荘勝雄
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荘 勝雄(そう かつお、1959年2月1日 - 、日本名 坂元良嘉)は、台湾出身のプロ野球選手(投手)。現千葉ロッテマリーンズ1軍ブルペン担当コーチ。1991年に帰化。
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[編集] 来歴・人物
台湾時代の1985年、世界選手権でMVPを獲得。同年ロッテオリオンズに外国人助っ人として加入。140キロ代後半の速球と変化球の絶妙なコンビネーションで、先発・抑えにフル回転。入団年から5年連続2桁勝利をマークした。2年目の1986年には10連続セーブポイント(当時のパ・リーグ記録)を達成。スタミナを買われ、1987年から先発に定着すると、3年連続15完投以上の記録を残した。1991年日本に帰化するが、以後は成績が急落し3年間勝ち星なし(1992年~94年)に終わる。チームが千葉に移ってから3年後の1995年に引退し、そのままコーチに就任した。
1980年代後半のロッテを代表する助っ人であったとともに、地元台湾では「二郭一荘」と呼ばれ、郭源治(中日)・郭泰源(西武)と並ぶ国民的英雄である(ちなみに源治のほうが先に日本に帰化した)。オールスターにも1回(1985年)出場している。
敗けが多いことからも分かるが、調子の良し悪しがはっきりしていた投手だったが、当時貧打にあえいだロッテでは、あまり援護点が得られなかったことも関係している。それを象徴するような試合として、1989年に前述の郭泰源と9回を投げ合い、最小点の1対0で勝ったことがある(そのゲームは自身「ベストゲームだった」と振り返っている)。同年は4完封をマークしており、調子の良いときは黄金時代の西武打線が手も足も出ないほどのピッチングを見せた。
[編集] 略歴
- 身長・体重 175cm 76kg
- 血液型 O型
- 投打 右/右
- 出身地 台湾台南
- 球歴・入団経緯 台中市明徳商職 - 輔仁大 - ロッテ(1985~95年)
[編集] 背番号
- 15(1985年~1995年)
- 82(1996年~1997年)
- 97(1998年~1999年)
- 88(2000年~)
[編集] 通算成績
- 登板 297
- 勝利 70
- 敗戦 83
- セーブ 33
- 完投 74
- 完封 9
- 投球回 1305.1
- 奪三振 693
- 防御率 4.05
[編集] 関連項目
00 代田建紀 | 0 荻野忠寛 | 1 大嶺祐太 | 3 サブロー | 5 堀幸一 | 7 TSUYOSHI | 8 今江敏晃 | 9 福浦和也 | 10 大松尚逸 | 11 神田義英 | 12 藤田宗一 | 13 浅間敬太 | 14 小宮山悟 | 15 柳田将利 | 16 久保康友 | 17 手嶌智 | 18 清水直行 | 19 マット・ワトソン | 20 薮田安彦 | 21 内竜也 | 22 里崎智也 | 23 大塚明 | 24 平下晃司 | 25 竹原直隆 | 27 古谷拓哉 | 29 小野晋吾 | 30 小林雅英 | 31 渡辺俊介 | 32 根元俊一 | 33 橋本将 | 35 三島輝史 | 36 黒滝将人 | 37 林啓介 | 38 中郷大樹 | 39 田中雅彦 | 40 渡辺正人 | 41 小林宏之 | 42 フリオ・ズレータ | 44 早川大輔 | 45 松本幸大 | 46 呉偲佑 | 47 山崎健 | 48 高木晃次 | 49 川崎雄介 | 50 ベニー・アグバヤニ | 51 龍太郎 | 52 塀内久雄 | 53 相原勝幸 | 54 黒木知宏 | 55 神戸拓光 | 56 木興拓哉 | 57 佐藤賢治 | 58 青野毅 | 59 細谷圭 | 60 成瀬善久 | 61 角中勝也 | 62 金澤岳 | 63 青松敬鎔 | 64 藤井宏海 | 65 南竜介 | 66 末永仁志 | 67 新里賢 | 68 早坂圭介 | 69 江口亮輔 | 70 定岡卓摩 | 99 田中良平
2 監督 ボビー・バレンタイン | 78 西村徳文 | 79 井上祐二 | 75 高沢秀昭 | 85 袴田英利 | 88 荘勝雄 | 83 フランク・ランペン | 87 高橋慶彦 | 90 立花龍司 | 71 二軍監督 古賀英彦 | 76 佐藤兼伊知 | 81 園川一美 | 89 佐野嘉幸 | 72 平井光親 | 73 諸積兼司 | 77 吉鶴憲治 |
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