第四インターナショナル
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第四インターナショナル (Fourth International) は、ヨシフ・スターリンが指導していた第三インターナショナル(コミンテルン)に対抗して、レフ・トロツキーの呼びかけによって1938年に結成された国際共産主義組織。世界社会主義革命を志向し、各国に組織がある。
日本では、スターリン批判とハンガリー動乱の衝撃の中で1956年に太田龍・黒田寛一らによって日本トロツキスト連盟が結成された。戦時中からトロツキー文献の訳出を秘密裏に進め、すでに日本社会党への独自の「加入活動」を開始していた山西英一は「時期尚早」としてトロツキスト連盟には加わらなかった。日本トロツキスト連盟は、革命的共産主義者同盟(革共同)に発展した。革共同は第四インターナショナルへの加盟を主張する太田龍、西京司らトロツキスト派と、主体性論の流れを汲み、宇野経済学や梅本主体性論などさまざまな理論を取り入れた独自の理論構築を目指した黒田、本多延嘉らの反スターリン主義派とに分裂した。
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[編集] 結成の経緯
- レーニンとともにロシア革命を指導したトロツキーは、1924年のレーニンの死後、ソ連邦共産党書記長となったスターリンが打ち出した「一国社会主義建設」(それまでのレーニンらの主張する「革命がロシアからヨーロッパ、そして世界に波及しないかぎり革命ロシアは生き残れない」という方針に対してスターリンは「革命が波及しなくてもロシア一国で社会主義は建設できる」と主張した)論に対して「世界革命路線の堅持」(永続革命論)を対置し「左翼反対派」を結成して激しく反対した。この「左翼反対派」が第四インターナショナルの源流とされる。
- スターリンは書記長という権力を利用して党内で多数派を形成し、トロツキーを政府・党の閑職に追いやり、1927年には「ロシア大革命十周年記念式典」に際しての「左翼反対派」の「スターリン打倒」を掲げたデモ行進を「反党活動」であるとしてトロツキーを共産党から除名し、1929年にはソ連国外に追放する。このかんスターリンのイギリスの労働運動への指導や中国革命の方針などをめぐって、スターリン派とトロツキーら「左翼反対派」のあいだで激しい論争が繰り広げられていた。トロツキーは、スターリンの指導を「日和見主義と冒険主義のジグザグ」などと批判したが、国外追放された時点においても「共産党を割って出るのではなく、内部に留まって改革するべき」と主張していた。
- 当時ドイツでは、ヒトラー率いるナチス(ドイツ国家社会主義労働者党)が急速に勢力を伸ばしていた。トロツキーは、ドイツの事態に対して「ドイツ社会民主党とドイツ共産党の統一戦線の形成によってナチスに対抗するべき」と主張したが、スターリンとドイツ共産党指導部は「社会民主党もファシズムの一種でありナチスの双生児」といういわゆる「社会ファシズム論」によってトロツキーの主張を一顧だにしなかった。そして、1933年のナチスによる権力掌握によって、ドイツ共産党がほとんど抵抗できないまま暴力的に弾圧され急速に解体されるという事態に際して、トロツキーは「コミンテルンは死んだ。もはや誰にも生き返らせることは出来ない」として、はじめて「新しいインターナショナルの創設」を提起する。
- 1936年に「大粛清」を開始したスターリンは、自らに反対する者、あるいは抹殺してしまいたい者に対して「トロツキスト」というレッテルを多用した。ここで言う「トロツキスト」とは「ソ連邦の破壊を目論むトロツキーを頭目とする反革命分子で帝国主義の手先の群れ」と定義されたが、実際は粛清された多くの者はトロツキーあるいは「左翼反対派」の組織とは無関係であった。このレッテルとしての「トロツキスト」という用語は、「スパイ挑発者」あるいは「左翼を装った反革命」を意味するものとして、世界各国の共産党によって第二次大戦後も長らく使用されることになる。
- 1938年にフランス、ベルギー、アメリカ、オランダなど、各国のスターリニズム化した共産党内から派生した「左翼反対派」を源流とするトロツキスト・グループが参加した「第四インターナショナル創設国際会議」によって、第四インターナショナルは結成を宣言し「スターリニズムの党に代わって世界革命を目指す新しい共産党の建設」を訴える「過渡的綱領」を採択した。トロツキーは「戦争が第四インターナショナルを急速に押し上げる」と考えたが、既成の各国共産党の「トロツキスト=裏切り者」キャンペーンと各国政府の弾圧、とりわけナチス占領下の各国における過酷な弾圧のなかで、小グループに留まり続けることになった。しかし、第二次大戦のさなかにおいて第四インターナショナルの組織は、フランス、ベルギー、オランダなどではナチス占領下でレジスタンス運動の一翼を担った。後の第四インターナショナルの指導者の一人となるベルギー人のエルネスト・マンデル(1923-1995)は15歳で第四インター系の反ナチ・レジスタンス組織に参加、ナチスの捕虜となるも強制収容所から脱出するという経験を持つ。
