由谷義治
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由谷 義治(ゆたに よしはる、1888年3月1日 - 1958年10月8日)は、鳥取県鳥取市出身の政治家。由谷家は鳥取有数の資産家として知られた。
[編集] 人物
旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)在学中から『平民新聞』を愛読。早稲田大学高等予科中退後、故郷に戻り運送店を経営。普選運動に参加し、鳥取市会議員・鳥取県会議員を経て衆議院議員選挙に通算6回当選。憲政会・立憲民政党に所属したが、1931年に民政党を離党し国民同盟・東方会の結成に参加。その後東方会を離党、翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選。戦後公職追放され、解除後は日本共産党を支持した。歴史家の松尾尊兌は「左右にゆれながら社会正義の実現をめざした生涯は、地方における大正デモクラシーの典型を示す」と由谷を評した。
[編集] 略歴
- 1907年:早稲田大学高等予科中退。
- 1919年:鳥取市会議員に当選。
- 1920年:鳥取県会議員に当選。
- 1924年:憲政会公認で総選挙に立候補し初当選。
- 1927年:憲政会が政友本党と合併して民政党を結成したので民政党に所属。
- 1931年:安達謙蔵らとともに民政党を離党。
- 1932年:国民同盟の結成に参加。
- 1935年:中野正剛らとともに国民同盟を離党。
- 1936年:思想団体だった東方会が政治団体として改組されたのに伴い東方会に参加。
- 1939年:東方会が社会大衆党との合同に失敗し、東方会を離党。
- 1942年:翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦候補として当選。
- 1945年:日本進歩党の結成に参加。
- 1946年:公職追放。
- 1956年:鳥取県教育委員となり勤務評定に反対した。
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