ノート:社会民主党 (日本)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目次 |
[編集] 見出しについて
他の政党と同じようにテンプレートと見出しを整理しました。--Tom-spring 2006年3月14日 (火) 08:46 (UTC)
[編集] 2003年の選挙結果について
2003年選挙の敗因を、「北朝鮮に対する過去の姿勢が問題となった」 としていましたが、既に少数になっていた社民の支持者にとって、この種の問題が離反原因になるというのは疑問です。小党の票は、批判者の意見では動きませんから。Kinori 09:49 2004年1月16日 (UTC)
北朝鮮に対する姿勢とその現実を知らされてない支持者は多くいたはず。 それによる離反が現在の惨状に至らしめていると考えるのが自然です。 --L⇔R 2005年1月19日 (水) 09:40 (UTC)
- L⇔Rさんにとっては自然なのかもしれませんが、私にとっては自然ではありません。おっしゃる説を裏付ける調査結果がありますか。政治評論では自然・当然と断言すればそれで通用するでしょうが、ウィキペディアが狙うのは研究レベルの知識の要約と思います。Kinori 2005年1月19日 (水) 12:21 (UTC)
選挙での敗因は、社民党の北朝鮮に対する考え方というより、むしろ辻元清美による詐欺事件が大きいのではないかと思います。もっと言えば、辻元清美が逮捕された後に、彼女のシンパである市民団体及び進歩主義者等が中心となって、「辻元清美さんら四人の不当逮捕に抗議する有志の会」なるものを作って、抗議活動を始めたのが最大の原因だと考えています。あの組織は辻元清美逮捕を不当なものだと、権力対反権力という対立構造にすり替えたかったようだけど、そんなものに乗せられるほど国民もバカではなかったと。違法行為をしておいて、国民の血税を詐取しておいて、何が不当逮捕なのだと。その反発が社民党に影響を及ぼしたのではと思います。
ただ、北朝鮮問題が敗因と全く関係が無いとも思いません。また、衆議院選挙前に民主党と自由党が合併したことも要因として上げられると思います。--松永弾正 2005年3月24日 (木) 23:27 (UTC) 確かこのときの選挙での敗因は、辻元清美に不正を教えたのが土井党首の秘書であるにもかかわらず、土井党首が辞任しなかったという理由があるわけで、上記のように辻元の逮捕への抗議活動うんぬんかんぬんが敗因というのは関係ないのではないでしょうか。それに抗議活動自体あまり報道されていなかったようなきがするのですが。あと当時の左派系雑誌に、家族会と自民党が社民党候補の選挙区でものすごく社民党を批判し、それが影響したと書いてあったので、北朝鮮への対応が敗因の一つだと思います。
現実問題として、社民党を支持する組織への北朝鮮による拉致事件が公になったことの打撃は大きく、小生もそのために社民党系労組が内紛を起こし、支持者が離散した話を現実に見聞しています。連合のような大きな労組ではなくとも、多くの弱小労組は社民党の重要な票田であり、その様な組織の活動家が少なからず動揺したり離反したことは事実です。連合内でも、かなり大きな動揺がありました。また、たしかに当時の選挙において、社民党の親北朝鮮路線、土井たか子氏(または側近)が有本恵子さんの情報を北朝鮮に流したtとされる事(結果として有本さんが消されたと言われている)により、社民党の残存勢力は徹底的に叩かれた事実があります。結局、比例は社民に入れるといった浮動票は全く期待できなくなった(実際、民主、共産等へ逃げている)訳で、選挙への影響は甚大だと考えられます。このことは現在も続いており、NPOVに則った記述が難しいかと思いますが、平沢勝栄氏により2003年1月1日に「社民党は北朝鮮の族議員」と「朝まで生テレビ」放送中に「喝破」(ラベリング)された(これは新聞、雑誌などですぐに報道されている)ことなど、当時の選挙に関する報道に大量の遡及可能原典は残っており、避ける訳にはゆかない事実でしょう。2003年選挙の社民党の壊滅的敗退を辻元事件に求めるのは事態の矮小化ではないでしょうか。BB-45 2006年9月15日 (金) 09:05 (UTC)
2001年参院選時に既に社民党は票を大きく減らしています。2003年統一自治体選挙(党籍無所属に切り替えた候補多数だが)・衆議院選挙の結果を見ても、2001年に比べてそれほど「壊滅的敗退」をしたようには見えないのですが。2000年衆院選で得た票は風が吹いたに過ぎないのであって、ブームが過ぎた後の票の動きに拉致問題がそれほど影響したとは思えません。進民連議長 2007年2月1日 (木) 14:05 (UTC)
[編集] “新左翼の影響力”と「見方」について
「中核派など新左翼各派の影響力が増大しているという見方もある。」 という記事を書くごとに、Shさんが「誇大表現」として無条件に削除されるのは 「複数の観点に対して、公平に好意的に記述」という Wikipedia:基本方針とガイドラインに反することですのでやめて頂きたいです。 Shさんにとって不愉快な記事かもしれませんが、 社民党の労組出身議員の影響力が減少し、福島瑞穂、辻元清美、保坂展人、 など新左翼の影響力の強い議員、前議員、や新左翼出身の五島昌子 (土井たか子前秘書)が社民党の実権を握るようになったという 観測は良く目にします。 少なくとも「見方もある。」という表現なら明らかに事実に即しています。(Megu)
- Shさんがすぐrevertするのは好ましくないと思いますが、今の表現は誤解を招く(あるいは誤解させることを狙った?)ものに見えます。あたかも中核派という党派・団体が社民党の活動方針を左右しているかのように読めるのはおかしくありませんか? それとその「観測」はどういうところで見られるものなのでしょうか。NiKe 2004年7月14日 (水) 03:13 (UTC)
- かつては持っていた東京都議を当選させる力さえ失った現在の中核派に、他党に影響を及ぼすほどの力は残っていません。無いものを有るかのように記述することは誇大記述以外の何物でもありません。そして、中核派に限らず日本の新左翼は総体として衰退しており、衰退の度合いは社会民主党の比ではありません。
「労組出身議員の影響力が減少し」たことは事実ですが、“議員の誰々に新左翼の影響力が強い”などという話は公安に近い一部の「報道」機関が垂れ流した情報がネット上で誇張・増幅されているだけであり、信憑性は低いように思います。また、新左翼を辞めた者の在籍などは自由民主党や民主党にも見られたことで、社民党に固有の現象ではありません。
なお、語尾を「見方もある。」としたからといって、記事「小泉純一郎」に「米合衆国大統領・ジョージ ブッシュの飼い犬という見方もある。」などと書くべきではないように、適切か不適切かは判断されるものと思います。「複数の観点」を提示するのは結構ですが、特定勢力の主張を一般的な評価のように見せ掛けることには賛成できません。Sh 2004年7月14日 (水) 04:46 (UTC)
[編集] 保護しました
編集合戦となっていたのでページを保護しました。ノートで論争を繰り広げるのは構いませんが、記事の場でそれを行わないください。Tietew [Talk] 2004年7月14日 (水) 05:20 (UTC)
[編集] “新左翼の影響力”と「見方」について.2
Meguです。 私もShさんが直ちに削除されることを繰り返される状態が続けば ページ保護を依頼しようと思っていたことであり、ページ保護には異存はありませんが、 私の書込みを削除された状態で保護されているのは不満です。
なお、本記事に限らないことですが、 内容が論争になっていることが一見してわかることが 必要かと思いますので、その件を別途依頼したいと思います。
以下、今すぐ全部のコメントに反論する暇はありませんが、とりあえず以下に。
Sh >「労組出身議員の影響力が減少し」たことは事実ですが、
>“議員の誰々に新左翼の影響力が強い”などという話は公安に近い一部の「報道」機関が垂れ流した
>情報がネット上で誇張・増幅されているだけであり、信憑性は低いように思います。
「公安に近い一部の「報道」機関であるから信憑性が低い」と思われるのは自由ですが
(私はそう思いませんが)、1つの見方ではありますね。
「複数の観点に対して、公平に好意的に記述」すべきという観点では削除には値しないのでは。
>なお、語尾を「見方もある。」としたからといって、記事「小泉純一郎」に「米合衆国大統領・
>ジョージ ブッシュの飼い犬という見方もある。」などと書くべきではないように、
>適切か不適切かは判断されるものと思います。
私も「飼い犬」というような侮辱的な表現はよくないと思いますが、
「ジョージ ブッシュに従属しているという見方もある」
と書くなら「公平に好意的に記述」と思いますね。
私が書いたのは「影響力が増大しているという見方もある」ですので
更に問題のない表現だと思います。
>「複数の観点」を提示するのは結構ですが、特定勢力の主張を一般的な評価のように見せ掛けることには賛成できません。
複数の観点がある場合、どの観点もいずれか特定の勢力が支持する観点になるのは当然かと思いますね。
「一般的な評価」が大多数の人が支持する評価と言う意味なら、「見方もある。」と1つの見方で
あることを明示しているなら「一般的な評価」と見せ掛けることにはならないと思います。Megu
数箇所訂正させていただいた者です。私としては、Shさんのお考えが適切かと思います。「見方もある」というのは非常に
便利な言葉ですが、「新左翼の影響力が云々・・見方もある」とポツンと書かれているとき、読者が一般的な評価と受け取る懸念
は本当に存在しないのでしょうか?私としては、しばらくの間はこのまま保護された状態で良いと考えます。進民連議長 2004年7月14日 (水) 10:19 (UTC)
Muguです。中々皆さんの意見へコメントが出来なくて申し訳ありません。
>>進民連議長 さん(申し訳ありませんが昔の進民連と関係がある方でしょうか)
>「見方もある」というのは非常に便利な言葉ですが、
>「新左翼の影響力が云々・・見方もある」とポツンと書かれているとき、
>読者が一般的な評価と受け取る懸念は本当に存在しないのでしょうか?