[編集] 第四インターナショナル内部の論争と分裂
- 第四インターナショナルの政治的特徴として「プロレタリア革命による帝国主義の打倒」とともに「ソ連邦は、官僚を追放する政治革命は必要ではあるが、依然としてブルジョアジーによる生産手段の所有を廃した労働者国家であることから帝国主義の包囲・攻撃からは世界の労働者階級はソ連邦を防衛しなければならない」(「官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」論)という原則が挙げられる。第四インターナショナルは、様々な局面でこの「原則」をめぐって、あるいは各国に存在する社会民主主義政党や共産党などの大組織に組織的・目的意識的に加入して大組織構成員を自陣営に獲得する「加入戦術」の是非などをめぐって、分裂を繰り返すことになる。
- 1939年に、スターリンによる独ソ不可侵条約締結とバルト三国への侵攻をめぐって、アメリカ支部である社会主義労働者党(SWP)内部で、トロツキーが定式化した「ソ連=官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」論を否定する部分が発生する。「ソ連=官僚主義集産国家」論を唱えたマックス=シャハトマンやジェームズ=バーナムらは1940年にSWPから分裂してアメリカ労働者党(WP)を結成する。WPは直後に「シャーマン派」という分派と再分裂する。ちなみに「ネオコンのルーツはトロツキズム」として例に挙げられるネオコンの総帥でイデオローグと言われるアーヴィング=クリストルが一時期所属したのは、この「シャーマン派」である。
- 1953~54年にかけて、主にスターリン死去とそれに伴うフルシチョフによる「非スターリン化」の評価をめぐって、アメリカSWPがインターナショナルから分裂。独自の国際組織「 第四インターナショナル国際委員会多数派」を形成する(1963年にマンデル派と再統一)。
[編集] 現在の各国における主な第四インターナショナル(トロツキスト)組織
[編集] 統一書記局派
United Secretariat of the Fourth International(USFI) (ウェブサイト)
いわゆる「マンデル派」。かつては「唯一の世界革命前衛」を自認していたが、現在は「小さくとも不可欠な世界革命潮流の一つ」と自己規定している。現在、反グローバル化運動への参画に力を入れ、各国における「反資本主義統一戦線」の形成を方針にしている。
オーストリア - Socialist Alternative (Sozialistische Alternative, SOAL)
アルジェリア - Socialist Workers Party
ベルギー - Socialist Workers Party ― Socialistische Arbeiderspartij (SAP) - Parti Ouvrier Socialiste (POS)
ブラジル - Socialist Democracy ― Democracia Socialista (DS)
ブラジル労働者党(PT)内の左派潮流として活動。ルラ政権の評価をめぐり、現在PTに留まる部分と、左翼独自勢力として社会主義と自由党(Party of Socialism and Liberty ― P-SOL)を形成する部分とに二方面の活動を展開している。P-SOLは2006年のブラジル大統領選において、ルラに対抗してエロイザ・エレナを擁立して6.8%の得票を獲得した。
イギリス - International Socialist Group(ISG)
現在、左翼組織の連合体であるRESPECTに参加。RESPECTはイギリス下院に一議席を持つ。
カナダ - New Socialist Group
カナダ/ケベック - Socialist Left Gauche Socialiste (GS)
チリ - Revolutionary Socialist Tendency (Tendencia Socialista Revolucionario)
デンマーク - Socialist Workers Party ― Socialistisk Arbejderparti (SAP)
ギリシャ - Organization of Communist Internationalists of Greece-Spartacus (Organosi Kommouniston Diethniston Ellados-Spartakos, OKDE-Spartakos)
