武智修
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武智 修(たけち おさむ、1925年8月29日 - )は愛媛県出身の元プロ野球選手。
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[編集] 来歴・人物
松山商業学校(現:松山商業高校)から1943年に阪神軍に入団。高校時代は投手であったが、プロ入り後は、主に内野手として出場した。1944年には東西対抗に出場した。1947年には、内野手と投手も兼務して6勝を挙げた。同年オフに金星スターズに移籍。1年で阪急ブレーブスに移籍。更に1年で広島カープに移籍。1951年には一塁手のレギュラーとして打率.314を記録。1953年からは近鉄パールスに移籍。移籍後の1955年にも打率3割を記録した。1957年オフに退団した。
後に、監督として母校松山商業高校を率いて甲子園に出場した。
[編集] 略歴
- ポジション:投手・内野手
- 投打:右投右打
- 出身地:愛媛県
- 経歴:松山商業学校(現:松山商業高校)→阪神(1943年~1944年、1946年~1947年)→金星(1948年)→阪急(1949年)→広島(1950年~1952年)→近鉄(1953年~1957年)