閨閥
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閨閥 (けいばつ)とは政界、財界、官界さらには皇室(王室)、華族(貴族)に属す一族が自身の影響力の保持および、増大を目的に一族の子弟、子女を婚姻させ強固な関係を構築した結果できた血縁によるネットワークのことである。
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[編集] 概要
政治、経済、官僚組織などはそれぞれの分野に強みや弱みがあるため、各々分野に秀でた一族はそれらを補完するため他の分野に秀でた一族との間に政略結婚をすることで、一族の存続、影響力の保持、増大を図るようになった。また、それらの家はそれなりの『格式』を誇るため、その家の格式に適合した子女の嫁ぎ先などを考慮した結果、政・財・官において有力な家同士の婚姻が成立することに必然的になる。
[編集] 日本
日本においては、古来天皇家を中心にした政略結婚が広く行われていた。天皇家が権力の源泉であった頃は天皇の外戚になることによって権力を行使する摂関政治といった政治形態が成立した。
また、武家社会が成立してからも、武家同士、あるいは武家と公家との間の政略結婚は広く行われた。前者の場合、勢力の保持、増大が目的であり、後者では勢力の補完に主眼がおかれているといえる。江戸時代には武家と公家との間の婚姻が将軍家と有力大名家、天皇家と宮家、摂家などの有力公家との間にさかんに行われ、それぞれの影響力の補完が行われた。
明治時代に入ると、華族制度が成立した。華族には公家華族、大名華族、藩閥華族などあり、それぞれが格式や実力などに強み弱みがあったため、それぞれを補完するための通婚が行われた。また華族は皇室の藩屏なので当然、天皇家、宮家を巻き込んだものとなった。また富国強兵殖産興業の結果現れた資本家や高級官僚も格式や政治力を得るために華族との通婚を望んだし、経済的な面や政府内実質的な影響力面での支援が期待できることから華族も資本家や高級官僚との婚姻による関係強化を望んだ。
戦後になると、華族制度が廃止となったため、政・財・官の分野で有力な一族の間での通婚が盛んに行われ、各々の影響力を保持、強化に努めるようになった。政治の分野では国会議員の世襲が常態化したため、あるいは常態化させるため、政界の主導による財界、官界さらには皇室との間の通婚で複雑な血縁関係が形成されるようになった。
[編集] 外国
ヨーロッパでは各国の王室や貴族との間の政略結婚が古くから行われており、現在にいたるまで複雑な血縁関係が形成されている。
アメリカ合衆国では王室や貴族制度はないが政治家と経済界の有力な家との間に通婚する例はある。