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核磁気共鳴 - Wikipedia

核磁気共鳴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プロトン共鳴周波数 300 MHz の NMR 装置
プロトン共鳴周波数 300 MHz の NMR 装置

核磁気共鳴(かくじききょうめい、NMRNuclear Magnetic Resonance) は外部静磁場に置かれた原子核が固有の周波数の電磁波と相互作用する現象である。

目次

[編集] 概略

原子番号と質量数がともに偶数でない原子核は0でない核スピン量子数 I磁気双極子モーメントを持ち、その原子は小さな磁石と見なすことができる。磁石に対して磁場をかけると磁石は磁場ベクトルの周りを一定の周波数で歳差運動する。原子核も同様に磁気双極子モーメントが歳差運動を行なう。この原子核の磁気双極子モーメントの歳差運動の周波数はラーモア周波数(Larmor frequency)と呼ばれる。この原子核に対してラーモア周波数と同じ周波数で回転する回転磁場をかけると磁場と原子核の間に共鳴が起こる。この共鳴現象が核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance、略してNMR)と呼ばれる。

磁場中に置かれた原子核はゼーマン効果によって磁場の強度に比例する、一定のエネルギー差を持った 2I + 1 個のエネルギー状態をとる。このエネルギー差はちょうど周波数がラーモア周波数の光子の持つエネルギーと一致する。そのため、共鳴時において電磁波の吸収あるいは放出が起こり、これにより共鳴現象を検知することができる。

核磁気共鳴は発見当初は原子核の内部構造を研究するための実験的手段と考えられていた。しかし、後に原子核のラーモア周波数がその原子の化学結合状態などによってわずかながらも変化すること(化学シフト)が発見された。これにより核磁気共鳴を物質の分析同定の手段として用いることが考案された。核磁気共鳴によるスペクトルを得る分光法核磁気共鳴分光法(Nuclear Magnetic Resonance Spectroscopy)と呼ぶ。核磁気共鳴分光法のことも単にNMRと略称する。

核磁気共鳴において共鳴の緩和時間はその原子核の属する分子の運動状態を反映する。生体を構成している主な分子はであるが、水分子の運動はその水分子が体液内のものか臓器内のものかによって異なる。よってこれを利用して体内の臓器の形状を知ることが可能である。これをコンピューター断層撮影法に応用した方法が核磁気共鳴画像法(MRI)である。

[編集] 歴史

MRIについての歴史は核磁気共鳴画像法(MRI)の項を参照のこと。

  • 1936年 コルネリウス・ゴルテルがミョウバンとフッ化リチウムの結晶を用いてNMR信号の検出を試みるが失敗。
  • 1938年 イシドール・ラビ塩化リチウムの分子線を用いてNMR信号を検出することに成功。(1944年ノーベル物理学賞受賞)
  • 1942年 コルネリウス・ゴルテルが論文中で初めてNuclear Magnetic Resonanceの言葉を使用した。
  • 1946年 エドワード・パーセルがパラフィン、フェリックス・ブロッホが硝酸鉄(III)水溶液を用いて凝縮系のNMR信号を検出することに成功。(1952年ノーベル物理学賞受賞)
  • 1950年 硝酸アンモニウムの窒素のNMR信号が2つの周波数を持つこと、すなわち化学シフトが発見される。すぐに水素やフッ素でも化学シフトが発見された。また、六フッ化アンチモン酸ナトリウムのアンチモンのNMR信号が分裂していることも発見された。これはスピン結合の発見である。これらはNMR分光法の端緒となった。
  • 1950年 アーウィン・ハーンがスピンエコーを発見。
  • 1953年 アーノルド・オーバーハウザーがオーバーハウザー効果を理論的に予測。すぐに効果の実在が確認され、NMR分光法の感度向上や立体配置の決定に利用されるようになった。
  • 1954年 久保亮五、森田和久らにより線形応答理論に基づいたフーリエ変換NMRの基礎理論が提唱された。
  • 1956年 ウェストン・アンダーソンが多量子遷移の観測に成功。
  • 1957年 フッ化カルシウムを用いてフーリエ変換NMRがはじめて測定された。
  • 1958年 レイモンド・アンドリューがマジック角回転法を提唱。高分解能固体NMRの測定が可能となった。
  • 1962年 スヴェン・ハートマンとアーウィン・ハーンがハートマン・ハーン効果を発見。
  • 1965年 高速フーリエ変換(FFT)のアルゴリズムが実用化される。
  • 1966年 リヒャルト・エルンスト、レイモンド・アンドリューによりフーリエ変換NMR分光法が確立する。(1991年にエルンストはノーベル化学賞受賞)
  • 1971年 ジーン・ジェーナーが講演で2次元NMRのアイデアを提案する。
  • 1976年 リヒャルト・エルンストが2次元NMRを測定する。
  • 1983年 フランク・ヴァンデヴェンら、オーレ・ソレンセンらのグループにより直積演算子法が導入された。
  • 1997年 クルト・ヴュートリッヒによりTROSYが提唱された。高分子の高分解能測定が可能となった。(2002年ノーベル化学賞受賞)

[編集] 理論

[編集] ブロッホの方程式

フェリックス・ブロッホは現象論的な考察から原子核が磁場中で作り出す磁化ベクトルの時間的な変化を以下の式で表現した。これをブロッホの方程式という。熱平衡状態の磁化の方向をz軸にとり、観測対象の原子核の磁気回転比をγ、かけられている磁場をB、M(t)を時間tの磁化、Mx,My,Mzをそれぞれそのx成分,y成分,z成分、熱平衡状態の磁化をMz0とすれば

dMx/dt = (M × γB)x - Mx/T2
dMy/dt = (M × γB)y - My/T2
dMz/dt = (M × γB)z - (Mz-Mz0)/T1

(M × γB)x、(M × γB)y、(M × γB)zは外積M × γBのx成分、y成分、z成分を表す。T1はz軸方向の磁化(縦磁化)の緩和(縦緩和)の時定数、T2はxy平面内の磁化(横磁化)の緩和(横緩和)の時定数である。

