うえやなぎまさひこ
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うえやなぎ まさひこ(本名:上柳 昌彦 1957年8月1日 - )は、ニッポン放送アナウンサー。大阪府出身(但し親が転勤族であったため、鎌倉や神戸・群馬県にも居住していた)。
東京都立新宿高等学校、立教大学法学部卒業後の1981年、ニッポン放送に入社。放送研究会の後輩にフジテレビアナウンサーの川端健嗣がいる。愛称は「うえちゃん」。
防災パーソナリティ(同局における地震情報のアナウンス担当)指定を受けた一人。
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[編集] プロフィール
入社後は主に深夜枠の番組を担当。『オールナイトニッポン』(月曜2部)を経てアマチュアバンドブームの中『HITACHI FAN! FUN! TODAY』『ぽっぷん王国』などの音楽系番組のパーソナリティを歴任し、「うえちゃん」の愛称で親しまれるようになる。
その余勢を駆って、一時期ラジオ局のアナウンサーでありながら、同じフジサンケイグループであるフジテレビ系のテレビ番組「夕やけニャンニャン」(水曜日)に出演して司会を務めていた経験がある。が、同時期出演していた吉田照美(当時文化放送からフリーに転身したばかり)ほどテレビの雰囲気に慣れなかったことと吉田と違いニッポン放送の社員という立場もあって早い段階で降板した。フジテレビではこの他、深夜番組『録映館』でMCを経験している。因みに、当時のアシスタントは中井美穂で、ある回では温泉で混浴するという一幕もあった。
また映画の出演経験もあり、サザンオールスターズ・桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』の他、『サラリーマン専科』にも居酒屋のおやじ役として出演している。
音楽にも当然詳しく、自らとスタッフで結成したバンドの歌声を、ラジオで披露することもあった。また1987年にスタートした、ヤマハ主催の10代限定の音楽の祭典『ティーンズミュージックフェスティバル』の司会も担当していた。
バンドブームの終焉とともに深夜枠を外れ、日中の時間帯の番組を担当。また、1993年の自民党55年体制崩壊時には国会担当記者、選挙特別番組のキャスターなども務める。1994年のオフシーズンナイター枠で『上柳昌彦の花の係長 ヨッ!お疲れさん』を開始、帰宅途中の中堅サラリーマンを対象とする実験的な番組だった。当初は苦戦するも明確にターゲットを打ち出して次第に支持を集め、翌年からもオフシーズン番組として続行となる。3年目の『うえちゃんのおっかけラジオ ヨッ!お疲れさん』に至り、ついに同時間帯聴取率トップの座を獲得する。これは同局オフシーズンナイター枠番組としては画期的なことであった。
その後、苦戦していた午後番組『のってけテリー!渚の青春花吹雪』のテコ入れとして白羽の矢が立ったことで、また転機が訪れる。1998年4月当時としては珍しい、男性コンビによる『テリーとうえちゃんのってけラジオ』を立ち上げる。「得意先まわりの営業マンが営業車で缶コーヒー片手に聞くラジオ」をコンセプトに、苦戦しつつも人気投稿コーナーをつくり序々に固定リスナーを確保、ジャイアンツ優勝ちょうちん行列時に同時間帯聴取率トップの座を(一時的ではあるが)奪取する。
当時同局は、午前昼前枠の人気長寿番組『玉置宏の笑顔でこんにちは』終了後の対応に苦慮していた(主聴取者層の高齢者が他局に移動してしまったため)。加藤茶や山田邦子といったタレント起用による新規層の開拓にも失敗、再びうえやなぎに声がかかることとなる。『山田邦子ワンダフルモーニング』の後を受けて『うえやなぎまさひこのサプライズ!』を開始。深夜放送形式の、相方のいない一人パーソナリティーという昼番組としては特異な構成であった。
現在は月~金曜の帯の生ワイド番組『うえやなぎまさひこのサプライズ!』のパーソナリティを務める。これに加え前述の地震パーソナリティも務めており、毎年9月1日の防災の日と1月17日の阪神淡路大震災発生日にて、『サプライズ!』枠内で放送されるラジオ災害情報交差点のパーソナリティリレーではNHKラジオ第1放送をはじめとする首都圏各ラジオ局でも声を聴くことができる。
私生活では離婚経験がある。現在の妻は2人目で、現妻の間に2人の子供がいる。
[編集] エピソード
