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近衛文麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第34、38、39 代内閣総理大臣
近衞 文麿
(このえ ふみまろ/あやまろ)
Image:Konoe Humimaro.jpg
生年月日 明治24年(1891年)10月12日
出生地 東京府東京市麹町区
出身校 京都帝国大学法学部卒業
学位・資格 公爵
学士(京都帝国大学)
前職 貴族院議長
世襲の有無 貴族院華族議員
家族・親族参照)
在任期間 第1次:
1937年6月4日
 - 1939年1月4日

第2次‐第3次:
1940年7月22日
 ‐ 1941年10月16日

選挙区
当選回数
所属(推薦)党派
没年月日 昭和20年(1945年)12月16日

近衛 文麿(このえ ふみまろ/あやまろ、近衞 文麿とも。1891年明治24年)10月12日1945年昭和20年)12月16日)は、第二次世界大戦期までの日本政治家の一人である。第5代貴族院議長。第34、38、39代内閣総理大臣。彼の政権は日本のファシズム化を促進した。

華族で、五摂家筆頭である近衛家の当主であった。爵位公爵

目次

[編集] 首相就任まで

[編集] 京大在学時代まで

1891年(明治24年)10月12日公爵近衛篤麿前田慶寧娘・衍の間に、長男として、東京市麹町区(現・千代田区)に生まれた。しかし母は文麿が幼いときに病没、父の後妻・貞(衍の妹。よって実の叔母でもある)との間は不仲であった(貞が「文麿がいなければ私の産んだ息子の誰かが近衛家の後継者となれた」と公言していたのが理由といわれる)。

父の篤麿はアジア主義を唱え、東亜同文会を興すなど活発な政治活動を行っていた。ところが、1904年(明治37年)に、篤麿は41歳の若さで死去。 文麿は12歳にして近衛家の当主となり、また父の残した多額の借金を背負うこととなった。

この苦境を救った者が、同じ公家出身の政治家・西園寺公望である。西園寺は、生前の篤麿とは政敵と言える状況にあったが、近衛家と文麿に物心両面で援助を惜しまなかった。こうした結果、近衛は父のアジア主義よりも、西園寺の欧米主義的思考を持つこととなった。

学習院中等科を修了後、華族の師弟は学習院高等科にそのまま進学するのが通例だが、当時旧制一高の校長であった新渡戸稲造に感化され、一高を受験して進学。続いて東京帝国大学(戦後の東京大学)で哲学を学んだが飽き足らず、高名な経済学者であり、当時急速にマルクス経済学に傾倒しつつあった河上肇に学ぶため、京都帝国大学(戦後の京都大学)法学部に転学した。在学中の1914年大正3年)には、第三次『新思潮』に、オスカー・ワイルドの『社会主義下における人間の魂』を翻訳し、「社会主義論」として発表した。しかし、これは発売頒布禁止処分となり、近衛は宮内省に呼ばれて叱責された。

[編集] 政界進出

1916年大正5年)、満25歳に達したことにより公爵議員として貴族院議員になる。1918年大正7年)に、雑誌『日本及日本人』に論文「英米本位の平和主義を排す」を執筆。 1919年(大正8年)のパリ講和会議には全権西園寺公望に随行し、見聞を広めた。その後、1922年には、僅30歳で貴族院議員に就任。1927年昭和2年)には旧態依然とした所属会派の研究会から離脱して木戸幸一徳川家達らとともに火曜会を結成して貴族院内に政治的な地盤を得るとともに、次第に西園寺から離れて貴族院内の革新勢力の中心人物となっていった。又、五摂家筆頭という血筋や、貴公子然とした端正な風貌(当時の日本人にあっては長身であった)に加えて、対英米協調外交に反対する現状打破主義的主張で、大衆的な人気も獲得し、早くから首相待望論が聞かれた。1933年貴族院議長に就任。

1936年(昭和11年)の二・二六事件直後には岡田啓介首相の後継として初めての大命降下があったが、この時は健康問題を理由に辞退している。辞退の真因に関しては各説あるが、近衛が親近感をもっていた陸軍皇道派の勢力が相沢事件とそれに続く二・二六事件により失墜していたことから、政権運営の困難を感じていたのではないかとの説がある。

