石打駅
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石打駅(いしうちえき)は、新潟県南魚沼市上野にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)上越線の駅である。北越急行ほくほく線の列車は全て通過する。
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[編集] 駅構造
丘陵地の東斜面に位置する地上駅。ホームとしては、高い位置に単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する。1968年築の駅舎はコンクリート造り二階建てで、一階部分に待合所や改札などがある。駅舎の二階とホームは同じ高さになり、駅舎に接して置かれた単式ホーム(1番線)に、この二階から橋が伸びているが、これは駅職員の専用通路となっている。
駅舎から単式ホームへは階段で、島式ホーム(2番線・3番線)へは地下道で連絡している。1番線は普通使用されないが始発・終着列車、臨時列車が使用している。また2番線を越後湯沢方面の列車が、3番線を長岡方面の列車が使用している。
みどりの窓口設置の直営駅だが、早朝・夜間は窓口業務は行われない。但し構内が車両基地として機能している関係上、駅員は終日業務を行っている。自動改札は設置されていないが自動券売機が一台設置されている。
石打~水上の連続急勾配区間(清水越え)を控え、かつては水上駅と同様に機関車の付け替えが行われた。このため石打機関区が構内に置かれ、駅はこのため側線を多数持つ構造とされた。かつては電気機関車EF16が配置されていた上、付け替えた蒸気機関車のために転車台も置かれていたのである。
しかし山岳線区はもちろん平坦線区にも十分対応出来、付け替えの手間がかからないEF64など、性能が向上した新型電気機関車が登場すると、石打機関区への機関車の常駐は廃止される。そしてその後は側線も長らく荒れた状態となり、北越急行の開業まではこの状態が続いた。
北越急行の開業後は、当駅の側線に、普通列車および特急「はくたか」の車両が夜間留置されることとなり、駅は再び車両基地の役割を担っている。
[編集] 利用状況
- 1日平均の乗車人員 149人(2005年度)
[編集] 駅周辺
駅前には、上越線の建設に尽力した岡村貢の銅像が建てられている。石打の街はこの駅よりかなり低い場所にあって、駅前から伸びる坂をしばらく下ることとなる。
周囲にはスキー場が多数あり、スキーが流行した頃には、多くのスキー客がこの駅を利用した。駅前には小さな土産物屋が数軒所在し、駅舎に臨時改札が残るなど、その面影は今も残っている。
- 石打花岡スキー場
- 石打丸山スキー場
[編集] 歴史
この駅はかつて水上駅と同様清水越えのための基地であった。今は車両基地として使用されている構内の多数の側線がそれを物語っている。
またかつてスキーのはやった頃には、スキーシーズンに上野から臨時特急「新雪」が運転され、特急「とき」も臨時停車するなど、スキー客で賑わい、越後湯沢駅と同じ業者により駅弁も販売されていたほどであった。
駅は上越線の普通列車のみが停車するだけとなったが、今でも車両基地としての役割を有している。
- 1925年(大正14年)11月1日 - 上越北線・塩沢~越後湯沢間開通の際に開業。
- 1931年(昭和6年)9月1日 - 上越線・水上~越後湯沢間が開通し、全通。同時に水上~石打間を電化。
- 1947年(昭和22年)10月1日 - 石打~宮内間を電化。
- 1965年(昭和40年)7月8日 - 赤坂信号場~石打間を複線化。
- 1966年(昭和41年)9月25日 - 石打~大沢間を複線化。
- 1968年(昭和43年)9月 - 駅舎改築。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道に承継。