黒木知宏
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黒木 知宏(くろき ともひろ、1973年12月13日 - )は、宮崎県日向市出身の平成期(1990年代後半~)のプロ野球選手。ポジションは投手。右投げ右打ち。本名(戸籍名)は黒木と書いて「くろぎ」と読ませる。ニックネームは「ジョニー」。背番号は54。
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[編集] 来歴・人物
延岡学園高等学校卒業後、社会人野球の新王子製紙春日井に進み、1995年、ドラフト2位でロッテに入団。先発、リリーフとフル回転し、6月30日に初完封勝利を挙げる。
1996年には先発ローテ入りし、初めて規定投球回数に到達すると、1997年には初の防御率2点台を記録。240イニング以上投げ、13完投とともにリーグ最多となるなど、小宮山悟と共に「チームのダブルエース」にのし上がった。
1998年7月7日、千葉ロッテは16連敗中であり、この日のオリックス戦に連敗脱出を賭けて先発登板。9回2アウトまで打ち取るも、ハービー・プリアムに同点2ランホームランを浴びる。その後延長にて近藤芳久が広永益隆からサヨナラ満塁ホームランを打たれ、チームは日本プロ野球史上初の17連敗を喫する。黒木は人の目も気にせず涙を流しており、ファンからは七夕の悲劇と呼ばれている。この年はオールスターに初出場しており、最多勝利・最高勝率のタイトルを獲得した。
長らくロッテのダブルエースとして小宮山悟と共に低迷時代を支えたが、2000年には小宮山がチームを去り、正真正銘のエースとして期待される。キャンプにて右足に怪我を負う。無理を押して開幕に備えるも、開幕戦(福岡ダイエー戦)で打ち込まれると、そのまま引きずってしまい、前半戦の防御率は10点台と絶不調に陥る。その後、前年から決まっていたシドニーオリンピック野球日本代表に向けて二軍で調整し、五輪でも活躍。後半戦はエースとして活躍するも、実は右肩の違和感を持ったままのピッチングが続いていた。
2001年には開幕から絶好調が続くが、前年の肩の違和感を引きずったままであり、オールスターゲームに強行出場した後、後半戦からは姿を消し、長い怪我との戦いが始まる。
翌年からは原因不明の肩痛と戦い、2004年に一軍へ昇格するまで3年という長い月日がかかっている。6月に3年ぶりに勝利を飾る。オフの契約更改では自ら申し出て球団提示額より1000万減で契約を更改した。
2005年は右ひじを痛めて大幅に出遅れる。しかし8月28日、千葉マリンスタジアムでのオリックス戦で先発。3万人のマリーンズファンに支えられ自身1年2ヶ月ぶり、本拠地では実に1545日ぶりに勝利を挙げる。この勝利はロッテのパ・リーグプレーオフ進出と、10年ぶりのAクラスを確定するものだった。
2006年7月28日、降格から1ヵ月半振りに1軍出場選手登録され、その日のスカイマークスタジアムでのオリックス戦でプロ12年目で初セーブを記録している。
全盛期には1億8000万だった年俸が、2007年シーズンには10分の1にまで下がった。しかし未だにファンから絶大な支持を得、登板時には誰よりも大きな声援を送られる。「復活のマウンドで勝利投手となりお立ち台に立つのが今の目標」との事。
弁当の呪いを受けた選手の一人でもある(ロッテ項目も参照のこと)。
[編集] エピソード
- 愛称の「ジョニー」は、入団時に黒木自身が「ジョニーと呼んでくれ」と言ったのがそのまま定着した。ウイスキーの「ジョニ黒」(=ジョニー・ウォーカー黒ラベル)から来ているという説、あるいは社会人時代に山本譲二に似ていたことから「ジョージ」と呼ばれていたが、あまり気に入っていなかったために新しい愛称を公表したという説、さらに同じ年にドラフト1位で入団した大村三郎が登録名を「サブロー」としたことで、大村への対抗意識から前述のようなアピールにつながったとする説もある。
- イチローがその実力を認めた選手の一人。決して球が速いわけでも、ズバ抜けた変化球があるわけではないが、エースと呼ばれる前から「球に気持ちが入っている」「一番タフな対戦相手」と高く評価していた。その為「魂のエース」と呼ばれる。
- 新王子製紙春日井(現王子製紙)在籍時、都市対抗野球で西濃運輸から補強選手に指名され、そこで補強先のエースだった吉井憲治(現シダックス投手コーチ)から「球はハートで投げろ!」と気合を注入された。
これが現在の黒木の投球術の原点となっており、黒木は今でも吉井を師と仰いでいるという。
- 背番号54は前任の石田雅彦(現在・打撃投手)より譲られてから不変。本人は、ドラフト上位で入団したにも関わらず、重い番号であることに最初は納得がいっていなかったと言うが、石田に「お前の為にこの番号を暖めておいたよ」と言われたのを今でも恩義に感じているため、現在でも変えていない。
- ケガをして以来黒木は走り込みを欠かさず行ってきた。ロッテ浦和球場には黒木が同じところを繰り返し走った結果、そこだけ踏み固められて草(芝)がなくなり道のようになった場所があり、ファンや関係者からは黒木ロードと呼ばれている(同様のエピソードが桑田真澄にもある)。
- 黒木が浦和で怪我と戦っていた時期、マスコミが山本功児監督に黒木の復帰時期を尋ねたところ「練習してない人間を一軍に上げるわけにはいかない」と発言。ファンを中心に批判された。
- 2004年から監督に復帰したボビー・バレンタインは「自分がいたらこんな無用な怪我はさせていない」と語っている。
- 宮崎訛りがいまだに抜けていない(もっとも、それによってトークに独特の味が出ている)。
