象印クイズ ヒントでピント
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象印クイズ ヒントでピント(ぞうじるし-)は、テレビ朝日系列で1979年3月4日~1994年9月25日にかけて放送された日本のクイズ番組である。基本放送枠は日曜日19:30から20:00(日本時間)。司会は文化放送OBの土居まさるで、スポンサーは象印マホービンであった。
後番組は、折りしも土居と同じ文化放送OBの梶原しげるとタレントの兵藤ゆき司会の「象印ニュースクイズ パンドラタイムス」。
番組冒頭で司会の土居まさるが「象印クイズヒントでピント。先ずは頭の準備体操」と言ってオープニングクイズに入る。そしてオープニング後のCM明けにキャッチフレーズ「(あなたの)直感と連想能力に挑戦する象印クイズヒントでピント。テレビの前の皆様もご一緒にどうぞ」と喋るのが恒例となっており、番組中2回タイトルコールが行われていた。なお、末期は「こんばんは、土居まさるです」も追加してしゃべっていた(ゲスト紹介などはCM明けである)。
このキャッチフレーズを象徴するように、他のクイズ番組とは一線を画し、タレントというより「文化人」と呼ばれるタイプの解答者をメインに揃えて知的イメージを押し出していた。また問題内容も時事的な問題(特に流行に関して)が多く出題された。
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[編集] 番組概要
当時最新のコンピュータ技術を生かし、男性軍・女性軍に分かれての対抗戦(各5名、うち1名はゲスト)の映像クイズで、大きく6つ(末期は5つ)のパートに分かれていた(特記ないものは全員参加)。
- オープニング ある人物をモザイクで隠し、その人物について当てる。解答権は1人1回のみ。正解チームにはパート5(末期はパート4)のボーナス権利が与えられる(その際キャプテンの解答席にキャプテンのミニチュア人形が飾られた)。
- 出題パート1 2分割
- 出題パート2 4分割の1:1(チャイムが鳴った場合には得点が3倍になるラッキークイズがあった。この場合はノーヒントとなる)
- 出題パート3 テクニカル(動画クイズで、何をしているかを当てる)解答権は1人1回のみ。
- 出題パート4 テクニカル(男女別に、映像に写された「ある物」が何かを当てる)解答権は1人1回のみ。解答権のない相手チームへは用紙で印刷されたものに、またテレビを見ている視聴者にはテレビ画面であらかじめ答えを先に伝えた。
- 出題パート5 16分割(別名「恐怖の16分割」。オープニング正解チームはボーナス権利を3問中どこかで行使する(前述の人形に旗をつける)。正解すると得点が2倍。キャプテンのミニチュア人形に「Vサイン」の絵が描かれた旗を差し込んだ時点でボーナス権利が与えられた)お手つきは各チームで3回つくと解答権がなくなり(罰として全員起立、土居が「立つ!」と言う)、正解が出るか両チームが解答権がなくなるとその時点で問題終了。末期には視聴者からの投稿問題も出題され、採用された問題の投稿者には象印の商品が寄贈された。
- 初期はオープニングクイズはなかった。テクニカルは20点満点でパート3は2問あった。
- オープニングクイズ導入時にテクニカルの満点が10点に引き下げられ、パート3が1問のみになった。また、オープニングクイズでボーナス権利が与えられる特典がついたのは途中からで、最初は何の特典もなかった。
- 末期は2分割がなくなり、パート1が4分割(1対1。ラッキークイズなし)、パート2が8分割(テーマ問題)2問、パート3がテクニカル2問(動画・物当て各1問、全員参加)、パート4が16分割4問という形態だった(オープニングクイズ、パート2・3は解答権は1人1回だった)。
- 「~分割」とは、それぞれ2枚・4枚・8枚・16枚のヒント語句or画像の書かれたパネルを緑の番号パネルで覆い隠し、時間の経過に従って、ランダムに番号パネルを外してゆく、という形態の映像クイズである。
- 「テクニカル」とは、モザイク処理を施した映像を流し、時間の経過に従ってモザイクを細かくしていく=元の画像に近い状態に戻していくという形態の映像クイズである。今日のテレビでよく見かけるモザイク処理は、この番組のために当時のNECが発明したものである。テレビ番組では初めて。出題パート4はモザイクに限らずさまざまな画像処理が行われた(画面を非常に細かく分割してバラバラにするとか、画像を荒い点で表現してだんだん細かくしていくとか、超アップからカメラを引いていくとか)。
