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クイズダービー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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クイズダービー(英称:QUIZ Derby)は1976年1月3日から1992年12月19日までTBSで放映されたロート製薬の1社提供で、視聴者参加によるクイズ&ゲーム番組である。全862回。

地上波での放送は終了したが、CS放送TBSチャンネル」で再放送されている(毎週月曜22:30~23:00、火曜3:30~4:00、翌週月曜10:30~11:00)。


クイズダービー
ジャンル クイズ番組
放送時間 25分(CMを除いた正味時間)
菅谷健一
プロデューサー 居作昌果
副島恒次
山口安広
小畑光良
出演 司会
大橋巨泉(1976.1~1990.3)
徳光和夫(1990.4~1992.12)
解答者
篠沢秀夫
はらたいら
竹下景子
北野大
井森美幸
…ほか。こちらも参照
放送国 日本
放送局 TBS系列
放送期間 1976年1月3日1992年12月19日
放送回数 862回

目次

[編集] 概要

  • 地上波では毎週土曜日の19:30~20:00に放送していた(通常は30分の放送だったが、過去に数回1時間のスペシャルが放送されていた)。番組は「巨泉のクイズダービー!!」のかけ声の後、競馬のゲートが開く音と共にオープニングテーマが流れてスタートする(同時に番組セットのすべての電飾も点灯した。)。この枠では元々大橋巨泉司会で、同じくロート製薬の1社提供番組だった「お笑い頭の体操」(1968年1975年)が放送されていたがリニューアルされることになり、このとき巨泉の競馬好きから、かつてカナダで見たクイズ解答者を馬に見立て賭けを行い高得点を競う競馬形式のクイズ番組を模倣した番組が企画された(詳細はルールを参照)。もっとも、カナダの「本家」は、巨泉の話によれば非常に短命で、1年も続かなかったという。ただし、カナダの番組では解答者に予め答えを教える場合もあるやらせ行為があるのに対して、この「クイズダービー」ではやらせ無しの真剣勝負だったのが相違点である(但し、一部週刊誌で回答のヤラセ疑惑を報じていた。)。

[編集] 全盛期

  • 前後の「まんが日本昔ばなし」や「8時だョ!全員集合」、さらには「Gメン'75」などと合わせ、1970年代から1980年代の土曜夜はTBSが視聴率で他局を圧倒していた。当時TBSではこれらの番組の放送を優先させたため、土曜の夜にプロ野球ナイター中継番組をほとんど組まなかった(プロ野球中継のため番組が休止されたのはたった4回だった)。ただ、この高視聴率番組もスタート当初は4%台と低迷し、当時流行していた日本テレビの裏番組などに負けながら苦戦をしていた。収録は、現在のTBS社屋の近くにあったTBSホール(TBS本館=後の赤坂メディアビル、既に取り壊し済み。)で行われていた。

[編集] 大橋巨泉徳光和夫に司会交代、そして終焉

  • 1990年4月からは徳光和夫が2代目の司会者となり、オープニングの掛け声も「徳さんのクイズダービー!!」と変更された。しかし、徳光の司会ぶりは、やはり巨泉と比べるとあらゆる面で物足りなかった。その後、視聴率が低迷し始め、裏番組ではテレビ朝日の人気アニメ「おぼっちゃまくん」(関西地区(朝日放送)は「部長刑事」シリーズ)に負けることが多くなり、さらに1991年10月にフジテレビで放送開始となった、「たけし・逸見の平成教育委員会」に苦戦する一方となる。1992年7月からは週代わりレギュラー制を導入したが、これも裏目に出て視聴率をさらに下げてしまい、ついに同年の暮れでクイズダービーの打ち切りが決定となった。
  • 1992年12月19日の最終回(第862回)では、巨泉が1990年3月に「セミリタイヤ宣言」で降板して以来の司会に復帰し、2代目司会者の徳光和夫は5枠のゲスト解答者として登場した。他にレギュラー解答者は北野・井森・はら・竹下に、出場者は黒鉄ヒロシ・五月みどり・ガッツ石松(赤チーム)、うつみ宮土理小沢昭一・長山藍子(黄チーム)、山崎浩子・松崎しげる植草克秀(緑チーム)が登場。最終回に徳光が告げたオープニングの掛け声は「巨泉のクイズダービー!!」だった(その時徳光の顔には、巨泉の顔に似せたメガネをかけての登場となった)。

[編集] 番組終了後

  • 番組終了後も人気は根強く、これまでに2回復活特番が行われ、その後CS放送による再放送も行われている。2000年12月30日にはJNN系列「21世紀プロジェクト年越し38時間生放送『SAMBA・TV』」の番組内「20世紀の人気番組大集合!」で巨泉の司会でのリバイバル放送が組まれた。解答者は1枠篠沢・3枠はら・4枠竹下と昔からお馴染みのレギュラーメンバーに、2枠にはクイズダービーとしては初登場の久本雅美、5枠では本放送時や「クイズまるごと大集合」にゲストとしても出演していた石坂浩二を迎えた。他出場者は、当時の「ブロードキャスター」から福留功男(本放送時にゲスト解答者として登場)・三雲孝江(過去にも本放送で出場者として登場)の赤チーム、「渡る世間は鬼ばかり」から長山藍子(過去2枠レギュラー解答者)・えなりかずきの黄チーム、「さんまのSUPERからくりTV」から中村玉緒セイン・カミュの緑チームがそれぞれ特別出場した。また出題アシスタントは小池達子が務めている。なお、単独提供ではなかったものの、ロート製薬もスポンサーとして名を連ねた。また、放送はTBSホールではなく、TBS放送センターのスタジオから行われた。
  • 2004年5月14日にはロンドンブーツ1号2号ロバートのスペシャル番組・「もう時効だョ全員集合史上最強!花の芸能界オフレコトークバトル」で、4年前の「20世紀の人気番組大集合!」と同様に、復元スペシャルが放送された。司会巨泉・出題アシスタント小池・解答者篠沢・はら・竹下の4年前と同じメンバーに、2枠には井森美幸が久々に登場し、5枠にはロンドンブーツ1号2号の田村淳を加えての構成となった。なお、従来のクイズダービーでは全部で8出題だったが、この時は一般2問、三択2問、歌詞1問の、合計5問のみ出題という短縮バージョンでの放映となっている。なお、2000年の復活版から、倍率や得点表示がデジタル式に変更。スタジオセットも1980年代の放送(2代目)のものを採用して再現。また、収録はTBSホールではなく、TBS放送センターのスタジオで行われた。
  • そして2005年1月よりCS放送・TBSチャンネルでの再放送が始まったことで、地上波では放送されなかった地域でも楽しめるようになった。TBSチャンネルでの最初の放送は2005年1月3日で、この日は地上波での放送開始からちょうど30年目にあたる節目の日でもあった。放送開始時刻も本放送と同じ19:30から放送された(この日は4本分連続で放送)。なお、現在は毎週月曜日に放送されているが、放送曜日となっている月曜日は、本放送の公開録画が行われていた曜日でもある。また、ロート製薬の初代オープニングキャッチも併せて放送されている。但し、1988年10月~1989年1月放送分は当時、昭和天皇の病状に伴い、ロート製薬の初代オープニングキャッチの放送を自粛(このときはブルーバック画面に番組のテーマ曲を乗せての提供読みだった)していたためCS放送ではTBSチャンネル共通のオープニングの後、すぐに「巨泉のクイズダービー!!」の掛け声で始まる(放送素材でも該当する回にはオープニングキャッチは収録されていない。)。

