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李承晩 - Wikipedia

李承晩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李承晩
이승만
李承晩
李承晩
1952年5月13日

任期: 1948年1960年

出生日: 1875年3月26日
生地: 黄海道
死亡日: 1965年7月19日
没地: ハワイホノルル
政党: 韓国民主党→自由党
配偶: フランチェスカ・ドナー


李承晩(イ・スンマン、1875年3月26日 - 1965年7月19日)は、朝鮮独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)。[1]

目次

[編集] 生涯

[編集] 出自から大韓民国建国まで

李承晩は黄海道平山の没落両班の家に生まれた。全州李氏。族譜では太宗の長男で世宗の兄である譲寧大君の末裔とされている[2]

アメリカプリンストン大学で博士号を取得した後、朝鮮の独立運動に携わった。上海で結成された大韓民国臨時政府の初代大総理に就任し、その後、臨時政府大統領となった。上海臨時政府は、短期的にではあれ、朝鮮独立のための統一戦線として左右両翼を糾合できたという点で独立運動における画期的な存在であった。その初代大統領であったということが有名だった李承晩を後々さらに有名にした。しかし、李承晩は臨時政府発足後に左派の李東輝と対立するや早々に上海を去った。のちには臨時政府内で弾劾されるにまで至った。以降はアメリカでのロビー活動に専念した。

アジア・太平洋戦争の終結と解放から2ヵ月後、1945年10月に帰国し、独立建国運動の中心人物となった。李承晩は当時すでに70歳であり他の運動家に比べて活動歴が長いこと、大韓民国臨時政府(以下「臨政」)の初代大統領であったこと、左派も多く擁していた朝鮮建国準備委員会(以下「建準[3])からも一時的に支持されていたこと、アメリカでのロビー活動によってとりわけ有名であったことから、当初から大統領に就任すべき正統性を備えているとみなされていた。しかし、李承晩は帰国するやアメリカの意を受けて建準とも臨政とも距離をおき、反共統一を掲げた。朝鮮には強力な右派が存在しなかったこともアメリカの支持を受けた理由の一つだったと思われる。

李承晩
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各種表記
ハングル 이승만
漢字 李承晩
平仮名
(日本語読み仮名)
りしょうばん
片仮名
(現地語読み仮名)
イ・スンマン
ラテン文字転写: I Seung-man 別表記としてSyngman Rhee等。
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李承晩は名声を享受しつづけていたものの、実際には外国に滞在していた要人に過ぎなかった。そのため地盤も基盤も富ももちあわせていなかった。これを支えたのが全羅道地方の資本家・湖南財閥[4]と、それが中心になって組織された韓国民主党(韓民党)である。韓民党建準に対抗して臨政を支持していた。一方で、李承晩自身は連合国が決定した朝鮮の信託統治案に反対していた。しかし、アメリカ軍政はおそらく当初の予定どおり李承晩を支持し、彼と韓民党を仲介した。両者の連合は独自の勢力作りに動き出し、李承晩の下に政府準備組織「独立促成中央協議会」(独促)を発足させた。このことで、アメリカ軍政下には独促・臨政・建準という三つの政府組織(政府準備組織)が存在することになりソウルには大混乱に陥っていた。

李承晩と韓民党の連合は建準で勢力を誇っていた左派と、その他の臨時政府出身者に対抗し、解放直後のソウル政界で主導権を握った [5]。 アメリカ軍政が最も嫌った左派の排除に成功した李承晩と韓民党は、1948年5月10日に行われた国連監視下での総選挙に臨んだ。この選挙は大反対の中で強行された。各地で反対派による武装闘争が展開された。選挙に至る過程で起きた最も悲惨な事件が済州島四・三事件である。済州道では選挙を妨害する左派と政府軍との間で衝突がつづき内乱に近い状態に陥った結果、数万人の島民が犠牲になった。

総選挙によって李承晩と韓民党は制憲議会の多数を制した。そこで制定された第一共和国憲法は議会が大統領を選出すると定めていた。

1948年 8月13日、アメリカ合衆国の後押しで大韓民国が建国された。李承晩は議会多数の支持を得て初代大統領に就任した。政権は地主・資本家および旧植民地官僚[6]を勢力基盤としていた。