静磁場B0の元でこの方程式を解くと、磁化のxy平面内の成分は周波数γB0で歳差運動を行なうことがわかる。この周波数はラーモア周波数そのものである。

次にラーモア周波数と同じ周波数で回転している系からの観測について考える。この回転系ではラーモア周波数で回転する磁化ベクトルは静止して見える。つまり回転系ではラーモア歳差の原因となっている磁場B0が存在しないかのように見える。回転系で熱平衡状態の磁化ベクトルに対し、xy平面内で回転する磁場をかけることを考える。周波数がラーモア周波数以外の回転磁場をかけたとき、回転系から見ると回転磁場はラーモア周波数との差の周波数で回転しているように見える。この場合、ある方向に磁場がかかる場合とそれと逆方向に磁場がかかる機会は等しく存在する。これらの反対向きの磁場による磁化ベクトルの運動はおおよそ相殺されるため、磁化ベクトルは熱平衡状態のままほとんど変化しない。すなわち共鳴は起こらないことになる。一方、ラーモア周波数の回転磁場をかけたときには、回転系から見ると回転磁場はある軸(ここでは仮にx軸とする)上に静止して見える。このとき磁化ベクトルは回転系から見るとyz平面内を回転運動するように見える。磁化ベクトルがz軸上からどの程度回転するかは、回転磁場の強度およびその継続時間による。磁化ベクトルをz軸からn度回転させるような回転磁場はn度パルスと呼ばれる。磁化ベクトルがz軸から回転することによって生じた磁化のxy成分は慣性系から見ればラーモア周波数で歳差運動する。この歳差運動はコイルで誘導電流として検知することができる。これはFT-NMRの基本的な原理である。

なお実際のNMRの観測においては回転磁場の代わりに同じ周波数の振動磁場を用いる。振動磁場は逆方向に回転する2つの回転磁場の和と考えられ、核磁気共鳴を引き起こす回転磁場と逆方向に回転している磁場は共鳴にほとんど影響しないからである。

[編集] リウビル-フォン・ノイマン方程式

NMRの観測は磁化ベクトルの変化を検出することによって行なう。磁化ベクトルは試料内の個々の核スピンから生じる磁気双極子モーメントの総和である。よってNMRは理論的には核スピンの集団の磁場に対する応答として記述される。このような集団は量子力学では密度演算子によって記述される。密度演算子の挙動を表す方程式はリウビル-フォン・ノイマン方程式である。この方程式には注目しているスピン系とその周囲の環境(格子と呼ばれる)全体を記述する密度演算子が含まれている。しかし、通常NMRの挙動を解析するためには注目しているスピン系の情報さえ分かれば充分である。そこで次のような、スピン系のみの簡約化された密度演算子に対する変形したリウビル-フォン・ノイマン方程式が用いられる。(なお、ここでは式はNMR分野での慣用に従い、ディラック定数を省略してエネルギーを角周波数単位で表す方法を用いている。)

\frac{d}{dt} \rho = -i \left[ H, \rho \right] - \Gamma \left\{ \rho - \rho_0 \right\}

ここで、ρはスピン系の密度演算子、Hはスピン系のハミルトニアン、Γは緩和を表す演算子、ρ0は熱平衡状態のスピン系の密度演算子である。スピンのx成分、y成分、z成分の統計的期待値はIx, Iy, Izをそれぞれスピンのx成分、y成分、z成分の演算子とすると、それぞれρ⋅Ix、ρ⋅Iy、ρ⋅Izの行列表現のトレースに等しい。スピンにより生じる磁気双極子モーメントはスピンの期待値ベクトルとγ(h/2π)の積となる。さらに磁化ベクトルは時期双極子モーメントと系内の核スピンの個数の積となる。 周囲に何も存在しない裸の核スピンがただ1つ存在する場合、ハミルトニアンHは-γI⋅B0である。Iはスピン演算子である。実際には周囲の電子や他のスピンとの相互作用の結果、ハミルトニアンには他の項が付け加わる。以下にそれらの原因となる相互作用を示す。

[編集] 化学シフト

原子核の周りには通常は電子が運動している。運動している電子は磁場を作り出すため、これにより原子核のラーモア周波数は影響を受ける。原子核の周りの電子の状態はその原子がどのような化学結合をしているのかに影響を受ける。そのため、その原子が構成している物質の違いによってラーモア周波数も異なる。この物質によるラーモア周波数の違いを化学シフトという。 ハミルトニアンの化学シフト項はγI⋅σ⋅B0と表せる。σは化学シフトテンソルあるいは遮蔽テンソルと呼ばれる。このときのラーモア周波数は

\gamma B_0 \left\{ \left[ (1-\sigma_xx) \alpha_x \right]^2 +  \left[ (1-\sigma_yy) \alpha_y \right]^2+ \left[ (1-\sigma_zz) \alpha_z \right]^2 \right\}^{\frac{1}{2}}

となる。ここでσxx、σyy、σzzは化学シフトテンソルの主値、αx、αy、αzは主軸から見た静磁場B0の方向余弦である。 観測している原子核が充分に速く等方的に運動している場合には、化学シフトテンソルは平均化されてスカラーσで表すことができる。これを遮蔽定数という。このときのラーモア周波数はγ(1-σ)B0となる。 いずれの場合もラーモア周波数は静磁場B0に比例する。化学シフトの値を議論する場合には、この磁場依存性をなくすためにラーモア周波数をγB0で割った無次元数を利用することが多い。

遮蔽定数は反磁性項と常磁性項の和で表される。反磁性項は電子のローレンツ力による回転運動により磁場が打ち消される(遮蔽)効果である。例えばs軌道の電子は磁場が存在しない状態では軌道角運動量が0である。しかし、ここに磁場をかけるとローレンツ力により軌道角運動量を持つようになる。この新たに生じた軌道角運動量により作り出される磁場が遮蔽をもたらす。 一方、常磁性項は磁場がかかったことによって電子の軌道が歪み、励起状態が混合することによって生じる項である。例えば電子のpx軌道は軌道角運動量l=±1の軌道が混合して作られている。磁場が無い場合にはこの2つの軌道は縮退しているために混合比も1:1であり結果としてpx軌道の軌道角運動量はクエンチされており0である。しかし磁場がかかると軌道の縮退が破れる。このとき、より安定化されるのは原子核の位置にかけられた磁場と同じ向きに磁場を生じるような軌道角運動量を持つ方の軌道である。軌道の混合比もより安定な軌道の寄与が大きくなるため、磁場を強める効果(脱遮蔽)をもたらす。 荒い近似では反磁性項は核からの電子の平均距離に反比例し、常磁性項は基底状態と混合する励起状態とのエネルギーに反比例し、電子の平均距離の3乗に反比例する。おおまかには原子番号が大きいほど基底状態と励起状態のエネルギー差が小さいため、常磁性項の寄与が大きくなる。また、電子の平均距離は周期表の同じ周期に属する元素では原子番号が大きいものほど核電荷の増加により、小さくなり、やはり常磁性項の寄与が大きくなる。一般に反磁性項よりも常磁性項の大きさが上回り、常磁性項の寄与が大きくなるほど化学シフトの範囲も広くなる。プロトンでは化学シフトは高々20ppmの範囲に収まるが、鉛のような重原子では9000ppm程度まで大きくなる。

