関東鉄道キハ300形気動車
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キハ300形は、関東鉄道が保有する気動車である。本項では、同系のキハ350形およびキハ100形についても記述する。
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[編集] 登場の経緯
それまでの関東鉄道常総線では、自社新製車の他、全国各地の鉄道から譲受した雑多な気動車が使用されており、鉄道ファンからは「気動車の見本市」と評されるほどであったが、それらの車両は形式により車体長や扉数が異なるなど、旅客取扱上に問題を抱えていた他、老朽化や機器の不統一によって、車両の保守上も非効率な面が大きかった。
そこで関東鉄道は、国鉄清算事業団から、キハ35系気動車を大量に購入し、同線の旧型車を一掃することとした。それによって登場したのが、キハ300形(旧キハ30形)およびキハ350形(旧キハ35形、キハ36形)である。
また、キハ35系導入の背景としては、1987年(昭和62年)4月に廃止となった傍系の筑波鉄道から、旧国鉄のキハ30形(301)を譲り受けたことが大きい。全長20m級の3扉ロングシート車である同車は、常総線の輸送事情に合致し、好評をもって迎えられた。さらに、同年の国鉄分割民営化によって、国鉄清算事業団経由で同系車が安価かつ大量に調達できる状況であったことも、大量導入につながる要因となった。
[編集] 導入の経過
1987年に、第一陣として購入されたのは、キハ30形3両、キハ35形3両、キハ36形4両の10両である。これらは、水海道機関区で整備工事を受け、旧キハ30形はキハ300形(302~304)、旧キハ35形、キハ36形は、キハ350形(351~357)として、翌1988年(昭和63年)2月から順次、営業運転に投入された。片運転台のキハ350形は、同形式2両で編成を組み、番号は取手向きが偶数、下館向きが奇数を与えられた。
1988年も、キハ35形9両、キハ36形1両の10両が国鉄清算事業団から購入された。これらも整備工事施工のうえ、翌年8月までに就役し、キハ350形(358~3517)となった。このうち3517は、取手向きであったが、欠番を嫌って例外的に奇数番号が付され、後年の増備によって下館向きの2代目3517が登場した際に、3518に改番されている。
1990年(平成2年)には、さらなる車種統一の推進のため、九州旅客鉄道(JR九州)から、キハ30形10両が購入された。これらは、整備工事施工のうえ、1991年(平成3年)1月から1992年(平成4年)5月にかけて9両がキハ300形(305~3013)として就役したが、1両(キハ30 93)は入籍されずに部品取り車となり、後に解体された。
1992年は、東日本旅客鉄道(JR東日本)から、相模線電化によって余剰となったキハ30形3両、キハ35形7両が購入された。これらは、キハ300形(3014~3016)、キハ350形(3517(2代),3519~3523)として就役したが、キハ35形1両(158)は車両更新方針の変更(新造車による置換え)により、入籍されないまま解体された。
[編集] 整備工事の内容
本系列は、入線に際して水海道機関区において整備を受けたが、その内容は次のとおりである。
- 塗色の変更
- ドアステップの改造
- ステップ自体を除去するのではなく、段差の部分だけを鋼板で覆って、事実上のステップレスとした。プラットホームとの段差を少なくするため、扉に向かって緩い傾斜が付けられている。扉の改造はされておらず、外観上の変化は生じていない。
- 便所の撤去
- キハ35形については、設置されていた便所を完全に撤去し、他の客用窓と同じものを新設した。初期の改造車では、妻面への窓(戸袋窓)の新設も行なわれている。便所撤去部分への座席の設置は行なわれず、便所対面の横向き座席も存置された。
- 半自動扉装置の撤去
- 運転台前面幌の撤去および手すりの設置
- 従来、関東鉄道常総線では、貫通扉設置車であっても幌を使用しておらず(ただし新製時から運転台のない側に設置されているキハ0形を除く)、非常時に通り抜けられるだけであったが、キハ350形では運転台のない側の幌が残された。一方、運転台側は幌を使用せず、非常時の通り抜けに備えた手すりが幌座上に増設された。
- 客用扉の交換
- 当初は鋼製扉のまま使用されたが、傷みが激しいことから、ステンレス製の引戸に交換した。
- シートモケットの交換
[編集] 形式各説
[編集] キハ300形