[編集] 首相時代

[編集] 第一次近衛内閣

近衛文麿
近衛文麿

1937年昭和12年)6月4日に、元老・西園寺の推薦の下で、各界の期待を背に第一次近衛内閣を組織した。その直後には、「国内各論の融和を図る」ことを大義名分として、治安維持法違反の共産党員や二・二六事件の逮捕・服役者を大赦しようと主張して、周囲を驚愕させた。この大赦論は、荒木貞夫が陸相時代に提唱していたもので、かれ独特の国体論に基づくものであったが、二・二六事件以降は皇道派将校の救済の意味も持つようになり、真崎甚三郎の救済にも熱心だった近衛は、首相就任前からこれに共感を示していた。しかし、西園寺は、荒木が唱えだした頃からこの論には反対であり、結局、大赦はならなかった。

7月7日盧溝橋事件をきっかけに日中戦争支那事変)が勃発。7月9日には、不拡大方針を閣議で確認。7月11日には現地の松井久太郎大佐(北平特務機関長)と秦徳純(第二十九軍副軍長)との間で停戦協定が締結されたにもかかわらず、内地三個師団を派兵する「北支派兵声明」を発表。しかし、その後の国会では「事件不拡大」を言い続けた。7月17日には、1千万円余の予備費支出を閣議決定。7月26日には、陸軍が要求していないにも拘らず、9700万円余の第一次北支事変費予算案を閣議決定し、7月31日には4億円超の第二次北支事変費予算を追加。

8月2日には増税案を発表。又、この間宋子文を通じての和平工作を行い、近衛と蒋との合意が成り、特使を神戸から船にのせ南京に送って欲しいとの電報が届くと、杉山元陸相に確認を取り、宮崎龍介を特使として上海に派遣することを決定した。しかし、海軍を通じてこの電報を傍受した陸軍内の一部の強硬論者がこれを快く思わず、憲兵を動かし、8月4日に宮崎を神戸で拘束して東京へ送還したため、この和平工作は立ち消えとなった。

これに関しては、杉山陸相の真意がどこにあったかが不明で、宮崎派遣を了承したにもかかわらず部下には工作の妨碍を命じたとも、確認のつもりで部下に言ったため一部の強硬論者が勝手に動いたとも言われているが、杉山はこれについて詰問せず事後了解を与えた形になったため、近衛は杉山に強い不信感を抱くようになった。8月8日には日支間の防共協定を目的する要綱を取り決めた。8月9日上海で、二人の日本人将兵が殺害され、それに応じて、8月13日には、二個師団追加派遣を閣議決定。8月15日には、海軍による南京に対する渡洋爆撃を実行し、同時に、「今や断乎たる措置をとる」の声明を発表。8月17日には、不拡大方針を放棄すると閣議決定。

9月2日には「北支事変」という公式呼称を「支那事変」と変更を閣議決定し、戦域を拡大した。9月10日には、臨時軍事費特別会計法が公布され、「支那事変」が日清戦争日露戦争第一次世界大戦と同列の戦争と決定され、不拡大派の石原莞爾参謀本部作戦部長が失脚。12月13日南京攻略。

1938年(昭和13年)1月11日には、御前会議で支那事変処理根本方針が決定され、ドイツの仲介による講和(トラウトマン工作)を求める方針だった。しかし、1月14日に和平交渉の打切りを閣議決定し、1月16日に「爾後國民政府ヲ對手トセズ」の声明を国内外に発表し、講和の機会を閉ざした。更に、汪兆銘政権を樹立し、石原莞爾らの独自和平工作を完全に阻止した。5月5日には、支那事変のためとして、国家総動員法や電力国家管理法を成立させ、経済の戦時体制を導入し、日本の国家社会主義化(若しくは右派全体主義化)が開始された。なお、国家総動員法や電力国家管理法は、ヨセフ・スターリン政権の第一次五ヶ年計画の模倣と言われている。3年後の1941年(昭和16年)に制定された国民学校令は、アドルフ・ヒトラー政権のフォルクスシューレを完全に模倣した教育制度である。