しかし李承晩が独裁的に振る舞おうとしたことが引き金となって早々に韓民党との対立が起きた。

[編集] 独裁体制と反共

李承晩は失脚の瞬間まで独裁的に振る舞った。韓国国内は政治的対立で揺れつづけた。対立派は多くの場合、反体制派というよりもむしろ議会政治家たちであった。

最初の対立は大統領制をとりつづけるか議院内閣制を採用するかを巡っておきた。李承晩を支えていた韓民党の多数は議院内閣制の採用を望んでいた。両者の対立はほどなくして抜き差しならないものになった。1949年には反李承晩勢力が団結して政界再編が起き、民主国民党が生まれた。民主国民党には臨時政府出身者の一部も加わり、申翼煕、趙炳玉らがリーダーとなった。民主国民党は改憲案を上程したが、在席者中3分の2の賛成を得られず、改憲案は否決された。

朝鮮戦争のさなか1952年になると再び議会との対立が激化した。政府は釜山に撤退していた。任期切れを控えていた李承晩は、憲法の再選禁止を撤廃するために、三選までを許す改憲案を上程した。これに対抗して野党は議院内閣制案を提出した。李承晩は戦時下の釜山に戒厳令を布告し、野党議員を大量に検挙した。1952年7月4日、国会が警察に包囲されているなか、与党議員がほとんどを占めている国会で改憲案は可決された。大統領の選出は直選制となった。このころまでに李承晩派は自由党を組織している。また、この時期にアメリカは戦時下において議会との対立を解消できない李承晩の排除を考えてはじめたと言われている。

1954年になると李承晩はさらなる再選を目指して改憲案を上程した。内容は「初代大統領にかぎって三選禁止規定を適用しない」という付則だった。結果は、賛成135票、反対60票、棄権7票、無効票1票。議会の3分の2に至る136票には1票届かず、改憲案は否決された。ところが、その翌日、李承晩派の国会議長は四捨五入すれば140票であり3分の2を超えていると強弁して改憲案の可決を宣言した。悪名高い四捨五入改憲である。

1956年、李承晩が三選を狙った大統領選挙に際して、野党勢力は「もう生きられない、(政権を)変えてみよう」をスローガンに統一戦線を組み、民主党を結成した。民主党は正大統領候補に申翼煕、副大統領候補に張勉を立て、自由党は正大統領候補に李承晩、副大統領候補に李起鵬[7]を立てた。選挙の直前に大統領候補・申翼煕が脳溢血で急死するというトラブルがあり、民主党は副大統領候補だけの選挙を余儀なくされた。官憲の介入が選挙の結果、李承晩は大統領三選を果たしたが、副大統領の李起鵬は民主党の張勉に敗北。大統領が与党、副大統領が野党という一種のねじれ現象が起きた。高齢の李承晩に万一の事態が起これば、副大統領の張勉が繰り上げて大統領になるため、与党は危機感を抱いた。同年9月28日に退役軍人による張勉副大統領暗殺未遂事件(李政権崩壊後に政権上層部が関与を認めている)が起き、1959年4月には張勉系の野党紙「京郷新聞」を廃刊処分にした。同年7月には長年の政敵であった曹奉岩(進歩党の党首、1958年1月に国家保安法違反容疑で逮捕、後にスパイ容疑に切り換え)を処刑している。

1960年、李承晩が四選を狙った大統領選挙に際して、与党の不正工作はより徹底された。野党の大統領候補・趙炳玉がアメリカで病気療養が長引いている(同年2月に客死)ことを見計らって選挙期間を早める、副大統領の当選を確実にするために公務員の選挙運動団体を組織し、警察にそれを監視させるなどの不正工作にくわえ、不正投票・不正投票などが横行した。

[編集] 失脚

1960年3月15日、大統領李承晩、副大統領李起鵬が当選が報じられると、特に不正がひどかった慶尚南道馬山では民主党馬山支部が「選挙放棄」を宣言。即座に不正選挙を糾弾するデモへと発展し、これに市民も参加。「デモは共産党主義者の扇動」を主張する当局がデモ隊に発砲し、8人死亡50人以上が怪我という惨事になった。4月11日、このデモを見物に行き、そのまま行方不明になっていた高校生・金朱烈が馬山の海岸で頭に催涙弾を打ち込まれた遺体で発見された。市民・学生などは、当局に彼の死因を究明する要求を掲げ、再度デモを行ったが、当局は再び「デモは共産党主義者の扇動」とこれを鎮圧し、デモの主導者を逮捕した。(馬山事件