キハ300形は、1987年の筑波鉄道からの移籍車に続き、同年から1992年にかけて、国鉄清算事業団ならびにJR九州およびJR東日本から、両運転台仕様のキハ30形を譲受したもので、計16両が導入された。新番号は、旧番号に関わりなく、落成順に付与されている。
1997年(平成9年)には、水海道~下館間のワンマン運転開始にともなって、4両がキハ100形に改造されたが、翌年の新造車投入にともない、2両がキハ300形に復している。
各車の竣功年月日および新旧番号の対照は、次のとおりである。
- キハ301(1988/03/30) ← 筑波鉄道キハ30 1 ← キハ30 16
- キハ302(1988/07/16) ← キハ30 43
- キハ303(1988/09/09) ← キハ30 50
- キハ304(1988/07/30) ← キハ30 7
- キハ305(1988/11/16) ← キハ30 54
- キハ306(1988/03/17) ← キハ30 55
- キハ307(1988/03/17) ← キハ30 94
- キハ308(1988/12/02) ← キハ30 95
- キハ309(1989/01/04) ← キハ30 86
- キハ3010(1989/03/01) ← キハ30 90
- キハ3011(1989/06/16) ← キハ30 56
- キハ3012(1989/07/20) ← キハ30 23
- キハ3013(1989/05/20) ← キハ30 96
- キハ3014(1989/04/24) ← キハ30 49
- キハ3015(1989/03/29) ← キハ30 29
- キハ3016(1989/08/30) ← キハ30 25
上記のうちキハ301は、筑波鉄道キハ30形を譲り受けたものである。筑波鉄道時代の同車は、ドア部のステップや半自動機構が存置されており、関東鉄道移籍後もそのまま使用されたが、徐々に増備車と仕様が合わせられていった。前面の行先表示窓については、筑波鉄道入線時に埋め込まれており、異彩を放っていたが、これも1998年12月11日付けで復活している。
[編集] キハ350形
キハ350形は、1987年から1992年にかけて、国鉄清算事業団ならびにJR九州およびJR東日本から、片運転台仕様のキハ35形・キハ36形を譲受したもので、計23両が導入された。新番号は、旧番号に関わりなく、落成順に付与されている。
各車の竣功年月日および新旧番号の対照は、次のとおりである。
- キハ351(1988/03/30) ← キハ36 28
- キハ352(1988/07/16) ← キハ35 182
- キハ353(1988/09/09) ← キハ35 183
- キハ354(1988/07/30) ← キハ35 190
- キハ355(1988/11/16) ← キハ36 30
- キハ356(1988/03/17) ← キハ36 26
- キハ357(1988/03/17) ← キハ36 15
- キハ358(1988/12/02) ← キハ35 113
- キハ359(1989/01/04) ← キハ35 169
- キハ3510(1989/03/01) ← キハ35 121
- キハ3511(1989/06/16) ← キハ35 187
- キハ3512(1989/07/20) ← キハ35 148
- キハ3513(1989/05/20) ← キハ35 191
- キハ3514(1989/04/24) ← キハ35 150
- キハ3515(1989/03/29) ← キハ35 193
- キハ3516(1989/08/30) ← キハ35 188
- キハ3517[II](1992/01/20) ← キハ35 59
- キハ3518(1992/01/01) ← キハ3517(1989/02/02) ← キハ36 17
- キハ3519(1993/02/20) ← キハ35 163
- キハ3520(1992/12/02) ← キハ35 134
- キハ3521(1993/07/22) ← キハ35 170
- キハ3522(1993/03/31) ← キハ35 165
- キハ3523(1993/08/12) ← キハ35 81
[編集] キハ100形
キハ100形は、1997年3月に、水海道~下館間のワンマン運転開始にともなって、4両がキハ300形から改造されたもので、新潟鐵工所の出張工事により施工された。改造内容としては、車内へのワンマン運転関連機器(料金箱、整理券発行機、料金表示器)ならびに運転席への車内放送用マイクおよび扉開閉スイッチの取付け、運転台仕切りおよび座席の一部撤去である。
