長野県諏訪二葉高等学校
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諏訪二葉高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
設立年月日 | 1908年(明治41年)4月1日 (上諏訪町立諏訪高等女学校) |
建学の精神 | 自主、努力、感謝 |
共学・別学 | 男女共学 |
教育課程の特例 | なし |
特殊学級 | なし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒392-8549 |
長野県諏訪市岡村2-13-28 | |
電話番号 | 0266-52-4628 |
FAX番号 | 0266-57-2420 |
外部リンク |
長野県諏訪二葉高等学校(ながのけんすわふたばこうとうがっこう)は、長野県諏訪市にある公立高校である。
- 男女比が約4:6と、女子が多い。
- 文化祭は「二葉祭」と称し、その名称は校名に由来する。
- 2008年に創立100周年を迎える。
- ほとんどの生徒が国公立大、私立大学へ進学する。諏訪地区では諏訪清陵高校に次ぐ進学校である。
- 戦前の諏訪高等女学校時代には、国語学者として名高い大村はまが教壇に立っていた。諏訪高女は大村はま最初の任地である。
- アララギ派歌人、土屋文明は第三代校長。島木赤彦の紹介で大正7年に教頭として赴任。大正9年、校長となる。大正11年、松本高等女学校に校長として転任するまで諏訪高女で教鞭をとる。
- 生徒会名は二葉会、戦時中は「報国団」という名称であった。
- 正面玄関前の3本のヒマラヤスギが印象的である。
- 正面玄関のステンドグラス「飛翔」は卒業生がデザインしたもの。
- 学校前庭に原村出身の彫刻家清水多嘉示氏の作品「すこやか」がある。
- 二代校長は三村安治。
- 戦後の大ベストセラー「流れる星は生きている」の著者である藤原ていの母校である。
目次 |
[編集] 音楽会
- 毎年6月には二葉の伝統行事、音楽会が行われている。
- クラス毎の発表はもちろんのこと、有志演奏もあり、独唱、ピアノ、マリンバ、ギターなどの発表もある。
- 音楽会が近づくと、朝・昼休み・放課後・ホームルーム時間などを利用して歌練習に励んでおり、音楽会への闘志を燃やしている。
- 地域からも高い評価を得ており、近くのホールで行われたこともあった。このとき、立ち見が出るほどの盛況ぶりであった。
[編集] 沿革
- 1901年(明治34年)4月 - 諏訪補習女学校開設。初代校長、岩垂今朝吉。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 上諏訪町立諏訪高等女学校として開校。諏訪補習女学校廃止。
- 1917年(大正6年)4月1日 - 県立移管、長野県立諏訪高等女学校に改称。
- 1920年(大正9年)4月1日 - 長野県令38号により、長野県諏訪高等女学校に改称
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、長野県諏訪二葉高等学校となる。
- 1948年 校章制定。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 男子第一期生入学(86名)
- 1989年(平成元年)4月 - 全学年男女共学となる。
- 2000年(平成12年)6月 - 本館取りこわし。
- 2002年(平成14年)1月 - 新校舎竣工。
[編集] 教育目標
教育基本法及び学校教育法に基づいて、国家並びに社会の有為な形成者として、真理と正義を愛し、勤労と責任を重んじ、自主、協調の精神に満ちた、心身共に健やかな人間の育成をめざす。
[編集] 出身者
[編集] 校章
梶の葉に高の文字。 1948(昭和23)年、校名を長野県立諏訪高等女学校から現在の諏訪二葉高等学校に改めると同時に制定された。 梶の葉は諏訪明神の紋所に由来。隣の諏訪清陵高校も同様に梶の葉の校章。