VHD
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VHD(Video High Density Disc, ブイエイチディ)は、1980年代に日本ビクターが開発したビデオディスク規格である。
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[編集] 製品概要
映像の水平解像度は240本程度とVHSやベータと同程度だが、相反する解像度とS/N比のバランスが良く、高画質で両面最大2時間の収録が可能。記録方式はCAV、色信号低域変換方式採用、音声はアナログFMオーディオが基本(後にDigitalAudio規格もオプションで追加された)、ディスクの回転数は900rpm、ディスクの直径は26cm。溝なし静電容量方式といい、接触式のセンサを用いてディスク表面の信号を読み出す。信号記録面がアナログレコード同様露出している構造上、傷やホコリ対策のためのキャディ(ジャケット)にディスクが封入され、直接触れることはできない。キャディの裏面にはサイド確認窓がおり、白線が見えればB面、見えなければA面である。ディスクとセンサが接触し信号を拾っている関係上、摩耗は当然生じるが、一時間以上に亘る静止画再生等通常考えられない方法を取らない限り、一般家庭での視聴環境ではほぼ無視できるレベルである。
またアナログレコードの生産設備を利用できる点からも普及が有力視され、当時はビデオがある程度普及し次は絵の出るレコードとしてビデオディスクが待望されていた。しかしDVDまでに様々な方式が提案されたが、VHSの牙城を崩すほどの商品が登場しなかった。
再生するときは、ディスクをキャディごとプレイヤー本体に差し込むと、中のディスクだけがローディングされ、キャディは排出される。取り出し時には、キャディを差し込むとディスクがキャディ内に戻される仕組み。片面ディスクでB面を上にして入れると回転せずに即座に取り出しモードになる。ディスクはキャディに収納されているため、DVDやLD等で生ずる傷、指紋、ホコリに悩まされることもなく、取扱は簡便であった。
なお、LD同様、ソフトのレンタルは全面禁止だった。
[編集] ビデオディスクの規格争い
レーザーディスク(LD)との規格争いでは、VHD陣営がアイワ、赤井電機、オーディオテクニカ、クラリオン、山水電気、三洋電機、シャープ、ゼネラル(現富士通ゼネラル)、東京芝浦電気(現東芝)、トリオ(現ケンウッド)、日本楽器製造(現ヤマハ)、日本電気ホームエレクトロニクス、日本ビクター、松下電器産業、三菱電機の15社、LD陣営は当初はパイオニア1社のみと陣容は圧倒的だった。ベータ方式のビデオテープレコーダーを擁して、日本ビクターとライバル関係にあったソニー、そしてアメリカでRCA社にCED方式のビデオディスクプレイヤーをOEM供給していた日立製作所、日立グループでDENONブランドを擁していた日本コロムビア、光学式ビデオディスクシステムを開発したフィリップスの傘下であった日本マランツは、最初はどちらの陣営にも参加しなかったが、その後LD陣営に参入した。なお、当時ソニーの子会社だったアイワがVHDグループに参入し、製品を販売していた。
しかし、VHD方式の技術開発が予想以上に難航し、1981年4月だった当初の発売予定だったのが1983年4月となった。大幅に時間が掛かったことで世界的な商機を逃してしまい、日本国外でゼネラル・エレクトリック、ソーンEMI、日本ビクター、松下電器産業の4社が行っていたVHDソフト、ハード供給合弁企業は本格始動前に空中分解している。
光学式の先進的なイメージと、LD陣営によるCD/LDコンパチブル再生機のヒットにより、1989年にはLDがビデオディスク市場で95%のシェアを獲得。VHDはLDに敗れ去った。VHDとLDの規格争いは、世帯普及率が5%程度のビデオディスクは嗜好商品であり、価格の優位よりも性能が消費者に重視されたためと言われる。また、採用メーカ数で圧倒しても市場を制覇することはできない例として引用されることがある。これは、技術的に優位だったベータマックスがVHSに敗退した例と比較して語られることもある。IEC(国際電気標準会議)で規格がはかられていたのは、光学式ではなくVHD方式であった。
