田中一徳
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田中 一徳(たなか かずのり、1981年10月28日 - )は、元プロ野球選手。現役時は横浜ベイスターズに所属した外野手であった。
身長165cmとかつて球界1、2を争う低さであり、身長の低さにまつわるエピソードとしてみずしな孝之の漫画「ササキ様に願いを」では身長170mmのプチ選手として登場した万永貴司(実際の身長は170cm)よりの小さい身長165mmのプチ選手として登場していたことが挙げられる。また球界でも有数の俊足であったが盗塁数は少なかった。
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[編集] 概説
- PL学園時代に夏の甲子園に出場した時に松坂大輔から4安打を放った事がある。
- 高校通算本塁打は6本だが、そのうち3本はランニングホームランである。
- 2000年 - ドラフト1位でPL学園高から横浜ベイスターズに入団。同ドラフトではPL学園の同期七野智秀が横浜6位(2004年引退)、覚前昌也が大阪近鉄7位(2003年引退)指名を受けそれぞれプロ入りした。
- 2002年 - 主にレフトや代走要員として一軍に定着、この年自己最多の112試合に出場した。
- 2004年 - それまでの両打ちをやめ左打席に専念。
- 2005年 - 自身初のシーズン一軍出場なしに終わる。野中信吾ら俊足のライバルの加入・台頭が一因と目された。
- 2006年 - 一軍出場なし。9月29日に戦力外通告を受け、退団。現在はアメリカでマイナー、独立リーグを問わず挑戦予定。
- 2007年 - 2007年1月6日にTBSで放映された「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」というドキュメンタリー番組で横浜を解雇されてから2度のトライアウトに悪戦苦闘する松坂世代の選手(実際にはいわゆる松坂世代より1学年下で、阪神の鳥谷敬らと同年代)として紹介された。番組終盤ではトライアウト後、どの球団からも声がかからなかった田中がPL学園の先輩である桑田真澄と会い、米球界に挑戦する旨を報告する場面もあった。また、1月8日の茨城ゴールデンゴールズ対松坂大輔率いるチームの親善試合では、松坂チームの9番打者として出場していた。
- 2007年 -アメリカ独立リーグのアトランティックリーグにある「ヨーク・レボリューション」に入団。
[編集] プロフィール
- 出身地 - 兵庫県尼崎市
- 身長/体重 - 165cm、67kg
- 血液型 - A型
- 投打 - 右投左打
- 球歴 - PL学園高-横浜(2000~)
- 指名順位/年度 - 1位/1999年
- 推定年俸 - 1800万
[編集] 高校時代の戦績
- 1998年 - 全国高等学校野球選手権大会
- 打撃成績
- 17打数 11安打 打率.647 4打点 1三振 3四死球 0本塁打
[編集] 通算成績
- 341試合 327打数 75安打 打率.229 1本塁打 13打点 26四死球 66三振 58得点 23犠打 0犠飛 15盗塁 2失策
個人記録・表彰
- 初出場 - 2000年4月1日対阪神タイガース戦。
- 初安打 - 2000年4月22日対中日ドラゴンズ戦で鈴木平投手から。
- 初本塁打 - 2002年5月8日対広島東洋カープ戦で横山竜士投手から。
- 初打点 - 2001年5月10日対阪神タイガース戦。
- 初盗塁 - 2001年8月1日対広島東洋カープ戦。
[編集] 関連項目
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