馬山事件に抗議するデモは瞬く間に韓国中に飛び火し、4月18日には高麗大学の学生が国会前で座り込み(帰宅途中に暴漢に襲われ、多数の負傷者が出た)、翌4月19日にはソウルで数万人規模のデモが行われた。各主要都市でも学生と警察隊が衝突し、186人の死者を出し(四・一九学生革命)、政府は各主要都市に非常戒厳令を布告した。デモは約1週間続き、4月26日午前、李承晩はラジオで「国民が望むなら大統領職を辞任する」と宣言し、1948年から続いた独裁体制は崩壊することになった。(四月革命

副大統領の李起鵬は4月28日に一家心中し、大統領の李承晩は5月29日に夫人を引き連れアメリカハワイに亡命した。李承晩は1965年7月19日にハワイで客死した。

[編集] 政策

[編集] 韓国内の政治

これらの対立と混乱、各政治アクターのメンタリティー、李承晩の振る舞いなどを観察したグレゴリー・ヘンダーソン[8]は、日本による植民地統治は朝鮮の政治構造を変えることに何一つ寄与しなかったと考え、伝統的政治体質が復活したと捉えた[9]。李承晩とその他の政治家との対立を、かつての朝鮮王朝時代における王(君主)と両班(官僚-貴族層)との権力争いになぞらえる論者もいる。李承晩は独裁者になれなかった独裁者であった。 李承晩政権は政財の癒着が露骨で、「和信」創業者・朴興植をはじめ企業家などは多額の政治資金を積んで放免されている。

[編集] 反共親米

金浦空軍基地に到着したダグラス・マッカーサー将軍を歓迎する李承晩。
金浦空軍基地に到着したダグラス・マッカーサー将軍を歓迎する李承晩。

李承晩の政策の柱は反共、つまり反共産主義である。このことは、ソウルに戻っての第一声が反共統一であったことに象徴されている。38度線以南のみの支配を余儀なくされて以降は「北進統一」を唱え、資本主義国家による朝鮮半島の武力統一を夢見た。

建国以前に南北統一政権樹立に向けて他の努力する独立運動家は少なくはなかった。左派色の強い建国準備委員会は統一政権を目指す代表格であり、右派政治家では金九がその数少ない代表であった。しかし、李承晩は南半部による単独政権をまず樹立し、さらに軍事力による北半部の併合を構想した。北朝鮮を国家として認めず反国家団体による不法占拠であるとしたうえで、大韓民国は朝鮮半島における唯一の合法的な国家であるとした。

1950年に勃発した朝鮮戦争を契機に、反共政策と反共プロパガンダは激しさを増した。激しい戦禍を経験した韓国社会には共産主義者を敵視する強い反共意識が芽生え、これはほぼ国民的合意となった。北朝鮮と共産主義を同情的に論じることはタブー視された。李承晩の政敵は「容共的」「北のスパイ」というレッテルを貼られて次々と摘発・処刑された。 また、李承晩は南ベトナムフィリピン台湾と共に東アジア資本主義同盟の結成を企図した。朝鮮戦争の休戦にも反対し、最終的に李承晩=大韓民国は休戦協定に署名していない(朝鮮戦争参照)。反共主義は、李承晩の個人的な信念であると同時に、国民の政治的統合や自らの政治基盤を確かなものにするための方法でもあった。

反共政策は南北分断の固定をより確実にした。このことは李承晩の権力基盤も強固にした。しかし、政権の非民主的・権威主義的な性格もいっそう鮮明になっていた。憲法改正を強行して大統領でありつづけようとし、選挙への不正介入を繰り返した。政権党である自由党の不正と腐敗、企業との癒着、賄賂の横行、大統領や政府高官の不正蓄財、アメリカの援助に依存した経済体質も問題となった。

