日本国有鉄道清算事業団
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日本国有鉄道清算事業団(にほんこくゆうてつどうせいさんじぎょうだん)とは、1987年4月1日にJRグループ各社へ分割・民営化された日本国有鉄道(国鉄)の固定資産売却益による長期債務償還や余剰人員の再就職促進などを行うことを目的として設立された特殊法人。略称は、国鉄清算事業団(または「清算事業団」「国鉄事業団」)、英文名称は、JNR Settlement Corporation。
清算事業団としての安定収入源がないままに国鉄債務の一部を継承した他、国鉄改革法によって以下のような債務も負うこととなった。
- 日本鉄道建設公団(鉄道公団)の債務(国鉄への無償貸付線、北海道、四国、九州の有償貸付線のほか、新幹線、青函トンネル、JR各社が経営を行なわないとされた新線の建設費に関するもの) (※鉄道公団の資産のうち、廃止路線や開業のめどが立たない新線などに関する部分も同時に継承)
- 本州四国連絡橋公団(本四公団)の債務の一部(大鳴門橋およびいわゆる「瀬戸大橋」の鉄道関連部分のための借入金) (※当該施設は本四公団が資産として保有)
- JR各社に引き継がれない車両の処分。そのほとんどは、動力集中方式の機関車や客車、貨車であった。このうちのごく一部は、後にJRや地方私鉄に売却されている。
- 経営環境がよくないことから当初より赤字経営が見込まれた北海道・四国・九州の各旅客鉄道会社に対する経営安定基金(毎年の経営で発生する赤字をその利子や運用益によって補填することを目的とした基金で、本州以外の三島の会社に対するものであったことから、俗に「三島基金」(さんとうききん)とも呼ばれる)
特に青函トンネルなどはその建設費を清算事業団に負わせることによって開業の目処がついたという面があり(施設は鉄道公団が継承)、「国鉄の分割・民営化」という騒動に紛れて様々な債務を負わされた様相があると同時に、継承した資産についても当初より以下のような指摘がなされていた。
- 売却予定地に関しては、汐留駅跡地や大宮操車場跡地のようにまとまった敷地は稀であり、ほとんどは「鉄道に至近」とは言っても敷地の形状や面積の点であまり活用性がなかったり、線路には近くても駅までは遠いなど、資産価値が高いとは言えないものばかりであった(有用な土地はほとんどがJR各社に引き継がれた)。また、鉄道公団から引き継いだ資産についても、開業路線と関連のある資産については鉄道公団に残されたため、清算事業団が積極的に資産価値を活用できるものではなかった。新幹線については、資産は当初は新幹線鉄道保有機構が保有し、その後は各旅客会社へ譲渡されたが、その貸付料および譲渡料は一部が新幹線鉄道保有機構および譲渡後の鉄道整備基金(後に運輸施設整備事業団)が引継いだ国鉄債務返済に充てられ、清算事業団が関与することはなかった。
- 国鉄からJR各社に引き継がれた資産は「国鉄からの出資」という形をとっており、その対価は株式として清算事業団が継承したが、その際の評価額は国鉄改革法の定めによって基本的に「簿価」とされており、「適切な評価替えが行なわれていないため、市価に比較して不当とも言えるほど安価である」と言われた。このことは、公開後のJR株式の株価高騰という形で顕在化した。また、著名人が集まって私的組織である「国鉄資産不正処分監視委員会」を結成することにもなった。
さらに、債務償還計画の根拠となった土地などの売却益が著しく低く見込まれていたり(前述の国鉄資産不正処分監視委員会が公示価格などを参考にして行なった試算によれば、当局の売却益見積もりが7兆7千億円であったのに対し、その資産価値は14兆7300億円であったという)、その一方で優良な資産については当初の「できる限り高く売却して債務の償還に努める」という目的に反した処分が行なわれたと指摘されている。
- 大宮操車場跡地や新鶴見操車場跡地は「自治体が公共の用に供する」として安く譲渡されたが、それらの土地はさらに民間に売却され、「民間が巨大な優良地を安く手に入れるために公共団体をトンネルとして利用した」と指摘された。
- 汐留駅跡地やJR東日本株(第2次以降の売却)は「地価や株価の高騰を煽る」として売却が凍結された(当時はバブル景気の最中であった)。
- 東京駅周辺の土地については、10年間の期限付きであった清算事業団が解散間際に投げ売りをするのを期待して、周辺を勢力下においている大企業が意図的に応札を阻害したという噂もある(実際にほとんどの遊休地が清算事業団の解散直前に安価で放出されたとされている)。
結局、売却できずにいた優良資産はその後のバブル崩壊などによって当初見積もりよりもさらに安価に放出せざるを得ず、売れずにいた資産は清算事業団の解散直前に一斉処分が行なわれた(ほとんど投げ売りであった)ということもあり、債務償還計画はほぼ崩壊という結果となった。
ところで、国鉄財政の破綻は、分割民営化の当時、よく「倒産」にたとえられていた。しかし、国鉄の分割・民営化においては、大企業の清算によく見られる「債権の(一部)放棄」や「利払いの停止」が行なわれず、その一方で「事業の継続による収入」がないばかりか、清算事業に関わる人件費の拠出や資産売却の不調も相まって、ほとんどの売却可能資産を処分し、またJR各社(特に本州3社)に追加の債務負担をさせたにも拘らず、約30兆円もの長期債務が返済できないまま(むしろ利払いなどにより増加してしまった)、1998年10月22日に日本国有鉄道清算事業団法の廃止と共に解散した。
結局、「国鉄の債務を解消する」という面において、国鉄の分割・民営化は完全に失敗した。国鉄は、その清算の段階にあってなお、政治に翻弄され続ける結末となった。また、国鉄債務の一部を承継した本州3社のうち、目だったドル箱路線のないJR西日本は特にその財務基盤を圧迫され、その経営の無理が現場に波及して福知山線脱線事故の遠因となったという指摘もある。国鉄債務の償還の失敗は、「健全経営」とされたJRの企業体質や安全性にも陰を落としていると言わざるを得ない。
解散後、固定資産やJR株式などの処分資産は鉄道公団が継承した。その一方、債務については「日本国有鉄道清算事業団の債務等の処理に関する法律」によって国の一般会計に組み入れられ、国自体の借金となった(「税金」の形で国民が負うことになる)。
鉄道公団はさらにその後運輸施設整備事業団(前身の一つが新幹線鉄道保有機構)と統合されて独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構となり、同機構の国鉄清算事業本部が業務を継承している。
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