プロトンでは、原子核の周囲を回転する電子が1つしかないため、反磁性項、常磁性項いずれの値も小さい。その結果、離れた場所に存在する電子の作り出す磁場が化学シフトに大きな影響を与える。特に分子内の電子が回転運動しやすい状態になっている場合、化学シフトが大きく変化する。代表的な例が芳香環を含む化合物のプロトンの化学シフトである。芳香環では環状にπ電子が非局在化しているため、電子の回転運動が容易な状態となっている。そのため、芳香族化合物に磁場をかけると環に沿って電子が回転運動する環電流が誘起される。環電流は環の平面内には大きな脱遮蔽効果を、環の鉛直方向には大きな遮蔽効果を生じる。また、溶媒の種類への化学シフトの依存性もプロトンが特に大きい。

[編集] スピン結合 (スピンカップリング)

スピン結合(スピンカップリング)は2つの核スピンI,Sが相互作用する結果、それぞれのラーモア周波数が相手の核スピン量子数に応じて変化する現象である。ハミルトニアンのスピン結合項は2πI⋅J⋅Sと表せる。この式のIとSはそれぞれの核のスピン演算子であり、Jスピン結合テンソルと呼ばれる。化学シフトテンソルと同じく観測している原子核が充分に速く等方的に運動しているときにはスカラーJで表すことができる。このJは周波数の次元を持ち、結合定数(カップリング定数)と呼ばれる。スピン結合は一般的にJで表されることからJ結合、またスカラーで表せることからスカラー結合と呼ばれる場合もある。

あるスピンIが、スピン量子数のz方向成分mzのスピンSと結合定数Jで結合しており、そのラーモア周波数の差がJよりもずっと大きい(弱いスピン結合)場合、スピンIのラーモア周波数はmzJだけ変化する。スピンSのスピン量子数をmとすると、スピン量子数のz方向成分は-m, -m+1, …, m-1, mの2m+1個の値をとりうる。そのため、NMRにおいてはJずつ異なる2m+1個のラーモア周波数での共鳴が観測されることになる。スピンIが複数のスピンS1、スピンS2と結合していれば、スピンS1によって分裂した共鳴線がさらにスピンS2によって分裂することになる。スピンS1、スピンS2に対するJの値が等しい場合には、分裂した共鳴線が重なりあうため、周波数順に1:2:…:2m+1:…:2:1という特徴のある共鳴線の強度のパターンが現れる。 ラーモア周波数の差がJと同程度である(強いスピン結合)場合、共鳴線の分裂は複雑になる場合が多い。また、ラーモア周波数の差がない場合、スピン結合自体は存在しても共鳴線の分裂は起こらない。

スピン結合は核スピン同士の直接の磁気的な相互作用によるものではない。磁気双極子相互作用によるスペクトルへの影響は原子が等方的な運動を行なっている場合には消失してしまうが、スピン結合はそうならない。スピン結合は結合電子を媒介にしたスピン同士の相互作用に起因する。媒介は電子のスピン角運動量か軌道角運動量を通じて行なわれる。原子I、原子S間の化学結合を構成する電子のスピン波動関数はα(I)β(S) - β(I)α(S)のように2つの状態の混合で表される。このとき原子Iおよび原子Sにαの電子がある確率と、βの電子がある確率は等しい。そのため、それぞれのスピンI,Sに及ぼされる電子スピンによる正味の磁場は0である。ここで原子Iにスピンがあることを考慮に入れる。もしIが同じ向きのスピンを持つ電子がIにある方が安定化するならば、Iがαの場合には波動関数のα(I)β(S)の項の比率が増加し、β(I)α(S)の項の比率が減少する。こうすると原子Sにはβスピンが存在する確率が増加する。その結果、原子Iにはαスピンの電子が作りだす磁場が、原子Sにはβスピンの電子が作り出す磁場が生じることになる。逆にIがβの場合には原子Iにはβスピンの電子が作りだす磁場が、原子Sにはαスピンの電子が作り出す磁場が生じる。この結果、それぞれ原子Iと原子Sには2種類のラーモア周波数を持つものができることになる。 核スピンと電子スピンの間の相互作用には二種類がある。一つは磁気双極子相互作用によるものである。もう一つはフェルミの接触相互作用と呼ばれる機構である。フェルミの接触相互作用の大きさは原子核の位置での電子の存在確率に比例する。原子核の位置で波動関数が0でないのはs軌道だけである。そのため結合電子のs電子性が高い場合、特にプロトンについて重要な機構である。 核スピンと電子の軌道角運動量の間にも化学シフトの常磁性項と同じような機構での相互作用が考えられ、スピン結合の原因となる。これはs電子以外の電子で重要な機構である。 このモデルから分かるとおり、スピン結合には外部磁場の存在は関係ない。ハミルトニアンに静磁場B0が含まれていないのもこのためである。よってスピン結合による分裂幅は静磁場の強度には依存しない。そのため化学シフトとは異なり、スピン結合の値を議論する場合には周波数の観測値をそのまま用いる。

結合定数Jの符号はラーモア周波数の測定からは知ることができないが、緩和現象などを利用して測定がされている。H-NMRにおいては、ほとんどの場合ジェミナル水素の結合は正、ビシナル水素の結合は負の値を持つことが知られている。

[編集] 磁気双極子相互作用

磁気双極子相互作用 は2つの核スピンI,Sが直接磁気双極子として相互作用するものである。磁気双極子相互作用のハミルトニアンは

H = \frac{\mu_0 \gamma_I \gamma_S \hbar}{4 \pi r^3} \left[ I \cdot S - \frac{3}{r^2} (I \cdot r)(S \cdot r) \right]
= I \cdot D \cdot S

と表される。μ0は真空の透磁率、rはスピンIとSの間を結ぶベクトル、Dは磁気双極子相互作用テンソルである。この相互作用の大きさは化学シフトやスピン結合に比べてはるかに大きい。しかし、磁気双極子相互作用テンソルのトレースは0であるので、この相互作用は観測している原子核が充分に速く等方的に運動しているときには平均化されてラーモア周波数への影響は0となる。一方、固体の通常測定においてはその相互作用の大きさからスペクトルの形を支配する。磁気双極子相互作用による共鳴線の分裂幅はベクトルrと静磁場のなす角度θに対して、3cos2θ-1;に比例する。そのため、角度θの平均値を測定の間3cos2θ-1=0と保つようにすれば固体の測定でも磁気双極子相互作用による分裂を消去できる。これがマジックアングルスピニング法(MAS法)である。

一方、磁気双極子相互作用はほとんどの場合に緩和の機構として主要なものである。

[編集] 核四極子相互作用

核四極子相互作用 は1以上の核スピン量子数を持つ原子核に存在する相互作用である。1以上の核スピン量子数を持つ原子核は電気四極子モーメントを持つ。電気四極子モーメントを持つ核が電場勾配のある環境に置かれている場合、核の向きによってエネルギーが変わるため、エネルギーの分裂が起こる。NMRと同様に共鳴吸収現象を観測することができ、これは核四極子共鳴(Nuclear Quadrupole Resonance, NQR)と呼ばれる。