[編集] ルールの変遷

番組の基本的なシステムやルールの考案者は、初代司会者だった大橋巨泉である。

  • 毎回3チーム(番組開始当初は個人、後に2人一組。特別番組では4チームの時もあり)の一般視聴者(時にはタレント・著名人・スポーツ選手)と、5人(初期は6人)の解答者が登場した。視聴者(出場者)チームはその問題に対して誰が正解するかを一人予想し、持ち点(3000点からスタート。「クイズまるごと大集合」ではこれまでのクイズで獲得した点数に3000点をプラスしてのスタート)の範囲内から100点単位で賭ける。解答者には問題に応じた倍率が設定されており(最後の問題のみ倍率が2倍)、視聴者が指名した解答者が正解した場合は賭け点と解答者の倍率をかけた得点が与えられ、不正解だと賭け点分のみマイナスとなった。ただし、解答者が全員不正解の場合にはその問題での賭け点はすべて返された。
  • 通常は8問出題され、1・3・5・8問目が一般問題、2・4・7問目が三択問題、6問目は音楽問題というのが基本だった(まれに最初の1問目で音楽問題が出題されたこともある)。出題後の解答者側の倍率を表す時には必ず決め台詞として「倍率ドン!!」と言っていたが、最終問題では「倍率ドン!さらに倍!!」(巨泉)、「倍率ドン!さらに倍してドン!!」(徳光)という決まり文句があった。なお、問題を解くカギとして、問題中にヒントが隠されており、そこから答えを連想することだった。知識より勘を問う問題が多かった。
  • 答えを開ける際は1問目は解答者紹介を兼ねて1枠から順に解答を開けていった。その際レギュラー解答者は先週の成績が発表され、過去に出場経験があるゲスト解答者は通算成績が発表された。3・5・6・8問目は司会者の裁量で、大抵は誰からも指名が無く且つ間違っているだろうと思われる答えから順に開けていった(1・2・5枠の何れから開けることが殆どであった。)。同一解答が複数いる場合一括して開けていた。また最後の1名まで正解が出なかった場合、司会者は「○○さんが出来なければ(賭け金は)お返しします」という決め台詞もあった。
  • なお三択問題では、答えが3つしか存在しないため、基本的に一斉に答えを開いていた。答えを開ける際で、答えの分布が○:△:□=2:2:1の場合「3つに分かれました。○は2人、△は2人、□は1人」、○:△:□=3:1:1の場合は「○という答えが圧倒的に人気で3人、△は1人、□は1人」、○:△:□=3:2:0の場合「□と書いた人はいない、○が3人、△は2人」、4:1の場合「ひとりをのぞいてみんなおんなじこたえ!」といった決め台詞が存在し、その後一斉に全員の解答を開くという形式だった。また「なんと全員同じ答えです!」と言ったり、いきなり「いっぺんに開けましょう」との号令で、5人全員正解と言ったこともある(逆に全員不正解の場合もあり)。一般問題でも「一人を除いて皆同じ答え」で一斉に答えを開けたことが時折あり、その後大抵は「○○さん以外は全部正解」となるパターンだったが、たまに「○○さん一人だけ正解」「全員不正解」となったケースもあった。なお一人だけ正解の場合は、予め司会者がとある解答者に対して「○○さん、(『一人を除いて』のひとりは)あなたでは有りません!」と安心させていたが、皮肉にもそう言われた解答者は不正解であった。
  • 視聴者が指名した解答者が正解した際はファンファーレが鳴り、持ち点が1チームでも10万点に達した場合、司会者が正解を大絶叫して、番組のエンディングで流れるテーマ曲の一部分がファンファーレとして鳴るとともに、出場者席上に吊るされたくす玉が割られて、紙テープ紙吹雪が降ってきた(但し、風船は入っていなかった。)。ちなみに、くす玉割りは毎日放送の『アップダウンクイズ』の末期と同様、スタッフの機械操作で行われていた。なお、どのチームも指名しなかった解答者が正解した場合はファンファーレが鳴らされず、拍手のみだった。また、解答中に流れていた曲は、フォスターの『草競馬』をアレンジした曲が使用されていた。
  • 「全員不正解」という事態は、番組当初においては想定されていなかったため、初めてこの状態が出現した際には、通常通り「不正解者に賭けた」こととして減点されたが、翌週より「そもそも誰が正解しているかを当てるゲームであり、全員不正解というのは根本的にゲームが成立していない状態である」という見解に統一され、「全員不正解の場合、賭け点はすべて返す」というルールが追加された。なお、「全員不正解」というケースは数ヶ月に1回のペースで出現していたが、時には同じ回で8問中2問が全員不正解(とある回ではその2問が両方とも三択問題)だったこともある。逆に、解答者が全員正解したケースも年に数回あった。
  • 8問出題後、最終的に獲得した点数がそのまま1点=1円で賞金となった。最終問題に関係なく持ち点が10万点に達した場合、または0点になって失格となった場合、そのチームはゲーム終了となる(もちろん、10万点に達したチームにはくす玉が割られて紙テープと紙吹雪が降り、アシスタントから男性は白、女性は赤のダービーハットがかぶせられた。)。
    • なお、10万円を超過した分は「TBSカンガルー募金」に寄贈された。これは製薬会社団体の取り決めと公正取引委員会の命令により、懸賞賞金が10万円までと定められていたため。
    • 大抵の回は10万点に達するチームが出たが、全チーム0点または逆に全チーム10万点となったケースも年に数回あった。中には計算違いをしたり、点数不足だったにもかかわらず、確実に賞金を持ち帰るため、正解率の高い解答者(主にはらたいら竹下景子)に賭けて惜しくも10万点に届かなかったチームもあれば、解答者が不正解でも確実に賞金を持ち帰るため、最終問題で全額を賭けずに少し点数を残したチームもあった。そのほか、獲得賞金が数百円だったチームもあった。また過去の放送の中には、7問目までに10万点に達したチームもいれば、(番組初期の頃)7問目までに0点となり失格となってしまったチームもいた。
  • 初期の番組では、各チームが手元のボタン操作で解答者と賭ける点数を入力しており、司会者が話を振らない限り、各チームが言葉を発することはなかったが、後に賭ける点数の入力をスタッフに一任してからは、各チームが「いつも○○な」などとほめながら、「○○さんに○○点」や「○○さんに全部」と発するようになった。
  • 初代司会者である巨泉による、各解答者の答を表示する時の「せーの、ドン!」を筆頭に、出場者が発した「はらたいらさんに3000点」や「いつ見ても素敵な竹下さんに1000点」、「篠沢教授に全部」などの決まり文句が有る。他にも司会者が発する「賭け方が下手!」(正解者が多かった問題で全チームの予想が外れた場合など)、「ここにくれば○倍だった」、「最後の問題です、よーく聞いてくださいね」、「(エンディングで)○○さんに賭ければ10万点だったのに」などの言葉は伝説となっている。
  • 番組の初期は、解答者の倍率を司会の巨泉と、レギュラーオッズマンの藤村俊二と、ゲストオッズマンの3人で決めていた。これは、解答者の正解不正解を、競馬の予想マーク(◎○△×)で予想するもので、3人全員がマークを付けない状態では「10倍」であり、マークの種類と個数に応じて倍率が下がっていった。ただし、どのマークでどれだけ下がるかの規則性は、番組内では明らかにされなかった。なお、競馬の予想マークは倍率の下に表示していた。その後、解答者が6人から5人に整理された際に、巨泉が単独で倍率を決める方法に改められたが、「最高倍率は10倍(最終問題は20倍)」というルールはそのまま継続された(このリニューアルについて巨泉は「複雑すぎて視聴者に受け入れられず、視聴率が取れなかった。それなら思いっきり単純にしようと思って、オッズマン制をやめた」と後に語っている。)。
  • オッズは、概ね1枠・2枠・5枠には5~10倍、3枠4枠には2・3・4倍(いずれも最終問題は更に2倍)が表示されていたが、ごくまれに「1倍」がついたこともある。「1倍」の設定は正解率の高いはらたいらが多かったが、その他の解答者でも専門・得意分野にちなんだ問題では「1倍」が設定されたことがあった。
  • また、番組初期~中期にかけて「この問題はわからないだろう」という意味でごくまれに、はらに5倍、竹下にも5~10倍という高倍率が設定されたことがある(ごく稀に最終問題で10倍が出たことがある)。
  • なお、この番組での的中時の配当は日本における競馬のパリミュチュエル方式ではなく、いわゆる「n to 1」というブックメーカー方式で行われており、賭け金を賭けた時点では持ち点が減らないルールになっていた。
    • 例えば3,000点を持っているチームが、3倍の解答者に500点を賭けて正解した場合の持ち点は「3,000+500×3=4,500」点となった。「1倍」という倍率が存在したのはこのためである。
  • 出題は一般常識や時事関連、ギャグ満載の問題が中心であったが、中には出場者のタレントに関するエピソード問題や普通の辞書にも出ないユニークな漢字の出題もあった。ちなみに、出題する際、出場者でも答えを知っている問題については、解答に入る前に司会者から出場者に対して「○○さん(みなさん)は黙っていて下さいね!」と注意していた。

