自由インド仮政府
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自由インド仮政府(じゆういんどかりせいふ, Provisional Government of Free India)はイギリスの植民地支配下にあったインドの即時独立をめざし、東南アジアに樹立された暫定政府。
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[編集] 仮政府樹立
スバス・チャンドラ・ボースの主唱により、日本の後援と東南アジア在住インド人の支持を得て1943年10月21日、シンガポールにおいて仮政府樹立が宣言された。
インド国内における独立運動の主流派であった国民会議派主流派は日本の中国大陸侵略に対して否定的であり、対英非協力を貫きつつも日本との協力は拒否していた。チャンドラ・ボースが国家主席兼首相に就任し、5人の大臣を置いた。また軍事組織としてインド国民軍 ( INA )(兵力45,000人、最高司令官チャンドラ・ボース)を有した。
- 国家主席兼首相
- チャンドラ・ボース
- 国防相
- チャンドラ・ボース(兼務)
- 外相
- チャンドラ・ボース(兼務)
- 財政相
- A.C.チャタージ中佐
- 宣伝相
- S.A.アイヤー
- 婦人相
- ラクシュミ・スワミナサン(en)
- 軍代表
- A.A.カーン中佐
- N.S.バガット中佐
- J.K.ボンスレー中佐
- グルザラシン中佐
- M.Z.キャニー中佐
- A.D.ロガナダン中佐
- エーサン・カデール中佐
- シャヌワーズ・カーン中佐(en)
- 書記官長
- A.M.サハイ
- 最高顧問
[編集] 民族独立とインド解放
自由インド仮政府は同年10月24日にインドを支配するイギリスを含む連合国に対してインド独立のための宣戦布告を行い、同年11月5日東京で開催された大東亜会議にボースがオブザーバーとして出席した。オブザーバーとなったのは日本がインドを大東亜共栄圏に組み込まないという意思を明確にしていたからである。
1944年にはインド進攻のため、仮政府本部はビルマのラングーンに移転し、「インド解放」のスローガンの下にインド国民軍は日本軍とともにインパール作戦に従軍した。
[編集] 承認国
日本、ドイツ、イタリア、クロアチア、中華民国・南京国民政府、タイ、ビルマ、満州国、フィリピンが自由インド仮政府を外交的に承認し、イギリスから独立したアイルランド自由国のデ・ヴァレラ大統領がボースに祝辞を送った。
また1944年12月には、日本から初代公使として蜂谷輝夫が着任した。
[編集] 領土
太平洋戦争初期に日本海軍が占領したベンガル湾のアンダマン諸島とニコバル諸島の領有を日本から認められ、アンダマンはシャヒード、ニコバルはスワラジと改名、ロガナサン中佐を主席理事官として実際に統治した。これら島嶼の面積8,100平方キロ、人口は33,000人であった。インパール作戦中一時的だが解放した英領インドのコヒマとインパールにも自由インド仮政府組織が樹立されたが、イギリス軍の反撃により撤退している。
[編集] 解体
1945年8月15日の日本降伏と、その直後の8月18日の台湾でのチャンドラ・ボースの航空事故死により自然解体した。しかし東南アジア、なかでもマレー半島に多かった同政府のインド系支持者は戦後、マレーシア・インド人会議(MIC)の源流となった。