純文学
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純文学(じゅんぶんがく)とは、大衆小説、あるいは小説一般に対して、商業性よりも芸術性・形式に重きを置いた小説の総称である。
目次 |
[編集] 日本の純文学
日本の文学用語としての純文学は、明治の作家北村透谷の評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(文学界二号・1893年2月28日)の中で、「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」として定義された。
透谷の人間賛歌的な浪漫主義に対し、現実の負の面を捉えた島崎藤村、田山花袋らの自然主義文学が誕生する。花袋の『蒲団』以降、純文学として書かれた小説は、自分の周辺のことを書き連ねる私小説が多くなった。
明治末から大正にかけては、自然主義文学の暗さに反発して、人間主義を掲げた、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎ら白樺派が文学の主流を占める。特に、志賀直哉の『城の崎にて』を初めとする作為を排した写生文は、後の私小説の規範とされた。ただ、これと同時期に、高踏派の夏目漱石・森鴎外や、耽美派の谷崎潤一郎が、多くの物語性を備えた文学の傑作を残している。
大正末期から昭和にかけては、上の流れを踏まえた上で、漱石の絶賛を受け、新理知派と称された芥川龍之介が、「文芸的な、余りに文芸的な」(『改造』1927年.4~8月)において、「“筋の面白さ”のみが小説の価値ではない」と主張し、谷崎潤一郎と対立する。
この一方で、川端康成と共に新感覚派を代表する横光利一は、アンドレ・ジッドを初めとする海外文学への感銘から、「純粋小説論」(『改造』1935年4月)を著し、純文学のリアリズムへの偏向を批判し、純文学のリアリズムと大衆小説の創造性の止揚である純粋小説の概念を説いた。
第二次世界大戦以降は、無頼派の太宰治、石川淳、坂口安吾や、戦後耽美派の三島由紀夫、サルトルの実存主義の影響を受けた大江健三郎、カフカの不条理文学の影響を受けた安部公房等の作家が活躍している。
概ね二十世紀前半までは、大衆小説と純文学を書く作家は、棲み分けがなされていた。しかし、二十世紀後半に入ってからは、純文学作家が物語性を追求した作品を上梓する一方で、筒井康隆、井上ひさしらの大衆作家が純文学の手法を用い始めるなど、両者の区分は極めて曖昧になりつつある。
現代の主要な純文学作家としては、北杜夫、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、島田雅彦らの名前が挙げられる。
[編集] 純文学を代表する作家
日本文学を代表する純文学作家と、その作家が文学史に残した純文学の名作、秀作。
[編集] 1940年代
[編集] 1950年代
- 安部公房:『他人の顔』、『砂の女』、『箱男』、『方舟さくら丸』、『第四間氷期』
- 三島由紀夫:『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』、『豊饒の海』
- 大岡昇平
- 武田泰淳
- 埴谷雄高:『死霊』
- 島尾敏雄
- 梅崎春生
[編集] 1960年代
[編集] 1970年代
- 古井由吉:『槿』、『仮往生伝試文』
- 李恢成:『砧をうつ女』、『百年の旅人たち』
- 大西巨人:『神聖喜劇』
- 丸谷才一:『たったひとりの反乱』、『裏声で歌へ君が代』
- 後藤明生:『挟み撃ち』、『首塚の上のアドバルーン』
- 中上健次:『枯木灘』
[編集] 1980年代
- 村上春樹:『風の歌を聴け』、『羊をめぐる冒険』、『ねじまき鳥クロニクル』
- 筒井康隆:『虚人たち』、『虚航船団』
- 島田雅彦:『優しいサヨクのための嬉遊曲』、『彼岸先生』
- 高橋源一郎:『さようなら、ギャングたち』、『ジョン・レノン対火星人』、『優雅で感傷的な日本野球』
- 色川武大:『狂人日記』、『百』
[編集] 1990年代
- 車谷長吉:『塩壷の匙』、『漂流物』
- リービ英雄:『星条旗の聞こえない部屋』、『天安門』(1995年)
- 保坂和志:『季節の記憶』、『残響』
- 奥泉光:『ノヴァーリスの引用』、『石の来歴』
- 多和田葉子:『犬婿入り』
- 阿部和重:『アメリカの夜』、『インディヴィジュアル・プロジェクション』
- 町田康:『くっすん大黒』、『きれぎれ』、『告白』
[編集] 2000年代
- 舞城王太郎:『阿修羅ガール』
[編集] 主な日本の純文学誌
[編集] 日本の純文学賞
(公募の新人賞は除外)