[編集] セットの変遷

  • 客席から見てスタジオの中央部に解答者席(上に番組タイトルの電飾看板がかけられていた)、右側に司会者席(左にアシスタント、右に司会者)がある。司会者席の上には解答者全員の成績が『本日のレース結果』として表示された。なお、表示は10問目まで対応しており、正解のときは●印が点灯した。また、9問目以降は特番を除き使用しなかった。
    • 番組の初期では左からゲストオッズマン、レギュラーオッズマンの藤村俊二、司会者の大橋巨泉が座っていて3つに席が分かれていた。また、解答成績は司会者席と6枠解答者席の間にボード形式で立てていた。
  • 左側に出場者席があり、その上にはロート製薬の主力商品(パンシロンロートZi:など)の看板が掲げられていた。ただ、この商品看板はTBSチャンネルでの再放送でもそのまま放送しており、番組冒頭にはその旨の断り書きがある。なお、解答者席の両側にはコンパニオンの出入口が配されていたが、これが使われたのは10万点獲得時と図表や物品を解答者に見せる時(問題の頭に「ちょっとこちらをご覧ください」の一文が入った)である(コンパニオンはエンドクレジットに名前が出るが、どちらのケースもない場合は姿を見せない)。また、番組のセットは6代目まで続いた。
  • 解答者席は出演者の後方に解答モニターが設けてあり、正解の場合はそれが赤バック、不正解の時は青バックとなった。
    • 番組開始当初は解答モニターは棚に飾る状態でのせていたが、のちに番組セットの壁でモニター画面の部分以外はすべてふさいだ。解答モニターはほかに司会者席にも横に1列並んで設置されており、解答者席のものと同様に画面が青・赤バック表示のものと、視聴者に回答の模様を公開するために「ただいま解答中!」としてモノクロ画面のモニターが上3列・下2列に並んで設置されていた。
  • また解答者席の正面には倍率(オッズ)が電光表示され、正解すると電飾が点滅した。出場者席のテーブルにはパネル形式で上にその問題の掛け金、下に現在の獲得金額がそれぞれ表示される。得点表示はソラリー式(反転フラップ式、縦横方向は違うものの同じロート製薬提供で、毎日放送の「アップダウンクイズ」の賞金表示板と同じ仕組み)で、賭けた回答者が不正解のときは動作音が響いていた。(復刻版では得点表示も電光表示に変わった)
  • 出場者は番組開始当初、手元にある出演者のネームプレートを差し込んで賭け点入力もしていたが、入力がスタッフに一任されてからは、その出演者に対する褒め言葉を言いつつ賭け点を賭けた。賭けられた解答者の席には賭けたチームが書かれたポールが自動的に立った。
    • 「クイズまるごと大集合」や「お正月特番」などの特別番組では、賭けたチームが書かれたポールが自動的に立つのは3チーム分(赤・黄色・緑)しか対応していないため、特番のために増設したもう1チーム分(青枠)は出場チームが書かれたネームプレートを賭けられた解答者自らが答えを記入する前にポールを差し込んでいた。獲得すると出場者席の後方とテーブルの電飾が点滅した。得点が10万点以上になった場合は、司会者の迫力ある正解の大絶叫(「アップダウンクイズ」の10問正解・ハワイ旅行達成時のようなものだった)とともにファンファーレが鳴らされて、出場者席上(天井)に吊るされたくす玉が割られて、紙テープと紙吹雪が降ってきた。このくす玉割りは、『アップダウンクイズ』の末期と同様、スタッフの機械操作で行われていた。このため、実際は10万点に達していないにもかかわらず誤って割ってしまったこともあり、司会者が詫びたこともあった。
  • 番組開始から1987年9月まで使われていた後方の電飾は欧米の多くの競馬場(近年は日本でも)に採用されている競走馬の蹄をイメージしたゴール盤を模したものである。出場者席の配色は左から赤・黄色・緑(「クイズまるごと大集合」や「お正月特番」の場合はもう1つ青枠が登場)であった(番組開始当初は色分けされておらず、くす玉もなかった)。

[編集] レギュラー解答者(職業)<レギュラーを務めた期間>

[編集] 「1枠」作家・大学教授枠

一発逆転枠。2枠よりは正解率は高め。主に文化人が入る枠であるが、意外と知らないことがあるということを見せてくれた。

[編集] 「2枠」女優・タレント枠

大穴枠。長山まではベテラン女優・タレント枠であったが、4枠の竹下景子が長く出演したので、宮崎の時代から若手女性タレント枠に転向。宮崎曰く「オトボケの2枠」通り、連敗記録が多く出た枠でもあった。

  • 五月みどり(女優・歌手・タレント)<1976年1月-1977年1月>
  • 沢たまき(女優・政治家・故人)<1977年1月-1977年9月>
  • うつみ宮土理(女優・タレント)<1977年10月-1978年8月>
  • 高峰三枝子(女優・歌手・故人)<1978年9月。うつみ宮土理が病気のため降板した繋ぎとして短期レギュラー>
  • 南田洋子(女優)<1978年10月-1979年9月>
  • 長山藍子(女優)<1979年10月-1981年9月>
  • 宮崎美子(女優・タレント)<1981年10月-1983年9月>
  • 斉藤慶子(女優・タレント)<1983年10月-1985年3月>
  • 山崎浩子(タレント・元新体操五輪代表選手)<1985年4月-1988年2月>
  • 井森美幸(タレント)<1988年2月-1992年6月。レギュラー前にもゲスト解答者として過去3回登場>

[編集] 「3枠」漫画家枠

本命枠。はらを中心にパーフェクトな正解を見せてくれた。

(福地ははらのスケジュールが合わず代役として。秋山・加賀は番組終了まで約半年間の週代わりレギュラー。この間も、はらは最終回も含め不定期で出ていたが、竹下よりも早く番組出演を終えている)

[編集] 「4枠」女子大生枠

対抗枠。ほぼ「竹下景子のための枠」と言っても良いほどである。

(市毛・宮崎・原は竹下の産休代役として、それぞれ2週間ずつ務めている)

[編集] 「5枠」

(ガッツ石松が降板後の5枠は、番組終了までゲスト解答者の席となる)

[編集] レギュラー解答者のエピソード

各解答者の個性も番組の魅力であった。ここでは篠沢、はら、竹下の3名を中心に取り上げており、2枠の女性レギュラー陣に関しては上記「2枠」女優・タレント枠のそれぞれの個人名を参照の事。

[編集] 篠沢秀夫のエピソード

  • 篠沢秀夫は、毎回番組のオープニングで司会の大橋巨泉から前週の成績が発表される際に、成績が悪い(2勝以下)時は「上品で良いですね~」とニッコリ微笑み、成績が良い(3・4勝以上)ほど「下品でダメですな~」等と嘆いていた。不正解の解答には、教授ならではの珍解答や迷解答が多く、特に笑い話やジョーク等の出題で意味不明の事を書いたりもしたため、巨泉に呆れられたり、竹下景子や左隣に座る2枠の女性レギュラー等によく失笑されていた(「某大学の研究で雷にある物を打ち込むと電気がそれに誘導されて地面に誘導されるので落雷せずに済む。あるものとは何か」との問いに『ミサイル』と回答し、大橋巨泉が笑いながら『こんな物打ち込んだら第3次世界大戦になる』と言ったのは余りにも有名。)。それでも篠沢本人曰く「クイズになんか当たらない方が美学である」「連敗記録も連勝記録同様に難しいんですよ」と、不正解が続けば続く程に堂々と胸を張っていた。
  • しかし、篠沢教授の正答率は3割2分8厘(平均2勝6敗~3勝5敗ペース)と、意外に歴代の2枠女性レギュラー陣(五月みどりうつみ宮土理宮崎美子以外)よりも「下品」な成績を残している。又6問目の音楽の歌詞(作詞)を当てる問題では、時々正解することもあったので、巨泉からは「作詞の明主(めいしゅ)」と呼ばれたりもしていた。滅多に無いが難問で篠沢ひとりだけ正解したり、篠沢が解答者5名の内最上位という出来事も発生している。また、篠沢の最高成績は6勝2敗で、番組初期の9問出題の頃には7勝2敗という成績も有り、最高で9連勝という記録も達成した。
  • 特に、篠沢教授自身が正解を知っている問題が出題された時は、正解した後に「実に不愉快ですなあ~」と苦笑いを浮かべることが時々あった。さらに篠沢は三択問題等で正解すると、別に巨泉から聞かれてもいないのに、篠沢自ら自慢げに解答の理由を説明する事もよく有った。その度に巨泉は「問題が出来ると色々と言うんですよ、教授という人は!」と呆れながら語っている。その後、1枠レギュラー後任となる北野大も同様の傾向があったので、巨泉は北野に対しても「教授とか先生と言われる職業の人は、どうしてこんなに自慢したがるんですかねぇ?」と首を捻っていた。
  • 篠沢教授の1枠レギュラー期間は約10年10か月で、4枠レギュラーの竹下景子、3枠レギュラーのはらたいらに次ぐ、クイズダービーにおいて歴代3位となる長期間のレギュラー出演だった。1988年7月30日の放送回をもって、クイズダービーの1枠の席に座るのが最後となったものの、降板後もしばしば5枠ゲスト解答者として登場している。1992年12月のクイズダービー最終回にも、当初は篠沢も出演する予定だったが、病気で入院していた為に断念、代わりに北野大が登場した。
  • クイズダービー終了後の篠沢は、2000年末の「SAMBA-TV」復刻版と、2004年5月の復元スペシャルの両方とも、長年の指定席だった1枠に座っての出演となった。その時は2000年の2枠・久本雅美、2004年の2枠・井森美幸よりも殆どの倍率設定が高くなっていた。篠沢の成績はそれぞれ1勝7敗と1勝4敗で、またとある問題で「ひとりを除いてみんな同じ答え」となった際、篠沢ひとりだけ不正解という現象も共に1題ずつ発生となる。しかもその2回とも篠沢が5人の解答者中最下位の成績だった。それでも、レギュラー出演時以上に「上品」な成績結果に、終始篠沢らしいにこやかな笑顔を浮かべていた。
  • 答えを書く際に答えの理由を書くことも多く、例えば数字の語呂合わせの問題が出題された際、意味を併記したのは篠沢のみであった(それ以外の回答者は数字のみを書いたが巨泉が語呂を読んでいた。ちなみにこの問題は全員異なる答えではらのみが正解であった。)。