この頃に近衛は、閑院宮陸軍参謀総長らに根回しをすることで杉山の更迭を成功させた。後任には小畑敏四郎を考えたが、摩擦が生じるとして、不拡大派の支持があった板垣征四郎を迎えることを決意、山東省の最前線にいた板垣への使者として民間人の古野伊之助を派遣している。この時期の内閣改造では、陸軍の非主流派や不拡大派の石原莞爾らが、以前閣僚にと考えていた人たちが主に入閣し、これにより軍部を抑える考えがあったものとされるが、板垣は結局「傀儡」となり失敗した。この際に近衛は、宇垣一成を外相に迎えたが、宇垣の和平工作を十分に助けようとしなかった。宇垣はこれに不満を覚え、また近衛が興亜院を設置しようとしたこともあり、9月に辞任した。

8月には、麻生久を書記長とする社会大衆党を中心として、大日本党の結成を目指したが、時期尚早とみて中止した。これは、大政翼賛会へと至る独裁政党への第一歩である。11月3日に「東亜新秩序」声明を発表。1939年(昭和14年)1月5日総辞職。

1940年(昭和15年)5月26日には、木戸幸一有馬頼寧と共に、「新党樹立に関する覚書」を作成。再度、ナチ党(ヒトラーのドイツ)やソ連共産党(スターリンのソ連)を模倣した独裁政党の結成を目指した。6月24日に「新体制声明」を発表。組閣の直前の7月19日に荻窪会談を行い、入閣予定の東条英機吉田善吾松岡洋右と「東亜新秩序」の建設を合意。

[編集] 第二次近衛内閣

第二次近衛内閣の閣僚、初閣議を終えて記念写真。
第二次近衛内閣の閣僚、初閣議を終えて記念写真。

1940年7月22日に、第二次近衛内閣を組織した。7月26日に「基本国策要綱」を閣議決定し、「皇道の大精神に則りまづ日満支をその一環とする大東亜共栄圏の確立をはかる」(松岡外相の談話)構想を発表。新体制運動を展開し、全政党を自主的に解散させ、8月15日民政党の解散をもって、日本に政党が存在しなくなり、議会制民主主義は死を迎えた。

しかし、一党独裁は日本の国体に相容れないとする「幕府批判論」もあって、会は政治運動の中核体という曖昧な地位に留まり、独裁政党の結成には至らず、10月12日大政翼賛会の発足式で「綱領も宣言も不要」と新体制運動を投げ出した。

また、新体制運動の核の一つであった経済新体制確立要綱が財界から反発を受け、小林一三商工相は経済新体制要綱の推進者である岸信介次官と対立、小林は岸を「アカ」と批判した。近衛は革新官僚を「国体の衣を着けたる共産主義」として敵視し、12月の平沼騏一郎の入閣で、経済新体制確立要綱を骨抜きにさせて決着を図り、平沼らは更に経済新体制確立要綱の原案作成者たちを共産主義者として逮捕させ、岸信介も辞職した。この間、新体制推進派は閣僚を辞職し、平沼は大政翼賛会を公事結社と規定し、大政翼賛会の新体制推進派を辞職させた。

三国軍事同盟を宣伝する、1938年のプロパガンダ絵葉書。
三国軍事同盟を宣伝する、1938年のプロパガンダ絵葉書。

9月23日、北部仏印進駐9月27日日独伊三国軍事同盟を締結。

1941年(昭和16年)4月13日日ソ中立条約を締結。近衛らは日米諒解案による交渉を目指すも、この内容が三国同盟を骨抜きにする点に松岡洋右外相は反発し、松岡による修正案がアメリカに送られたが、アメリカは修正案を黙殺した。

6月22日独ソ戦が勃発、ドイツ・イタリアと三国同盟を結んでいた日本は、独ソ戦争にどう対応するか、御前会議にかける新たな国策が直ちに求められた。陸軍は独ソ戦争を、仮想敵国ソビエトに対し軍事行動をとる千載一遇のチャンスととらえた。一方海軍も、この機に資源が豊富な南方へ進出しようと考えた。大本営政府連絡会議では松岡外相は三国同盟に基づいてソ連への挟撃を訴えた。