どのような書き方でも誤解する人はいると思います。
だからといって、単純に削除することにより1つの見方を提示する機会を奪うのは
「複数の観点に対して、公平に好意的に記述」という基本方針に反すると思います。
誤解されないようにするには「中核派など新左翼各派の影響力が増大しているという見方もある。」
ではなく例えば「中核派など新左翼各派の影響力が増大しているという見方もあるが
それへの反論もある。」
更には(Shさんの文章を借りれば)「中核派など新左翼各派の影響力が増大している
という見方もあるが、中核派に限らず日本の新左翼は総体として衰退しており影響力
を及ぼす力はないという反論もある」といったような文章なら良いのでしょうか。
>私としては、しばらくの間はこのまま保護された状態で良いと考えます。
理想論を言えば早く合意が出来るほうが、他の箇所に文書を加えたい方にとっても
望ましいのでは。
ウィキペディアの習慣には詳しくないのですが、出来るだけ早く合意するよう
努力すべきと思います。
Megu
- 風説があるからといって、「秋篠宮文仁の母は美智子ではなく女優・×××××だという見方もある。」などの類いを いちいち記述する必要はありません。
記載するに及ばないことの理由として提示した文言を「それへの反論」として付け加えても、記載することの正当化はできないと思います。これは、「林檎は魚だという見方もある。」を「林檎は魚だという見方もあるが、林檎には口も目もなく、血も流れておらず、陸の上で生まれ育っていることから魚類ではないという反論もある。」などと膨らませても意味がないのと同じことです。
Meguさんら(?)の記述には、いつ・どこで・誰によって為された「見方」であるのかも、どのようにして「見方」に達したのかの経緯も一切示されておらず、唐突に言い掛かり的な「見方」だけが挙げられているだけです。せめて、先の喩えで言えば「表面と中身の色が異なり、生のまま美味しく食べられ、焼いても違う味わいが楽しめ、中心には食べられない固い部分があることから、林檎は魚だという見方もある。」ぐらいには根拠なりを検証可能な形で書き添えるべきでしょう。Sh 2004年7月14日 (水) 22:30 (UTC)
Meguです。相変わらず、皆さんの意見へコメントが出来なくて申し訳ありません。
Shさんへ
>秋篠宮文仁の母は美智子ではなく女優・×××××だという見方もある。」
>「林檎は魚だという見方もある。」を「林檎は魚だという見方もあるが、林檎には口も目もなく、
>血も流れ>ておらず、陸の上で生まれ育っていることから魚類ではないという反論もある。」
そこまで酷い例を持ってこなくてもと思いますね。
>いつ・どこで・誰によって為された「見方」であるのかも、どのようにして「見方」に達した
>のかの経緯も一切示されておらず、唐突に言い掛かり的な「見方」だけが挙げられているだけ
>です。
方向性を示された建設的な意見かなと思います。 進民連議長さんのコメントにもありましたが、確かに唐突な感を与えたかもしれませんね。 本事典の他の例を見ていて、許容範囲なと思いましたが、 特に政治的な項では悪意があるという印象をもたれる可能性があったと反省しています。 (だからといっていきなり完全に消されるのは困りますが)
それでは、たとえば、以下のような内容ではどうでしょうか。
土井たか子氏が党首になったことや、社会党の分裂に伴い古参の職員が減ったことの影響もあり、 土井氏に引き立てたれた市民派(土井チルドレンといわれる)が党の主流となった。 市民派には赤軍や中核派など、新左翼の影響があるものもいるという見方も、 一部の報道機関や公安にある。
一部の報道機関(週刊新潮や産経をさす)や公安の見方と限定するのは本当は適切ではないのでしょうが。
以下に赤軍、中核派と関係があるという見方の根拠となる記事(傍証が多いですが)を挙げてみました。 勿論、本文に載せる意図はありません。
1.両方との関係
(1)「週刊新潮」(2002年4月18日号)「『五島昌子』の知られざる正体」 五島氏は明治大学文学部出身。母親が社会党婦人局長を務めていたこともあって、 学生時代から社会主義青年同盟(社青同)活動家としてならし、 60年代初めから社会党国会議員の秘書を歴任している。 辻元氏を衆院議員候補に担ぎ出し、選挙戦を始めとした政治活動の「面倒」を 見てきたのは土井党首と五島氏だとされる。 だからこそ辻元氏らは「土井チルドレン」と呼ばれてきた。 当時、「右も左もわからなかった」という一年生議員の辻元氏に 「指南役」がいなかったと言うほうがよほど不自然だろう。 五島氏が極左集団の社青同活動家だったことから「土井チルドレン」には 極左の思想傾向が顕著だ。 元社会党の古参議員は「社民党は知らない内に市民派といわれる連中に牛耳られているけど、 彼らの中には赤軍や中核派などに連なる連中も入り込んでいる」と証言している
(2)公安が「中核派が主導している」と認定している(「正論」平成16年5月号)
「百万人署名運動事務局」に中川ともこ、福島瑞穂、保坂展人、辻元清美(元)など
社民党議員が呼びかけ人として名を連ねている。更に同じビルの同じ室を
「重信房子さんを支える会」や「帰国者の裁判を考える会」(北朝鮮に亡命した
日本赤軍メンバーの帰国を支援する団体。)とともに事務局としていたとのこと。
(2)1999年福島瑞穂は国会で中核派や日本赤軍などが破防法の適用外であることを
確認する質問を行った。 http://www.mizuhoto.org/kokkai/houmu991125.html
2.赤軍との関係
(1)社民党との連携掲げる 重信容疑者創設の人民革命党(産經新聞2000.12.20) 日本赤軍最高幹部の重信房子容疑者(55)が創設した人民革命党が「市民団体『希望の21世紀』や社民党を軸に党の政治的影響力を強化する」と党大会などで決議していたことが二十日、警視庁公安部と大阪府警の合同捜査本部が押収した文書などで分かった。 捜査本部は、重信容疑者が市民団体などを公然面の活動に利用しようとしていたとみている。 希望の21世紀は、重信容疑者の逃走を手助けしたとして犯人隠避容疑で逮捕された元病院幹部(48)ら二人が所属。約二人のメンバーが同容疑者の旅券法違反事件でこれまでに家宅捜索を受けた。 合同捜査本部はこの日早朝から午後にかけ、大阪市港区の左翼系機関紙「人民新聞」や、東京都品川区、千葉県鎌ケ谷市の社民党系地方議員宅など、六都府県十カ所を家宅捜索した。 調べでは、昨年八月の第五回党大会で採択された特別決議は、希望の21世紀を「一九九五年六月の結成大会で公然活動を開始した党の公然合法部隊」などと紹介。目標の一つに「平和、民主主義勢力の政治力量の飛躍的拡大」を挙げ「Hと社民を軸に政治的影響力を強化する」としている。 「H」は希望の21世紀を指すとみられる。 また今年八月の党内の会議で提案されたとみられる文書は、社民党を「議会政党だが実態的には統一戦線党」と規定している。
(2)日本赤軍の最高幹部の重信房子が逮捕された際(2000年11月)、不正旅券取得に
関わったり匿っていたとして辻元氏の選挙区にある大阪府高槻市の病院職員らが逮捕
された。この職員らは辻元氏の後援会有力者だった。「週刊新潮」(2002年4月18日号)
(3)94年くらいにできた「希望21」という市民団体に赤軍人脈が潜り込み主導権を握った。
「希望21」は社民への加入戦術をとり、社民党に潜り込んだ。警察は、2000年11月8日、
日本赤軍幹部の重信房子逮捕の1ヶ月後、「希望21」を日本赤軍の大衆組織として関係者
全国20か所家宅捜索を行なった。
辻元氏の盟友で「土井チルドレン」の一人である保坂展人衆院議員(比例・東京)の
元私設秘書や品川区の船波恵子区議(社民党)ら社民党関係者も家宅捜査を受けている。
(4)『週刊新潮』(2002年4月4日号)は辻元氏は日本赤軍のコマンドだった北川明氏
(75年9月にスウェーデンから強制送還)と学生時代から深い関係にあり、
辻元氏が83年に「ピースボート」を設立したのも北川氏の指導によるとしている。