[編集] はらたいらのエピソード

  • はらたいらは正解率が非常に高くて倍率も低い傾向があり、連続正解率から「宇宙人」と呼ばれていたが、「事前に答えを聞いている」「問題ははらたいらが作った」とまで言われていた。しかし正解率が高かった理由に、時事漫画で知られるはらは、毎朝複数の新聞や週刊誌等を読み、そこからクイズに出てきそうな問題を予想していたからという(篠沢秀夫によると、「はらさんは「当てる係」という自覚があった。聞いてみたら新聞を14種類、週刊誌は「週刊朝日」から「アサヒ芸能」まで目を通していたそうですよ」。『産經新聞2006年11月21日号「キョージュの上品な人生 1」)。はら自身も「シャレがきつくないとダメ」と言ったように、クイズダービーの問題作成者の作成傾向を実に的確に読んでいたため、正答率が高かったと後に語っている。
  • しかし「クイズダービー」終了後の、バラエティー番組等の出演時には度々「回答を知っているんですか?」「問題ははらさんが作成しているのですか?」と聞かれる事が多くなり、はらはいちいち説明するのが面倒なので「そうですよ」と答えていたという。
  • また、「はらたいらに3000点」は「倍率ドン!」「三択の女王」と同様に、番組終了後もこの番組を語る上での重要なキーワードの一つとなっている(嘉門達夫は「替え歌メドレー」でデューク・エイセス「女ひとり」の替え歌ネタに使っていた)。特に難しい問題や出場者チームの点数が少なくなると、集中して指名されることから「困った時のはら頼み」ということもあった。はらの正答率は7割4分8厘(平均6勝2敗ペース)、年に数回は8戦全勝を達成している。ごく稀であるがはらの不調時には過去に3・4勝以下になった事も有り、ちなみに最低成績は2勝6敗という記録も残っている。特にはらは三者択一問題が何故か苦手で、連勝記録がストップしたのは殆ど三択だった(はらの三択正解率は約57%)。年に何度かはその三択で3問全滅となったり、はら一人を除いて全員正解という現象も発生しているが、それでもはら一人だけ三択で正解するケースもある。巨泉は「クイズダービーの問題の作成者は、いかにしてはらに三択で間違えさせるかに命をかけている」とまで言っていた。
  • 他には何故か「カラオケの帝王」という異名も定着していたが、実際のはらはカラオケで歌を披露する事は殆ど無く、又作詩の問題も三択同様あまり得意では無かった。そしてはらは、普段からあまり表情を顔に出さない為、出場者等から「いつもクールな」、「無表情のはら」と言われる事が有った。さらには、かつて右隣に座っていた2枠レギュラーの山崎浩子が毎週必ず髪型を変えるのに比べ、はらは殆ど髪型を変えていなかったため、ある日出場者からは「いつも同じヘアースタイルのはらたいらさんに1000点」と指名されたこともあった。
  • 最終問題において賭ける側の持ち点がはらに賭けても到底10万点に到達しない場合や、途中の問題において誰もはらに賭けない場合があった。その時の正解がはらでもわからない難しい問題であったりした場合、「どうせ賭けられていないから」と回答を諦めてしまう場合があり「わかりません」「らくだぁ」「今年も色々有り難う御座いました」「お手上げ(両手を挙手したイラストを描いた)」等のいい加減な回答をすることがあった。巨泉には「なんですかその答えは?」「彼は賭けられていないと真面目に回答しないんですよ」と突っ込まれていた。逆に賭けられていてもはらが推理出来ない問題では、たまにふざけた不正解を書いて出場者の得点を減点させた事も有り、その度に巨泉は呆れた表情をしていた。
  • また、はらは漢字を間違えて書いてしまうことが時々あった。例えば「座頭市」の解答を「座頭一」と書き、「これじゃ『ざとうかず』だよ」と巨泉から冷やかされたり、とある最終問題の解答の際にも、「税務署」を「税務所」と間違え、同じく巨泉に「それは刑務所の『所』です!」と指摘されたこともあった(その時の最終問題は篠沢教授を除いて全員正解で、正しい「税務署」と書いたのは竹下景子と当時2枠の山崎浩子。はらと5枠ゲストの渡辺正行は間違った「税務所」と書いていた)。漢字に自信がないと思われる答えは片仮名で書いたケースもあり、例えば「電子レンジ」という回答をはらは「デンシレンジ」と片仮名で書き竹下は「電子レンジ」と書いた(この問題の正解であり結局両者とも正解と見なした)。
  • 一方で、「杉並区にある寺(釜寺)は、屋根に『ある物』が載っている事から、寺の通称名がついたそうです。何でしょう?」との問いに平仮名で「おかま」と解答。巨泉に「それじゃあおすぎピーコですよ!」と、笑われていた。(正解扱いとされた)
  • はらは2000年末に放送された「SAMBA-TV」の復刻版において、前半戦は2勝3敗の出来(1問目はなんとはらを除いて全員正解)で巨泉曰く「絶不調」。出演者は本放送当時のイメージからか「困ったときのはら頼み」を続けていたが、巨泉は「はらたいらはもう70過ぎてるんですよ!」とギャグを飛ばした(当時はらの実年齢は57歳)。だが、流石ははらであり、最終問題では4人が立て続けに不正解の中はらひとりだけが正解、後半戦3連勝で結果5勝3敗の成績となった。しかしその約3年半後、2004年5月放送の復元スペシャルでは、はらは苦手の三択問題で2問共に不正解(他3問は正解なので合計3勝2敗)。出場者側の緑チームに座っていた安めぐみに「はらさんホント三択ダメですね」と言われる始末で、はらは不機嫌そうに「そんな事無いよ!」と激怒したが、スタジオ内は思わず失笑してしまった。
  • ちなみに、番組末期の頃、はらが偶然にも次の問題の答えを書いてしまったことがあり、加賀まりこ秋山豊寛に交代したことが過去にある(解答者が予め答えを知っているわけではないので、次の問題の答えと気づいたスタッフが慌てて降板させた可能性はあるが、はらが番組終了前に殆ど出演しなくなったのはこの影響か?)。※

※以前に番組開始当初放送作家を担当していた故・景山民夫が述べたという都市伝説で、1回2本撮りで偶然にも次週の同じ問目の答えを書いてしまい、それに慌てたスタッフが協議の上、客を全て入れ替えて撮り直しさせた説、そもそもこんな事実は無いとする説など、複数の説が存在する。