7月2日の御前会議で「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が決定された。この国策の骨格は海軍が主張した南方進出と、松岡外相と陸軍が主張した対ソ戦の準備という二正面での作戦展開にあった。この決定を受けてソビエトに対しては7月7日いわゆる関東軍特種演習を発動し、演習名目で兵力を動員し、独ソ戦争の推移次第ではソビエトに攻め込むという作戦であった。一方南方に対しては7月28日南部仏印への進駐が実行された。しかし、この行動が原因となりアメリカの経済制裁が実行された。アメリカでの日本の経済活動がすべてアメリカ政府の管理下に置かれ、そして日本の南部仏印の進駐を確認した上で、石油の対日輸出が全面禁止された。

昭和天皇の意向を受けて、7月18日に、対米強硬派、且つ北進論の松岡洋右外相を更迭するため総辞職。

アメリカの対日石油全面輸出禁止により窮地に立たされ、9月6日に「帝国国策遂行要領」を御前会議で決定し、対英米戦の方針を定める。

[編集] 第三次近衛内閣

1941年(昭和16年)7月18日に、第三次近衛内閣を組織。これは、アメリカの要求を飲んだかのように見せかけたもので、実際はもう既に桎梏でしかなかった松岡洋右を更迭しただけで、殆ど変わっていないのが実情であった。代わって外相には、南進論の豊田貞次郎海軍大将を任命した。7月23日にすでにドイツに降伏していたフランスヴィシー政権からインドシナの権益を奪い、7月28日に南部仏印進駐を実行し、7月30日サイゴンへ入城。その後、近衛はようやく決意して日米首脳会談による解決を目指し、東条英機陸相も日本の要求が通せないならば開戦する決意で交渉することを条件にこれを認めたが、アメリカの中国派の強い反対によって挫折した。

9月6日の御前会議で、「帝国国策遂行要領」を決定。アメリカ、イギリスに対する最低限の要求内容を定め、交渉期限を10月上旬に区切り、この時までに要求が受け入れられない場合、アメリカ、オランダ、イギリスに対する開戦方針が定めらた。

御前会議の終わった9月6日の夜、近衛は駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーと極秘のうちに会談し、危機打開のため日米首脳会談の早期実現を強く訴えた。事態を重く見たグルーは、その夜、直ちに首脳会談の早期実現を要請する電報を本国に打ち、国務省では日米首脳会談の検討が直ちに始まった。しかし、国務省では妥協ではなく力によって日本を封じ込めるべきだと考え、10月2日、アメリカ国務省は日米首脳会談を事実上拒否する回答を日本側に示した。

陸軍はアメリカの回答をもって日米交渉も事実上終わりと判断し、参謀本部(陸軍管轄)は政府に対し、外交期限を10月15日とするよう要求した。外交期限の迫った10月12日、戦争の決断を迫られた近衛は政府の重要閣僚を自宅に呼び、対米戦争への対応を協議した。いわゆる荻外荘会談である。そこで近衛は対中撤兵による交渉に道を求めたが、これに反対する東条英機陸相は総辞職か国策要綱に基づく開戦を要求し、両者は東久邇宮稔彦王を次期首相に推すことで一致し、10月16日に内閣は投げ出され、10月18日に総辞職した。

[編集] 第二次大戦中

1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争勃発後は、共に軍部から危険視された後の総理大臣・吉田茂と接近するようになる。1942年(昭和17年)のシンガポール占領とミッドウェー海戦の大敗を好期と見た吉田は、近衛をスイスに派遣し、英米との交渉を行うことを持ちかけ、近衛も乗り気になったため、この案を木戸幸一に伝えるが、木戸が握り潰してしまった。近衛に注意すべきとの東條の意向に従ったものとされる。

1943年(昭和18年)から、近衛とそのグループは、やがて「近衛上奏文」につながる軍部赤化論や共産革命脅威論を唱え始める。発端は皇道派軍人の真崎甚三郎小畑敏四郎たちであった。殖田俊吉もこれに共感し、吉田に近衛と会うべきと言われていた殖田は、小畑と共に近衛にこれを説いた。以降、近衛は、彼らグループの中心として、親ソ的な現在の陸軍首脳部を追うことで終戦を目指すようになる。