また辻元氏がピースボート時代に北朝鮮に行くことができたのも日本赤軍関係者が
いたからと指摘している。
3.中核派との関係
(1)[週刊新潮2002年10月10日号]
福島瑞穂とその夫の海渡氏が入獄中の中核派の幹部の支援集会に出席し海渡氏は司会を務める。
「海渡氏と福島氏は、実は知る人ぞ知る、中核派のシンパなんです。二人とも同じ
セクトの逮捕者の弁護活動をしたりしてきた」(公安関係者)
(2)同上
福島瑞穂は、1999年、中核派が関係した集会に出席し、スピーチしたことを
国会で問題にされる(ビラをまかれる)。
Megu
日本社会党の項で、匿名希望1の名で書き込んでいます。社民党の項には口を出すつもりはなかったのですが、ここ数日のノートをみて、やはり発言します。 このウィキペディアは百科事典です。私は自分の専門領域で市販されている百科事典に寄稿したことも二、三回ありますが、原稿には極めて厳密さを要求されました。編集部はその項目について過去の百科事典のすべての記事と照合し、異同があればその根拠を問いただされました。百科事典は一つの基準になるものですから、考えてみればそれも当然でしょう。社民党は社会党とは違って現に活動している政党であり、このウィキペディアの記述を社民党に関する一つの基準として捉える人が出てくる可能性があります。
社民党と新左翼の関係についてMeguさんのあげているものは大半が根拠とはならないのです。
ですから、このウィキベディアでは社民党と新左翼の関係は書かない方がいいでしょう。 以下、Meguさんがあげた例が根拠とならない理由を具体的に述べます。
1.(1)五島昌子氏関係。その根拠は五島氏が社青同の活動家であったことだけです。社青同は現在も存在している青年団体ですが、もともと社会党青年部を基礎に1960年に作られました。60年代の社青同に解放派、第四インターなど過激派が一部存在していたことは事実ですが、その時期であっても社青同の大半は社会党系で過激派ではありませんでした。解放派、第四インターは1971年に社青同から最終的に除名されました。引用している週刊新潮の記事は、社青同としか書いていません。おそらく、社青同解放派など具体的な過激派名を書けば、事実誤認で訴えられるからでしょう。社会党幹部(渡辺道子氏)の娘が社青同に参加していることは何ら不思議ではなく、社青同加入歴をもって過激派とみなすことは悪質なデマといわなければなりません。
(2)「百万人署名運動事務局」に中川ともこ、福島瑞穂、保坂展人、辻元清美(元)など
社民党議員が呼びかけ人として名を連ねている件。百万人署名運動のサイト掲載の呼びかけ人リストには、佐高信、左幸子、本島等(元長崎市長、元自民党長崎県連幹事長)の名もみえます。これらの人も中核派シンパなのでしょうか。百万人署名運動の中心に中核派がいるのはおそらく事実でしょうが、この運動自体は大衆運動であり、この種の運動では広がりを作り出すために自分たちから遠い人に呼びかけ人などになってもらうのはよくあることです。社民党議員は、名義を貸しただけだと思われます。新社会党の小森龍邦氏、沖縄社会大衆党の島袋宗康氏の名も見えますが、新社会党、沖縄社会大衆党にも中核派は影響力を拡大しているのでしょうか。 (2)(3)の誤記?福島瑞穂が1999年に新左翼は破防法の適用外である旨の質問をおこなった件。まず福島瑞穂の質問は破防法ではなく「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律案」です。質問の趣旨は、この法律の適用範囲はオウム真理教だけにすべきで拡張解釈すべきではないというものです。中核など新左翼はその一例としてあげられているもので、なぜこれが中核擁護なのか(質問では中核派の仇敵革マル派の名もある)よくわかりません。
2.(1)人民革命党の文書の件は、そのような文章に勝手に書かれているだけです。六十年代に新左翼の一部(解放派など)も社会党の加入戦術を呼びかける文章を作り実際に実行しましたが、当時の社会党が解放派などの影響を受けたことになるのでしょうか。また、人民革命党自体、公安ルートから情報が流れてくるだけで、それが実際に存在しているかも疑わしいのです。 (2)重信氏逮捕と同時に逮捕された病院職員の件。彼らは辻元後援会の有力幹部ではありません。辻元後援会や社民党高槻市連合の幹部を知っている人から直接確認しました。辻元氏が小選挙区で当選した時は膨大な人が選挙活動に参加しました。そうしなければ小選挙区で当選できません。病院職員が辻元後援会の末端で活動していたのは事実のようですが、だからといって辻元後援会に赤軍派の影響力が増していたことにはなりません。もし、Meguさんがなお病院職員は辻元後援会の有力幹部だというなら、彼が辻元後援会でどのような肩書きを持っていたか明らかにしてください。 (3)重信逮捕関連の家宅捜査では、今日赤軍派と何の関係もない人が巻き添えを食った例がいくつもあることが明らかになっています。門真市議、戸田ひさよし氏もその一人です。戸田氏が赤軍派である証拠は今日まで出てきていません。戸田氏は家宅捜索後も市議に再選されています。 (4)北川明氏との関係。北川氏が1975年当時赤軍派のコマンド(下っ端活動家)であり逮捕歴があるのは事実のようですが、それから三十年近くたち、赤軍派との関係は基本的に切れているようです。別の書き込みにあったように、学生時代に新左翼の下っ端活動家だった人はいくらでもいます。自民党、民主党の議員にもいます。故人の例をあげると、自殺した新井将敬氏(自民党)は学生時代に中核派活動家だったといわれ、先年病死した今井澄氏(民主党)は東大全共闘のリーダーでした。必要があれば、現役の議員の例をあげることもできます。 辻元氏と赤軍派の関係について付言しておくと、辻元氏が議員辞職してから起訴されるまでの約一年半、警察・検察は執拗に辻元氏の周辺を調べましたが、ついに辻元氏と赤軍派の関係を示す具体的証拠はみつかりませんでした。もしあれば、とっくに週刊誌等にリークされているでしょう。
3.(1)(2)指摘されている例は、いずれも弁護士と被告人の関係を出ません。オウム真理教事件の弁護人をすれば、オウム真理教(アレフと改称)のシンパになるのでしょうか。 ついでに書いておくと、新左翼各派は相互に極めて関係が悪いのです。もし本当に中核派と赤軍派が社民党内に浸透していれば、たちまち両者の内ゲバ、抗争が社民党内でおこるでしょう。(匿名希望1 04.7.16)
Meguです。相変わらず、皆さんの意見へコメントが出来なくて申し訳ありません。
匿名希望1 さん。ご意見ありがとうございます。
>このウィキペディアは百科事典です。私は自分の専門領域で市販されている
>百科事典に寄稿したことも二、三回ありますが、原稿には極めて厳密さを要求
>されました。編集部はその項目について過去の百科事典のすべての記事と照合し、
>異同があればその根拠を問いただされました。百科事典は一つの基準になるもの
>ですから、考えてみればそれも当然でしょう。社民党は社会党とは違って現に活動
>している政党であり、このウィキペディアの記述を社民党に関する一つの基準とし
>て捉える人が出てくる可能性があります。
匿名希望1さんは、自分の専門領域で市販されている百科事典に寄稿した経験により 原稿には極めて厳密さを要求されるという考えのようですが、
前にも触れましたが、ウィキペディアの編集方針は
「Wikipedia:基本方針とガイドライン」の「一般的に受け入れられている基本方針」の中で 記事は中立的な観点で書かれなければなりません。 つまり、記事では異なった複数の観点に対して、公平に好意的に記述しなければなりません。」 と書かれているように、むしろ、複数の観点の記述を要求しています。 対立する複数の観点が両方正しい場合はかなりまれだと思いますので、厳密さよりも、できるだけ多くの観点を「公平に」伝えるのがWikipediaの基本方針であると考えます。
更に、Wikipediaにおける中立的な観点として、
・「論争の種になるような立場を主張することなく、単に記述する」というものです。