核四極子相互作用のハミルトニアンは

H = \frac{eq}{2m(2m-1)} I \cdot V \cdot I
= I \cdot Q \cdot I

と表される。eは電気素量、qは核四極子モーメント、Vは電場勾配テンソル、Qは核四極子相互作用テンソルである。 核四極子相互作用テンソルのトレースは0であるのであるので、この相互作用は観測している原子核が充分に速く等方的に運動しているときには平均化されてラーモア周波数への影響は0となる。従ってNQRの観測も固体中に限定される。

核四極子相互作用の大きさは、対称性のない物質(=物質内の電場勾配が大きい)では他の相互作用よりも圧倒的に大きい。そのため四極子モーメントを持つ核では、その緩和はほとんど核四極子相互作用に支配される。

[編集] コヒーレンス

xy面内に観測可能なマクロの大きさの磁化ベクトルが生じるのは、核スピンの波動関数がα + βのように複数のスピン状態が混合している形で表され、かつ核スピンの集合全体が同じスピン状態を持っている(個々の核スピンの波動関数がコヒーレントな状態である)場合に限られる。核スピンの波動関数のこのような状態をコヒーレンスという。 コヒーレンスがあることとxy面内に磁化ベクトルが存在することは等価ではない。例えば2つのスピンを含む系において波動関数がαα + ββというような状態でコヒーレントになっている場合、xy面内に磁化ベクトルは存在しない。xy面内に磁化ベクトルが生じるのは全スピン量子数が1だけことなる状態のコヒーレンス(一量子コヒーレンス)のみである。αα + ββのような二量子コヒーレンスやαβ + βαのようなゼロ量子コヒーレンスは磁化ベクトルを生じない。 熱平衡状態にあるスピン系に単一の回転磁場パルスを与えると、まず一量子コヒーレンスが生じる。この後、適切なタイミングで適切なパルスを与えることで二量子コヒーレンスやゼロ量子コヒーレンスを生じさせることができる。 一量子コヒーレンス以外のコヒーレンスは直接観測することはできないが、適切なタイミングで適切なパルスを与えることによって一量子コヒーレンスに変換することができ、この一量子コヒーレンスの磁化ベクトルとして間接的に検出することができる。 特定の相互作用を持つスピン系のみを観測しようとする測定手法は、特定のコヒーレンスを経由して発生した磁化ベクトルのみを観測するようにしている。このようなコヒーレンスの選別には磁場勾配パルスや位相サイクルといった手法が利用される。

[編集] 緩和

NMRにおける緩和とは電磁波を受けることによって励起された核がエネルギーを放出して基底状態に戻ること、あるいは核スピンのコヒーレンスが消失することである。緩和の原因となるのは周囲の電子や原子核の持つ磁気双極子モーメントや電気四極子モーメントである。これらから受ける磁場が分子のブラウン運動や結合の回転によって変化する。この不規則な磁場の変動の中のエネルギー準位の差に相当する周波数成分によって状態間の遷移が起こり、緩和が起こる。

複数回の積算を行う場合には、緩和にかかる時間に注意が必要である。スピンが熱平衡状態に復帰していない状態で次の積算の測定が行なわれると、測定される磁化の強度が低下する。しかし、十分に緩和するのを待つよりも積算回数を稼ぐ方がS/N比の改善に効果的なこともある。またコヒーレンスが完全に消失していない場合、パルスの干渉が起こってスペクトルにノイズを生じさせる場合もある。

核自身の持つ電気四極子モーメントは緩和を著しく加速させる。スピン1/2の核は電気四極子モーメントを持たず緩和速度が小さいため、測定に長い時間が必要である。一方、緩和する前にさらにスピンを操作することができるため、これらの核に対しては様々な測定法が開発されている。そのため、核スピン1/2の1H, 13C, 15N, 19F, 29Si, 31P といった核がNMRの測定の中心を占めている。逆に核スピン1以上の核は、一部の核を除けば緩和速度が著しく大きいため、時間とエネルギーの間の不確定性原理によりエネルギー準位に幅ができる。すなわちラーモア周波数に幅があるのでシグナルがブロードとなり分解能が低くなる。

[編集] 縦緩和

縦緩和スピン-格子緩和とも言い、磁化ベクトルのz成分(縦磁化)が熱平衡状態の値に復帰する緩和である。電磁波を照射することでエネルギーの高い準位に励起されたスピンが格子にエネルギーを放出しながらエネルギーの低い準位に戻る機構で起こる。この過程はランダム磁場の中のx成分やy成分のラーモア周波数と一致する成分を拾って起こる。縦緩和の時定数T1 で表される。

[編集] 横緩和

横緩和スピン-スピン緩和とも言い、磁化ベクトルのx, y成分(横磁化)が0に復帰する緩和である。この過程には2種類の機構が存在する。1つはスピンの位相がそろった状態から位相がバラバラの状態になる機構である。この過程はランダム磁場のz成分によって各スピンのラーモア周波数が揺らぐことで起こる。もう1つは準位間の遷移によって横磁化が失われる機構である。この過程は縦緩和と同じくランダム磁場の中のx成分やy成分のラーモア周波数と一致する成分を拾って起こる。横緩和の時定数T2 で表される。 エントロピー的な要請から、T1T2 となる。

[編集] 交差緩和

磁気双極子相互作用を持つ2つのスピンI,Sには2つのスピン量子数を同時に変化させるような緩和過程が存在する。このような過程を交差緩和という。交差緩和が起こるとエネルギー準位の占有数差が熱平衡状態よりも大きくなることがある。これが核オーバーハウザー効果である。

[編集] 二次元NMR

NMRにおいては磁場パルスによってコヒーレンスを生成した後、さらに磁場パルスを当てることによりコヒーレンスをその核と相互作用のある核に移動させることができる。このことを利用してある原子と別の原子の間の相関を調べるのが二次元NMR分光法である。

二次元NMR においては測定したい相関に応じて、複数のパルスがある決められた順序、時間間隔で当てられる。この順序、時間間隔をパルスシークエンスと呼ぶ。どのパルスシークエンスも大体、準備期-展開期-混合期-検出期の4つの部分からなる。

  1. 準備期: 相関を測定したい第1の核にコヒーレンスを生成させる(直接第1の核にパルスを照射してコヒーレンスを生成する場合は準備期は無い)
  2. 展開期: 第1の核のコヒーレンスが時間発展する状態
  3. 混合期: 第1の核と相互作用のある第2の核へコヒーレンスを移動させる(検出パルスにより直接第1の核から第2の核へ移動させる場合は混合期は無い)。このとき移動するコヒーレンスの大きさは展開期の長さと第1の核のラーモア周波数によって変化する。
  4. 検出期: 第2の核からのFIDを測定する。FIDの強度は第1の核から移動したコヒーレンスの大きさに比例する。