経済は低迷したままだった。輸入代替工業化路線は援助依存を継続させざるを得なくし、経済の活性化にはつながらなかった。軍事費も政府財政を圧迫していた。李承晩政権時代の韓国は世界の最貧国であった。

急速な経済発展を達成した朴正煕と比べて経済の停滞を解消できなかったとして韓国での評価はきわめて低く、「漢江の奇跡」に象徴される60年代とは対照的に、停滞の50年代ととらえられることが多い。また朴正煕ほどではないとしても権威主義的な統治スタイルによって市民社会を抑圧した。朝鮮解放後の混乱のなかでアメリカ軍政の支持を主な頼りにして金九など有力政治家たちを排除し大統領にのし上がったことや、不正選挙を繰り返したことが批判的に語られている。

しかし経済的側面に関しては、50年代と60年代の断絶のみならず連続性の観点から、李政権を再評価する機運が90年代から徐々に高まってもいる。[10]

[編集] 対日政策

李承晩は、朝鮮の独立運動に関わっていたという経歴から分かる通り、日本を激しく嫌った。[11]

李承晩政権は日本との国交正常化には消極的で、結果的に日本からの経済協力を得る機会を大幅に遅らせることになった。交易拡大についても消極的で、外貨流出や北送事業(北朝鮮帰国運動)への抗議を理由に、1955年8月~1956年1月、1959年6月~1960年4月に日本と通商断交している。

後の朴正煕政権は日本との妥協点を模索し、日韓基本条約を交わした。日本からの経済協力を得るとともに、対日貿易が経済発展に資するとして積極的に推進した。このような朴正煕政権の政策と対比して、李承晩政権の対日政策と1950年代の経済低迷との因果関係が指摘されている。[12]

李承晩政権は、おおむね旧植民地官僚であったエリート(現在では親日派とされる)により構成されていて、政治と癒着していた企業も、現在では親日派とされることが多い。今日の韓国教科書では「李承晩政権は反共に徹するあまり、親日派の処分が不十分であった」といった趣旨の記述があり、親日派の糾明は現代の韓国で主要な政治議題となっている。(→日帝強占下反民族行為真相糾明特別法

代表的な対日政策の一つに1952年の海洋主権宣言、いわゆる「李承晩ラインの設定」がある。水産資源の確保とともに、日本の竹島が韓国の『獨島』として実効支配下におかれた。これにより日本船がたびたび拿捕された。竹島の処遇は現在に至るまで日韓の懸案問題になっている。

また、日本の大衆文化を「公序良俗に反する表現」として規制した。その結果、日本の大衆文化を剽窃したものや海賊版などが横行する事態に陥った。著作権の概念が一般に浸透するに従い、絶対数は減ったが、たびたび日本で問題化されることがある。なお、金大中政権以降、段階的に日本の大衆文化の開放が行われるようになった。

[編集] 年譜

  • 桃洞書堂で漢学を学ぶ。
  • 1896年(明治29年)アメリカ人宣教師が設立した培材学堂で学び始める。
  • 1896年 徐載弼(ソ・ジェピル)の「独立協会」の結成に中心メンバーとして加わる。
  • 1897年(明治30年) 培材学堂在学中に高宗退位要求の檄文散布に加わり投獄される。投獄中にプロテスタントの監理教会派に入信。
  • 1904年(明治37年) 渡米。
  • 1907年(明治40年) ジョージ・ワシントン大学卒(学士)。
  • 1908年(明治41年) ハーバード大学卒(修士)。
  • 1910年(明治43年) プリンストン大学で政治学博士号を得る。博士論文は「アメリカの影響を受けた永世中立論」。この年、帰国する。
  • 1911年(明治44年) 寺内正毅総督暗殺計画に連座して投獄される。
  • 1912年(明治45年) アメリカに亡命。
  • 1919年(大正8年) 上海で大韓民国臨時政府樹立。李承晩によってワシントンに欧米委員部設立。
  • 1920年(大正9年)大統領に推される。しかし派閥抗争から失脚。ハワイに拠点を移す。
  • 1933年(昭和8年)満州事変を討議する国際連盟総会に臨時政府全権代表として出席。
  • 1934年(昭和9年)オーストリア人のフランチェスカ・ドナーと結婚。
  • 1941年『日本の内幕記』を著す。日本の対米宣戦を予告。
  • 1945年(昭和20年)10月 帰国。
  • 1946年 2月 大韓独立促進国民会を結成。総裁に就任。
  • 1948年(昭和23年)8月13日 大韓民国成立 初代大統領に就任。
  • 1948年(昭和23年)10月 日本を非公式訪問(マッカーサーGHQ司令官などと会談のため)。
  • 1952年(昭和27年)1月18日 海洋主権宣言。いわゆる李承晩ラインを設定。
  • 1952年(昭和27年)5月26日 戒厳令を施行し、反対派議員を監禁・憲法改正を強行(五・二六政治波動)。
  • 1956年(昭和31年)5月15日 大統領に3選。副大統領には野党の張勉が当選。
  • 1958年(昭和33年)進歩党党首の曺奉岩をスパイ容疑で逮捕。1959年7月に処刑。
  • 1960年(昭和35年)3月15日 大統領選挙。不正選挙が問題となり野党や国民の批判が公然化。
  • 1960年(昭和35年)4月19日 不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突。死者186人。4月26日に下野を表明し、5月29日ハワイへ亡命(四月革命)。
  • 1965年(昭和40年)7月19日 ハワイにて客死。享年90。