・ 最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。
・ 様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というようなの記述をすることです。
などの基準が示されています。また、
・ 政治的に論争の的になっているような事柄について常に自分の観点を主張しようとして、他の観点がフェアーに提示されているかどうかについては気にしない人は、この中立性のポリシーに違反しています。中立性の方針は、執筆者が自分の立場だけでなく、自分と反対の立場についてもきちんと説明するように求めています。 とあります。
ということで、以下のような表現ではそうでしょうか。
土井たか子氏が党首になったことや、社会党の分裂に伴い古参の職員が減ったことの影響もあり、 土井氏に引き立てられた市民派(土井チルドレンといわれる)が党の主流となった。 「市民派には赤軍や中核派など、新左翼の影響があるものもいる」という見方も、一部の報道機関や公安筋にあるが、…なので…はこれを否定している。
…の部分はたとえば「新左翼は市民派と全く政治見解が異なるのでありえないと否定する意見もある。」とか「新左翼が共同行動をとる場合があるだけと否定する意見もある。」とか「それは悪意のあるデマであると否定する意見もある。」とかになるのでしょうか。もっと具体的に記述するほうがより良いのでしょうが。
ご提案をお願いします。
もちろんそれ以前に前段の「土井氏に引き立てれた市民派(土井チルドレンといわれる)が党の主流となった。」という記述がそのまま(反対意見の存在を書かないで)記述するのが是認されるのかという話もありますが。
>社民党と新左翼の関係についてMeguさんのあげているものは大半が根拠とはならないのです。
わたしが挙げた内容は「社民党と新左翼の根拠をしめす意図ではなく、世の中(少なくとも一部報道機関や公安筋)に社民党と新左翼に関係があるという見方があることを示すものです。
社民党と新左翼の関係について根拠がないことを示すために、個々の記事の内容について、色々意見を述べられておられ、そのご努力には敬意を表しますが、社民党と新左翼に関係があるという見方があることを否定されるものでないのと思いますので、意見は差し控えます。(重箱のすみを言いますと、最後の中核派・赤軍派の内ゲバは?という感じですが)
(Megu 2004/7/17)
Meguさん、ご意見拝見しました。社民党と新左翼の関係は結局のところ一部の者が社民党の評 価を落とすために意図的に流しているデマと呼んでいいものがほとんどです。それを取り上げた週刊誌の記述に根拠がないことは、すでに述べた通りです。新聞など責任あるジャーナリズムはこの件に触れていませんし、社民党と新左翼の関係が社民党の活動の本質でもありません。 百科事典としてデマは取り上げるべきではありませんし、新左翼に関する風評、デマを取り上げなかったからといって、ウィキペディアの社民党の項目の価値が減少するとも思えません。 この点で合意がなされないのであれば、現在の書き込み制限(保護された状態)がしばらく続くのもやむを得ないかと思います。他の方のご意見はどうでしょうか。(匿名希望1 04.7.17)
>現在の書き込み制限(保護された状態)がしばらく続くのもやむを得ないかと思います。
そうですね、私もそのことを最初に述べました。このようなことを何が何でも書こうとするのですから、何か目的があるとしか思えないのです。某巨大掲示板に社民党と新左翼の関係を記述するとShさんに削除される、支援してほしいとお書きになっておられますし、百科事典を風評やデマの宝庫としてもらっては困ります。土井たか子の項でも同じように、風評やデマを事実にしてしまおうという動きがありました。進民連議長 2004年7月18日 (日) 05:55 (UTC)
Meguです。 >匿名希望1さん。
ご意見ありがとうございます。
>社民党と新左翼の関係は結局のところ一部の者が社民党の評価を落とすために意図的に流している
>デマと呼んでいいものがほとんどです。
1つの見解であると思いますが、もし一部の者が社民党の評価を落とすために意図的に流している とういことが確定的であると考えられるならその根拠を説明していただきたいと思います。 全体の趣旨には関係ありませんのでどうでもいいことですが。
>それを取り上げた週刊誌の記述に根拠がないことは、
>すでに述べた通りです。
前に書いたように証拠を出すために取り上げたのではなく、 社民党と新左翼に関係があるという見方があることを示す意図で あげたものです。何等かの関係がある(個人的な関係かだとしても) とする見方を生じるには十分と考えます。
(1つ忘れましたが、前回触れられていませんでした 「元社会党の古参議員は「社民党は知らない内に市民派といわれる連中に 牛耳られているけど、 彼らの中には赤軍や中核派などに連なる連中も入り込んでいる」 と証言している」はデマにとお考えでしょうか。) まあ「赤軍や中核派などに連なる連中」という表現もあいまいですが。
>新聞など責任あるジャーナリズムはこの件に触れていませんし、
新聞など責任あるジャーナリズム(だけ)が信頼がおけるので
その記事のみを取り上げるべきとは考えていません。
産経や週刊新潮は責任あるジャーナリズムでないと考えられているのでしょうが、 たとえば、辻元や田中真紀子の秘書給与疑惑を最初に記事にしたのは週刊新潮や週刊文春 であることを想起すべきです。 週刊誌はあるいは誤りが新聞より大いにしても、新聞が触れないことを大胆に記事にします。 また、新聞でも、真実ばかりではなく、嘘といってもいいことを記事にすることにする場合もあります。 >社民党と新左翼の関係が社民党の活動の本質でもありません。
確かに一番の本質ではないかもしれませんね。この点は当初と考えが変わっています。
確かに市民派が社民党の主導権を取ったという前提がもっと重要なことかも知れません。
(これは社会党とのもっとも重要な相違点と思います)
前回に「土井たか子氏が党首になったことや、社会党の分裂に伴い
古参の職員が減ったことの影響もあり、 土井氏に引き立てられた市民派 (土井チルドレンといわれる)が党の主流となった。
「市民派には赤軍や中核派など、新左翼の影響があるものもいる」という見方も、 一部の報道機関や公安筋にあるが、…なので…はこれを否定している。」 という表現を提案しましたが、 あるいは前半の「土井たか子氏が党首になったことや、 社会党の分裂に伴い古参の職員が減ったことの影響もあり、
土井氏に引き立てられた市民派(土井チルドレンといわれる)が
党の主流となった。」だけを書き、
市民派の項を別途、設ける方法もあるかもしれません。 どのようにお考えでしょうか。
>百科事典としてデマは取り上げるべきではありませんし、新左翼に関する風評、
>デマを取り上げなかっ>たからといって、ウィキペディアの社民党の項目の価値が
>減少するとも思えません。
前回、記述したとおり
「Wikipedia:基本方針とガイドライン」の「一般的に受け入れられている基本方針」の中で 記事は中立的な観点で書かれなければなりません。 つまり、記事では異なった複数の観点に対して、公平に好意的に記述しなければなりません。」と書かれているように、むしろ、複数の観点の記述を要求しています。 対立する複数の観点が両方正しい場合はかなりまれだと思いますので、厳密さよりも、できるだけ多くの観点を「公平に」伝えるのがWikipediaの基本方針であると考えます。
と書きましたが、匿名希望1さんの
>百科事典としてデマは取り上げるべきではありませんし、新左翼に関する風評、デマを取り上げなかっ
>たからといって、ウィキペディアの社民党の項目の価値が減少するとも思えません。 により、価値が少ない/あるいは価値がない考えは取り上げる必要がないというお考えだと解釈します。