[編集] 竹下景子のエピソード

  • 竹下景子は当初女子大生としてのレギュラー出演だったが、その後産休や番組末期等を除いて、約16年もの間、4枠の席を誰にも譲る事なく、クイズダービーにおいて史上1位の出演記録を達成した。特に三者択一問題は、右隣の3枠はらたいらよりも竹下の方が強かったため、いつの間にか「三択の女王」と呼ばれるようになった。そして三択問題で竹下1人だけ正解のときは、司会者が「さすが三択の女王でございますね~!」と叫んでいる(竹下の三択正解率は約82%)。
  • しかし、竹下の三択問題の解答はほとんど山勘だった事が、2004年5月にTBSテレビで放送された『もう時効だョ全員集合 史上最強! 花の芸能界オフレコトークバトル』で本人の口から明らかになった。滅多にないが得意なはずの三択で竹下一人だけ不正解となったり(ゲスト解答者の名前または本名がひらがな6文字の男性解答者の時に多い。例:石黒賢、ビートたけし、戸張捷など)、三択3問全て敗退という珍事も発生している。ある日司会の大橋巨泉からは「困りますねえ、せっかく『三択の女王』という良い名前つけたのに。今度から名前を変えて『センタク(洗濯)の女王』にしますよ!」と言われた事もあり、竹下は「イヤだ! イヤ・・・」と笑いながらも嫌がっていた。ほか、同じく三択でオナラに関する出題時には竹下一人だけが正解したが、巨泉は「『三択の女王』から『オナラの女王』と呼ばせて頂きましょうか?」と言うと、竹下は「いいえ、結構で御座います」と丁寧に断っている。
  • なお、竹下の正答率は6割3分2厘(平均5勝3敗ペース)だったが、最高成績は8戦全勝、最低成績は1勝7敗と、週により好不調の波があった。好調時は大抵6・7勝以上しており、年に何度かはらたいらの成績を上回って、竹下が最上位となったりするが、不調時には3・4勝以下のペースが長く続きがちであった。特に1勝7敗の成績だった回は、第2問目の三択しか正解出来ず、その後は彼女のワーストタイとなる6連敗を記録。解答者5名の内竹下が珍しく最下位だった(はらは6勝2敗、当時レギュラーの篠沢秀夫と山崎浩子は共に4勝4敗、ゲストの戸張捷は2勝6敗)。翌週の冒頭で巨泉曰く「惨憺たる成績」だった事を指摘された後、竹下は「(山崎の座る2枠と)席を交替しましょうか?」と苦笑するばかりであった。他にもゲストの成績が良い場合、成績が振るわないことがしばしばあり例えば土井たか子2回目出場時、2問目~5問目まで4連敗ということもあった。
  • 竹下の正解率は一般問題も割と高めではあったが、はらたいらに比べると遠く及ばないため、竹下は直接はらに「どうしてこんなに沢山正解出来るのですか?」と聞き、はらの驚異的な正解率の秘訣を教えてもらっていたという。それでもレギュラーになって間もない頃は全然成績が良くならず、竹下はとても悔しかったため、シンキングタイムではらがマジックで答えを書く音を聞いた後に、どういう答えを書いているのかをカンニングする事もあったと、「クイズダービー」終了後のバラエティー番組などで告白している。ある日の問題で、はらが「上野」と書いたと分かった竹下は、すぐさま「上野動物園」と書いたが、はらが書いた答えは「上野駅」だった。このカンニングをした話をはじめて聞いた巨泉は驚いたという(この時の詳しいエピソードについては、別記を参照)。
  • さらに竹下は、普段から無表情のはらたいらとは対照的に、よく喜怒哀楽を表情に出していた。例えば、出場者に指名されたものの不正解となり点数が減点される時には、ほぼ毎回出場者に対して申し訳なさそうに「ごめんなさい」と謝っていた。さらに、とある最終問題で、出場全3チームに指名されたが正解できず全員0点(他の解答者が正解したため)となった時、竹下は責任を感じて思わず泣いてしまった事があった(収録終了後、篠沢教授やはらたいら達が自分自身を責め続ける竹下を慰めていたという)。その事もあってか、最終問題で出場者の3チーム全員が竹下に指名した場合、巨泉はその度に「かわいそうに、景子ちゃん...」と心配している。逆に、最終問題に賭けられて正解した時には、竹下は「アー、ヨカッター!」とよく安堵の表情を見せたりもしていた。
  • 他には竹下が30歳を過ぎた頃、巨泉から年齢の話になったり、直接「オバサン」呼ばわりされた際、竹下は巨泉に対して不機嫌な表情でにらんだり、「私はまだ中年じゃありません!」と怒鳴るなどの事件が起こったが、その度に他の解答者達は苦笑いしていた。さらには竹下以外の解答者が、珍解答や迷解答を書いて巨泉に突っ込まれた時には、竹下は思わず爆笑して、顔や口を抑えたり等する事があった。逆に、竹下自身が珍解答や意味不明の解答を書き、不正解となって巨泉に指摘された時、竹下は恥ずかしそうに苦笑しながらうつむいていた。
  • 竹下は本職の女優業以外にも、歌手業で活動していた事もあった。その事を覚えていた巨泉は、ある日のトークで「『結婚してもいいですか』という、レコードを出した女優がいましたが」と言うと、すぐさま竹下は「ウ、ウン・・・(と咳払いしながら)今やもう死語ですね」と苦笑。その後巨泉は「そのうち『三人目産んでもいいですか』というレコードを出すという話も・・・」と冗談を言うと、竹下は「そんな・・・イヤだぁ~」と呆れていた。ほか、巨泉が久々に司会復帰した最終回のとある問題で、竹下が『新曲』という不正解答を書いた時、巨泉は「あなた、まだ新曲出していたんですか?」と問い質している。竹下は「私じゃ有りませんよ!」と否定すると、巨泉は「安心しました」と苦笑いしていた。
  • 末期(1992年7月以降)では、レギュラーも含めて1枠から5枠の解答者が毎回変わっていたが、その頃には長年4枠の席に座っていた竹下が、はらたいらの指定席だった3枠の席に座った経験も何度かあった(その時はらたいらは番組に出演していなかった)。
  • 2000年末『SAMBA-TV』復刻版での竹下の成績は、8問の内得意の三択問題は3戦全勝だったが、他の一般問題は最初の第1問目だけしか正解とならず、合計4勝4敗とやや不調だった。特に6問目の歌詞問題では(この回は1976年大ヒット曲の「およげ!たいやきくん」より)全3チームに賭けられたものの不正解、全てのチームを減点させてしまい、竹下は「あぁ、ごめんなさーい!」と謝罪していた。しかし2004年5月の復元特番では、竹下一人だけが全問(5問)正解を見事に達成している。エンディングで会場全員は竹下に対して、大きな拍手が送られた。

[編集] その他の解答者のエピソード

  • 初代3枠レギュラー解答者だった黒鉄ヒロシは、解答をあきらめるときがあり「裏切り狸」と呼ばれた。その後黒鉄は本業の漫画家に専念したいという理由により、約1年でレギュラーを降板。その後はらたいらへバトンタッチとなる。正答率は6割6分2厘であった。
  • 篠沢教授の降板後、1枠を引き継いだ北野大は、1988年2月6日の放送で5枠ゲスト解答者として初登場したときに、なんと6勝2敗で勝率7割5分という好成績をあげた。その約半年後に1枠レギュラーを務め始めたが、その頃は篠沢同様勝率は低く、特に奇怪な解答をした時には、巨泉から名前を逆読みした「大野北〔おおの・ぺー〕さん」と呼ばれる事があった。これは巨泉だけでなくたまに出場者からも言われている。また、時には「きたのだいさん」と呼ばれることもあった。
  • しかし、その後時が経つにつれ北野の正解率は高くなり、平均4勝4敗~5勝3敗ペースにまで上がった。特に三択の正解率が高く、司会が徳光に交代後は徳光に「三択の帝王」と言われたこともある。それでも番組側によると、このままでは北野は1枠の役目を果たせないという意向が有り、その後間もなく植草克秀へ交代となった、という話がある(また、弟のビートたけし司会の『平成教育委員会』が近々裏番組で始まるから、という説もあり)。北野の1枠レギュラーでの通算勝率は2割7分3厘(平均2勝6敗ペース)、篠沢よりも上品な成績となっている。ちなみに植草の正答率は、2割8分2厘だった。
  • ある時、北野大の弟のビートたけしがゲストで出場した際に、「欧米人にアジアで一番有名な人物は?」の問題で、兄はまじめに考えすぎて蒋介石と書いて不正解。たけしは、最初ギャグで書いたたこ八郎マイケル・ホイを消して、ブルース・リーと書き直して正解、という事があった。また、北野がレギュラーの際に放送された『クイズまるごと大集合』でたけしが司会者だった時には、兄が不正解だと弟は「あんちゃん、大学教授なんか辞めろ!」とひやかしていた。
  • 斉藤慶子の2枠レギュラー起用について、巨泉は当初猛反対した。理由は竹下景子と同じ「けいこ」のため竹下を「けいこちゃん(さん)」と呼んでいる自分がやりにくくなるからというもの。起用を諦めきれないプロデューサーがついに斉藤に対し芸名を変えてもらうよう要請したが断られ、結局は巨泉が折れて「斉藤慶子」でレギュラー出演した。
  • 井森美幸の2枠レギュラー起用の時は、井森の他に女優の杉浦幸がレギュラー候補に挙がっていた(井森と杉浦の二人はかつて同じホリプロ所属だったが、杉浦はその後ホリプロから独立)。杉浦はゲスト解答者として登場した際に、当時若い女性の間で流行していた丸文字で答えを書き、巨泉の興味を引いていた。井森は連敗記録第1位を記録し特に「一人を除いてみんな同じ答え」の場合井森だけ不正解というケースが度々あった。
  • なお、5枠は当初ガッツ石松が座っていたが、その後ガッツ石松が降板後は整理されて1枠減り、初期は6枠だったゲスト枠が5枠に改められた。

[編集] 歴代ゲスト解答者(復刻版を除く)

あ行 市川海老蔵(10代目、現在の團十郎)、石川さゆり、青木雨彦、石原良純江守徹、◎楳図かずお、◎赤塚不二夫市川森一大島渚、◎小沢昭一市毛良枝、◎大谷直子梓みちよ浅田美代子五木ひろし、青木茂、東八郎いかりや長介浅井慎平、◎浅野ゆう子秋野暢子、◎稲川淳二生島ヒロシ、◎小川知子、◎相原勇、◎植木等(第1回ゲスト)、◎大和田獏岡江久美子井岡弘樹小倉智昭、◎泉ピン子青島幸男緒形拳沖雅也荒井注大村崑植木等沖田浩之、◎安部譲二秋吉久美子石黒賢、◎織田裕二赤井英和、◎阿部寛小田島雄志、◎岡田眞澄出光ケイ安孫子素雄小野ヤスシ伊原剛志大和田伸也石倉三郎愛川欽也伊東四朗小倉久寛井上順小倉一郎イルカ、◎大平透

か行 黒沢久雄(勝率はゲスト解答者としては第1位)、桂米朝桂三枝児玉清川崎敬三加納みゆき、◎小林繁木の実ナナ叶和貴子小林幸子金子信雄、◎柏原芳恵、◎加藤茶蟹江敬三京本政樹、◎研ナオコ、◎小柳ルミ子桑田佳祐久和ひとみ桂三木助上村香子岸千恵子、◎小堺一機桂歌丸香川伸行川上麻衣子片岡鶴太郎、◎草野仁かとうれいこかとうかずこ(現・かず子)、上岡龍太郎風間トオル神津善行栗本慎一郎、◎栗本薫(別名の「中島梓」名義で)、◎神田正輝紺野美沙子、◎絵門ゆう子(当時の芸名は池田裕子)、北方謙三栗田貫一川島なお美川合俊一かまやつひろし、◎嘉門達夫神谷明(真偽不明)、◎後藤久美子五大路子、◎黒木瞳小島一慶菊地涼子金田賢一川島なお美木之元亮加藤登紀子河内家菊水丸、◎加藤みどり