- 趣味は釣り、パチンコ。特に釣り好きで有名。TV番組で「野球と釣り、どちらか選べと言われたら?」の問いに「釣り」と答えたこともあるほどで、オフはほとんど磯釣りに没頭しているとか。スポーツニュース出演時に釣りの話を振られ、野球の話題そっちのけで釣りの話を延々続けた事もある。
[編集] 概要
- 身長・体重:178cm 84kg
- 血液型:O型
- 投打:右投右打
- 出身地:宮崎県日向市
- 球歴・入団経緯:延岡学園高 - 新王子製紙春日井 - 千葉ロッテ(1996年 - )
- プロ入り年度・ドラフト順位:1995年(2位)
- 背番号:54
- FA取得:なし
- 英語表記:KUROKI
- 推定年俸:1,600万(2007年)
- 守備位置:投手
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
198試合 76勝68敗1S 防御率3.44 奪三振877個 勝率.528
チーム | 背番号 | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 勝率 | 投球回数 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 | |
1995 | ロッテ | 54 | 20 | 5 | 7 | 0 | 1 | .417 | 80 | 58 | 33 | 3.71 |
1996 | 28 | 8 | 7 | 0 | 0 | .533 | 135 2/3 | 90 | 54 | 3.58 | ||
1997 | 32 | 12 | 15 | 0 | 13 | .444 | 240 2/3 | 179 | 80 | 2.99 | ||
1998 | 31 | 13 | 9 | 0 | 8 | .591 | 197 | 124 | 72 | 3.29 | ||
1999 | 29 | 14 | 10 | 0 | 7 | .583 | 212 2/3 | 171 | 59 | 2.50 | ||
2000 | 26 | 10 | 12 | 0 | 5 | .455 | 160 | 134 | 92 | 5.18 | ||
2001 | 17 | 11 | 4 | 0 | 4 | .733 | 125 | 89 | 42 | 3.02 | ||
2002 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
2003 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
2004 | 7 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 34 2/3 | 20 | 17 | 4.41 | ||
2005 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 17 2/3 | 9 | 9 | 4.58 | ||
2006 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | 4 | 3 | 3 | 6.75 | ||
計 | 198 | 76 | 68 | 1 | 38 | .528 | 1207 1/3 | 877 | 461 | 3.44 |
[編集] 主なタイトル
- 1998年
- 1998年
- 月間MVP
- 2000年9月、2001年5月
[編集] 主な著書
- 「マウンドの記憶-黒木知宏、17連敗の向こう側へ」(2000年-毎日コミュニケーションズ 平山譲著)
[編集] 出演CM
[編集] 関連項目
00 代田建紀 | 0 荻野忠寛 | 1 大嶺祐太 | 3 サブロー | 5 堀幸一 | 7 TSUYOSHI | 8 今江敏晃 | 9 福浦和也 | 10 大松尚逸 | 11 神田義英 | 12 藤田宗一 | 13 浅間敬太 | 14 小宮山悟 | 15 柳田将利 | 16 久保康友 | 17 手嶌智 | 18 清水直行 | 19 マット・ワトソン | 20 薮田安彦 | 21 内竜也 | 22 里崎智也 | 23 大塚明 | 24 平下晃司 | 25 竹原直隆 | 27 古谷拓哉 | 29 小野晋吾 | 30 小林雅英 | 31 渡辺俊介 | 32 根元俊一 | 33 橋本将 | 35 三島輝史 | 36 黒滝将人 | 37 林啓介 | 38 中郷大樹 | 39 田中雅彦 | 40 渡辺正人 | 41 小林宏之 | 42 フリオ・ズレータ | 44 早川大輔 | 45 松本幸大 | 46 呉偲佑 | 47 山崎健 | 48 高木晃次 | 49 川崎雄介 | 50 ベニー・アグバヤニ | 51 龍太郎 | 52 塀内久雄 | 53 相原勝幸 | 54 黒木知宏 | 55 神戸拓光 | 56 木興拓哉 | 57 佐藤賢治 | 58 青野毅 | 59 細谷圭 | 60 成瀬善久 | 61 角中勝也 | 62 金澤岳 | 63 青松敬鎔 | 64 藤井宏海 | 65 南竜介 | 66 末永仁志 | 67 新里賢 | 68 早坂圭介 | 69 江口亮輔 | 70 定岡卓摩 | 99 田中良平
2 監督 ボビー・バレンタイン | 78 西村徳文 | 79 井上祐二 | 75 高沢秀昭 | 85 袴田英利 | 88 荘勝雄 | 83 フランク・ランペン | 87 高橋慶彦 | 90 立花龍司 | 71 二軍監督 古賀英彦 | 76 佐藤兼伊知 | 81 園川一美 | 89 佐野嘉幸 | 72 平井光親 | 73 諸積兼司 | 77 吉鶴憲治 |