展開期の時間の長さ(普通 t1 で表す)を変えていくと、検出期のFIDの強度が第1の核のラーモア周波数で振動する。FID をフーリエ変換した後の第2の核のシグナルの強度も第1の核のラーモア周波数で振動していることになる。そのため、第2の核のシグナルの強度をフーリエ変換すると、第1の核のラーモア周波数を取り出すことができる。これにより相互作用している2つの核の情報を取り出すのが2次元NMRである。

[編集] 核磁気共鳴分光法

1H NMR スペクトルの例。横軸は化学シフトで表している。
1H NMR スペクトルの例。横軸は化学シフトで表している。

被観測原子のラーモア周波数は同位体種と外部静磁場の強さでほぼ決まるが、同一同位体種の原子核でも試料中での各原子の磁気的環境によってわずかに異なり、そこから分子構造などについての情報が得られる。ひとつのNMRスペクトルで観測される周波数範囲は比較的狭く、一種類の同位体原子だけの試料中での状態を反映したものになる。つまりNMRは同位体種に選択的な測定法である。

分光法なので得られるデータは横軸が周波数で縦軸が強度のスペクトルとなる。しかし、ある原子の共鳴周波数は外部静磁場の強さに比例して変わり、その被観測原子固有の性質とはならない。だが(被観測原子のラーモア周波数 - 基準周波数)/(磁気回転比 ×外部静磁場強度)で定義される化学シフトは被観測原子固有の値となるので、NMRスペクトルの横軸は化学シフトで表すのが一般的である。共鳴位置に現れるピークのことを単にピーク(peak)またはシグナル、信号(signal)と呼ぶが、英文ではsignalが一般的である。

主に対象となる原子は水素または炭素(通常の 12C ではなく核スピンを有する同位体 13C(カーボン・サーティーン)を測定する)であり、これらについては膨大な資料が存在する。水素原子を対象とするものを 1H NMR(プロトンNMR)、炭素原子を対象とするものを 13C NMR(カーボン・サーティーンNMR)と呼ぶ。他にそれ以外の元素についても核スピンを持ちさえすれば原理的には測定可能であり、現代の有機化学では最も多用される分析手法の一つである。有機化合物の同定構造決定に極めて有用である。また、単結晶X線回折と並んで構造生物学のための強力な武器である。測定する核種の磁気回転比や天然存在比、電気四極子モーメント等の違いで感度や線幅が異なる。

[編集] 分光計

NMR 分光計は一定の磁場(外部磁場)をかけるマグネット、電磁波パルスの照射とシグナルの検出を行なうプローブ、電磁パルスの発生や照射のタイミングなどを制御する分光計本体、データ処理のためのコンピュータで構成される。 NMRを製造しているメーカーとしては日本電子(JEOL)、ブルカー、バリアン、日立ハイテクなどが著名である。

[編集] マグネット

外部磁場をかけるための磁石は、永久磁石あるいは超伝導磁石が用いられる。磁場が強力になるほど、スピン状態間のエネルギー差が大きくなり、その占有率の差が大きくなるため感度が上がる。またラーモア周波数は磁場に比例するため、接近した周波数を持つピーク同士の分解能も高くなる。そのため、非常に強力な磁場を発生させることが可能な超伝導磁石を使う装置が主流となっている。磁石の発生させている磁場の強度はその磁場におけるプロトンのラーモア周波数で表現される。例えば11.74Tの磁場を発生させる磁石は500MHzのマグネットと称される。

[編集] 永久磁石

永久磁石を用いた装置は円盤型の永久磁石を2枚平行に並べて均一な磁場を発生させる。 永久磁石は横に並べるので、発生する磁場は水平方向となっている。 現在目にすることが可能な永久磁石を用いた装置はほぼ60MHz、90MHzのものである。 今となっては感度や分解能が劣るので研究目的には使用される機会は少なくなっている。 永久磁石の装置は装置が比較的コンパクトにまとまることやマグネット自体をメンテナンスする必要が少ないというメリットがある。 そのため、品質保証のためのルーチン分析などの用途には現在でも使用されている。

[編集] 超伝導磁石

超伝導磁石を用いた装置はかなり大掛かりなものとなる。 電磁石の本体であるコイルの線材として強磁場下でも超伝導状態を保つことができる第二種超伝導体であるニオブとチタンの合金(300MHz以下)やニオブとスズの合金(800MHz以下)が使用される。 コイルの総重量は数百kgに達するため、設置場所の床はかなり頑丈である必要である。 コイルの軸は鉛直方向となっているため、磁場の方向も鉛直方向となる。 コイルは液体ヘリウムの入ったデュワー瓶の内部に置かれ、液体ヘリウムの沸点(4.2K)以下に保持される。 液体ヘリウムは蒸発して失われていくため定期的に補充する必要がある。 特に強力な磁場を発生させる超伝導磁石は、ヘリウムの沸点(4.2K)では臨界磁場が不十分なため、液体ヘリウムをわずかに減圧して気化させて蒸発熱を奪い、超流動転移点(2.1K)以下まで冷却して臨界磁場を高めている。 また比較的磁場が小さい装置では装置周囲への漏洩磁場を抑えるために遮蔽マグネットをつけたものがある。 これはメインのマグネットとは逆向きの弱い磁場を発生させてマグネット外の磁場を抑えるためである。 また液体ヘリウムは高価なため、蒸発を抑制するために、そのデュワー瓶の周囲に比較的安価な液体窒素をさらに充填して外部からの熱伝導を防いでいる。

[編集] クエンチ

なお、何らかの理由で超伝導状態が破れてしまうことをクエンチという。超伝導状態で無くなることで電気抵抗により発熱し、冷媒として用いている液体ヘリウムなどが一気に気化する。マグネットにはクエンチ時にデュワーからヘリウムを放出する安全弁があるが、これを屋外に誘導しておく必要がある。室内に放出させてしまうと酸欠状態になる可能性があり非常に危険である。

[編集] ロック

超伝導磁石を用いた装置での測定では重水素化された溶媒を用いるのが一般的となっている。これはロックのためである。 比較的長時間の測定を行なうと、その間に室温の変動などが原因で超伝導磁石の磁場強度が変化することがある。NMRでは化学シフトやスピン結合のように周波数のわずかな差を区別する必要があるため、磁場強度の変化は致命的である。そこで、磁場強度の変化を追跡し補正するための仕組みがあり、これがロックと呼ばれている。ロックは重水素化した溶媒の重プロトンのNMR信号(ロック信号)を測定し、これが常に一定の周波数に保たれるように磁場を調整し続けることによってなされる。

[編集] シム

NMRを測定する際に試料内の磁場の方向・強度にむらがあると、同種の核でもラーモア周波数に幅ができてしまいスペクトルの分解能が低下してしまう。そのため、試料内の磁場は完全に均一になっていなければならない。メインのマグネットだけでは磁場の微調整が不可能であるため、磁場の微調整用の別のコイルがマグネット内に設置されている。これをシム(コイル)(Shim)という。超伝導磁石クライオスタット内のシムコイルをクライオシム(コイル)、磁石のクライオスタット外でボア内プローブの外側にあるシムコイルを室温シム(コイル)と呼ぶ。これらのコイルに流れる電流の量を調整して磁場を均一にすることをシム調整という。