さ行 ◎三遊亭圓窓、清水善三、三遊亭圓歌里見浩太朗世良譲杉浦日向子冴木杏奈、白都真理、◎ジェームス三木清水アキラ斎藤晴彦、◎杉浦幸笑福亭鶴瓶関根勤椎名桜子定岡正二、◎酒井法子杉本彩そのまんま東(現・宮崎県知事)、清水ミチコ、◎堺正章榊原郁恵春風亭小朝ジュディ・オング佐良直美関口宏島田紳助佐野量子陣内孝則、◎坂上二郎嶋大輔杉田かおる桜田淳子西城秀樹沢田研二さだまさし、◎坂口良子、◎柴俊夫

た行 高橋名人、◎タモリ、◎田原俊彦武田鉄矢田中小実昌高樹澪富山敬、◎東野英治郎東野英心(出演当時の芸名は東野孝彦)、出門英戸張捷、◎土井たか子(出演当時は日本社会党委員長)、高島忠夫つのだひろ刀根麻理子田代まさし戸川京子、◎筑紫哲也、◎所ジョージちはる檀ふみ、◎ダンプ松本高橋由美子田中義剛高橋英樹タケカワユキヒデちあきなおみ玉置宏常田富士男、◎富田靖子寺尾聰ダニエル・カールチャーリー浜宝田明立花理佐、◎田村英里子、◎時任三郎徳光和夫(最終回)、武豊、◎冨永みーな

な行 ◎夏目雅子中井貴惠中村泰士中村紘子、◎西村晃中嶋常幸西川のりお、◎野坂昭如ねじめ正一夏木マリ錦織一清野田秀樹野沢那智西田敏行中村橋之助(3代目)、中野浩一、◎中村雅俊、◎中村玉緒、◎中尾ミエ、◎野沢雅子

は行 ◎藤島親方(元大関・貴ノ花 後の二子山親方)、堀江美都子(本来は歌手であるが実際に同番組では女優として出演)、橋幸夫福地泡介羽仁進、◎板東英二平田昭彦林葉直子、◎ビートたけし、◎富司純子東山紀之橋田壽賀子別所哲也、◎福留功男ぼんちおさむ原日出子古谷一行、◎古舘伊知郎布施明羽野晶紀細川ふみえ、◎林家こぶ平(現・九代目正蔵)、間寛平ポール牧、◎古谷徹

ま行 ◎宮尾すすむ(勝率はゲスト解答者としては第2位)、三ツ木清隆松井菜桜子、◎松崎しげる(自称『クイズの帝王』 歴代のゲスト解答者の中では最多出場の21回の記録が残っている)、三波春夫、◎森昌子、◎森光子水野晴郎前田武彦真屋順子森口博子森田芳光、◎森末慎二、◎円広志、◎森本毅郎、◎松田聖子、◎松本伊代、◎汀夏子諸星和己松雪泰子、◎的場浩司宮川泰本木雅弘、◎三雲孝江森山周一郎

やらわ行 ◎山田康雄山藤章二、若原一郎、若原瞳、渡辺美佐子湯原昌幸龍虎、◎和田アキ子、◎山田邦子、◎渡辺正行レオナルド熊矢口高雄渡辺文雄、四方義朗、泰葉、◎山口美江山口智子、◎ゆうゆ(岩井由紀子)、吉幾三、◎山瀬まみ、◎山城新伍山本直純、◎由紀さおり、◎吉村明宏薬丸裕英、◎渡辺篤史

太字は過去に全問正解を達成したゲスト解答者である。◎印は出場者(ギャンブラー側・クイズまるごと大集合での参加も含む)としても登場したゲスト解答者である。 ただし、土井たか子は全問正解達成者の一人。

[編集] クイズまるごと大集合のコーナー

この節は執筆の途中です この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

[編集] 第1回(1987年3月31日放送・決勝戦)

  • 司会:大橋巨泉
  • 解答者
    • 1枠:篠沢秀夫(?勝?敗)
    • 2枠:山崎浩子(?勝?敗)
    • 3枠:はらたいら(?勝?敗)
    • 4枠:竹下景子(?勝?敗)
    • 5枠:石坂浩二(?勝?敗)
  • 出場者(番組名)
    • 不明
    • 不明
    • 不明
    • 不明

[編集] 第2回(1987年9月29日放送・決勝戦)

  • 司会:ビートたけし(オッズ:大橋巨泉)
  • 解答者
    • 1枠:篠沢秀夫(?勝?敗)
    • 2枠:山崎浩子(?勝?敗)
    • 3枠:はらたいら(?勝?敗)
    • 4枠:竹下景子(?勝?敗)
    • 5枠:石坂浩二(?勝?敗)
  • 出場者(番組名)
    • 不明
    • 不明
    • 不明
    • 不明

[編集] 第3回(1988年3月29日放送・決勝戦)

  • 司会:関口宏(オッズ:大橋巨泉)
  • 解答者
    • 1枠:篠沢秀夫(?勝?敗)
    • 2枠:井森美幸(0勝5敗)
    • 3枠:はらたいら(?勝?敗)
    • 4枠:竹下景子(?勝?敗)
    • 5枠:石坂浩二(?勝?敗)
  • 出場者(番組名)

[編集] 第4回(1988年10月4日放送・決勝戦)

  • 司会:ビートたけし(オッズ:大橋巨泉)
  • 解答者
    • 1枠:北野大(1勝4敗)
    • 2枠:井森美幸(0勝5敗)
    • 3枠:はらたいら(4勝1敗)
    • 4枠:秋吉久美子(2勝3敗)
    • 5枠:石坂浩二(2勝3敗)
  • 出場者(番組名)

[編集] 第5回(1989年3月28日放送・決勝戦)

  • 司会:大橋巨泉
  • 解答者
    • 1枠:北野大(2勝4敗)
    • 2枠:井森美幸(0勝6敗)
    • 3枠:はらたいら(4勝2敗)
    • 4枠:竹下景子(3勝3敗)
    • 5枠:石坂浩二(2勝4敗)
  • 出場者(番組名)

[編集] 第6回(1989年10月3日放送・決勝戦)

  • 司会:ビートたけし(オッズ:大橋巨泉)
  • 解答者
    • 1枠:北野大(3勝2敗)
    • 2枠:井森美幸(1勝4敗)
    • 3枠:はらたいら(4勝1敗)
    • 4枠:竹下景子(4勝1敗)
    • 5枠:石坂浩二(3勝2敗)
  • 出場者(番組名)

[編集] 第7回(1990年4月3日放送)

  • 司会:大橋巨泉
  • 解答者
    • 1枠:北野大(0勝5敗)
    • 2枠:井森美幸(2勝3敗)
    • 3枠:はらたいら(2勝3敗)
    • 4枠:竹下景子(4勝1敗)
    • 5枠:石坂浩二(1勝4敗)
  • 出場者(番組名)
    • この回は全チーム参加形式。

※第8回(1990年10月2日放送)は出題はせずに、チームで参加。

[編集] 第9回(1991年3月26日放送)

  • 司会:徳光和夫
  • 解答者
    • 1枠:北野大(2勝6敗)
    • 2枠:井森美幸(5勝3敗)
    • 3枠:はらたいら(4勝4敗)
    • 4枠:市毛良枝(5勝3敗)
    • 5枠:石坂浩二(3勝5敗)

[編集] 巨泉司会終了回

  • 1990年3月31日放送
  • 司会:大橋巨泉 出題:小池達子
    • 解答者
      • 1枠:北野大(最終問題倍率 18)
      • 2枠:井森美幸(最終問題倍率 20)
      • 3枠:はらたいら(最終問題倍率 4)
      • 4枠:竹下景子(最終問題倍率 8
      • 5枠:篠沢秀夫(最終問題倍率 16
    • 出場者
      • 赤チーム:ガッツ石松、萩尾みどりチーム<賞金獲得額 0円>
      • 黄チーム:斉藤慶子、山崎浩子チーム<賞金獲得額144,000円>
      • 緑チーム:黒鉄ヒロシ、長山藍子チーム<賞金獲得額 90,900円>

