世界まるごとHOWマッチ!!
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世界まるごとHOWマッチ | |
ジャンル | クイズ番組 |
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撮影方式 | 4:3 SDTV |
放送時間 | 毎週木曜日 午後10時~10時54分 →午後8時~8時54分 |
作 | スタッフ参照 |
出演 | 大橋巨泉 石坂浩二 ビートたけし 他 |
放送国 | 日本 |
放送局 | 毎日放送 |
放送期間 | 1983年4月7日~1990年4月5日 |
世界まるごとHOWマッチ(せかいまるごとハウマッチ)は、1983年4月7日から1990年4月5日まで放送されていた毎日放送(MBS)東京支社・イースト制作のクイズ番組である。放送時間は毎週木曜日の22:00 - 22:54(JST)であったが、1984年10月4日より20:00 - 20:54(JST)(ゴールデンタイム)に移動した。東京放送(TBSテレビ)で春と秋に放送されていた「クイズまるごと大集合」では関口宏(本放送時にはゲスト解答者として1度登場している)と、レギュラー解答者のビートたけしも司会をつとめたことがある。
目次 |
[編集] 司会
- 大橋巨泉
- 当時TBS系列で2つのクイズ番組の司会を担当しているのは巨泉(他に「クイズダービー」)と関口宏(「クイズ100人に聞きました」と「わくわく動物ランド」)のみであった。
- 西村知江子(フリーアナウンサー)
- 小池可奈:西村が産休の時のピンチヒッター
- 餌取陽子:後期
[編集] 解答者
- (※外国人解答者はローテーション出演で、4枠)
- ゲスト解答者は男女1人ずつで、女性が3枠、男性が5枠に入った。当初はこれに沢田亜矢子もレギュラーで参加していた。
[編集] ナレーター
- 小倉智昭(後番組の「世界まるごと2001年」のナレーションも担当)
- この番組が小倉の出世作であり、「七色の声を持つナレーター」として有名になった。特に、当時石坂浩二がナレーションを務めたドキュメンタリー番組「シルクロード」(NHK)や久米明がナレーションを務めた「すばらしい世界旅行」(日本テレビ系)のパロディナレーションは定番であった。その一方で、時に「お色気問題」などではハイテンションなナレーションをすることがあり(ビーチで寝転んでいるトップレスの女性が映ると「もっと見せろ~!」と絶叫するなど)、出題VTRが終わった直後に司会の大橋巨泉が「小倉のバカ野郎」や「何を考えているんだ小倉は」と情け容赦なしに突っ込むこともしばしばあった。まれに、モノトーン口調でナレーションをすると「今日の小倉は、一体どうしたんでしょうか?」と、巨泉から突っ込まれていた。
- 番組開始当初は小倉を含めて数名でナレーションを行っていたが、「小倉のナレーションが一番面白い」という制作側の意向で以後、小倉が一人で担当することになった。これは小倉自身がテレビ番組「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系)で語っていたことである。
- また、番組の性質上ナレーターとは別に現地の出題者の吹き替え用に多くの声優が起用されたが、その中でも特に人気を博したのが及川ヒロオ(故人)。余りにも独特な吹き替えを連発したため、特番で及川の吹き替えばかりを集めたコーナーが登場したほど。ちなみにその際、本人も顔出し出演を果たし、「(番組に出るのは)タバコ銭稼ぎですよ」という名言を吐いている。
[編集] 出題形式
- 各回問題は全部で4問。これとは別に視聴者プレゼントクイズが1問あった。
- 問題はいずれも、世界各地の様々なモノ・サービスをVTRで見、その対価を現地通貨で答えるというもの(ただし参考としておおよその対日本円レートは紹介される)。
- 正解に対する「賞」はゴルフに見立てたものとなっていた。
- ピタリ正解…ホールインワン賞=世界一周旅行。解答者席にゴールデントロフィーが置かれる(ファンファーレは当初はニアピン賞の音楽をスピードアップした曲が流れていたが、後にオープニングテーマ曲と同じものに変更。なお、オープニングやBGM関係(出題VTR以外)は前田憲男作曲によるものだった)。