グアドループ - Socialist Revolution Group (Groupe Révolution Socialiste, GRS)
フランス - Revolutionary Communist League ― Ligue communiste révolutionnaire (LCR)
フランス共産党から追放された「左翼反対派」が、1930年に共産主義者同盟を結成。共産主義者同盟は1933年に、トロツキーが提案した「加入戦術」をフランス社会党に対して実行し、ボルシェビキ・レーニン主義グループの形成から青年組織として革命的社会主義青年同盟を結成する。この時期のフランス・トロツキストは、スターリンの提唱した「社会ファシズム論」によって、ファシズムの脅威よりも社会党への打撃を優先する共産党を批判して、「反ファシズム労働者統一戦線」を呼びかけた。しかし、「加入戦術」の是非をめぐって共産主義者同盟は分裂、1944年に再統一され国際主義共産党(PCI)となる。フランス・トロツキストは、ナチ占領下において独自のレジスタンス活動を展開したが、ナチスの他にフランス共産党の武装勢力に襲撃され、暗殺されることもあった。
戦後、50年代に再び「加入戦術」が提起され、「加入戦術」に反対する「ランベール派」(のちに国際組織として「国際共産主義組織-OCI」を形成。後にフランスの首相となるリオネル・ジョスパンが一時期所属した)が国際主義共産党から脱退。PCIは、フランス共産党の青年組織である共産主義学生連合(UEC)に「加入戦術」を行い、革命的共産主義青年(JCR)が形成される。JCRは、とりわけ68年パリ五月革命における「バリケード街頭戦」において組織的に先頭に立つことで名を馳せ、JCR指導者のアラン=クリヴィンヌとピエール=ルッセは指名手配された。この五月革命における「役割」によって、PCIとJCRは1969年6月にフランス政府より解散命令を受ける。JCRとPCIは正式に合同する形で、共産主義者同盟(LC)が結成され、同年アラン=クリヴィンヌはLCの候補としてフランス大統領選挙に立候補した。
1971年3月9日、LCはかねてから対立していたファシスト組織「Ordre Nouveau オルドル・ヌーヴォー」の政治集会を武装襲撃。パリの各所で大乱闘を繰り広げ、1973年6月に再び当局より組織解散を命じられる。この組織解散命令に対しては、LCを「トロツキスト挑発者」と非難してきたフランス共産党や共産党影響下の労組ナショナルセンターのCGT、フランス社会党、ジャン・ポール・サルトルなどが一致して抗議行動を行った。(参考:LCによる対ファシスト武装襲撃 動画)。LCは形式上解散、即座に革命的共産主義者戦線(FCR)を結成し、1974年に再びアラン=クリヴィンヌを大統領候補に擁立する。FCRは、1974年12月に革命的共産主義者同盟(LCR)に改組された。LCRは70年代、ラルザック軍事基地建設反対運動(ミッテラン社会党政権の誕生により建設は中止された)にとりわけ力を注いだ。
LCRは2002年の大統領選挙において、当時27歳の郵便局員で労組活動家だったOlivier Besancenot オリビエ=ブザンスノー候補を擁立し、フランス共産党の候補を上回る5%の得票を獲得した。現在は、郵便・国鉄・電信分野の労働組合や失業者運動などに一定の影響力をもつ。反グローバル化運動の一環として「民営化反対キャンペーン」にも力を注ぐ。(参考:LCRによるフランス経団連-MEDEFへの抗議行動 動画)2007年の大統領選においても、オリビエ=ブザンスノーを擁立している。
ドイツ - International Socialist Left ― internationalen sozialistischen linke (isl)
ドイツ - Revolutionary Socialist League ― Revolutionaer Sozialistischer Bund (RSB)
ギリシャ - Organization of Communist Internationalists of Greece ― Organosi Kommouniston Diethniston Ellados (OKDE)
インド - Revolutionary Communist Organization (Inquilabi Communist Sangathan)
アイルランド - Socialist Democracy (SD)
イタリア - Bandiera Rossa Association ― Associazione Bandiera Rossa (ABR)
1991年2月に社会民主主義政党左翼民主党(PDS)として路線転換したイタリア共産党内の左派部分とともにイタリア共産党再建派(あるいは共産主義再建党 PRC)を結成。PRC党内のトロツキスト派として活動する。