[編集] 最終回

  • 1992年12月19日放送
  • 司会:大橋巨泉 出題:渡辺真理
    • 解答者
      • 1枠:北野大(成績3勝5敗。倍率8・7・7・7・8・9・6・20)
      • 2枠:井森美幸(成績8戦全敗。倍率7・7・9・6・10・8・7・20)
      • 3枠:はらたいら(成績6勝2敗。倍率2・3・2332・3・4
      • 4枠:竹下景子(成績4勝4敗。倍率3・2・4・2・5・3・26
      • 5枠:徳光和夫(成績8戦全敗。倍率7・6・8・7・6・7・5・20)
    • 出場者
      • 赤チーム:黒鉄ヒロシ、五月みどり、ガッツ石松チーム<賞金獲得額 0円>
      • 黄チーム:うつみ宮土理、小沢昭一、長山藍子チーム<賞金獲得額 50,000円>
      • 緑チーム:山崎浩子、松崎しげる、植草克秀チーム<賞金獲得額130,000円>
エピソード
  • 上記のとおり、徳光は全敗という結果だったが、これを見ていた巨泉は全問終了後徳光に「僕が今幸せだと思ったのは一度もここ(解答者席)に座ったことがないことだ」と言っている。
  • また、巨泉は最終問題で最後の最後まで珍解答を出していた井森に対して「もし僕がこの番組もう一度やるならば、お前は絶対レギュラーだ!」と言っている。

[編集] 復刻版

  • 2000年12月30日放送(SAMBA・TVのコーナー枠)
  • 司会:大橋巨泉 出題:小池達子
    • 解答者
      • 1枠:篠沢秀夫(成績1勝7敗。倍率7・5・5・6・8・7・6・14)
      • 2枠:久本雅美(成績5勝3敗。倍率656・7・3・4・2・18)
      • 3枠:はらたいら(成績5勝3敗。倍率2・3・24・3・246
      • 4枠:竹下景子(成績4勝4敗。倍率32・4・2・4・3・3・8)
      • 5枠:石坂浩二(成績4勝4敗。倍率32・5・5・5・5・5・10)
    • 出場者
      • 赤チーム:福留功男、三雲孝江チーム<賞金獲得額98,000円>
      • 黄チーム:長山藍子、えなりかずきチーム<賞金獲得額 0円>
      • 緑チーム:中村玉緒、セイン・カミュチーム<賞金獲得額 2,400円>

[編集] 歴代出題アシスタント<アシスタントを務めた期間>

このうち、きゃんひとみは保田が降板した後の短期間の繋ぎであった。
過去2回の復活特番ではいずれも小池達子が出演している。渡辺真理は司会が徳光和夫に交代した後に就任したため、渡辺と大橋巨泉との組み合わせは最終回の一度だけであった。

[編集] オープニング(OP)とエンディング(ED)の変遷・提供読み

※EDには番組テーマ曲が流れた

  • 初期:(開始~1986、9)
    • OP・ロート製薬のオープニング(番組名とスポンサー名が同時に表示)
    • ED・次回の予告(ブルーバック静止画・女性ナレーション)⇒赤地に白抜きで「クイズダービー おわり」の表示⇒「提供はロート製薬でした」の女性ナレーション
  • 中期:(1986、10~1990、3?)
    • OP・初期と同じ「♪ロート…」のオープニング
    • ED・次回の予告(初期と同じ)⇒「提供はロート製薬でした」の女性ナレーション⇒10月改編以降、TBS系ゴールデン・プライムタイム番組のエンディングに設けられたチャイム音に「クイズダービー おわり」の表示(このときのチャイム音は初期のもので1994年3月まで使用されていた)⇒「つづいて加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(この頃から次の番組を紹介するようになった)の画面
      ※ただし、昭和天皇の病気により、1988年9月頃から1989年1月までは「♪ロート…」のオープニング放映がなく、テーマ曲+「この番組はロート製薬の提供でお送りします」のパターンに変更された。当時放送されていた他のロート1社単独提供番組も同様に変更されている。
      ※その後、1989年にロート製薬のロゴマークが変更された(ダブルRシンボル)ことに伴い、同年3月以降はオープニングでもロゴマークが変更され、EDのナレーションも「健やかな明日のために ロート製薬の提供でした」(固定の女性の声で)に変更されている。この際、OPのクレジットも、従来の「番組名・スポンサー名の同時表示」から、「別々に表示」のパターンに変更されている。
  • 後期:(1990、4?~終了)
    • OP・ロート製薬のオープニング(ロゴマークが変更、番組名・スポンサー名は別々に表示)
    • ED・次回の予告(VTR収録・5枠のゲスト本人が出演、出場チームは字幕スーパー)⇒中期と同じEDのパターン 
    • 番組末期の頃のED(1992年頃から)・次回の予告、視聴者プレゼントのお知らせと前週のプレゼント当選者発表⇒中期と同じEDのパターン

[編集] スタッフ

  • 構成:菅谷健一
  • 出題:林利根男、毛利知於、前岡晋、雀部俊毅、八木伸栄
    • 出題作家グループの愛称は「チャーリー」。これは篠沢秀夫の命名。
  • 音楽:たかしまあきひこ、ボブ佐久間
    ※テーマ曲・効果音は放送期間中一貫して変わらなかったが、同番組のステレオ放送化と同時にステレオ収録にアレンジしたものに変わっていた。ちなみに同番組のステレオ放送化は1978年11月25日放送分からで、同放送化はクイズ番組初だった。なお、HBCテレビの札幌地区(石狩・空知・後志管内の大半、及び胆振管内の一部)以外の地域は番組終了までずっとモノラルでの放送だった。しかし、現在再放送されているCS放送のTBSチャンネルではステレオで放送(チャンネル自体、2か国語放送を行わない限り、モノラルであっても常時ステレオ音声)されているため、HBCテレビの札幌地区以外の地域でも地上波では一度も聴くことがなかったステレオ放送を楽しむことができる。
  • 美術デザイン:山田満郎、浦上憲司
  • タイトルロゴデザイン:山形憲一?
  • ディレクター:副島恒次、山口安広、木崎武重、山崎 玲、小畑光良
  • プロデューサー:居作昌果、副島恒次、山口安広、小畑光良

[編集] ネット

この番組は、珍しく他系列では放送されなかった。同じTBS系列のテレビ山口でも他キー局(フジテレビ系。1987年9月まではFNSにも加盟していた)の番組編成の都合で放送されなかった(ただし1時間のスペシャル版、2000年末と2004年の復活特番ではテレビ山口でも放送された)。理由としては、スポンサーであるロート製薬の推薦上の事情があったためではないかと思われる(同じロート製薬提供の毎日放送制作「アップダウンクイズ」がNET系列時代に同系列がメインの北海道テレビ青森テレビ(毎日放送と同時期にTBS系にネットチェンジ後に放送開始)・中京テレビ岐阜放送広島ホームテレビにネットされなかったのも同様の事情と考えられる)。

[編集] クイズダービーゲーム

1979年タカラによりクイズダービーの盤ゲーム化が行われている。

ゲームの形式は実際の番組と同じ正解者を当て、賞金を増やしていくものであり、四択(A~D)の記入された回転ドラムのついた筐体と問題カードを使用する。筐体に問題カードを差し込むと正解の際の倍率が表示され、その倍率を元に払い戻しを行うが、ドラムに記入されたマークには偏りがあり、高い倍率のマークが出る可能性は低い。

ちなみに解答者の1枠~5枠は名前を伏せて「大学教授」「女優」「漫画家」「TV女優」「ゲスト」とされているが、4枠までは当時の出演者(篠沢秀夫、南田洋子、はらたいら、竹下景子)に顔が似ている。