- 巨泉が「近い」と判断した場合…ニアピン賞が与えられ、トロフィー(ホールインワン賞のトロフィーと同じデザインだが、一回り小さめ)が解答者席前に並べられる(ジャズ風のBGMも流れる)。
- ニアピン賞ほどではないが、そこそこの答えには「仮」〈別名・仮ピン=かぴん〉が与えられる。(特に表示はない)その後、再び「仮」に匹敵する答えを出すと、「併せ技で1本」としてニアピン賞が与えられる。この場合のみゴルフではなく、柔道の用語となっている。
- ニアピン賞は3個獲得でアジア(香港やシンガポール)、5個獲得でハワイやグアム島、7個獲得でアメリカ西海岸などの海外旅行と引き換えられるが、10個まで我慢すれば世界一周旅行を獲得できた(番組後期は10個獲得での世界一周旅行がほとんどだった)。
- 世界一周旅行は、成田空港を出発してから自由な経路が選べ、再び成田に帰ってくるまで有効。随分重宝した賞品であったようである。ただし、獲得してから1年間という有効期限があり、それまでに旅立たないと権利を失う。
- 解答が正解から2桁以上離れていた場合、ロストボールとしてニアピン賞を1個没収し(BGMはハチャメチャな音調のものが流れる。デビル人形でも同様である)、専用の棚(2段分のスペース)にそのトロフィーが飾られた(ロストボールの飾る棚にはその解答者の名前「~様」がリボンをつけて記されている)。
- 番組後期にはレギュラー解答者限定で、没収するニアピントロフィーがない場合「デビル人形」(月にデビルが乗っている)が置かれるようになった。これはいわばマイナスポイントであり、「デビル人形」がある状態でニアピン賞を出した場合は、トロフィーを置く代わりに「デビル人形」がひとつ減った(このデビルにレギュラーの石坂・たけしは名前を付けていた)。この、減ったデビルは、ロストボールの棚に飾られる(本来ロストボールとして供出すべきニアピンを借りていたと考えられるため。初めてこの場面になったとき、石坂が強く主張した)。
- 視聴者プレゼントにも解答者の解答状況が影響した。通常は、番組開始当初は10桁を計算できる電卓、後期は世界時計(番組タイトルとMBSのロゴ入り)がプレゼントされていた。しかし、ホールインワンが発生した場合、またはニアピン・ロストボール(ロストボール棚のデビルも含む)が10個となった場合には、「プレゼントクイズ」正解者から1組2名のカップルにハワイ旅行(末期は、プレゼントクイズの出題地の海外旅行)が贈呈された。なおデビル人形が10個たまった場合、ためてしまった解答者が自費で視聴者に世界一周旅行をプレゼントするルールだった。
[編集] エピソード
- 解答を日本円ではなく現地通貨で当てる方式のためか、珍解答がしばしば出た。中でも井森美幸の「7千兆ドル」(当時のレートで約170京円・当時の日本の国家予算の約3万倍)、「500億マルク」(当時のレートで約4兆円)は有名。いずれも大変な巨額であるが、500億マルクは第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレで実際に同額の紙幣が出たことはある(もちろん、価値は全く違う)。日本円から現地通貨を割り出した計算の結果、なんとも半端な値段をつけてしまった、というのも日常茶飯事であった。
- 出題時には参考として、現地通貨と日本円のおおよその換算レートが紹介されていたが、経済・政治等の情勢の変化に応じた通貨単位やレートの変化から、そうした国際的な経済情勢を感じ取ることができたのも、この番組の特徴であろう。とりわけ放送当時の1980年代、中南米諸国の経済危機によるハイパーインフレへの対応から頻繁に通貨が切り上げられ(ボリビアの通貨の換算レートが10,000ボリビアペソ=0.1円という事があった)、時にはいくつかの現地通貨の呼び名が頻繁に変わるなど(ブラジルのクルゼイロ→クルザード等)していたことや、先進国においても1985年のプラザ合意による急速な円高ドル安が進行した事なども、そうした視聴者の印象を高めたと考えられる。
- 特別番組である「クイズまるごと大集合」のさいは、まれに日本国内の問題が出題されたが、律儀にも換算レートが「1円=1円」と表示されていた。
- 「こんな村がオリンピックに立候補している」として、フランスのアルベールヴィルから出題されたが、村をバカにするような内容で、出演者も、オリンピック候補地としては断トツの最下位で、選ばれることは絶対にあり得ないと断言していた。しかしこの村が開催地に選ばれ、1992年、アルベールヴィルオリンピックが開催された。