得点は基本的に正解した時点での残りのパネル枚数+1点を正解チームに加算していく、というルールであった(配点は全問合計で140点→100点→120点プラスボーナス点)。全問題終了時点で得点の多いチームの勝ち。60点以上を獲得した場合は象印賞としてその日のクイズに関連したグッズ(当初は象印製品一式)をプレゼントし、80点以上だと海外旅行(ハワイ、オーストラリア、スペイン、カナディアンロッキー)がプレゼントになった(後期は80点以上で象印賞となり、その場合海外旅行を視聴者プレゼントにした。末期には再び60点以上で象印賞獲得となった)。またゲストには必ず参加賞として象印の賞品がプレゼントされていて、たとえ一問も答えなくてもお土産が貰えることを高田純次にツッコまれることも多かった。 なかなか出ない海外旅行だったが、ようやく初めて第200回で男性軍がついにハワイ旅行を達成した。その時は、レギュラー陣と視聴者がペアになっての特集だった。小林亜星が16分割の最後の問題でボーナスクイズを賭け、見事正解して80点ジャストになり、ハワイ行きとなった。 そして、8年目でようやく女性軍がスペイン旅行を達成した。達成の瞬間、女性軍全員が大号泣した。
ラストの視聴者プレゼントクイズ(正解者から抽選で象印賞品贈呈。後期は海外旅行も)は「今日のオープニングクイズの顔は誰でしょう」と「今日の対戦は何対いくつでどちらが勝ったでしょう」が週代わりで出題されていた。
各解答席の後ろには緑と赤の豆電球が設けられており、正解すると緑が、不正解だと赤が1つずつ点灯していた。なお、チーム勝利の場合は緑・赤ともに全部点灯していた。
司会者席と各解答者席には象印の社章が描かれ、初期は象のイラストのものであったが、1986年から同社の新ロゴ(CI)である「ZO」のロゴを表記したものに変更された。
1985年9月25日には『水曜スペシャル「輝け!オールスター・秋の人気番組爆笑!クイズでヒント ゲームでピント!!」』というこの番組をベースとした番組対抗のスペシャル番組が放送された。
電子音を主体とした特徴あるBGMを担当したのは、毎日放送の「世界まるごとHOWマッチ!!」でも知られる作曲家・前田憲男である。
[編集] 主な解答者
[編集] 男性軍キャプテン
- 歴代の男性軍キャプテンの正答率は驚異的で、特に2代目の山藤、3代目の小林の2人は16分割の1枚目で当ててしまうことがたびたびあった(「クイズダービー」のはらたいら(故人)、「世界・ふしぎ発見!」の黒柳徹子のようなもの)。また、キャプテンにはタレントではない文化人が歴代務めていた。
[編集] 女性軍キャプテン
- 初代:小山内美江子(1979年)
- 2代:江利チエミ(1979年-1982年)
- 3代:佐良直美(1982年)
- 4代:中島梓(栗本薫)(1982年-1983年)
- 5代:楠田枝里子(1983年-1984年)
- 6代:中島梓(栗本薫)<再>(1984年-1986年)
- 7代:山内美郷(1986年-1994年)
- 女性軍キャプテンについては、1986年にエッセイストである山内が登場する以前は個人的なスキャンダルや本業との両立が困難となった等の理由から短期間で交替していた。初代の小山内は同年秋に開始されたTBS系「3年B組金八先生」の脚本執筆の関係で短期間で降板し、レギュラーだった江利がキャプテンになったが、1982年2月に急死、佐良が次のキャプテンとなる。しかし佐良も突如発生したスキャンダル報道の影響を受け短期間で降板し、これもレギュラーの一人であった若手SF作家の中島が4代目キャプテンとなる。中島はその後1年で出産・育児専念のために楠田が臨時代理的にキャプテンを務めた後、同番組に復帰し、1986年までキャプテン役を務め、執筆業専念を理由に山内にバトンタッチした。
[編集] その他のレギュラー出演者
- カッコ内は土居が解答者を指名するときの愛称、および在任期間である。
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- ○印は2枠、△印は3枠、□印は4枠に在任していたことを示す。何もついていないのは不明。
- 土居と解答者とのフレンドリーなやりとりもこの番組の魅力のひとつであった。
- 土居は各解答者が誤答をした場合、名詞の場合「○○じゃないー」、動詞の場合「○○しないー」という表現が度々見られた。
- 意外な話であるが、同番組の重要なキーパーソンともいえる小林千登勢は、実は第1回放送時にはまだレギュラー出演しておらず、長年小林の指定席となっていた2枠には江利が当初座っていた。しかし、小山内の降板により江利が急遽キャプテンに昇格したことに伴い、1979年秋より同番組にレギュラー出演することとなった。
- 薬丸は宮尾の交代でレギュラーとなったが、交代当時宮尾は2枠、高田は3枠、山下は4枠に座っており、この交代で高田と山下がスライドして2枠、3枠へ移り、薬丸が4枠席のレギュラーとなった。