- 当初は本名の漢字表記で出演していたが、「上柳」を「かみやなぎ」と誤読されるケースがしばしば発生するなどしたことから、後に平仮名の「うえやなぎ まさひこ」に改名した。『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』で司会を務めたSMAPの中居正広から中継先のうえやなぎに向かって「かみやなぎさ~ん!」と呼びかけられたことが平仮名表記にした決定打といわれている。
- 高校時代、担任の先生から「お前、将来は何をやりたいんだ?」と問われて返答に窮していると、「何か、しゃべることを仕事にしろよ」と勧められた。「しゃべる仕事とは、どのような仕事ですか?」と聞き返すと、先生から「まあ、アナウンサーかな」という返事が返ってきたという。
- 大学入学後、まず趣味の落語研究会の部室を覗いたが留守だったため放送研究会へ行き、そちらにそのまま入部した。もし落研に入っていたら少なくともアナウンサーにはならなかっただろう、とは本人の弁。
- 『玉置宏の笑顔でこんにちは』で外リポーターを担当していた若手時代、ラジオカーで寝過ごしてしまいリポートコーナーに穴を開けたことがある。
- 『オールナイトニッポン』月曜2部を担当していた時、漫画家の弓月光からのはがきが届き、放送中に電話をつないだところ、弓月と上柳は卒業(卒園)した幼稚園と小学校が同じだったことがわかり、上柳が「自分を漫画に出して欲しい」と頼んだところ、弓月の漫画に「上柳産婦人科」の院長として実際に登場した、ということがあった。
- 1983年12月29日の谷山浩子のオールナイトニッポンに登場。その日は、六本木から忘年会をオンエアしており、お酒を飲んで気分の良くなったうえやなぎは、生放送中にもかかわらず、「浩子さんには、お○○こ、無いんです」と発言。ちなみにその番組内で、うえやなぎは、当時、谷山浩子のオールナイトニッポンのはがき整理のアルバイトをしていた(後に、うえやなぎの妻となった)山崎えりこさん(通称、うさぎちゃん)と結婚式ごっこをさせられた。
- 1986年、『HITACHI FAN! FUN! TODAY』にRUN D.M.C.がゲスト出演した際、彼らは収録予定時刻を大幅にオーバーしてニッポン放送入り。収録では上柳と共にパーソナリティを務めていた久保田利伸、羽田一郎の3人はメンバーとラップセッションを行う事になっていたが、大遅刻でさんざん待たされた上、話す英語はブロークン・イングリッシュであるため通訳もままならないほどだった。業を煮やして立腹した3人は悪乗りして、怒気を込めつつ彼らへの愚痴やボヤキをラップに乗せたところ(無論日本語で)、日本語を理解できないメンバーからは「君たちはなかなかノリがいい」と、逆にいたく気に入られてしまった。また久保田の初ライブで、上柳はスタッフと組んだバンドで前座を務めたが、緊張の余りか、曲を演奏する際「1・2・3・4・5」と、間違って「5」までカウントしてしまったという。
- 1989年4月1日(正確には3月31日深夜)には、当時上柳が担当していた『FAN! FUN! TODAY』『ぽっぷん王国』の裏番組であるTBSラジオ『SURF&SNOW』にゲスト出演を果たしている。これはこの日がエイプリルフールに当たることに加え、『SURF&SNOW』が月~金の帯番組なのに対し『FAN! FUN! TODAY』『ぽっぷん王国』は月~木の帯番組(金曜日は地方局のみ録音版をネット)であったため、金曜日のこの日は上柳のスケジュールが空いていたという偶然も重なって実現した出来事だった。また、このことが『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)内のコーナー「秘密キッチの穴」で取り上げられ、17年後の2006年5月14日に放送されたその解決編では、うえやなぎ本人がゲストとして再びTBSラジオに生出演した。このような民放共同キャンペーン以外でのアナウンサーの他局出演は最近ではかなり珍しいことである。
- 2006年7月24日の文化放送社屋移転の際、冗談企画のラジオ局訪問ツアーに、ニッポン放送代表として文化放送リスナーを歓迎した。
- 『笑っていいとも!』の人気コーナー「テレフォンショッキング」に小室哲哉の紹介で出演した経験がある(タモリとは後に『タモリの週刊ダイナマイク』で共演することになるが、その遥か前の話)。紹介者の小室哲哉の最初の結婚の際、式の司会をうえやなぎが務めたつながり。