- 1990年、巨泉のセミリタイヤ宣言により番組が終了。後継番組は世界中の出来事を記録したフィルム映像からの出題によるクイズ番組「世界まるごと2001年」(山口美江司会)。これはHOWマッチのスペシャル「クイズまるごと20世紀」をレギュラー化させたもので、1991年3月まで放送された。巨泉はスーパーバイザーとして同番組にも関わり、顧問(後にジジィと言う意味を込めて“今週の彦左衛門”と紹介された)として数回出演していた。
- 2枠のビートたけしは、一時期FRIDAY襲撃事件により番組出演を休止となり、番組復帰するまでその枠は、タレントや文化人などのゲスト枠となっていた。
- 石坂は1989年頃のとある回で1問目でニアピン10本が達成し、3問目と4問目でホールインワン賞を獲得したため、1回の放送で世界3周分の旅行券を獲得したことがある。
[編集] スタジオセット
番組収録は東京のTBS・旧Hスタジオ(番組初期)と渋谷ビデオスタジオ(同後期)で行われていた。セットは1989年4月の1度、リニューアルがなされている。
- 初代セット
- 地球に見立てた球状のオブジェがあり、スタジオカメラから見て左に解答者席、右に司会者席がある。解答者の背景セットに世界地図が描かれたものを使用。出題先ニューヨークであればニューヨークの位置にランプがあり、出題先紹介のときにそこにズームアップされる。よって、南半球が出題先となると、解答者の後ろに隠れている場合がある(たいていは解答者がランプが見えるように避ける)。
- 2代目セット
- 球状オブジェが地球儀に変更され、出題先紹介のランプもこの地球儀上に設けられるようになった。
- これにともない、解答者の背景セットも変更され、解答者席も初代を踏襲しつつ丸みのある形状となった。
この球状オブジェ及び地球儀はオープニング・提供バックの映像にも使われている。
[編集] 「~方式」
『HOWマッチ』では、日本にはない商品・サービスの対価を現地通貨で解答を出すため、直接にその価格を導き出せることは少ない。そのため、様々な計算方法が解答者によって考えられた。これを「~方式」と呼んでいた。
- 鶴太郎方式(片岡鶴太郎)
- ソ連(番組放送当時)コーカサス地方のマッツォーニ(ヨーグルト)300個の値段を当てる問題で、1個1ルーブルで300ルーブルとし、ビートたけしに「こいつは単純な奴なんだ」と散々こき下ろされたものの、結果見事ホールインワン賞を獲得。
- 小田島方式(小田島雄志)
- セネガルのエスカルゴ6個の問題で、1個をオマケ(あるいは西洋諸国でよく使われる半ダース=6個を1まとまり)と考えて5CFAフランと答え見事ホールインワン賞獲得。
- 里中方式(里中満智子)
- フランス、アルザスの工業団地の土地価格の問題で、坪単位でいくら(フラン単位)という日仏混合方式で計算し、ホールインワン獲得。
[編集] 主なスポンサー
- ライオン
- アサヒビール
- リンナイガス器具(前番組のドラマ「木曜座」からの引継ぎ)
- ロッテ
- 日本電装(現・デンソー)(リンナイと同様)
- オッペン化粧品(リンナイと同様)
- トヨタ自動車
- 大塚製薬
- マクドナルド
- 山一證券
- 日本信販(現・UFJニコス)
- 山発産業(現・シュワルツコフヘンケル 但し提供コメントは「センセーション」「コミュケーション」や「毛染めパオン」と紹介していた。奇しくも後に山発産業は同じスポンサーのライオンに吸収合併される)
- ZETT
[編集] スタッフ
- プロデューサー:山田尚(毎日放送)、久松定隆、奥村正
- 製作:MBS、イースト
[編集] 番組ネット局
- 毎日放送(製作局)
- 北海道放送
- 青森テレビ
- 秋田放送 (日本テレビ系、2日遅れの土曜日17時からスポンサー(佐川急便と地元スポンサー)も差し替えられた上で放送されていた。その為、オープニングの提供クレジット及びエンディングは差し替えられ、次週の解答者(予告)も放送されなかった)
- 岩手放送
- 山形テレビ(フジテレビ系、1989年9月まで、放送時間は木曜日22時)→テレビユー山形(1989年10月開局から)
- 東北放送
- 福島テレビ(フジテレビ系、ただしニュースネットは1983年3月までJNNのクロスネット、1983年9月まで)→テレビユー福島(1983年12月8日から)