まず、第1点として、ウィキペディアは記事は中立的な観点で書かれなければなりません。 つまり、記事では異なった複数の観点に対して、公平に好意的に記述しなければなりません。と書かれているように、むしろ、複数の観点の記述を要求しています。 もし意見が少数意見であったり、 極端に言えば「疑似科学」であっても、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することすることが望ましいとあります。 第2点として先ほど記述したように、あるいは誇張かもしれないにしろ、それなりの根拠があると思います。 まあ先に書いたように市民派の台頭の最重要なことではないということかもしれませんが。
進民連議長 さん >そうですね、私もそのことを最初に述べました。このようなことを何が何でも書こうとするのですから、
>何か目的があるとしか思えないのです。
確かに個人的には、Shさんに私の書き込みが無条件で削除されるのが愉快でないことも ありますし、ウィキペディアの基本方針であります「一般的に受け入れられている基本方針」の中で 記事は中立的な観点で書かれなければなりません。 つまり、記事では異なった複数の観点に対して、公平に好意的に記述しなければなりません。」と書かれている基本原則は守れなければならないと考えたこともあります。
>某巨大掲示板に社民党と新左翼の関係を記述すると
>Shさんに削除される、支援してほしいとお書きになっておられますし、
2ちゃんねるに上記を書いたのは私です。
現在の状況に見られるように、
私の乏しい頭脳・能力では皆さんの意見に適切に対応するのが難しいと考えたからです。 あまりに大勢に方が議論に参加されると収拾がつかなくなるでしょうが、一般的に議論に参加されるされる方、更には私の本意を汲み取って代言してくださる方がいたほうが個人的にもありがたく、また、議論を進めるうえでもまとまりやすいと考えます。 今後書き込み制限(保護された状態)が続くのは望ましい状態ではありませんし。 (Megu 2004/7/18)
- 社会民主党に「新左翼各派の影響力が増大している」などという話が単なる「見方」ではなく“政治的意図に基づいたデマ”であることは、匿名希望1さんによる事実に基づいた指摘によって確認できたと思います。
“政治的意図に基づいたデマ”を流そうとする者にとっては、一人でも多くの目に触れさせること、一人でも多くの人間に信じ込ませることが目的です。そのため、よく判らない個人・団体が開いたサイトよりも、より多くの目が集まる巨大掲示板群で流布される傾向が強くなります。更に、嘘が混じっていることが前提化されている巨大掲示板群で繰り返し繰り返し流すより、事実のみに依拠していると期待される百科事典サイトに記載させる方が遥かに効果が大きいだろうことも推測され、ウィキペディアが“政治的意図に基づいたデマ”の拡散場所として使われる危険性は今後より増してくるだろうと思います。
ウィキペディアにおける「中立的な観点」とは、創造論や天動説などの記述を排除しないためのものであって、“政治的意図に基づいたデマ”の拡大までをも手助けするためのものではないでしょう。「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」を ご覧になれば、デマを誠しやかに書き立てる政治行動が容認されるべきか否か、お分かり頂けるものと思います。
なお、こうしたデマが流されたという「事実」は確かに存在しています。しかし、今、大慌てで何が何でも記載しなければならないほどの切迫性もありません。社民党が その活動に終止符を打ち、“歴史上の固有名詞”に移行してからでも遅くはないはずです。Sh 2004年7月18日 (日) 21:34 (UTC)
Meguです。 >Shさんへ。ご意見ありがとうございます。
>社会民主党に「新左翼各派の影響力が増大している」などという話が単なる「見方」ではなく“政治的意図に基づいたデマ”であることは、匿名希望1さんによる事実に基づいた指摘によって確認できたと思います。
匿名希望1さんにもお願いしましたが、“政治的意図に基づいたデマ”である根拠を示していただきたいと思います。1つの見方ではあると思いますが。
>“政治的意図に基づいたデマ”を流そうとする者にとっては、一人でも多くの目に触れさせること、一人でも多くの人間に信じ込ませることが目的です。そのため、よく判らない個人・団体が開いたサイトよりも、より多くの目が集まる巨大掲示板群で流布される傾向が強くなります。更に、嘘が混じっていることが前提化されている巨大掲示板群で繰り返し繰り返し流すより、事実のみに依拠していると期待される百科事典サイトに記載させる方が遥かに効果が大きいだろうことも推測され、ウィキペディアが“政治的意図に基づいたデマ”の拡散場所として使われる危険性は今後より増してくるだろうと思います。
上記は、私が、ウィキペディアを「“政治的意図に基づいたデマ”の拡散場所」として使おうとしていると言おうとされているのだと思いますが、匿名希望1さんあてに返事をしたように、市民派が社民党の主導権を取ったという前提がもっと重要なこととしてを優先して書くことも提案しており、また、前から反論をも記述することも提案しており、中立的な観点から客観的に記述しようすることに努力しています。これらから、政治的意図はないことを判断願います。
>ウィキペディアにおける「中立的な観点」とは、創造論や天動説などの記述を排除しないためのものであって、“政治的意図に基づいたデマ”の拡大までをも手助けするためのものではないでしょう。「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」を ご覧になれば、デマを誠しやかに書き立てる政治行動が容認されるべきか否か、お分かり頂けるものと思います。
上記は「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」の以下の記述をさしておられるものと思います。
>6.いかなる種類のプロパガンダや主張の場でもありません。しかし、当然のことながら、記事にはある主義の人が何を主張しているのか、中立的な観点から客観的に記述しようと試みることがあります。もし、本当にあなたの主張を他の人々に広めたいなら、例えば外部の電子掲示板をご利用ください。
プロパガンダや主張を行おうとするものではないなく、また、中立的な観点から客観的に記述しようと試見ていることは上に記したとおりです。
>なお、こうしたデマが流されたという「事実」は確かに存在しています。 >しかし、今、大慌てで何が何でも記載しなければならないほどの切迫性もありません。 >社民党が その活動に終止符を打ち、“歴史上の固有名詞”に移行してからでも遅くはないはずです。
Shさんは、前に以下のように書かれていましたが、立場を変えたということでしょうか。 >「表面と中身の色が異なり、生のまま美味しく食べられ、焼いても違う味わいが楽しめ、中心には食べられない固い部分があることから、林檎は魚だという見方もある。」ぐらいには根拠なりを検証可能な形で書き添えるべきでしょう。
また、私の理解不足かも知れませんが、「社民党が その活動に終止符を打ち、“歴史上の固有名詞”に移行してからでも遅くはないはずです。」ということは、将来は書いてもよいということは、将来の方がより事実が明らかになっている可能性があるということでしょうか。あるいは過去の事項のほうがウィキペディアに載せる価値があるということでしょうか。 まあ、先にのべたように、社民党の中の「市民派の台頭」と比較し、更に他の政党と比較した社民党に関すすの記事の価値を考えれば、確かに最重要の項目ではないかもしれませんので先の提案を行っています。(Megu: 2004/7/19)