- 大学時代からスネークマンショーの大ファンで、『FAN! FUN! TODAY』ではスネークマンと自分の苗字をもじって「ウナギマン」と名乗ってラジオコントを演じたりもしていた。
- 大の東京ヤクルトスワローズファンとしても知られる。スワローズの株主であるフジサンケイグループ傘下の社員だからというわけではなく、弱小期からの筋金入りのファンであり、田尾安志が東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に決定した際にも、本人を目の前にそれを堂々と公言していた。
- 笑福亭鶴瓶曰く、現在のラジオアナウンサーで最高の人材の一人。まだフリーになっていないことが奇跡、だそうだ。『日曜日のそれ』のラジオ『スジナシ』の際はナレーターとして特にうえやなぎを指名した。2004年『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』で両者は司会を務め、台本を無視して募金に出かけたきりスタジオに帰ってこない鶴瓶を、8時間担当予定だったうえやなぎがフォロー、全時間司会を代行した。
- 初対面の『サプライズ!』内のコーナー対談で、うえやなぎの発案で鶴瓶と二人で立った漫才形式で収録した。鶴瓶は「心底驚いた。面白いこと考えつくヤツやなー」とうえやなぎを評価している。これが後にMBSラジオの「ヤンタン・立つラジオ」として生かされることとなった。
[編集] 現在の出演番組
- うえやなぎまさひこのサプライズ!(月~金/8:30~11:00、金曜日は「うえちゃん郁恵のサプライズ!フライデースペシャル」として放送)
- TOYOTA DRIVING TALK(全国ネット)
[編集] 過去の出演番組
- 上柳昌彦のオールナイトニッポン(月曜2部)
- 上柳昌彦のくるくるダイヤル ザ・ゴリラ(金曜2代目・初代は林家こぶ平)
- HITACHI FAN! FUN! TODAY
- ぽっぷん王国(現在のTEEN'S MUSIC WAVE)
- 上柳昌彦のベストヒットサンデー(現在の「ザ・ベスト30」枠)
- 上柳昌彦の花の係長 ヨッ!お疲れさん
- うえちゃんのホットラジオ ヨッ!お疲れさん
- テリーとうえちゃんのってけラジオ(現在はテリー伊藤のってけラジオ、月~金 13:00~15:30)
- うえちゃんの花の土曜日おっかけラジオ
- うえちゃんのおっかけラジオ ヨッ!お疲れさん
- タモリの週刊ダイナマイク(アシスタント)
- ラジオ・チャリティー・ミュージックソン テリーとうえちゃんのってけクリスマス(1998年)
- 1995・2004・2006年ラジオチャリティーミュージックソン(アシスタント)
- うえやなぎまさひこのブロードバンド!ニッポン(月曜日)
- 高田文夫のラジオビバリー昼ズ(木曜/11:30~13:00、高田文夫休養中によるピンチヒッター、2006年4月~2006年6月)
- うえちゃん・山瀬の涙の電話リクエスト
- 夕やけニャンニャン(フジテレビ、水曜日司会、1986年4月~9月)
- ライオンのごきげんよう(フジテレビ、トリオフェアでニッポン放送のパーソナリティ繋がりで高田文夫・笑福亭鶴光と共に登場、1997年)
- 中島みゆきのオールナイトニッポン復活スペシャル(アシスタント:中島いわく総合司会者、2006年12月15日)
- これがニッポン放送のステレオだ!ステレオオープニングスペシャル(1992年)
- 上柳昌彦のモアモア歌謡センター
- うえちゃん・山瀬のサプライズ! フライデースペシャル(2006年~2007年)
[編集] 関連項目
- 那須恵理子(ニッポン放送アナウンサー、アナウンサールーム長)
- テリー伊藤(のってけラジオを共に担当した仲)
- 山瀬まみ(かつて涙の電話リクエストを共に担当し、07年3月まで金曜日のサプライズ!で共演)
- 安藤優子
- タモリ(ヨッおつかれさん)
- 笑福亭鶴瓶
- 桑田佳祐
- 中島みゆき(93年~86年の間、ANNで同じ曜日でスタジオも隣同士だった。)
- 垣花正(ニッポン放送アナウンサー、テリーとうえちゃんのってけ)
- 桜庭亮平(フジテレビアナウンサー、ニッポン放送での初の同性のアナウンサーの後輩)
- 沢田幸二(KBC九州朝日放送アナウンス部長。上柳アナの立教大の1年先輩)
- 吉田照美
- 三宅裕司