日本 -旧 日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)
かつての日本支部が分裂した結果、現在日本革命的共産主義者同盟 (JRCL)と国際主義労働者全国協議会(労働者の力)の二つの組織が、「支部」ではなく「シンパサイザー組織」として統一書記局に参加している。
レバノン - Revolutionary Communist Group
ルクセンブルグ - Revolutionary Socialist Party (Revolutionär Sozialistesch Partei /Parti Socilaiste Révolutionnaire)
マルティニーク - Socialist Revolution Group (Groupe Révolution Socialiste, GRS)
モロッコ - Al-Mounadhil/a
オランダ - Socialist Alternative Politics ― Socialistische Alternatieve Politiek (SAP)
ポルトガル - Revolutionary Socialist Political Association ― associação política socialista revolucionária (apsr)
プエルトリコ - Political Education Workshop ― Taller de Formación Política (TFP)
スペイン - Alternative Left ― Izquierda Alternativa (IA)
スペイン/カタロニア - Collective for an Alternative Left (Col.lectiu per una Esquerra Alternativa, CEA)
スリランカ - Nava Sama Samaja Party(NSSP)
第二次大戦前にイギリスに留学した若者たちがマルクス主義とトロツキズムに影響を受け、帰国して1945年に結成したLanka Sama Samaja Pakshaya(スリランカ社会主義平等党 LSSP)は、第四インターナショナルの各国組織の中で突出して巨大な労働者大衆政党に成長する。「議会での多数獲得による革命」を展望したLSSPだったが、1960年の総選挙での敗北を機に、ブルジョア政党スリランカ自由党に接近、同党の政権樹立のために信任投票をし、のちに入閣する。トロツキーの人民戦線批判に基づいて「ブルジョア政党との野合」を禁止する第四インターナショナルは、幾度かのオルグ派遣を行ったが結局決裂。LSSPは、1964年に第四インターナショナルから除名され、「野合」を批判して分裂したバラ・タンポらはLanka Sama Samaja Pakshaya(R) (スリランカ社会主義平等党革命派 LSSP(R))を結成した。第四インターナショナルはLSSP(R)を支部として認めたが、LSSP(R)は一九八〇年に分裂しシンパサイザー組織になった。
現在は、タンポらとは別に1977年にLSSPから分裂したNava Sama Samaja Pakshaya(新社会主義平等党 NSSP)が1991年からスリランカ支部に公認されているほかに、スリランカ労働運動のナショナルセンターであるCMUに大きな影響力をもつバラ・タンポのグループもシンパサイザー組織として参加している。NSSPはスリランカ議会に議席を持つ。
南アフリカ - Workers Organisation for Socialist Action
スイス - Socialist Alternative / Solidarity (Sozialistische Alternative / Solidarität, SOAL)
スウェーデン - Socialist Party ― Socialistiska Partiet (SP)
チュニジア - Revolutionary Communist Organization (Organisation Communiste Révolutionnaire)
トルコ - New Way (Yeni Yol)
アメリカ - Socialist Action
アメリカ共産党内部から派生した「左翼反対派」が1928年に追放され、同年、アメリカ共産主義者同盟を結成。後に社会主義労働者党(SWP)と改称。指導者にジェームズ・キャノン、マックス・シャハトマン、C.L.R.ジェームズら。第二次大戦以前は、第四インターナショナルの最大組織で、国際書記局もアメリカに置かれた。港湾労働者やトラック労働者に、一定の影響力を持った。メキシコに亡命したトロツキーの防衛隊を組織したのも、SWPだった。キャノンは、広島・長崎への原爆投下直後の8月22日に、トロツキーを追悼する政治集会において原爆投下について「許されざる帝国主義のギャングによる大虐殺であり、人類史に残る犯罪」と演説。当時、アメリカ共産党も含めて、原爆投下について「アメリカの反ファシズム解放戦争における正義の行為」と賞賛されていたことを鑑みれば、キャノンの演説は「最も早い原爆投下非難」として、特筆に価する。