- 新潟放送
- 信越放送
- TBS東京放送
- テレビ山梨
- 静岡放送
- 北日本放送 (日本テレビ系、3日遅れの日曜日10時から放送。秋田放送とは異なり、提供クレジットのみ地元スポンサーと差し替え(エンディング部分はそのまま)。
- 北陸放送
- 福井テレビ(フジテレビ系、遅れ放送)
- 静岡放送
- 中部日本放送
- 山陰放送
- 山陽放送
- 中国放送
- テレビ山口(フジテレビ系だが、ニュースネットがJNNのクロスネットだったためTBS系と同時ネット→1987年10月からTBS系に一本化)
- 南海放送(日本テレビ系、2日遅れの土曜日22時から放送。秋田放送、北日本放送同様、スポンサーの差し替えが行われていた。遅れ放送のため、視聴者プレゼントの締め切りを翌週月曜日の消印有効にするといった、南海放送独自の計らいもあった)
- テレビ高知
- RKB毎日放送
- 長崎放送
- 熊本放送
- 大分放送
- 宮崎放送
- 南日本放送
- 琉球放送 (1984年10月~1986年9月の2年間は2日遅れの土曜17時から時差ネット、JNN単独加盟ながら日本テレビの『木曜スペシャル』を同時ネットしていたため。なおスポンサーは差し替えずにそのままネットしていた)。
- 尚、日本テレビ系の秋田放送・北日本放送・南海放送では24時間テレビ放送日には放送時間変更があった。
[編集] 関連項目
- クイズ番組
- 木曜座
- 世界バリバリ★バリュー(番組初期は当番組を踏襲していた)
[編集] その他
- 巨泉はオープニングで「世界のジョーク」と称して、毎回小話を続けた(なぜか「ワニ」ネタが多かった。なお第1回放送では小話はなかった)が、あまりウケなかった。中には「フランス語でタコは?」「アシハッポン」などというのもあり、その直後に「お、石坂さん、『ニアピンハッポン』ですね」と言っていた。さらにはこの小話にビートたけしが突っ込みを入れることもあった。
- 番組開始当初は解答者は6人だった。また初回の問題は5問用意されていたが、巨泉がエンディングで「もう1問あったのに時間なくなっちゃったよ」と言っていた。このように問題数と解答者数が減らされる過程は、クイズダービーと似ている。
- この番組終了から数年後、巨泉は自分が出版した本やテレビ番組などで、50歳にセミリタイア宣言することを考えていた、と述べている。この番組開始当時は49歳で、巨泉はスタッフに対し「やってもいいが1年しかやらないよ」と言っている。また企画段階では漢字・ひらがな・英語・カタカナが入り乱れ「!!」までついた番組タイトル(本放送時には「!!」はなくなっている)、さらに「1枠・大学教授、2枠・若手女優・・・」といったクイズダービーに酷似した解答者案に難色を示し、「博識で有名な石坂浩二と、(当時大人気の)たけしを1枠2枠でキャスティングしてくれ」と注文をつけていた。なのに90年まで続いたのは番組内でたけしとのやり取りが楽しく、「この世界にもこんな面白いやつがいるんだ。もう少しやってみよう」と思ったためで、これが55歳までセミリタイアを伸ばしたきっかけにもなった。
- 石坂は出題VTRの補足をすることもよくあり、巨泉からは「教養担当助役」と呼ばれていた。
- たけしが中国の舟の渡し賃の問題で、1元と3元を迷ってその挙げ句3元にしたが正解は2元だったという事や、別の問題で、10元と15元を迷って15元にしたところ正解が9元だった(後に言う“九元事件”)という事、更にはギリシャの当時の通貨単位だった「ドラクマ」(現在はユーロに変更)を「ドラクロマ」と書き間違える(スタジオの笑い声と同時に巨泉に当然のごとく突っ込まれた)など、解答を巡るハプニングが色々あった異色のクイズ番組だった。
- 一般に外国人解答者は日本人解答者より安い値段を答える傾向にあったため、巨泉はケント・ギルバートを「ケント・ネギルバート」(「値切る」と掛けている。名付け親は一視聴者)、チャック・ウィルソンを「ケチャック・ウィルソン」(「ケチ」と掛けている)と呼んでいた。
- 「デビル人形」ルールが新設されたのは、たけしがニアピントロフィーが1本もない時に、それをいいことに適当な答えを乱発したことがあったため。
- たけしがフライデー襲撃事件で謹慎中のとき、弟子のそのまんま東(現在の宮崎県知事)が代理で出演して2枠のたけしの席に座ったことがある。そのとき、番組のルールをよく知らなかった東は、1問目で巨泉が問題VTRについて解説をしている最中に勝手に適当な金額を書いたフリップを出したことがある。