1987年に、松下電器産業はLD陣営に参入した。日本ビクターは最後までLDプレイヤーを発売することはなかったが、VHDがビデオディスク市場で縮小してからは、自社ソフト部門もVHDからLDへとシフトが進んだ。(日本ビクター制作の邦画・洋画(主に傘下のラルゴエンタテインメント作品)・アニメ・カラオケなど積極的にLD化していた。)また、関連会社のRVC(現・BMG JAPAN)が1985年に、メイジャーズ(ビクターエンタテインメントの子会社)とパック・イン・ビデオが1990年にLDソフトを発売開始した。
同じ接触式の針を用いたビデオディスクとしてドイツのテルデック、デッカ、テレフンケンが開発したTED、アメリカのRCAが開発したCED(商品名はSELECTA VISION)、松下電器産業が開発したVISC(未発売)もあったが、こちらはレコード同様に溝がある。当然互換性はない。TEDは国内でゼネラル(現富士通ゼネラル)から製品が供給されたものの、市場で認められず惨敗に終わっている。
[編集] 特徴
[編集] フルランダムアクセス
VHD方式は全てのディスクがCAVで、且つアナログレコードのような溝が存在しない溝無し静電容量方式を採用しているため、高速ランダムアクセスが可能となっている。全てのディスクでタイムサーチ、フレームサーチ、チャプターサーチが出来ることから、比較的初期のVHDプレイヤーであってもレーザーディスク以上の操作性の良さを楽しむことが可能である。レーザーディスクの片面1時間収録のCLVではフレームサーチは不可能であった。アクセスに要する時間もレーザーディスクの半分以下と有利だった。
[編集] 特殊再生
レーザーディスクがデジタルメモリを利用するまで片面1時間の長時間ディスク(CLV)では静止画やトリックプレイが出来なかったの対して、VHD方式はそれらの静止画やコマ送りなど特殊再生が可能なことも優位な点であった。ただしVHDでは1トラックに2フレームを収録していた関係から、動きの激しい画面では静止画がブレる場合もあった。これを解消するには、1トラックに同じフレームを2つ収録して倍速で再生させるエキストラ編集というものがあったが、全編にエキストラ編集を施すと収録時間は30分になった。
[編集] 3-D立体映像対応
1980年代後半に発売されたVHDプレイヤーには3-D立体映像再生機能を有しているものも存在する。高級モデルは標準対応、普及モデルは外付けアダプターで対応する。液晶シャッター式スコープを本体に接続し、眼鏡を掛ける要領で視聴すれば、立体映像を楽しむことが可能であった。3D-VHDのディスクは通常のプレイヤーでも通常の映像として再生できる互換性を保った仕様で、そのために収録時間は半分の片面30分となっていた。既存の立体映画やオリジナル作品の対応ソフトが、日本ビクターから20タイトル程度発表されたものの、VHD方式の躍進には殆ど繋がらなかった。
[編集] 放送三方式対応
真のリージョンフリーメディアを目指していたことから、3つの異なるテレビ方式(NTSC・PAL・SECAM)の再生が可能となっている。ただしNTSC方式のテレビでPAL/SECAMのソフトを再生すると19%縦長になり、PAL/SECAMのテレビでNTSCのソフトを再生すると16%縮むことになる。
この考え方はビクターが現在発売しているDVD機器にも反映され、PAL方式のDVDビデオをNTSC方式に変換して再生する機能を有している。(日本と欧州のDVDリージョンコードが「2」と同一であることから実現できた。)
[編集] QX VHD、VHD DigitalAudio、Hi-Vision VHD
VHDはLDと比較して画質が低く見られがちだが、1980年代後期にはLDに匹敵する水平解像度400本以上の高画質を実現したQX(Quality eXcellent)VHD方式と、音質を根本から見直しCDと同一の高音質を実現するVHD DigitalAudio方式(16Bit,44.1kHz,リニアPCM)を日本ビクターが開発した。すぐに対応ハードを市場へ投入するも、一般家庭向けQX VHDソフト、VHD DigitalAudioソフトは日本ビクターを含め、どこのメーカーからも供給されなかった。 また、来るハイビジョン時代を想定し、MUSE方式によるHi-Vision VHDの開発も日本ビクターと松下電器産業の手で行われていたが、市場に出ることはなかった。