戦後、SWPは、ベトナム反戦運動や黒人公民権運動-反人種差別運動に関わり続けた。統一書記局と分裂し再統合したが、80年代に統一書記局を再び脱退した。アメリカに現存するほとんどの各派トロツキスト組織は、SWPから分岐したグループである。
ウルグアイ - Socialist Workers Party (Trotskyists)
フィリピン - Revolutionary Workers Party-Philippines (Revolutionary Workers Party - Mindanao Rebolusyonaryong Partido ng Manggagawa - Mindanao RPM-P)
90年代に入って、毛沢東主義のフィリピン共産党(いわゆるシソン派)のいくつかに分裂したグループのうちの一つであるマニラ・リサール支部(MR)と「マルクス・レーニン・トロツキー主義と解放の神学の結合」を掲げるBISIG (Union of Filipino Socialists)などが統一書記局とコンタクトを取っているが、現在フィリピン共産党(シソン派)から脱退して1998年に結成された主にミンダナオに拠点を置いて活動するRPM-Pが支部として公認されている。
その他
韓国 - 80年代に派生した「国際社会主義グループ」(IS)が一時期統一書記局とコンタクトを持ったが、国家保安法の弾圧により勢力としては消滅。現在、反帝国主義-反グローバル化を掲げ、韓国の戦闘的労働組合のナショナルセンターである民主労総に一定の影響力を持つ「労働者階級の力派」(Power of the Working Class ― No-dong-ja-euy Him)が統一書記局とコンタクトを持っているが、「労働者階級の力派」は「トロツキスト組織」ではない。
イスラエル - 第三次中東戦争の時期にイスラエル共産党から派生した反戦組織・マツベンがその後「イスラエル革命的共産主義者同盟」(RCL)を形成する。RCLは「反シオニズム・PLO支持連帯」を掲げ、指導者の一人であるミシェル・ワルシャウスキーは「国家反逆罪」で20ヶ月服役する。現在、RCLはいくつかのグループに分裂して消滅している。ワルシャウスキーはイスラエル人の立場からパレスチナ連帯運動を続ける「オルタナティブ情報センター(AIC)」の活動家として「反シオニズムのイスラエル-パレスチナ民族共生国家」の樹立を訴えている。
[編集] 国際社会主義潮流派
International Socialist Tendency (ウェブサイト)
いわゆる「トニー・クリフ派」。ソ連邦の国家性格をめぐる論争で、トロツキーが定式化した「ソ連=官僚的に歪められた、堕落した労働者国家論」を否定して「ソ連国家資本主義論」を唱え、マンデルらと分裂した。「純粋トロツキストによるレーニン主義的党建設」を目指している。
オーストラリア - International Socialist Organisation
ボツワナ - International Socialists
ブラジル - Socialismo Internacional
イギリス - Socialist Workers Party
国際社会主義潮流の最大組織。現在、左翼組織の連合体であるRESPECTに参加。RESPECTはイギリス下院に一議席を持つ。
カナダ - International Socialists
キプロス - Ergatiki Dimokratia
チェコ - Socialistická Solidarita
デンマーク - Internationale Socialister
フィンランド - Sosialistiliitto
フランス - Socialisme par en bas
ガーナ - International Socialist Organisation
ギリシャ - Sosialistiko Ergatiko Komma
インドネシア - Suara Sosialis
アイルランド(北部) - Socialist Workers Party
アイルランド(南部) - Socialist Workers Party
イタリア - Comunismo dal basso
マレーシア - Suara Sosialisme Malaysia
オランダ - Internationale Socialisten
ニュージーランド - Socialist Worker