翌1998年(平成10年)には、新造車(キハ2200形)の投入にともない、2両がワンマン運転関連機器を撤去して、旧形式番号に復している。
本形式は、単行運転が原則であることから、衝突事故等によってブレーキ配管が損傷し、回送不能となるのを防止するため、2001年(平成13年)に運転台前面下部にスカート(排障器)を取り付けている。
各車の竣功年月日および新旧番号の対照は、次のとおりである。
- キハ101(1997/03/29) ← キハ306
- キハ102(1997/03/29) ← キハ3013
- キハ305(1998/09/08) ← キハ103(1997/03/29) ← キハ305
- キハ3016(1998/07/08) ← キハ104(1997/03/29) ← キハ3016
[編集] 改造
関東鉄道移籍後に行なわれた大規模な改造としては、冷房装置の取付けと走行用機関の換装があげられる。また、その他には、ATSや列車無線装置の取り付け、取手駅で発生した列車突入事故対策の運転台側貫通路への幌取り付け(手すりの撤去)などがある。
[編集] 冷房装置の取り付け
導入当初の本系列は、国鉄/JR時代のままの非冷房であったが、鉄道車両の冷房化は時代の趨勢であり、本系列についても、1989年度から冷房装置の取付けが開始された。改造は、取手事故による廃車と一部(3014,3015)を除いた35両に対して実施されている。後期就役車の登場時には、すでに冷房改造車が登場していたが、入線整備時に冷房改造を施行された車はなく、すべて就役後の取付けである。
取り付けられた冷房装置は、走行用機関とは別の冷房用機関を備えるサブエンジン方式でバス用のものに手を加えたトヨタ2Jであったが、1994年以降の施工車はトヨタ1DZに変更された。冷房ユニットは床下に装備され、室内には網棚上部に風道と冷風の吹出し口が設けられた。
その後、取手駅などでの長時間停車中に、床下にある放熱ユニットでの冷却が上手く行なわれないことによるオーバーヒートが発生するようになったため、屋根上に放熱ユニット(「スーパークーラー」と称する)を増設する工事が2001年から行なわれた。
[編集] 走行用機関の換装
本系列がもともと装備していたDMH17H形ディーゼルエンジンは、非力なうえ、保守用部品の入手も困難になってきていたため、1993年(平成5年)から、新潟鐵工所製のDMF13HZ(230PS)に換装されることとなった。この改造は、1996年まで継続され、キハ100形2両(101,102)、キハ300形4両(301,303,305,3016)およびキハ350形10両(351~354,358,3511,3518~3521)の計16両に対して行なわれている。
それにともなって、変速機がDF115A(湿式多板クラッチ)に統一された。従来はTC2A(乾式単板クラッチ)も併用されていたが、機関換装の際に強化改修が必要だったことと、製造メーカー(振興造機)の撤退により部品入手が困難になっていたために行なわれたものである。
[編集] 廃車・現状
1992年6月2日に発生した取手事故による廃車が2両(302,3010)発生しているほか、1997年からは老朽化による廃車が発生している。廃車は非冷房車、機関未換装車から優先的に実施されており、2004年度末までにキハ300形2両、キハ350形12両が廃車となっている。
2005年12月10日現在の在籍数は、キハ100形2両、キハ300形2両、キハ350形10両の計14両である。うち、ワンマン運転対応の設備が施されていないキハ300形2両、キハ350形2両の計4両は休車として車両基地に留置されている。
キハ358・3511・3518・3519の4両は、2006年11月に塗装を映画「パッチギ part2」の撮影用に京浜東北線(で走っていた103系)と同じスカイブルーに変更した。同時に行先幕に京浜東北線関連の幕が入った。現在、スカイブルー塗装のまま運用についている。
[編集] 鉄道模型
MODEMOがキハ300形(キハ100形)のNゲージの鉄道模型を製品化している。
[編集] 参考文献
- 服部朗宏「関東鉄道キハ300・350形のプロフィール」
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年2月号 No.742 p53~p63
[編集] 関連項目
- 関東鉄道の車両
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