乗客から好評を博し、「走る街頭テレビ」と利用者から呼ばれた。
なお、1編成 (1803-1881+1804) は当初からオールロングシートで製造され、正面貫通路窓が製造当初から黒色Hゴム支持であった。他車はロングシート化までは直接支持、ロングシート化後に黒色Hゴム支持とされている。また、1810系の製造後はそちらと連結しても充当された。
[編集] 一般車への格下げ
1963年の淀屋橋地下線運転のために保護棒が設置された。同時期に1900系が登場したため、車体長の短さや空気バネ台車を装備していなかった事から本系列は1700系共々一般車に格下げされたが、まず2ドア・特急色のままロングシート化され、つづいて3ドア・一般色化改造された。増設された扉は窓割の関係から1700系同様両開き扉となり、窓のアルミサッシ化も徐々に行われた。なお、1810系のうち空気バネ台車を装備していなかった2両の中間車も1800系に編入され、同様に改造されたが、これらは車体長が18mで1m長く、増設された扉も片開きであった。また、3ドア化の際に制御車はすべて運転台を撤去して中間付随車となった。
以後は主に1700系と連結して編成を組み、区間急行や普通を中心に充当されていたが、1981年に1800系(2代)に置き換える事となり、その1800系(2代)に機器を提供して同年に全車廃車された。
なお、2代目1800系は600系の車籍を継承したため、初代1800系はこの時に全車車籍抹消となっている。
引退後、1801-1802は数年間は寝屋川車庫にて車体を保管し、保存も検討されていたが中止され、解体された。
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