クライオシムはマグネットを超伝導状態して安定した直後に設置業者が調整し、それ以外の機会には調整することはまずない。 一方、室温シムは各測定ごとに調整する必要がある。測定試料によって磁化率が異なるため、各試料ごとに試料内の磁場が変化するからである。

通常、シム調整はロック信号を用いて行なう。すなわち、磁場が均一になるほどロック信号のラーモア周波数の幅が小さくなり、シグナルの強度が強くなることを利用して、なるべくシグナルが強くなる方向にシムコイルの電流を調整する。シムコイルには多数の種類があり、z1、z2、z3、…、x1、x2、y1、y2、xy、x2y、…などと呼ばれている。これらの名前は例えばx2yならば、試料内にx2yに比例するような強度を持つ磁場を作るコイルであるということを意味している。NMRの液体測定試料の多くは直径5mmの管に4~5cm程度の高さの溶液を入れる。このため、管の直径方向であるxy方向よりも、管の高さ方向のz方向の磁場の不均一の影響が大きい。そこで日常的な測定ではz1、z2、z3のシムを調整するのみで済ませ、スピニングサイドバンドが観測されるなど、xy方向の磁場の不均一の影響が出ている場合にx、yのシムを調整する。

また、磁場勾配パルスを用いて試料内の磁場を測定し、それに応じてシムの値を自動設定するグラジエントシムと呼ばれる調整法やFIDを測定しながらその包絡線の形状を見つつシム調整する方法もある。

シムとは詰め木という意味で、電磁石でNMRを測定していた時代に磁場を均一に調整するために装置に木の板を詰めたりして調整していたことに由来する。

[編集] プローブ

試料に対し、電磁波パルスを照射し、また試料の磁化ベクトルの検出を行なうのがプローブである。 外観は円筒型の装置で上部に投入した試料管を受ける凹みがある。この凹みの周囲にパルスの照射およびシグナルの検出を行なうためのコイルが巻かれている。用いる試料管が液体用か固体用か、また試料管の太さの違いによって使用できるプローブは決まってしまう。 プローブはマグネット下部中央からマグネット内に挿入され、必要があれば交換することが可能である。

プローブには多くの場合、2つのコイルが巻かれている。 1つはプロトンと重水素の信号にチューニングされるコイルである。もう1つは炭素あるいはその他の原子(多核と称される)にチューニングされるコイルとなっている。2つのコイルのうち、試料に近い内側に巻かれているコイルの方が感度が高い。感度の低いことが多い炭素あるいは多核用のコイルを内側に巻いているプローブが一般的であるが、微量試料のH-NMR用にプロトン用のコイルを内側に巻いているプローブも存在する。 コイルはマグネットが発生させる磁場に対して垂直方向の磁場パルスを発生させる。永久磁石と超伝導磁石では発生させる磁場の方向が異なるため、プローブのコイルの形状も異なる。 液体用プローブでは永久磁石を使用した装置に用いるプローブはソレノイド型のコイルが使用され、超伝導磁石を使用した装置に用いるプローブはサドル型のコイルが使用される。ソレノイド型の方がインピーダンス整合をとりやすく、また試料の回りに緊密に巻くことが可能なので、照射できるパルスの強度や検出感度をより高くすることができる。 固体用のプローブには高分解能測定用に強力なパルス照射が必要になるため、ソレノイド型のコイルが使用される。 また、磁場勾配パルスを使用できるプローブでは磁場勾配パルス発生用の専用コイルがさらに巻かれている。

コイルを超伝導体で作成したクライオプローブは低温のヘリウムガスにより回路全体を20K程度に冷却して使用する。 コイルの電気抵抗がないため、共振のQ値が非常に高くなり感度が向上する。また、回路全体の冷却により熱的な雑音が抑えられるためにS/N比も高くなる。

試料管をコイル内部に入れるため、試料によってプローブの共鳴周波数が影響を受ける。そのため、試料ごとにチューニングを取りなおす必要がある。チューニングが正しく取れていない場合、検出感度が低下する。また照射されるパルスの磁場強度が低下するため、パルスにより倒れる磁化ベクトルの角度が変わってしまう。その結果デカップリングの効果が低下したり、パルスシークエンスを用いる測定では測定自体が不可能になる。

[編集] 分光計本体

分光計本体は電磁パルスの発生とその照射のタイミングをコントロールしたり、プローブで検出した信号を増幅しスペクトルとして得る心臓部である。

電磁パルスのもととなる高周波電流は水晶振動子を用いた発振回路で作られる。水晶振動子の発振周波数は極めて安定しているため、これがすべての周波数の基準となる。この周波数を元に周波数シンセサイザにより観測対象核のラーモア周波数と位相を持つ高周波電流を作り出す。これをON/OFFゲートにより切り出して目的の長さのパルスとし、高周波アンプで所定の電圧まで増幅してプローブに送り込む。

NMRスペクトルにおいて必要な情報はラーモア周波数の絶対値ではなく、基準周波数との差のみである。FIDは基準周波数を搬送波としてそこに基準周波数との差の情報が乗っているものとみることができる。搬送波の周波数を別の周波数に変換してしまったとしても必要としている情報は失われない。そこで、プローブから送られてくるFIDをまず高周波アンプで増幅した後、基準周波数とある一定の差を持った高周波を作って混合してやることで、核によらない一定の中間周波数に変換する。これにより核種によらない信号処理が可能となる。中間周波数に変換された後は、さらに増幅され検波される。検波により搬送波に当たる中間周波数が除去され、基準周波数との差のみが取り出される。 検波は位相敏感検波(PSD)でなされる。1つのPSD検波では基準周波数との差の絶対値しか分からないため、2つの位相を90度ずらしたPSDを用いて検波を行なう(QPD:Quadrature Phase Detection)。検波された信号はA/D変換器によりデジタルデータとしてメモリに蓄積される。

[編集] コンピュータ

分光計の各種設定を行なったり、分光計に蓄積されたデータを処理するためにコンピュータを利用する。

高速フーリエ変換法が普及していなかった時代は、分光計に蓄積されたFID情報を大型コンピュータに移してフーリエ変換を行なっていた。 現在市販されているパーソナルコンピュータは高速フーリエ変換に充分なスペックを備えているため、特別なコンピュータを使用する必要はない。各社の装置で測定されたFID情報を処理するフリーソフトも存在する。