[編集] AHD
日本ビクターは、アナログレコードに代わるディジタルオーディオディスク規格としてDAD懇談会にVHDシステムを応用したAHD(Advanced High Density Disc, エーエイチディ)を提案した。DAD懇談会ではCDとAHDが採択され、国内ではVHDpcマーク付きプレイヤーに外付けするAHDプロセッサとして発売された。高精細ディジタル静止画像とディジタルオーディオ(16bit,44.1kHz,2-4ch)が収録されたAHDソフトが20タイトル程度日本ビクターから発表されたものの、昭和の時代と共にほぼ消滅してしまった。これは松下電器産業がCDを支持したためといわれており、もし松下電器産業がAHDを支持していれば、CDとAHDの間で規格のサバイバル戦争が起きたといわれている。
[編集] VHDpc INTER ACTION
VHDpcマーク付きプレイヤー、VHDインターフェイスユニット及びMSX、シャープX1などパーソナルコンピュータとの組み合わせで、VHDpc INTER ACTIONを楽しむことが可能であった。
VHD言語というグラフィックとサウンドをサポートした言語仕様を策定。グラフィック座標やRPG値は実数値を使用、機種毎に可能な表示を行うなど異機種間共通の言語として考えられていた。対応のインタプリタを用意すれば異なった機種のパソコンでも同一のVHDディスクを使用してゲーム等のソフトが楽しめるという発想だった。VHD言語のプログラムはディスクには中間言語の形で、音声チャンネルBのトラックにデジタル記録され、ディスク片面で約1.3Mバイトの容量があった。転送速度は2880bps。
最初に発売されたのはオートバイレースゲーム「VROOM」、ギャンブルゲーム「The Players Club」、教育ソフト「アリスの化学実験室」。
「タイム・ギャル」、「ロードブラスター」、「サンダーストーム」など、当時ゲームセンターで流行したLDゲームも移植されたが、これらはVHD言語非対応で、VHDの他に各機種個別のソフトウェアを必要とした。また、VHD言語は事実上ユーザーによるソフト開発は不可能(仮にソースを書いて中間言語に変換できたとしても、それをVHDに記録する方法がないので無意味)で、MSXは拡張BASIC、X1も機械語のコントロールプログラムを読み込んで、VHDpcマーク付きのプレイヤーをコントロールした。
[編集] カラオケVHDと、EXTRA SOUNDカラオケVHD
レーザーディスクとの競争で敗れてのちは、VHDはカラオケ用での生き残りをはかることとなった。そして1990年頃には「EXTRA SOUND方式」という従来の2チャンネルの音声(モノラルカラオケ+モノラル歌)のほかにステレオのカラオケを収録したVHDソフトと再生するプレイヤーが発売されたが、一般には認知されることはなかった。VHDカラオケソフトは数年間は新譜の注文書に掲載があった。
今でも田舎の居酒屋やラブホテルに行くと、極希だがVHDカラオケを見かける事がある。
[編集] 参考資料
- 平田渥美『パソコンでVHDを楽しむ本』(1985年、工学社)
- 山川正光『ビデオディスクを買う前に読む本』(1987年、誠文堂新光社)
- 『スーパーハイバンド2 50万ビデオマニア衝撃の必読版』(1987年、電波新聞社)
- 小林紀興『ソニーの大逆襲に松下電器があせる理由 パイオニア・ビクターまじえてAV大混戦』(1987年、光文社)
- 荒井敏由紀『パイオニア1vs13の賭け 「ドキュメント」孤立からの逆転』(1990年、日本能率協会)
- 神尾健三『画の出るレコードを開発せよ!』(1995年、草思社)
- 佐藤正明『映像メディアの世紀 ビデオ・男たちの産業史』(1999年、日経BP)
- 村瀬孝矢、林正儀『放送技術80年のドラマ』(2004年、毎日コミュニケーションズ)