匿名希望1です。Meguさんの主張の根幹にある「市民派が社民党の主導権を取った」は事実と異なります。いわゆる市民派代議士は03年秋の総選挙でほぼすべて落選しました。福島瑞穂を市民派としても、幹事長は労組出身の又市征治ですし、副党首、政審会長、国会対策委員長など社民党の要職はすべて市民派以外が占めています。総選挙以前であっても、労組派、党人派などが複雑に入り組み、地方組織や支持労組の動向もあり、とてもいわゆる市民派が主導権を取ったとは言えません。(市民派=新左翼の影響増大という発想そのものが間違っているのですが。)市民派=新左翼の影響力増大が「“政治的意図に基づいたデマ”である根拠を示」せとのことですが、私はMeguさんが挙げた週刊誌の記述はすべて根拠がないことを実証しました。これに対して、Meguさんは反論できていません。「社民党と新左翼に関係があるという見方がある」とのことですが、元新左翼がいるということなら、自民党も民主党も新左翼と関係があると言えることも、示しました。Meguさんが言おうとしているのは、そうではなく、社民党が新左翼に支配されている、ということです。これが事実とまったく異なることは、すでに示しました。事実と異なることを事実のように言い立てることをデマといいます。Meguさんが挙げた週刊誌の記述は、すべてそれによって社民党に否定的評価を与えるような内容です。風評があるから書き込め、というのは、たとえて言えば、ある名優に男女関係などに関するひどいデマがあり、それが活字になったことがあるからといって、その名優に関する百科事典の記述にその名優の芸術活動と何の関係もないデマがあることを書き込め、というのと同じです。事実に基づく複数の解釈・見解の存在を記すことと、デマを記すことは、まったく別のことです。(匿名希望1 04.7.20)
私が「立場を変えた」のではなく、この間に、記事「社会民主党」などに執拗に書き込もうとされていた話が単なる「見方」ではなく“政治的意図に基づいたデマ”であることが明らかになっただけです。
そもそも、Meguさんら(?)が当初 行われていたことは、社民党を「中核派など新左翼各派」に関連付ける試みであって、「社民党の中の「市民派の台頭」」を記述することではなかったと記憶しています。Sh 2004年7月19日 (月) 17:27 (UTC)
Meguです。 >>匿名希望1さんへ ご意見ありがとうございます。 >Meguさんの主張の根幹にある「市民派が社民党の主導権を取った」は事実と異なります。いわゆる市民派代議士は03年秋の総選挙でほぼすべて落選しました。福島瑞穂を市民派としても、幹事長は労組出身の又市征治ですし、副党首、政審会長、国会対策委員長など社民党の要職はすべて市民派以外が占めています。総選挙以前であっても、労組派、党人派などが複雑に入り組み、地方組織や支持労組の動向もあり、とてもいわゆる市民派が主導権を取ったとは言えません。
土井たか子が党首となってから、総選挙が行われる以前は幹事長がや政策審議会長が、又、中川ともこ、や保坂展人や土井たか子と近い関係があり、 社民党の主導権を取った(少なくとも有力であった)と見る見方がありました。 総選挙以後、党首は別として市民派の勢力が後退したといわれるのはその通りと思います。
どのように書くべきか或いは全く書くべきでないかについて、意見をお願いします。
>(市民派=新左翼の影響増大という発想そのものが間違っているのですが。)
念のために言えば私も「市民派=新左翼そのもの」とは考えてはいませんが、 市民派の中に新左翼か、それに関係もある勢力が入り込んでいると考えています。 匿名希望1さんはどうお考えですか。
>市民派=新左翼の影響力増大が「“政治的意図に基づいたデマ” である根拠を示」せとのことですが、私はMeguさんが挙げた週刊誌の記述はすべて根拠がないことを実証しました。これに対して、Meguさんは反論できていません。
断定するほど根拠があるとはいえませんが、疑われる根拠がないほど実証されたとは考えていません。 たとえば、 >五島昌子氏関係。その根拠は五島氏が社青同の活動家であったことだけです。社青同は現在も存在している青年団体ですが、もともと社会党青年部を基礎に1960年に作られました。60年代の社青同に解放派、第四インターなど過激派が一部存在していたことは事実ですが、その時期であっても社青同の大半は社会党系で過激派ではありませんでした。解放派、第四インターは1971年に社青同から最終的に除名されました。引用している週刊新潮の記事は、社青同としか書いていません。おそらく、社青同解放派など具体的な過激派名を書けば、事実誤認で訴えられるからでしょう。社会党幹部(渡辺道子氏)の娘が社青同に参加していることは何ら不思議ではなく、社青同加入歴をもって過激派とみなすことは悪質なデマといわなければなりません。
とありますが、五島昌子氏は正に国際主義派(第4インター系)に属していたという見方があります。確かに週刊新潮は事実誤認の可能性があるので国際主義派と書くのを避けたのかもしれませんが、全くの根拠のない意図的な悪質なデマとは言えないでしょう。 更に、「「土井チルドレン」には 極左の思想傾向が顕著だ。元社会党の古参議員は「社民党は知らない内に市民派といわれる連中に牛耳られているけど、 彼らの中には赤軍や中核派などに連なる連中も入り込んでいる」と証言している。」についてはコメントがありません。
このような例が重なると新左翼との関係は1つの見方といっても言ってもいいかと思います。勿論、否定する意見があることは書くべきでしょうが。
>「社民党と新左翼に関係があるという見方がある」とのことですが、 >元新左翼がいるということなら、自民党も民主党も新左翼と関係があると言えることも、示しました。
民主党や自民党の中に出身者はいますが、影響力があるほどの比率では存在しないでしょうし、 現在も関係を疑われている人はと思います。まあ、民主党がそういいきれるかは多少問題はありますが。
>Meguさんが言おうとしているのは、そうではなく、社民党が新左翼に支配されている、ということです。
最初に「新左翼の影響力が増大している」と書いたことはありますが、 「新左翼に支配されている」と書いたことはなく、そのようなことを言おうともしていません。 「土井たか子氏が党首になったことや、社会党の分裂に伴い 古参の職員が減ったことの影響もあり、 土井氏に引き立てられた市民派(土井チルドレンといわれる)が党の主流となった。 「市民派には赤軍や中核派など、新左翼の影響があるものもいる」という見方も、 一部の報道機関や公安筋にあるが、…」という記述も提案し、更にはこの後半を記述しない案も提案しています。
>これが事実とまったく異なることは、すでに示しました。 事実と異なることを事実のように言い立てることをデマといいます。Meguさんが挙げた週刊誌の記述は、すべてそれによって社民党に否定的評価を与えるような内容です。風評があるから書き込め、というのは、たとえて言えば、ある名優に男女関係などに関するひどいデマがあり、それが活字になったことがあるからといって、その名優に関する百科事典の記述にその名優の芸術活動と何の関係もないデマがあることを書き込め、というのと同じです。事実に基づく複数の解釈・見解の存在を記すことと、デマを記すことは、まったく別のことです。
それなりの根拠があり、更に事実と異なるとは断言できない事項はデマとは言いがたいということは申したとおりです。確実な証拠がないということと、全くの嘘であるデマは同一視できないと思います。
>Shさんへ。 >私が「立場を変えた」のではなく、この間に、記事「社会民主党」などに執拗に書き込もうとされていた話が単なる「見方」ではなく“政治的意図に基づいたデマ”であることが明らかになっただけです。
デマとは言えないことは上に述べたことです。
>そもそも、Meguさんら(?)が当初 行われていたことは、社民党を「中核派など新左翼各派」に関連付ける試みであって、「社民党の中の「市民派の台頭」」を記述することではなかったと記憶しています。
新左翼との関係は記述すべき最重要事項ではないと考えを変えたことはすでに述べたとおりです。 それでは前回質問しましたように、「「社民党の中の「市民派の台頭」」を記述すること」への提案についてはどうお考えですか。 (Megu 2004/7/20Megu 2004年7月20日 (火) 13:51 (UTC))
