荒井聰
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生年月日 | 昭和21年(1946年)5月27日 |
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出生地 | 北海道石狩郡当別町 |
出身校 | 東京大学農学部卒業 |
学位・資格 | 学士 |
前職・院外役職(現在) | 北海道庁職員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・議院運営委員会筆頭理事 |
世襲の有無 | 世襲ではない |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例北海道ブロック(北海道3区) |
当選回数 | 4回 |
所属党派(現在) | 民主党(菅グループ) |
党役職(現在) | 国会対策副委員長 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館233室 |
ウェブサイト | 衆議院議員 荒井さとし |
荒井聰(あらい さとし、1946年5月27日 - )は、日本の政治家。前衆議院議員(4期)。北海道石狩郡当別町出身。
[編集] 概要
- 1965年に北海道札幌南高等学校卒業後東京大学農学部に入学、1969年に同大学を卒業し農林水産省に入省。
- 1979年に外務省へ出向、スリランカに赴任し1986年には北海道庁に勤務した。1991年から2年間、横路孝弘知事の下で知事室長。
- 1993年7月18日に第40回衆議院議員総選挙に日本新党から出馬し初当選を果たす。8月の党役員人事で党代表幹事に就任。
- 1994年新党さきがけに移籍し菅直人政策調査会長の下で政調副会長に就任。
- 1996年1月三原朝彦院内幹事(国会対策委員長)の下で副院内幹事に就任。
- 同年10月20日に行われた第41回衆議院議員総選挙に民主党から出馬も、石崎岳に3千票差の次点で落選。
- 2000年6月25日に行われた第42回衆議院議員総選挙に出馬し、前回はライバルだった三井辨雄との選挙協力を結び、石崎岳を6千票差で破り、2回目の当選を果たし国政に返り咲いた。
- 2003年11月9日に行われた第43回衆議院議員総選挙に出馬し石崎岳を3千票差で破り、3度目の当選を果たした(石崎は比例区で復活当選)。
- 2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙に出馬し小選挙区で石崎岳に1万3千票差あまりで敗れるも、比例区で復活、4度目の当選を果たす。
- 2006年3月、PSE問題を巡る混乱を受けて結成された党・PSE法議員懇談会の会長に就任。
- 同年4月、堀江メール問題による執行部総退陣に伴い空席となっていた党国会対策委員長代理に就任。
- 同年12月、2007年4月8日投開票の北海道知事選挙に出馬を表明。
- 2007年3月15日、衆議院議長に辞職願を提出。16日の本会議で受理(石川知裕が繰り上げ当選)。
- 同年4月8日に行われた北海道知事選挙に、民主党・社会民主党・新党大地の推薦、市民ネットワーク北海道の支持で出馬したが、現職の高橋はるみに敗れ次点で落選した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 衆議院議員 荒井さとし(公式サイト)
- 民主党北海道ウェブサイト