[編集] 測定方法

NMRの測定は試料の性状や現象の検出方法、核スピンの励起の仕方、測定条件などにより多くのバリエーションが存在する。

[編集] 溶液測定

通常の溶液測定では測定する化合物を溶媒に溶かし、溶液を無機ガラス製の NMR チューブに入れ、磁石内に設置されたプローブに入れて測定する。有機化学で一般に使われる溶媒にはプロトンが多量に含まれており、このような溶媒を使ってプロトン NMR を測定すると溶媒成分の信号が非常に強くなり、溶質信号の観測が非常に困難になる。そこでこの測定に用いる溶媒として、プロトンを重水素に置き換えた溶媒(重溶媒)を用いる。永久磁石を用いる装置ではロック信号の必要がないため、水素を含まない四塩化炭素も溶媒としてよく用いられていた。溶液測定用装置で固体試料をそのまま測定した場合はほとんど信号は観測できず、固体試料測定には後述の固体NMR用の装置を使う。ただし食品や動植物など流動性成分を含む試料では信号が観測される場合もある。

[編集] 固体NMR

測定する試料の溶解性が低いとき(高分子など)や固体状態での分子の動的挙動などを調べる目的で用いられる。基本的な原理は溶液での NMR と変わらないが、溶液状態と異なり分子の回転運動等は束縛されているので、分子の向きによって異なる化学シフトを与えることで線幅が広がることが珍しくない。また、試料管を磁場方向に対し54.7度 (\cos(\theta)=\frac{1}{\sqrt{3}}) 傾けたマジック角で高速に回転することで、線幅を細くする方法もある。

また、固体 NMR には、双極子相互作用、四極子相互作用など、溶液の NMR では分子運動のために平均化されて見えなくなっている情報が含まれているため、それらを測定する目的で用いられることもある。

[編集] CW-NMR(連続波法 NMR、Continuous Wave NMR)

初期に用いられた測定方法で、ある一定の磁場のもとで試料に電磁波を周波数を連続的に変化させながら当てていき吸収量を測定するか、または磁場を変化させながらある一定の周波数の電磁波を当て吸収量を測定する方法である。通常の電磁石を用いるならば磁場を変化させる方が周波数を変化させるよりも高精度でできるので、後者の方法が用いられた。

[編集] FT-NMR(フーリエ変換 NMR、Fourier Transform NMR)

現在主流の測定方法である。線形応答理論によればインパルス応答関数のフーリエ変換は周波数応答関数を与える。周波数応答関数はある周波数の電磁波が吸収される程度を表す関数であるから、これはNMRスペクトルに他ならない。それゆえにインパルス(パルス状の電磁波)を試料に当ててすべての核を一斉に励起し、その結果生じる磁化ベクトルの変化、すなわち自由誘導減衰 (Free Induction Decay, FID) を測定し、これをフーリエ変換することで NMR スペクトルを得ることができる。 パルス磁場によりFIDが誘起されることはNMRの初期から分かっていたが、複雑なFIDから周波数情報を取り出すフーリエ変換の良い方法がなかったために分光法として用いられるようになったのはかなり後になってからである。 FT-NMRではすべての周波数を同時に観測することができるため、測定時間が大幅に短縮された。また高速フーリエ変換のアルゴリズムの開発によりフーリエ変換の計算時間も短縮され、二次元NMR測定のような膨大なデータを処理する必要のある測定も実用可能となった。 なお、CW-NMRは照射された電磁波の正味の吸収を測定しているのに対し、FT-NMRでは電磁波によって生成したスピンのコヒーレンスに伴う磁化を測定している違いがある。FT-NMRではさまざまなコヒーレンスを選択的に生成することによって特定の情報のみを抽出する多くの測定法が開発された。

[編集] パルスシークエンス

FT-NMR においてはパルスによってコヒーレンスを生成した後、さらにパルスを当てることによりコヒーレンスをその核と相互作用のある核に移動させることができる。これを利用して測定核のある相互作用だけを取り出したり、感度を増強したりすることが可能となる。これを実現する一連のパルスの組み合わせがパルスシークエンスである。著名なパルス・シークエンスにはアクロニムによる略号があり、それによって呼称されることが多い。

  • APT:Attached Proton Test
13C-NMRにおいて各炭素に結合している水素の数を決定する。
  • INEPT:Insensitive Neclei Enhanced by Polarization Transfer
感度の良い核から感度の悪い核への分極移動で感度を向上させる。13C-NMRにおいて各炭素に結合している水素の数を決定する。
  • DEPT:Distorsionless Enhancement by Polarization Transfer
感度の良い核から感度の悪い核への分極移動で感度を向上させる。INEPTの改良版。13C-NMRにおいて各炭素に結合している水素の数を決定する。
  • COSY:COrrelated SpectroscopY
スピン結合している核同士を決定する2次元NMR。 同種核の結合を決定するものと異種核の結合を決定するもの(HETCORとも呼ばれる)がある。
  • DQF-COSY:Double Quantum Filtered-COSY
二量子コヒーレンスを経由するシグナルのみを取り出すことでスピン結合のないシグナルを消去し、対角ピークの位相を吸収型にすることで対角線付近の交差ピークの検出を改善したCOSY。
  • HOHAHA:HOmonuclear HArtmann-HAhn spectroscopy
ハートマン・ハーン効果によりあるシグナルからスピン結合をたどってスピンネットワークを決定する
  • TOCSY:TOtal Correlation SpectroscopY
HOHAHAを応用した2次元NMR
  • NOESY:Nuclear Overhauser enhancement and Exchange SpectroscopY
nOeを利用して近距離にある核同士を決定する2次元NMR。化学交換している核も決定できる。
  • ROESY:Rotating Overhauser enhancement and Exchange SpectroscopY
回転系でのnOeを利用するNOESYの一種。慣性系でのnOeが小さい中程度の分子量を持つ化合物のnOe測定に利用する。
  • HMQC:Heteronuclear Multi Quantum Correlation
感度の良い核から感度の悪い核への分極移動を利用して感度を向上した異種核COSY。
  • HSQC:Heteronuclear Single Quantum Correlation
HMQCと同様に感度の良い核から感度の悪い核への分極移動を利用して感度を向上した異種核COSY。
  • HMBC:Heteronuclear Multiple Bond Correlation
感度の良い核から感度の悪い核への分極移動を利用して感度を向上した異種核COSYで特にカップリング定数が小さい遠隔スピン結合をしている核同士のみを選択的に決定する。
  • INADEQUATE:Incredible Natural Abandance DoublE QUAntum Transfer Experiment
同位体存在比の低い核のCOSYを測定する。
  • TROSY:Transverse Relaxation Optimized SpectroscopY
スピン結合で分裂したピークの中で緩和時間が長いピークのみを選択的に検出することで高分子のNMRの分解能を向上する手法。