- 「五島昌子氏は正に国際主義派(第4インター系)に属していたという見方があります」とのことですが、これこそ“政治的意図に基づいたデマ”の最たるものでしょう。
「「社民党は知らない内に市民派といわれる連中に牛耳られているけど、 彼らの中には赤軍や中核派などに連なる連中も入り込んでいる」と証言し」たとされる「元社会党の古参議員」については、その存在自体が確認されていません。
土井たか子が1996年9月に党首に就任して以降、いわゆる「市民派」や女性が積極的に起用され幾人かが国会議員に当選し、議席を一時的に増加させたことは事実ですが、匿名希望1さんが指摘されているように「03年秋〔2003年11月〕の総選挙でほぼすべて落選し」ており、こうした点に言及しない形で「「社民党の中の「市民派の台頭」」を記述すること」は正しくないと思います。なお、文章が事実に即した内容に改められるのならば、「市民派」に関する記述自体を反対するものではありません。Sh 2004年7月20日 (火) 20:28 (UTC)
匿名希望1です。Shさんがすでに書いておられますが、私も意見を述べておきます。
市民派の記述の件。もし書くとすれば、こう書くべきでしょう。「2000年の総選挙を経て2001年の第七回党大会で、市民派と呼ばれる市民運動出身の一部の議員が執行部入りしたが、ほとんど独自性を発揮できないうちに02年春の辻元問題などでその影響力は急速に減退し、03年秋の総選挙で市民派議員はほとんど落選し、社民党内で影響力を失った。」ついでに述べておくと、社民党内で市民派が影響力を失ったため、党外の市民派の多くは、今次参院選ではみどりの会議(中村敦夫)を応援しました。
市民派と新左翼の関係の件。「(社民党の、特に中央段階の)市民派の中に新左翼か、それに関係もある勢力が入り込んでいる」ことのMeguさん独自の調査に基づく具体的な根拠を挙げてください。週刊誌の記事の受け売りではだめです。
五島昌子氏の件。Meguさんは社青同の歴史や第四インターについて、きちんと勉強していますか。五島氏は明治大学を1961年に卒業しており、氏が社青同で活動していたのは、主に1960年安保闘争当時です。社青同国際主義派が形成されるのは62、3年頃からで、五島氏が活動していた時期とはずれます。また、社青同国際主義派、第四インター自体何度も崩壊しており、60年代当時の活動家は大半が活動をその後辞めています。Shさんも書いているように、五島昌子氏が第四インターだというのは、全く根拠のない意図的な悪質なデマと断言できます。すでに書きましたが、Meguさんが引用している週刊新潮の記事は、社青同そのものを極左集団と書くような事実誤認を犯しており、信がおけません。 「元社会党の古参議員」の証言の件。Shさんも述べているように、この古参議員は確認されていません。元社会党の、と書き、社民党の、と書かないところをみると、仮にこの「古参議員」が実在するとしても社民党ではないですね。社民党ではない者の発言が、社民党の内情についての確たる根拠になるのでしょうか。民主党の内情について、自民党議員の発言が確かな資料とはならないのと同じです。
Meguさんの主張は、1社民党は市民派が主導権を握ったか、強い影響力を持っている。2市民派の中に新左翼か、それに関係もある勢力が入り込んでいる。の二つが基礎です。そこから導きだされる結論、読者が受ける印象は、3社民党は新左翼の影響下にある政党である、ということです。1と2について、Meguさんの主張はすべて週刊誌という二次資料に拠っており、その内容もMeguさんの挙げたものはすべて確たる根拠とはならず事実と異なると断言できることは、すでに述べました。
確たる根拠がまったくないまま、現に活動している政党である社民党に誤ったマイナス印象を読者に与える記述をすることは、百科事典として避けなければなりません。もし、Meguさんの主張通りの記述をすれば、今後社民党攻撃の際に、「電子百科事典ウィキペディアの社民党の項では~」という引用もされかねません。2ちゃんねるにこう書いてある、では効果はありませんが、百科事典では信じる人も出てくる可能性は大いにあります。Meguさんが自己の誤った主張にどうしても固執するなら、進民連議長さんも述べているように、残念ながら現在の書き込み制限を当分の間続けるほかありません。(匿名希望1 04.7.21)
- 一点だけ気になったのでコメントしておきます。Meguさんの主張されていることは「週刊誌が報じた」という事実があるのだからその「報じたこと」を書いてはどうかということだと思われます。それに対して他の方たちはその報じた内容が真実でないと主張されているのでイマイチ話がかみ合っていないのでは?と思いました。ですからMeguさんの主張が「週刊誌という二次資料に拠って」いるというのは誤りでむしろ週刊誌が報じたという観点から見ると週刊誌自体は間違いなく一時資料になるかと思います。
- ところで、この議論を横から見ていたものの印象としては、週刊誌が報じたという事実は確かにあるように見えるものの、その報道の中身自体はミスリードさせかねない内容のように思われます。そのことと匿名希望1さんの述べられているように「現に活動している政党である社民党に誤ったマイナス印象を読者に与える」こととを考えると今回の件に関してはわざわざ報道があったということ自体載せなくても良いのではという印象を受けました。もちろんこれは個人的意見以上のものではありませんが。tanuki_Z 2004年7月21日 (水) 02:27 (UTC)
Meguです。 >:「五島昌子氏は正に国際主義派(第4インター系)に属していたという見方があります」とのことですが、これこそ“政治的意図に基づいたデマ”の最たるものでしょう。
匿名希望1さんは時期的に会わないのではないかの指摘をされていますね。「デマ」と言い切れるかどうかはありますが、、まあ週刊誌も書かなかったことですから信頼度は低い情報かもしれませんね。 あえて私が書くことではなかったと思います。
>社民党]]は知らない内に市民派といわれる連中に牛耳られているけど、 彼らの中には赤軍や中核派などに連なる連中も入り込んでいる」と証言し」たとされる「元社会党の古参議員」については、その存在自体が確認されていません。
土井たか子が1996年9月に党首に就任して以降、いわゆる「市民派」や女性が積極的に起用され幾人かが国会議員に当選し、議席を一時的に増加させたことは事実ですが、匿名希望1さんが指摘されているように「03年秋〔2003年11月〕の総選挙でほぼすべて落選し」ており、こうした点に言及しない形で「「社民党の中の「市民派の台頭」」を記述すること」は正しくないと思います。なお、文章が事実に即した内容に改められるのならば、「市民派」に関する記述自体を反対するものではありません
「「市民派」に関する記述自体を反対するものではありません」ということでこの点では意見が合意できそうですね。
>匿名希望1
>市民派の記述の件。もし書くとすれば、こう書くべきでしょう。「2000年の総選挙を経て2001年の第七回党大会で、市民派と呼ばれる市民運動出身の一部の議員が執行部入りしたが、ほとんど独自性を発揮できないうちに02年春の辻元問題などでその影響力は急速に減退し、03年秋の総選挙で市民派議員はほとんど落選し、社民党内で影響力を失った。」
大体OKですが、どのような契機で執行部入りしたのかが一部に議員とか、独自性を発揮しないうちにとかの表現はどうですかね。まあ書いておけば直したい人が直すという考えもありますが
>市民派と新左翼の関係の件。「(社民党の、特に中央段階の)市民派の中に新左翼か、それに関係もある勢力が入り込んでいる」ことのMeguさん独自の調査に基づく具体的な根拠を挙げてください。週刊誌の記事の受け売りではだめです。
匿名希望1さんのように独自の調査ができれば越したことはありませんが、多くの人と同じように独自の調査はしていません。もちろん、ただ記事の受け売りではなく信頼性などを含めた独自の判断はしています(当たり前ですが)。