[編集] 注釈

  1. ^ かつて日本では「りしょうばん」と日本語読みすることが一般的だったが、1980年代以降は韓国読みの「イ・スンマン」が使われるようになる。また、北朝鮮では「リ・スンマン」と呼ばれるほか、本人の英文の署名は Seungman Rheeである。朝鮮語は漢字語の読み方の規則が南北で一部異なっているためである。
  2. ^ これは朝鮮王位(韓国皇帝位)継承権を持つ傍系王族の一人であることを意味する。
  3. ^ 呂運亨の項目を参照。
  4. ^ 湖南財閥はこの時期、朝鮮で唯一資本をもっていた人々である。湖南財閥がつくったものに東亜日報高麗大学などがある。
  5. ^ 建国準備委員会のリーダー呂運亨は左右両翼による統一戦線の維持に腐心し、アメリカ軍政が左派・共産主義者の排除を意図していることを意識して、自らは中道派として振る舞い、建準の路線も中道へと切り替えようとした。
  6. ^ 旧植民地官僚は、いわゆる「親日派」に該当する。
  7. ^ 元ソウル市長・国防大臣で李承晩とは親戚筋。李承晩は彼の長男・李康石を養子に迎えるなど個人的に関係が親密だった
  8. ^ グレゴリー・ヘンダーソンは米占領軍の通訳としても働いた朝鮮政治研究の先駆者である。日本語訳著書に『朝鮮の政治社会-渦巻型政治構造の分析』(鈴木沙雄・大塚喬重訳、サイマル出版会、1973年)がある。
  9. ^ グレゴリー・ヘンダーソンの解釈を受けて、その後に現れる朴正煕以降の軍人・軍部のメンタリティーを植民地統治の産物ではないかと考える議論が多い。
  10. ^ 李鍾元『東アジア冷戦と韓米日関係』(東京大学出版会、1996年。金三洙『韓国資本主義国家の成立過程 1945-53年 政治体制・労働運動・労働政策』東京大学出版会、1993年。
  11. ^ 1954年のサッカーワールドカップアジア予選で「植民地支配した日本人を領土に入れるわけにはいかない」として敵地日本で2試合戦うことを条件にサッカー韓国代表の参加を許した。当時の代表監督に「もし負けたら、玄界灘に身を投げろ」と言ったというエピソードが有名である。
  12. ^ 丁振聲「1950年代の韓日経済関係 ―韓日貿易を中心に―」[1]

[編集] 関連項目

先代:
-
大韓民国の大統領
初 - 第3代: 1948年-1960年
次代:
尹潽善
大韓民国大統領
臨時政府: 李承晩 | 朴殷植 | 李相龍 | 洪震 | 李東寧 | 金九
共和国: 李承晩 | 尹潽善 | 朴正煕 | 崔圭夏 | 全斗煥 | 盧泰愚 | 金泳三 | 金大中 | 盧武鉉

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