ノルウェー - Internasjonale Sosialisterzawa
南アフリカ - Keep Left
韓国 - All Together
反帝国主義-反新自由主義を掲げ、戦闘的労働組合のナショナルセンターである民主労総に、一定の影響力を持つ。
スペイン - En Lucha
スウェーデン - Internationella Socialister
タイ - Workers Democracy Group (Klum Prachatipatai Rangarn)
トルコ - Antikapitalist
ウルグアイ - Socialismo Internacional
ジンバブエ - International Socialist Organisation
[編集] スパルタシスト派
International Communist League (Fourth Internationalist) (ウェブサイト)
アメリカのトロツキスト政党・社会主義労働者党から1964年に、「キューバ革命の評価」「黒人公民権運動の評価」などをめぐって分裂した。他のトロツキスト潮流より、とりわけ「先進国労働者革命」の志向が強く、社会主義を直接掲げない大衆運動や農民運動、「植民地解放運動」の意義をまったく認めない立場に立つ。アメリカの組織が最大組織で、各国支部はアメリカ本部の文書を各国語に訳してプロパガンダとして展開することを義務とし、「各国支部の独自活動」を認めない中央集権主義は他のトロツキスト潮流と比べて際立っている。日本においては大衆集会の質疑応答で、集会の趣旨とまったく関係ない自派のプロパガンダや、唐突な他のトロツキスト組織批判を展開することで有名。また、大衆的な反戦デモにおいて、デモ主催者の趣旨を無視して「北朝鮮核保有の権利擁護」のプラカードを掲げるなどの活動を行っている。
日本 - Spartacist Group Japan
イギリス - Spartacist League of Britain
アメリカ - Spartacist League (US)
ギリシャ - Trotskyist Group of Greece
カナダ - Trotskyist League of Canada
オーストラリア - Spartacist League of Australia
ドイツ - Spartakist-Arbeiterpartei Deutschlands
アイルランド - Spartacist Group Ireland
イタリア - Lega trotskista d'Italia
メキシコ - Grupo Espartaquista de México
南アフリカ - Spartacist/South Africa
フランス - Ligue trotskyste de France
スウェーデン - Spartacist League (Sweden)
[編集] 国際共産主義者連盟派
Internationalist Communist Union (ウェブサイト)
フランス - Lutte Ouvrière (LO - 労働者の闘争)
フランスに留学していたルーマニアのユダヤ人トロツキストであるデービッド=ケルナーによって 1939 年に設立されたトロツキストの小さなサークルを源流とする。このサークルは、1947年のルノーでのストライキに積極的に関与、支援するが、この闘争で疲れ切り、1952年に崩壊する。 このグループを復活させる様々な試みの後、ロバート=バルシア、ピエール=ボイスらによってVoix Ouvriereから、1956年にLutte Ouvrièreに発展的に設立された。現在、国際共産主義者連盟の最大組織である。
元銀行員で一定の大衆的人気を誇るアルレット=ラギエ(Arlette LAGUILLER)を擁して、「プロレタリア独裁」を公約に掲げ1974,1981,1988,1995,2002年と五度、フランス大統領選挙に挑戦し、95年には5,3%、02年にはフランス共産党の候補を上回る5,72%の票を獲得した。LOは2007年のフランス大統領選でもラギエを擁立している。
フランス海外県カリブ諸島 - Combat Ouvrier
アフリカ - Union Africaine des Travailleurs Communistes Internationalistes(UATCI)
ハイチ - Organisation Révolutionnaire des Travailleurs(OTR-UCI)
イギリス - Workers' Fight
トルコ - Sınıf Mücadelesi
スペイン - Lucha de Clase
[編集] 関連項目
[編集] 関連リンク
- 『第四インターナショナル小史』(ピエール・フランク 著 国際革命文庫編集委員会 訳 国際革命文庫 新時代社)
- トロツキー研究所