- この番組では巨泉が長期休暇でも出演しないということはなかったので、大量に録りだめしており、フライデー事件の後も何カ月も、「この番組は○月○日に収録されたものです」というテロップつきでたけしが出演していた。
- 最終回に近づくにつれ、ニアピンを賭け出すという「プッシュ(方式)」も出だし、たけしがこの方式を頻繁に行っていた。
- レギュラー最終回の最後の問題は、「オランダ領アンティル諸島で船が岸壁のホテルにぶつかった時の年間保険料は?」という問題で、正解は1アンチルギルダー(=約80円(当時))で、ロストボールの嵐だった。これにより、最後でキリよくロストボールが10個溜まった。
- 最終回は2時間スペシャル。5問出題され、石坂とたけし以外、外国人解答者やゆかりのあるゲストはそれぞれ1問のみ出演。過去の名場面と通常の問題を交えた内容で、最後の問題は映画「風とともに去りぬ」の初版本の値段(正解は8000ドル)。
- 1990年10月、たった一度きりの「帰ってきた・世界まるごとHOWマッチ」を放送。この際、石坂は「東ドイツの新型トラバント」の値段を当てる問題で12,000ドイツマルク(当時108万円)と解答、ホールインワン賞を獲得した。
- プレゼントクイズの正解発表はその問題を出した2週間後に発表されるのが慣例。最終回のプレゼントクイズは後番組「世界まるごと2001年」の第2回目に正解と当選者発表があった。この慣例は「2001年」も同様に続いた。
- プレゼントクイズの当選者名で「大和市」を「奈良県大和市」と表記していたことがあった(大和市は神奈川県にある市)。
- 1990年放送の「ギミア・ぶれいく」では、1度だけの特別企画として日本国内取材の出題VTR構成で日本円で答える「日本まるごとHOWマッチ」として制作された。司会は巨泉、解答者はすべて外国人だった(話のやり取りもすべて英語だった)。出題VTRのナレーションは英語版は小林克也が、日本語版は小倉智昭がそれぞれ務めた。
- 1994年放送の「テレビの王様」では「テレビまるごとHOWマッチ」としてパロディー版であるが1度限りの復活となった。ナレーションは本家と同じ小倉だった。
- ゲスト出演した社会党委員長(当時)の土井たか子は、1回の放送中に2度もホールインワン賞を獲得(1問目と3問目)するという記録を立てた。たけしは、これに対して「俺は自民党に入る」と言ってふて腐れた。なお、3問目の正解発表の直前にたけしが「あっ、まただ」と発言していることから、ホールインワン賞が出るときは照明の切り替え(スタジオの照明が落とされる)準備等のため、画面上の変化の前に出演者には分かることが判明している。なお、土井は4問目でもニアピン賞をたけしとともに獲得している。
- 番組最高視聴率は1984年5月31日に放送した回の33.8%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)でこの時は石坂浩二が2度もホールインワン賞を獲得した回だった。
- なお番組2年目の1984年に、巨泉が確定申告の不備を税務署から指摘される一件があり、この際朝日新聞が番組のタイトルをもじって、「申告漏れHOWマッチ」と揶揄した、という出来事も起きている。
- 2007年現在、この時間帯で放送されている「うたばん」(TBS制作)にてパロディが行われたことがある。司会の巨泉役にコージー冨田が起用された。アシスタントはTBSアナウンサーの山内あゆが担当した。
[編集] 番組の移り変わり
TBS系 木曜22時台(MBS制作枠。1983.4-1984.9) | ||
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前番組 | 世界まるごとHOWマッチ!! | 次番組 |
木曜座・誰かが私を愛してる | 中村敦夫の地球発22時 | |
TBS系 木曜20時台(ここからMBS制作枠。1984.10-1990.3) | ||
ビートたけしの学問ノススメ (ここまでTBSテレビ制作枠) |
世界まるごとHOWマッチ!! | 世界まるごと2001年 |
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