1945年(昭和20年)2月14日に、近衛は昭和天皇に対して、早期和平を主張する「近衛上奏文」を奏上した。

戦局が悪化するにつれ、近衛は独自の終戦工作を展開した。それは、スイススウェーデンバチカンなどの中立国を仲介とするものではなく、ソ連による和平仲介だった。しかし、近衛のモスクワ派遣は、スターリンに事実上拒否された。近衛の交渉案は、全ての海外の領土、琉球諸島小笠原諸島、北千島を放棄し、労働力として日本軍将兵を提供するものだった。

[編集] 終戦から自殺まで

東久邇宮内閣の記念写真。再び政治の表舞台に現れた。
東久邇宮内閣の記念写真。再び政治の表舞台に現れた。

1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争が終結すると、東久邇宮稔彦王内閣で近衛は国務大臣を務めた。10月4日に、近衛は連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーを訪ね、持論の軍部赤化論を説いて、開戦時には天皇を中心とした封建勢力や財閥はブレーキの役割を果たした、と主張し、皇室と財閥を除けば日本はたちまち赤化すると説いた。マッカーサー、サザーランド参謀長およびアチソンGHQ政治顧問はこれに肯き、近衛に憲法改定を託した。

しかし、国内外の新聞では、戦時体制を敷いた近衛の責任問題の追求が激しくなり、白洲次郎たちは近衛がマッカーサーに憲法改定を託されたことを宣伝して回り、近衛を助けようと試みた。しかし、メディアの反応を恐れたマッカーサーは、11月1日に、近衛の憲法改定にはGHQは関与しないとして、近衛を切り捨てた。又、近衛の責任追及も行われるようになり、砲艦に呼び出され軍部と政府の関係について質問があった。

近衛は、すでに1921年の演説で、統帥権によって将来軍部と政府が二元化しかねない危険性を説き、その後それは現実となったのだが、このような状況はアメリカ側には理解し難い内容であった。しかし、昭和天皇への責任追及を避けるために、統帥権という語は口にできなかった。近衛は、何も答えられなくなった。

寝室に横たわる、近衛文麿の死体。
寝室に横たわる、近衛文麿の死体。

『世界文化』に、「手記~平和への努力」を発表し、日中戦争の泥沼化と、太平洋戦争の開戦の全責任を軍部に転嫁し、自分は軍部の独走を阻止できなかったことが遺憾であると釈明した。1945年12月6日に、GHQからの逮捕命令を聞いて、A級戦犯として極東国際軍事裁判で裁かれることを知った。巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の1945年12月16日、東京都荻窪の自宅・荻外荘で、青酸カリを飲んで自殺した。これは、昭和天皇に戦争責任が及ばないようにとの苦渋の選択による行為だったという。

自殺の前日、次男の近衛通隆に遺書を口述筆記させ、「自分は多くの過ちを犯してきたが、戦犯として裁かれなければならないことに耐えられない…僕の志は知る人ぞ知る」と言い残した(この遺書は翌日にGHQにより没収された)。

2006年に出版された工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』(日本経済新聞社ISBN 4532165636)では、都留重人ハーバート・ノーマン木戸幸一の責任を軽くするため近衛を陥れたと主張されている。

[編集]

葬儀は、1945年12月21日に行なわれた。 墓は、京都市大徳寺にある。

[編集] 家族・親族


[編集] 系譜

忠通―基実―基通―家実―兼経―基平―家基―経平―基嗣―道嗣―兼嗣―忠嗣―房嗣―政家―尚通―稙家―前久
―信尹=信尋―尚嗣―基熈―家久―内前―経熈―基前―忠熈―忠房―篤麿―文麿




[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


先代:
林銑十郎
内閣総理大臣
第34代: 1937 - 1939
次代:
平沼騏一郎
先代:
米内光政
内閣総理大臣
3839代: 1940 - 1941
次代:
東條英機
先代:
徳川家達
貴族院議長
第5代: 1933年-1937年
次代:
松平頼寿
先代:
宇垣一成
外務大臣(兼任)
第57代:1938
次代:
有田八郎
先代:
宇垣一成
拓務大臣(兼任)
1938
次代:
八田嘉明
先代:
島田俊雄
農林大臣(臨時)
1940
次代:
石黒忠篤
先代:
柳川平助
司法大臣(兼任)
1941
次代:
岩村通世
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