駿府藩
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駿府藩(すんぷはん)は、駿府城(現在の静岡市葵区)を中心に静岡県の駿河、遠江の地域に江戸時代初期と明治初期に短期間だけ存在した藩である。なお、明治2年8月7日(1869年9月12日)には静岡藩(しずおかはん)と改称されている。
[編集] 江戸初期の駿府藩
江戸初期の1609年-1619年、1624年-1632年の間に存在した藩。50万石。
1609年(慶長14年)に徳川家康の十男、徳川頼宣が水戸より駿府に入って成立する。ただし、1616年(元和2年)まで駿府城は家康の隠居城であり、その補佐を受けて統治していた。1619年(元和5年)に紀州和歌山に転封していったん消滅する(→和歌山藩)。しかしその後、1624年に徳川秀忠の三男、徳川忠長(駿河大納言)が甲斐より駿府に入って藩が成立。甲斐・信州小諸25万石に駿河・遠江東部の25万石を加えた計50万石。忠長は兄徳川家光と仲が悪く、父秀忠が亡くなり家光が将軍になると、粗暴であると言う理由で改易された。以後天領となる。
[編集] 明治初期の駿府藩
倒幕後、徳川慶喜の処置として、駿河・遠江の譜代大名及び天領を併せて駿府に封じた。
大政奉還後の1868年、慶喜が隠居すると、徳川家達が藩を引き継ぎ静岡藩に改称。廃藩置県で静岡県に代わり廃止。
藩士(旧幕臣)の開墾した地のひとつに牧之原台地がある。