T-55
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T-55 | |
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性能諸元 | |
全長 | 9.2 m |
車体長 | 6.45 m |
全幅 | 3.27 m |
全高 | 2.35 m |
重量 | 36 t |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 | 50 km/h(整地) |
35 km/h(不整地) | |
行動距離 | 約460 km |
主砲 | 56口径100mmライフル砲 |
副武装 | 12.7mm機関銃 7.62mm機関銃 |
装甲 | 200 mm |
エンジン | V2-55 12気筒液冷ディーゼル 580 馬力 |
乗員 | 4 名 |
T-55(ロシア語:Т-55)は、ソ連で開発された中戦車である。史上最も生産台数が多い戦車といわれており、ほぼ同じ形状のT-54も含めると、その数は10万両を超えるといわれている。1958年に登場し、1970年代後半まで生産された。冷戦時代、東側諸国を中心に主力戦闘戦車として使用された。T-54とひとまとめにされてT-54/55と表記されることも多い。
目次 |
[編集] 概要
[編集] T-54の開発
ハリコフ設計局により作られたT-44をベースに、100mm砲を無理なく搭載できる新型砲塔を装備したものがT-54である。試作に終わったT-43以来の大直径転輪+トーションバー・サスペンションの足回りと、前作T-44同様の車体上部とシャーシが一体の箱型車体を持つ。1946年に完成した試作車の砲塔は算盤の弾がゆがんだような形状で、下半分に命中弾を弱い砲塔リングや車体上部に導いてしまうショットトラップがあるのが問題だった。先行生産型の48年型では砲塔が大きくなり、後の量産型のようなお椀型に近づいたが、まだ後部にせり上がったショットトラップを残していた。50年型よりよく知られる量産型の砲塔となり、以後T-54A、B、M(以上、NATOでの分類)と改良され、主力戦車の座についた。
[編集] T-55への発展
T-55はT-54を改良したもので、NBC防御用のPAZシステムを標準装備し、エンジンの馬力も向上、クラッチ操作を空気圧で助ける動力サポート機構が追加されている。燃料と砲弾の搭載量も増し、砲塔下部に装填手のためのターンテーブルが増設された。また対空機銃(ジェット機時代となり、命中させにくい)とT-44以来の車体前方固定機銃(実用性に乏しい)の二つは、前者は一旦廃止されながらも後に対攻撃ヘリ用として有効と判断されT-55Aより復活、後者は逆に廃止されている。さらにT-55B以降ではアクティブ赤外線暗視装置が標準装備となった。T-54とT-55は外見は良く似ているが、砲塔上の換気扇カバー(ベンチレータードーム)の有無で簡単に識別できる。
[編集] 運用
T-54/55は冷戦時代を代表する戦車であり、多くの紛争に用いられた。中東戦争ではソ連が軍事援助していたアラブ側の主力戦車としてチェコスロヴァキア製のT-54/55が使用された。また、大量に鹵獲したイスラエル軍も独自の改修を加えてTiran-5(Ti-67ともいう)として主砲を105mmL7A1に変更、砲塔上の機銃を増設するなど改造を加え使用、その後は海外に売却されたり、重装甲のアチザリット兵員輸送車に改修された。
低いシルエットと避弾経始の良さ・強力な武装・良好な機動性により、当時最強・最優秀戦車と呼ばれた。ただし車内は狭く乗員の疲労度は相当なものであり、また主砲の発射速度も遅い。また車内に隙間無く砲弾が納めてあり、貫通弾により簡単に爆発した。さらに光学装置は第二次大戦当時と同じで、お世辞にも良好とは言い難かった。工作精度が西側に比べると劣悪で、エンジン等機械の寿命が西側戦車に比べるとかなり短かったが、チェコとポーランドで生産されたものは、ソ連製に比べ工作精度や仕上げが良かったという。
[編集] 現状
現在では旧式化しているが、第三世界では多くがそのままで、また東欧諸国では改修が行われ、使い続けられている。湾岸・イラク戦争でも中国製と合わせイラク軍の主力戦車として使用された。近年の改修型としては、ウクライナのT-55AHM(T-55AGM;輸出向け)、スロヴェニアが自国で運用するM-55Sなどがある。
また、ポーランド、チェコスロバキア、中華人民共和国でライセンス生産がおこなわれている。中国ではT-54の50年型のコピーが「59式戦車」と呼ばれ、後にソ連と対立状態になったことで技術の供与が受けられなくなったことから独自の改修が繰り返され、69/79式戦車へと発展した。また59式戦車をそのままスケールダウンしたような62式軽戦車も開発された。
長い間内戦状態にあったアフガニスタンでは、ターリバーンや北部同盟など各勢力が各々T-55/54を運用しており、アメリカのアフガニスタン侵攻の際、メディアに幾度となく登場することとなった。
第二次世界大戦後のソ連・ロシアの装甲戦闘車両 | |||
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主力戦車 | |||
T-44 | T-54 | T-55 | T-62 | T-64 | T-72 | T-80 | T-90 | チョールヌィイ・オリョール | T-95 | |||
重戦車 | 水陸両用戦車 | ||
IS-3 | IS-4 | T-10 | PT-76 | ||
空挺戦車 | |||
BMD-1 | BMD-2 | BMD-3 | BMD-4 | ASU-57 | ASU-85 | 2S9ノーナ-S | |||
歩兵戦闘車 | |||
BMP-1 | BMP-2 | BMP-3 | BTR-T | BMP-T | |||
自走砲 | |||
2S1グヴォズジーカ | 2S3アカーツィヤ | 2S5ギアツィント | 2S7ピオン | 2S19MSTA | 2S25スプルート-SD | |||
自走式対空砲 | |||
ZSU-57-2 | ZSU-23-4シルカ | 2S6/2K22ツングースカ | |||
装甲兵員輸送車 | |||
BTR-152 | BTR-40 | BTR-50 | BTR-60 | BTR-70 | BTR-80 | BTR-90 | BTR-D | MT-LB | |||
戦車一覧 |