浜田卓二郎
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浜田卓二郎(はまだ たくじろう 1941年10月5日- )は、日本の政治家・弁護士。元国会議員(衆議院4期・在職13年、参議院1期在職5年1ヶ月)。
実業家・エッセイストの浜田マキ子は妻。元衆議院議員・外務省副大臣の植竹繁雄は義理の従兄にあたる。
[編集] 経歴・人物
- 鹿児島県で警察官の息子として生まれた。神奈川県の横須賀市に転居し栄光学園中高等学校、東京大学法学部を卒業(在学中に国家公務員採用I種試験と司法試験に合格している)、大蔵省に入省。1965年に植竹春彦参議院議員の姪で秘書を務めていた槙子と結婚、長男をもうける。
- 35歳で退官し、1979年の衆議院選挙で地縁・血縁の全く無い旧埼玉1区から衆議院選挙に自民党公認で出馬。この時は次点で落選するものの、翌1980年衆議院選挙で初当選。宏池会に所属して1990年まで4期連続で当選した[1]。
- 自民党副幹事長や外務政務次官を歴任。大蔵官僚出身であることから税制や財務に精通しており、1988年の消費税導入前後から自民党のスポークスマンとしてテレビ番組に出演し、新税制を説明した。以後朝まで生テレビやニュース・討論番組等にたびたび出演、全国的な知名度も高まった。しかし1993年の衆議院議員選挙では、それまでのテレビ出演や知名度の高さで有利だった筈が宮沢喜一首相の側近の一人[2]と目されてしまい、折からの新党ブームのあおりを受け次点で落選した。
- その後浪人中の1994年5月30日に自民党を離党して、新生党へ移籍。その後新進党の結党に参加し、1996年10月小選挙区制に変更された総選挙に新進党公認で出馬するが、中選挙区時代からの宿敵松永光に敗れて落選。1997年12月31日に新進党が解党してからは無所属となるが、1998年7月の参議院選挙に埼玉選挙区から旧新進党の流れを汲む各党の推薦を得て出馬し当選、5年ぶりの国政復帰を果たして公明党や改革クラブと統一会派を組んだ。その後、1999年12月改革クラブに入党したが半年後に解党。自民党復党を目指したが叶わず、2003年8月の埼玉県知事選に出馬したが、期待していた自民党や公明党からの支援が得られず上田清司に敗北した。2004年の参議院選挙には自民党公認で比例代表から出馬したが惨敗。
- 2004年の弁護士法改正により、司法試験合格者は司法修習未修了でも国会議員在職5年以上で100時間の研修経て弁護士登録可能となり、その制度の第1号活用者となる。[3]、東京弁護士会所属。ホテルニューオータニに事務所をかまえている。
[編集] 註
- ^ 同じ選挙区では松永光や公明党の小川新一郎・日本共産党の渡辺貢・日本社会党の和田静夫らと争った
- ^ 宮沢は大学・大蔵省の先輩で自らが属する宏池会の領袖でもあった
- ^ この制度を利用して相沢英之・津島雄二・佐藤剛男・原田義昭も弁護士登録している