[編集] 低温NMR

非常に不安定で室温では壊れてしまうような分子については、液体窒素などを用いてマイナス数十度以下の低温で溶液 NMR の測定を行う。また、常温では一瞬で進行してしまう反応を低温で観測することにより、律速段階や反応次数などを知ることが可能になる。さらに、通常の温度では単一の化合物として存在している化合物であっても低温では異性体として観測されることもあり、分子の構造をより詳しく知ることができる。ただし、測定する温度領域で液体である溶媒を用いないと低温にしたときに試料が凍ってしまうので注意が必要である。さらに、固体NMRではさらに低い温度領域での測定も可能であり、極低温領域では磁気共鳴温度計としての利用も可能である。

[編集] NMRスペクトルの解釈

核磁気共鳴分光法から得られる主なシグナル情報には、化学シフト、強度(積分値)、緩和時間、スピン結合、NOEがある。これらのシグナル情報を解釈することにより分子構造や運動性に関する情報が得られる。

[編集] 化学シフト

測定によって得られたピークの位置は、そのままの周波数の値で表すと磁場の強度に依存してしまうため、基準物質からの周波数差を磁場の強度で割った、化学シフト δ で表す(δ = (吸収のあった電磁波の周波数 − 基準物質の吸収周波数)/(磁場の強度) )。化学シフトは普通数–数百ヘルツであるのに対し、一般的な NMR 装置の磁場強度は 数百メガヘルツなので、δ の値は ppm で表わす。CW-NMRが良く使われていた時代の名残で、高周波数(δ が大きい)側を低磁場、低周波数(δ が小さい)側を高磁場と呼ぶ。また初期のNMRの文献では化学シフトτが使用されていることがある。τスケールの化学シフトはδスケールの化学シフトとτ=10-δの関係がある。

基準物質としては1H, 13Cではテトラメチルシラン(tetramethylsilane,TMS)を用い、このシグナルを0ppmとする。通常は内部標準として試料溶液に溶解するが、測定溶媒が重水などの時はTMSが溶解しないので外部標準とするか、別の物質が用いられる。また、1Hでは溶媒中に含まれる未重水素化体、13Cでは溶媒自身ピークが基準に用いられることもある。 化学シフトは測定する化合物の構造や電気的・物理的状況、溶媒などにより決まり、これらから得られる情報を利用して化合物の同定や構造の推定を行う。有機分子の部分構造と化学シフト値には相関があり構造の推定に利用できる。またデータ集やスペクトルデータベースも利用できる。

[編集] 遮蔽

遮蔽(しゃへい)とは、観測する核の周囲に外部磁場とは逆向きの磁場が発生することで、2つの状態間のエネルギー差、すなわちラーモア周波数を小さくする効果がある。このエネルギー差(スペクトル上では化学シフト)と観測核周辺に存在する置換基の電子供与性および電子求引性には大きな相関がある。これは、観測する核の周囲の電子密度が高いほど遮蔽が強く起こるためである。逆に外部磁場と同じ向きの磁場が発生してラーモア周波数が大きくなることを脱遮蔽という。電子により強く遮蔽された核ほど高磁場である右側に、脱遮蔽された核ほど低磁場である左側にピークが現れる。

[編集] 積分値

原理的にはNMRのピーク面積(積分値)は試料中に存在するそのピークを与える被測定原子数に比例する。NMR信号の強度は遷移を起こす準位間の占有数差に比例し、占有数差はボルツマン分布にしたがって準位間のエネルギー差の指数関数となっている。しかし化学シフトの異なる被測定核のエネルギー準位の違いは、観測に使われるエネルギー準位間隔に比べて著しく小さいため、占有数差はどの核もほとんど同じとみなすことができる。 したがって基準試料等を用いずとも、それぞれのピークに対応する試料中の被測定原子同士のモル比が求められる。この特性は、分子構造の推定や混合物の組成分析に有用である。 ただしFT-NMRでパルス繰り返し時間が緩和時間に比べて短い条件で測定したりするとピーク強度の飽和により積分値が少なく観測されるために、上記のような定量性は失われる。FT-NMR普及以前のH-NMRはほとんど低速掃引CW法測定だったので定量性が成り立っていたが、FT-NMRで複数回積算する場合はH-NMRと言えども緩和時間に注意する必要がある。

[編集] スピン結合(カップリング)

ある核 A のそばにある核 B のエネルギー準位は核 A がアップスピンかダウンスピンかで若干異なる値を持つ。これにより、本来核 B が吸収するエネルギーの電磁波とは若干異なる2つの周波数で吸収が起こる。すなわち核 B に対応するピークはスペクトル上では同強度の二つのピークとなって現れることになる。このような現象をスピン結合(カップリング)と呼び、エネルギー差をヘルツ単位で表したものを結合定数(カップリング定数)または J 値と言う。なお、核 A を照射しながら核 B を測定すると核 A−B 間のカップリングが消失する。このような測定方法をデカップリングという。13C の通常の測定においてはすべての 1H をデカップリングしながら測定して 13C−1H 間のカップリングによる分裂を消失させ、スペクトルの単純化を図る。

[編集] 溶媒効果

化学シフトの値は基本的には溶媒によって大きく変化はしない。しかし、芳香族化合物などは環電流の効果により溶質分子に遮蔽効果をもたらす。また、溶媒はその極性の違いなどによって分子間および分子内の相互作用にも影響を与える。

[編集] 核オーバーハウザー効果 (Nuclear Overhauser Effect, NOE)

ある原子Aが吸収する電磁波を照射しつつ電磁波を掃引して全体の吸収を測定を行なうとする。このときすべての原子について、そのエネルギー差自体は変化しない。しかし、原子Aと空間的に近い位置にある原子では2つのエネルギー状態の占有率が原子Aへの照射が無かったときから変化する。そのため、普通に測定したNMRスペクトルと照射を用いて測定した一次元NMRスペクトルを比較すると、ピークの面積(積分値)が異なる。このように照射によりエネルギー準位の占有率が変化すること、またそれに付随するスペクトルの変化を核オーバーハウザー効果という。NOEを利用すると原子Aと積分値の変わったピークに相当する原子は立体的に近い位置にある、ということが分かる。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • C.P.スリクター 『磁気共鳴の原理』 益田義賀訳、シュプリンガー・フェアラーク東京、1998年。
  • R.R.エルンスト、G.ボーデンハウゼン、A.ヴォーガン 『エルンスト 2次元NMR 原理と測定法』 永山国昭、藤原敏道、内藤晶、赤坂一之共訳、吉岡書店、2000年。
  • 荒田洋治 『NMRの書』 丸善、2000年。
  • 阿久津秀雄、嶋田一夫、鈴木榮一郎、西村善文編 『NMR分光法 原理から応用まで 日本分光学会測定法シリーズ41』 学会出版センター、2003年
  • Robert M. Silverstein、Francis X. Webster 『有機化合物のスペクトルによる同定法 - MS、IR、NMRの併用』 荒木峻、山本修、益子洋一郎、鎌田利紘訳 東京化学同人、1999年

[編集] 外部リンク

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