青木盛久
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青木 盛久(あおき もりひさ、1938年11月23日-)は日本の元外交官。
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[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
栃木県出身。父は在ジュネーヴ国際機関日本政府代表特命全権大使や、駐南ベトナム特命全権大使等を務めた外交官の青木盛夫。母方の祖父は国際連盟事務局次長や駐フランス大使、IOC委員を務めた杉村陽太郎。なお、曽祖父は明治時代に外務大臣を務めた青木周蔵。
栄光学園中学校・高等学校を経て、1963年東京大学法学部卒。1962年外務公務員上級試験合格、1963年外務省入省。
[編集] 外務省入省後
フランス・ディジョン大学(現ブルゴーニュ大学)留学、外務省情文局文化二課長、駐フィリピン公使兼マニラ総領事、外務大臣官房審議官、国際協力事業団青年海外協力隊事務局長等を経て、1994年に駐ペルー特命全権大使に就任。
[編集] ペルー日本大使公邸占拠事件
1996年に発生したペルー日本大使公邸占拠事件に遭遇し、127日間の人質生活を体験。当時のペルー大統領アルベルト・フジモリの決断でトンネルが掘られ、地下から公邸に特殊部隊を突入させて犯行グループを全員射殺し、人質の大使館員やペルー政府要人、日本企業駐在員らと共に救出された。
[編集] その後
解放後の記者会見で喫煙したほか、公邸内での言動にも批判が集中し、5月13日の参考人招致時に辞意表明。1998年に駐ケニア特命全権大使に事実上左遷される。ケニア大使着任1カ月後、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件に遭遇した。2001年に大使を退官したい意向を伝えたため、外務省は9月14日に駐ケニア大使の職を解いた。
現在は、国際協力事業団参与を勤め、発展途上国の援助活動に奔走している。2005年5月23日に放送された日本テレビ「先端研」でアンガールズと共演。