- 山下レギュラー時代以前から山下の実父で脚本家のジェームス三木も出演していたが、番組晩年は三木と山下が隔週出演していた時期があった。
[編集] セットの変遷
- 初代(1979年3月~1980年3月):チームごとにひとつの長い席になっており、5人分が座れる形である。このころは大画面であった。
- 2代目(1980年10月~1985年3月):解答席が5つに分割(1人あたり1席)のタイプに変更。ボタンを押した際にひし形の札が出てくるほか、解答席後部もひし形になっていた。この代から赤と緑の豆電球が登場し、番組のスタイルを確立した形となった。また司会席後ろの画面も小さくなり、得点盤にスペードマーク(男性軍)とハートマーク(女性軍)がついていた。
- 3代目(1985年4月~1994年9月):仕様は似ているが、大幅にモデルチェンジされ、ボタンを押した際にはネームプレートが点灯する形となった。また解答席後部は三角形になっていた。ネームはゴシック体で表記される(それまでは丸文字体)。
[編集] 番組エピソード
- 司会の土居がおたふく風邪または裏番組に出演の時、番組を休んだ時に男性軍のレギュラー解答者だった宮尾すすむが代役を務めた。黒沢久雄も代役を務めたことがある。
- 浅井慎平はたまに欠席したことがあり、その際には山藤章二が代役キャプテンを務めていた。
- 番組開始当初は電化製品も高価な上に最新の物が参加賞として貰えたので、出場したゲストには大変喜ばれていた。だが、番組後期には最新の電化製品も比較的安価で手に入るようになったために、貰っても置き場に困るというゲストが増えた。
- この番組はゲストを無視してレギュラーだけで楽しんでいるという雰囲気があった。(ゲスト出演者のラサール石井談)。実際ゲストは解答ボタンを押しただけで大騒ぎされ、正解しよう物なら驚愕されるような雰囲気。また1問も解答せず、おみやげだけ貰って帰る事も多々あった。
- 一度だけ、視聴者が解答者として出演したことがあった(レギュラー解答者の横に座り、8対8で行われる)。
- SMAPの木村拓哉がゲストとして出場したことがある。なおその時16分割の問題で正解している。
- 700回放送記念として、レギュラーチーム対OBチームのカップル大会として対抗戦が行われた。この時のオープニングクイズの顔当ては司会者の土居を当てるものであった。
- 土居は長年の経験からか、誰が正解するか予想できるようになっており、解答者がボタンを押すと答えないうちから「純次、違うよ」とか、「そうです、その通りです!浅井さん!」などと言っていた。
- 山内美郷は正解率は高いものの、解答回数が非常に少なく、最終問題で初解答(正解)や、結局一度も解答せずに終わったことも度々あった。
- 高田純次は4分割問題などで、相手が誤答した時に正解がわかった時は、ボタンを連打するのがクセであった。ただしそうやって解答権を得ても、誤答することも多く、背後のランプは誤答を示す「赤」が幾つも並ぶことが多かった。
- パート4のテクニカル問題で、女性軍への出題がなされる前、男性軍のメンバーは紙に印刷された正解を見ながらまったくデタラメの答えを言うのもお約束だった(特に高田)。
- パート2の4分割のラッキークイズはキャプテン同士の対戦の際に行われることが最も多かったが、ごく稀にゲスト同士の対戦でいきなりラッキークイズとなったこともあった。
- ゲストの参加賞商品は男性軍と女性軍でそれぞれ男性向け・女性向け商品が用意され、勝利した方がやや豪華な賞品であったが、ごく稀に引き分けとなったことがあり、その際には男女ともに同じ商品が寄贈された。
- 最終回は番組放送年数16年にちなんでオープニングクイズも含め全問16分割問題だった。最後に土居直筆のテロップで感謝の念を込めてのコメントを表示した。
- テクニカルクイズで、女性軍にだされた問題の答えの用紙が男性軍に回される訳だが、男性側に回されている女性軍の用紙の答えをマッハ文朱に読まれてしまい答えられたことがある。
[編集] 番組の終焉
日本テレビ系列は裏番組として「すばらしい世界旅行」を放送していた。それが終了した後、日本テレビ系列はいくつかバラエティ番組をぶつけたが、この番組になかなか勝てなかった。しかし、1994年春から日本テレビ系列で「投稿!特ホウ王国」を裏番組にぶつけた頃から、この番組の人気に陰りを見せ始め、視聴率が低下した。その後、小リニューアルを施したが視聴率は上昇せず、1994年9月25日に15年半の歴史に幕を閉じた。
[編集] 前後番組の変遷
テレビ朝日系 日曜19時台後半 | ||
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