小選挙区制
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小選挙区制(しょうせんきょくせい)とは、1選挙区に付き1名を選出する選挙制度である。
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[編集] 概要
議会などの2人以上の人員を要する機関を構成するとき、定員と同数の選挙区を区分けし、1選挙区毎に1人の当選者を選ぶ選挙制度の総称である。日本では、選挙方法に単記非移譲式投票を用いた、単純小選挙区制を指すことが多い。単純小選挙区制については、イギリスで採用されていることで知られる。オーストラリアでは、単記非移譲式投票の代わりに優先順位付連記投票(Instant-runoff voting)を用いた小選挙区制を、フランスでは過半数(50%超)の得票を得た候補がいない場合に12.5%以上の得票を得た候補による決選投票を行う二回投票制を採用している。
小選挙区制は、候補者の票数が接近している場合や当選できない複数の候補者の票が合計8割から9割を占めているような場合に、最高得票者だけが当選するので死票が多くなる。また、見方によっては一党制に極めて近い状況も生まれる(例えば、2005年5月のイギリス下院の総選挙では、与党労働党と野党第1党・保守党の総得票率の差は3%しかなかったのに、獲得議席数では150以上もの差がついてしまった)。候補者と個人の癒着や地域エゴが露骨に国政の場に持ち込まれやすい、同じくらい力のある候補者が立つと場合によっては選挙違反がおきやすい、議員定数が多ければ選挙区の数が多くなり、一票の格差が発生しやすい、との欠点がある。
小選挙区制において政党の議席数は、政党の得票数に対して三次関数の議席数になることが知られ、これは「三乗法則」と呼ばれる。
一方で政権を選択して強力で安定した政権をつくれること、デュヴェルジェの法則の効果により二大政党制を作りやすいので、不満であれば選挙民は最大野党に投票して政権交代を起こしやすくなるので、与党は真剣にならざるを得ないこと、妥協が生まれる余地がないので政策の結果をはっきりと評価でき責任の所在が明確という利点がある。ただし、二大政党の間で妥協や相乗りが生まれれば事実上の一党独裁制となるし、二大政党以外の選択肢を求める結果、小党や第3党が発生する(日本では比例区も並立しているので特に。また、イギリスの第三党である自由民主党のように、小選挙区のみでも一定の勢力を占める場合もある)ことがあるので、二大政党がどちらも過半数を取れない場合は、連立与党のうちの小党にキャスティングボートを握られ、政権が不安定になりうる。さらにデュヴェルジェの法則は全国レベルの二大政党化を保証しておらず、特定選挙区に勢力が集中する小政党は成立しうる。このように、一概に「小選挙区」=政権安定、「比例代表」=小党乱立、政権不安定、にはならない。小党が進出する場合にも、地域エゴではなく、その地域独特の課題や意見を国政に伝える貴重な議席になる場合もある。
[編集] 性質
各選挙区では1人しか当選できないため、区割りとの相関が低い意見の対立は、議会に持ち込まれにくく、多数代表の性質が強くなる。一方、各選挙区は別々に分かれて選挙を行うため、区割りとの相関が高い意見対立は再現され易く、少数代表の性質が強い。
区割りとの相関が低い問題については、議員の間に根深い対立がないので、審議は速やかに完了し、満場一致で議決が下る場合もある。また、同じく多数代表の選挙方法で選ばれる政府と同調し易く、政府と議会の対立で国政が麻痺する可能性が低い。
区割りとの相関が高い問題については、議員の間に根深い対立が生まれ、審議は平行線に陥り易く、多数決で決着をつけざるを得ない場合が多い。
有権者は選挙区間の移動が容易ではないので、単純な戦略投票に晒されても、比例代表の性質を持ち難い。このため、ゲリマンダーが行われるなど選挙区の区割りが適切でないと、議会での勢力比と有権者での勢力比が一致せず、直接選挙(大統領制や首相公選制など)で選ばれた政府と対立する可能性が高くなる。
[編集] 単純小選挙区制特有の性質
単純小選挙区制では、選挙方法に単記非移譲式を用いているため、デュヴェルジェの法則が働く。このため、有権者は二大(と、有権者自身が予想する)候補者以外の選択肢を表明し難くなる。
[編集] 日本における導入の歴史
日本の衆議院においては、まず1890年の衆院選から1898年の衆院選において小選挙区制が採用された(一部完全連記制の2人区があるが、特定政党の議席独占が起こりやすいため単記式の中選挙区制とは異なる)。1902年の衆院選から1917年の衆院選まで、別の選挙制度が導入されていたが、原敬内閣による選挙法改正で再度導入され、1920年の衆院選と1924年の衆院選は小選挙区制が実施されたが、1928年の衆院選から1993年の衆院選までは別の選挙制度が導入されていた。