>五島昌子氏の件。Meguさんは社青同の歴史や第四インターについて、きちんと勉強していますか。五島氏は明治大学を1961年に卒業しており、氏が社青同で活動していたのは、主に1960年安保闘争当時です。社青同国際主義派が形成されるのは62、3年頃からで、五島氏が活動していた時期とはずれます。また、社青同国際主義派、第四インター自体何度も崩壊しており、60年代当時の活動家は大半が活動をその後辞めています。Shさんも書いているように、五島昌子氏が第四インターだというのは、全く根拠のない意図的な悪質なデマと断言できます。すでに書きましたが、Meguさんが引用している週刊新潮の記事は、社青同そのものを極左集団と書くような事実誤認を犯しており、信がおけません。
Shさんにも述べましこの国際主義派の件は週刊誌にも書いてなかったことで取りあげるべきでなかったと反省しています。五島昌子氏が新左翼に関係ないと断言できるかは別ですが。 >「元社会党の古参議員」の証言の件。Shさんも述べているように、この古参議員は確認されていません。元社会党の、と書き、社民党の、と書かないところをみると、仮にこの「古参議員」が実在するとしても社民党ではないですね。社民党ではない者の発言が、社民党の内情についての確たる根拠になるのでしょうか。民主党の内情について、自民党議員の発言が確かな資料とはならないのと同じです。
何回も言っていますが、確たる証拠にはなりませんが、半信半疑ではあれ、1つの疑い、あるいは見方を与えるものではあると思います。
>Meguさんの主張は、1社民党は市民派が主導権を握ったか、強い影響力を持っている。2市民派の中に新左翼か、それに関係もある勢力が入り込んでいる。の二つが基礎です。そこから導きだされる結論、読者が受ける印象は、3社民党は新左翼の影響下にある政党である、ということです。 1と2について、Meguさんの主張はすべて週刊誌という二次資料に拠っており、
Tanukiさんも指摘されていりょように独自取材をしているとすれば週刊誌も一次資料です。
>その内容もMeguさんの挙げたものはすべて確たる根拠とはならず事実と異なると断言できることは、すでに述べました。
「確たる証拠とならない」ということと、「事実と異なると断言できる」ということが異なることはすでに述べました。
>確たる根拠がまったくないまま、現に活動している政党である社民党に誤ったマイナス印象を読者に与える記述をすることは、百科事典として避けなければなりません。
今までにも申していますが「市民派と新左翼の関係の疑い」のことは優先度が低いなと考えを変えています。ただ現に活動しているから別扱いにするというのは、ほかにも差しさわりがありえる内容はいくらでもあるので理由にならないでしょう(たとえば他国との関係)
>もし、Meguさんの主張通りの記述をすれば、今後社民党攻撃の際に、「電子百科事典ウィキペディアの社民党の項では~」という引用もされかねません。2ちゃんねるにこう書いてある、では効果はありませんが、百科事典では信じる人も出てくる可能性は大いにあります。
そのような引用がされないように記述する提案を何回もしているのですが。
>Meguさんが自己の誤った主張にどうしても固執するなら、進民連議長さんも述べているように、残念ながら現在の書き込み制限を当分の間続けるほかありません。
書き込み制限は他人への迷惑もありますから、できるだけ避けるべきです。 そのため「市民派との関係のみを書いたらどうかとなど」の提案などを行っているのですが。 Megu 2004年7月21日 (水) 14:12 (UTC)
匿名希望1です。私は週刊誌が報道したという事実がないと言っているのではなく、それが信頼に値するものではないと言っているのです。 tanuki_Zさんは第三者的立場から、「今回の件(市民派と新左翼の関係)に関してはわざわざ報道があったということ自体載せなくても良いのではという印象を受けました。」と指摘しています。Meguさんは、「『市民派との関係のみを書いたらどうかとなど』の提案などを行っている」とのことで、事実と異なる新左翼との関係記述に固執しないのなら、市民派と呼ばれる人たちが社民党内にいることは事実ですし、それを書くこと自体は何ら反対しません。(匿名希望1 04.7.22)
匿名希望1です。他の人の発言がありませんが、現在の本文に市民派の記述を加えてみました。これでいかがでしょうか。
社会党の基盤であった労働組合の大半を民主党に奪われた後、土井党首はそれまで接触のあった市民派と呼ばれる市民運動出身者を積極的に各級選挙立候補者に起用した。2000年の総選挙では議席を増やし、2001年第七回党大会で市民派議員が幹事長、政審会長など党の重要ポストを占めた。しかし、社民党の政策、運動の両面で市民派としての独自性を発揮する以前に、02年3月には市民派の代表辻元清美議員が秘書給与問題で辞任するなどでその影響力は弱まり、2003年の総選挙では、辻元問題および北朝鮮問題などで獲得議席と得票を大幅に減らし、市民派議員も全員落選した。土井は敗北の責任をとって党首を辞め、幹事長であった福島瑞穂が後任に選ばれた。後任の幹事長には労組出身者の又市征治が就任、市民派の影響力は大きく後退した。
匿名希望1(04.7.23)
Meguです。
>匿名希望1です。他の人の発言がありませんが、現在の本文に市民派の記述を加えてみました。これでいかがでしょうか。 社会党の基盤であった労働組合の大半を民主党に奪われた後、土井党首はそれまで接触のあった市民派と呼ばれる市民運動出身者を積極的に各級選挙立候補者に起用した。2000年の総選挙では議席を増やし、2001年第七回党大会で市民派議員が幹事長、政審会長など党の重要ポストを占めた。しかし、社民党の政策、運動の両面で市民派としての独自性を発揮する以前に、02年3月には市民派の代表辻元清美議員が秘書給与問題で辞任するなどでその影響力は弱まり、 2003年の総選挙では、辻元問題および北朝鮮問題などで獲得議席と得票を大幅に減らし、市民派議員も全員落選した。土井は敗北の責任をとって党首を辞め、幹事長であった福島瑞穂が後任に選ばれた。後任の幹事長には労組出身者の又市征治が就任、市民派の影響力は大きく後退した。 匿名希望1(04.7.23)
特に異論はありません。細かい点に気になるところはありますが、反対するほどのことではありません。 市民派と新左翼など政治党派との係わり合いについては、必要があれば 社民党の項ではなく市民派などという別のところに書くということでよいと思います。 いますぐに項を立てる必要はないでしょうが。 Megu 2004年7月23日 (金) 00:23 (UTC)
[編集] 保護解除について
議論が合意に向かっているようなので保護解除を行ないたいと思います。特に異論がなければ2、3日以内に実行します。tanuki_Z 2004年7月23日 (金) 03:41 (UTC)
- 特に異論もなかったので保護を解除しました。今後本文の編集において方針の対立などが起こったとしてもノートで議論をお願いします。tanuki_Z 2004年7月26日 (月) 03:50 (UTC)
匿名希望1さんの市民派に関する記述について。2001年の党大会で市民派議員が重要ポストに就くことになったのは、同年の参議院選挙で、(2000年総選挙に比べて)得票を大幅に減らし、当時の執行部が責任を取ることになったためです。その後の2003年総選挙での得票の減少は、2001年参院選の時と比べて、それほど大きくはありません。また、このノートの一番上でKinoriさんがお書きになっていることもあります。辻元問題や朝鮮問題を原因として挙げる必要はないのではないでしょうか。進民連議長 2004年7月25日 (日) 12:04 (UTC)
保護解除になったので、市民派の部分を書き込みました。進民連議長さんの意見も踏まえています。03年総選挙での市民派議員の落選を「ほとんど」としたのは、阿部知子を市民派とみるかどうか議論があり、今回はこのように記述しました。221.113.18.111 2004年7月26日 (月) 23:02 (UTC)--署名修正--かぼ 2007年4月5日 (木) 04:59 (UTC)