[編集] 備考

出典の明記:この記事や節の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。
  • 前番組の「お笑い頭の体操」時に巨泉と共にレギュラー出演していた月の家円鏡(現・橘家円蔵)は巨泉がクイズダービーを始めるときに俺も出演させてと頼んだらしいが、巨泉は断ったという。
  • この番組の最高視聴率は、1979年6月30日放送分の40.8%だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
  • 1回の放送で作られる問題は問題作家15名×20問=300問にも上り、その中から8問が最終的に残る。単純計算する(放送回数862回を掛ける)と17年間で作成された問題数は258,600問となる。
  • 解答者のギャラは正解数とは無関係だったため、はらたいらも篠沢秀夫も同じだった。また、視聴率も解答者の成績の良し悪しにかかわらず常に安定していた。
  • 78年末、水曜劇場「ムー一族」にて足袋屋「うさぎや」の従業員役・樹木希林岸本加世子が視聴者チームとして参加し、クイズダービー自体が劇中劇として扱われた。
  • 最高獲得点数は1987年6月6日放送の819,000点。この時は巨泉も「すんごい!これは問題なく新記録です!819,000円!あ、違う?81,900円?ん!?はちじゅういちまんきゅうせんえん!!ちょっと待って下さい!と言う事は、ななじゅうきゅうまん・・・ん?711,000円?781,000円??何だかよく分からないけども...あ!?時間が無くなってしまいました!有難う御座いました!また来週!!」と、TBSカンガルー募金の寄付額を計算出来ず、巨泉は激しく動揺した状況のままエンディングになった事があった。この回は、7問目終了時点で39,000点を持っていたチームが、最終問題で4倍のはらたいらではなく、敢えてゲスト解答者だった20倍の関根勤に全部賭けたところ、なんと関根は正解した為(この時も篠沢教授を除いて全員正解)、莫大な獲得点数が表示されたのである。翌週の放送の冒頭で、巨泉は改めて「719,000円を寄付」という旨を伝えた。
  • しかし、10万点を大幅にオーバーした得点を出したチームが出たケースは、この1987年6月6日の放送に限ったことではない。この時以外にも20万点越え、30万点越え、あるいは40万点越えを達成したチームが出るというケースが年に数回は出ていた。例えば、土井たか子の2回目出場時、土井は7問目まで全問正解であったので、最終問題で黄色のチームが土井に全額掛け、土井は正解したので40万点を超えた。ちなみに緑のチームも土井に全額を掛けようとしたが、周囲から「無茶ではないか」との発言ではらに代えたが、何故か5000点しか賭けなかったため、はらも正解したものの計算ミスにより10万点に届かなかった。
  • 賭けるのが大変上手だった出場者の中には、なんと6問目の終了時点で10万点を突破したペアがいた(1988年4月9日放送の奥田瑛二麻生祐未ペアなど。5問目終了時点で71,000点、6問目は3倍の竹下景子に20,000点賭けた後、竹下が正解したので131,000点となった)。そのペアは勿論その時点でゲーム終了、7問目と8問目は賭けることができずお休みということがあった。
  • 1986年3月にとんねるずが出場した回と、1988年10月に若山富三郎池内淳子ペアが出場した回で、いきなり1問目から3000点全部を賭けようとした。とんねるずの時ははらたいらを指名して、はらの1問目の正答率9割以上を見越したものからだった。ところが若山富三郎の場合、最初から参加しようというやる気が全く無く不機嫌(この回はドラマ大会で、この年に放送された2時間ドラマ「妻たちの鹿鳴館」に出演した関係で出場)で、何故かゲスト解答者のビートたけしを指名し、不正解なら0点となりゲームが終了するので早くスタジオから出ようという考え(最終問題前で10万点に達したり0点になった場合も、原則として収録が終わるまではスタジオから出ることは出来ない)からだった。しかし、とんねるずには「外れたら無くなっちゃうから止めなさい!!」、若山に対しては「3000点はまずいですよ、なくなっちゃうじゃないですか!早く帰ろうと思ってるなあ!!」とそれぞれ巨泉から言われてしまい、結局全額を賭けられなかったエピソードがある。それ以外の回でも過去に1問目で、はらたいらへ一挙に2000点や2500点を賭けたチームもあり、その度に巨泉は吃驚仰天していた。これもはらの10割近い正答率を見越したものと思われる。1問目で持ち点の大半を掛けて不正解のため(この時の指名は、はらではなかった)後の問題が立て続けに100点ずつしか掛けられなかったチームもあった。
  • 1988年3月にハゲ自慢大会で緑の席に座った一般出場者の方が、解答者を指名する時特製の原稿のメモを見ながら予想していた「プロマイド見るより綺麗な景子さん」等と発言したため巨泉から「カルタ会みたいですね」といわれたが何故か最終問題だけ竹下景子さんに全部と普通に予想したその時巨泉から力強い声で「全部」と発言したが見事10万点に達成した。
  • 連勝記録 1位:はらたいら27(2回)、2位:黒沢久雄24、3位:竹下景子15、4位:宮崎美子・土井たか子10、6位:篠沢秀夫9
  • 連敗記録 1位:井森美幸27(23連敗2回あり)、2位:斉藤慶子24、3位:篠沢秀夫21、4位:長山藍子・山崎浩子20、6位:沢たまき17、7位:北野大14
  • 1986年に将棋棋士の芹沢博文が著書(書名不詳、芸能界の暴露本)で「クイズダービーの解答がレギュラー解答者にこっそり教えてある」と書き、大橋巨泉の怒りを買う。巨泉本人は名誉毀損で訴えることも考えていた。同書でははらたいらも名指しで侮辱された。
  • 番組開始当初に放送作家として携わっていた景山民夫も、著書の中で解答をこっそり教えている旨を書いていた。なかでも短編小説「トラブル・バスター」の中で、クイズ番組の解答者が教わっているという下りがあり、その解答者はマンガ家の「土佐源平」となっていた。これは明らかに、はらたいらを意識したものであると思われる。
  • 大橋巨泉がレギュラー出演した最後の放送(1990年3月31日)の問題の中で、あるラジオ番組の投書を基にしたクイズが出題された。内容は「この番組での解答者に対する倍率を表す時の決め台詞『倍率ドン!!』を中学校の理科の授業で使った先生がいて、学校の中で流行っています。さて、どのような時にこの台詞を言うのでしょうか」というものだった。ちなみに解答は「顕微鏡を見るときの倍率設定」というもので、井森、竹下の女性2名とはらの3人が正解した。はらたいらと竹下景子は「顕微鏡を覗くとき」と書いており、これについて巨泉は「顕微鏡を見るというのが普通の人で、覗くと書くとスケベな人です」とコメントした。
  • 徳光和夫が2代目司会者に起用される際、徳光の他の司会候補者として山城新伍上岡龍太郎板東英二逸見政孝古舘伊知郎島田紳助らの名前が挙げられていた。最終的にはスポンサーのロート製薬が徳光を支持したため、徳光の起用が決まった。
  • 本放送時、1問目と6問目の解答者が答えを書いているときは随時、「出場者募集」の告知テロップを流していたが、提供クレジットテロップから出していた(VTR編集時には挿入されていない)ため、TBSチャンネルでの放送ではこの告知テロップの表示はない。また、5問目にはTBSの放送エリアでのみ、公開録画の告知テロップを流していた(こちらもTBSチャンネルでの放送では表示されていない)。
  • 公開収録開始前にホームランというお笑いコンビ(現在も活躍中)が前座(前説)をつとめていた(1988年10月放送分では出場者としても参加している)。 
  • 類似番組:競艇の専門チャンネルであるCS放送日本レジャーチャンネルで、「クイズ競艇ダービー」という番組が放送されている。(2005年度から毎月1回ペースで放送)基本的なルールは本家のクイズダービーと同じだが、トップ賞を獲得したチームには番組のセットをモデルにしたミニチュア模型のフルセット(参加者全員にももれなくレギュラーセット)がプレゼントされる。また10万点以上獲得しての優勝の場合には賞金10万円が贈られる。
  • なお、ごく稀にスタッフのセット操作ミスが出ている。例えば不正解だったにも関わらず井森美幸に赤ランプが点灯したり、10万点を達成したチームのくす玉が割れなかったりした。また、反対に正解したにもかかわらず青ランプが点灯したり、10万点を達成していないチームのくす玉が割れたこともあった。
  • 各解答者の解答は、三択問題では要点となる語句を書けば答えと見なされていた。それ以外の一般問題では正解に関連する解答であれば、司会者の裁量で正解とする場合もあった。巨泉が司会の頃は、ずばりの解答に関連する解答なら正解にすることがかなり多く(例えば正解が「風呂」であるのを「温泉」と解答しても正解としていた)、このような場合は「まあ正解にしましょう」、「意味が合っていれば正解にします」という決まりの発言がある。時には「どうしようかなあ...まあオマケで良い事にしてあげましょうか」と悩みながらも正解にする事もあった(このケースは竹下など女性の解答者によく該当していた)。
  • しかし、歌詞問題ではたまに「歌詞通りで無ければ正解と致しません!」と司会者があらかじめ語り、たとえ意味が合っていても不正解にすることもあった。また正解率の高いはらたいらに対し、特に巨泉は割と厳しめの裁定にしていた。例えば「(テレビの)リモコンスイッチ」が正解答だった時、はらは「テレビのチャンネル」と書いたが、巨泉は「それは『テレビのチャンネル』とは言いません。名前が違うのでダメです」と不正解にしている。ちなみに「テレビのチャンネル」とはテレビ放送の周波数の意味を表わしている。
  • オープニングのときは全員倍率が「10」の表示で、エンディングのときは全員倍率が「20」の表示がされていた。
  • 1985年ごろ、東北地方の新聞の視聴率ランキングで「クイダービー」という誤植をされ、VOWにも掲載されていた。当番組内で実際に出題された『実際にあった誤植は?(答え:水戸黄門を「水戸黄」とした)』の補足としても紹介された。
  • 草競馬のBGMが流れている間では答えの修正をすることが認められ、この場合最初の答えを抹消して改めて答えを書いたり複数の答えを羅列し最終的な答えを○で囲んで答えとすることが可能であった。このケースは特に篠沢秀夫が使用することが多かった。中には最初に書いた答えが正解であったが修正し誤った答えを書いて不正解となってしまったケースもある。

[編集] 補足

番組終了時には、他の単独提供番組同様「提供はロート製薬でございました」のアナウンスが入る(後に「健やかな明日のためにロート製薬の提供でした」と固定の女性によるアナウンスが入る)。終了後には毛染めパオン(山発産業、現・シュワルツコフヘンケル)、後に森永製菓の30秒のヒッチハイクが流れていた。

[編集] 関連項目

[編集] 関連書籍

[編集] 外部リンク

[編集] 前後番組の変遷

TBS系列 土曜19時台後半ロート製薬1社提供枠(1976年1月3日 - 1992年12月19日)
前番組 クイズダービー 次番組
お笑い頭の体操 クイズテレビずき
他の言語
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