ただし、第二次世界大戦後の1953年にアメリカ合衆国から日本へ施政権が返還された鹿児島県奄美諸島では、歴史的経緯から奄美群島選挙区が1人区として設置され、事実上の小選挙区として存在した。この奄美群島選挙区は将来鹿児島県第3区へ統合するまでの暫定措置とされたが、1954年の補欠選挙で初めて議員を選出し、一票の格差を解消するための定数是正措置により1992年に消滅(鹿児島県第1区へ統合)するまで存続した(1990年の衆院選が最後の選挙)。
この間、1956年に第2次鳩山一郎内閣が単純小選挙区制を、1973年に第2次田中角栄内閣が小選挙区比例代表並立制をそれぞれ衆議院に導入しようという計画を立てたが、大政党に有利である、選挙区の区割りがいびつであり恣意的である、などと批判された。特に区割りに関しては、1810年代のアメリカにおける事例、マサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲリーがサラマンダーの形をした自党に有利な選挙区をつくりゲリマンダーと呼ばれた故事をもじって、ハトマンダー・カクマンダーと揶揄された。このような批判と、政権自体の求心力の低下により、両内閣とも導入を断念した。
また、日本の小選挙区制のモデルケースと目された奄美群島区で選挙がしばしば過熱し、選挙違反者の大量発生が続いた事も、小選挙区反対論の根拠となった。
1980年代後半、中選挙区制の欠陥が指摘されると再び小選挙区制導入の論議がなされた。リクルート事件後の1991年、海部俊樹内閣および自民党執行部は小選挙区300、比例代表171の小選挙区比例代表並立制導入を企図するが、党内調整に失敗し、内閣は総辞職した。
その後1994年の選挙制度改革により衆議院選挙には小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)が導入され、1996年の衆院選から実施された。
なお、参議院選挙の1人区の選挙区(半数改選のため全体としては定数2人)も小選挙区とも表現されることがある。
また、都道府県議会選挙においては、定数1の選挙区、すなわち事実上の小選挙区制選挙で議員を選出する地域が多い。これは、同選挙の区割りが市・郡単位を基準に定められるが、その都道府県内での有権者数の比重が小さく、総定数の中から1人しか割り当てられない地域が多いためである。
[編集] 日本の衆議院小選挙区の区割り方法
選挙区割りは国民の一票の格差を決定し、政治家の当落を左右する重要な問題である。衆議院小選挙区については国勢調査の結果をもとに10年ごとに衆議院議員選挙区画定審議会が審議し内閣総理大臣に勧告し、総理大臣は問題がなければそれを採用して国会に提出し、審議に付される。審議会の委員は衆参両院の同意を得た国会議員以外の識者7人が総理大臣に任命される。
区割りするときは「一票の格差を2倍未満にする」「市区町村を分割しない(大都市を除く)」「飛び地をつくらない」などの方針のもとで地勢や交通を考慮して決定される。しかしながら第43回衆議院議員総選挙(2003年[平成15年])では9つの選挙区で一票の格差が2倍を超えた。 また、以下の市区では2つの選挙区に分割された。
- 千葉県市川市、同松戸市、東京都大田区、同世田谷区、同練馬区、同足立区、※神奈川県相模原市、静岡県浜松市、三重県四日市市、大阪府堺市、岡山県岡山市、高知県高知市、熊本県熊本市、(大分県大分市)、鹿児島県鹿児島市
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- 2002年の区割り改正で神奈川県相模原市が新たに分割され、大分県大分市の分割が解消された。
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1区は都道府県庁がある選挙区(政令指定都市の場合は都道府県庁がある区の選挙区)に割り当てる。
市町村合併による境界の変更があっても選挙区割りが自動的に変更されることはない。いわゆる平成の大合併の進展により2003年から2006年3月末にかけて各地で大規模な市町村合併が行われたが、2006年4月1日現在、唯一の例外を除いて区割りは2002年に改正された当時のままである。そのために2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙では新潟市が4つの選挙区にまたがったのを筆頭に全国で35市町が本来分割されている市区に加えて複数の選挙区にまたがることとなった。
- 唯一の例外は2005年2月13日に長野県から岐阜県中津川市に編入された旧山口村の区域である。2005年6月29日に公布された「公職選挙法の一部を改正する法律」によってそれまで所属していた長野県第4区から岐阜県第5区に所属が変更され、同時に比例代表区の北陸信越ブロックと東海ブロックの境界線も新しい県境に合わせて変更された。