吉田照美
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吉田 照美(よしだ てるみ、男性、1951年1月23日 - )は、アミューズ所属のフリーアナウンサー、タレント。元文化放送アナウンサー。東京都葛飾区出身。血液型・O型。
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[編集] 来歴・人物
東京都立小岩高等学校卒業後、一浪し、早稲田大学政治経済学部入学。卒業後、1974年、文化放送にアナウンサーとして入社。
当初は、文化放送社内でも目立たぬ存在だったが、大相撲が好きな事から当時の人気番組「大相撲熱戦十番」の支度部屋リポート(インタビュアー)を担当。
その後、1976年~1980年頃に平日夕方の帯ワイド番組「桂竜也の夕焼けワイド」の外中継コーナー「突撃トピッカー」のリポーターを担当。オペラを唄いながら商店街を歩き、女性とデートする、目隠しをしながらパンツ一丁で、銭湯の女湯に潜入する等、誰もやらない・恥ずかしい・それでいて、ラジオを聴いているリスナーが笑い転げる企画を多数展開していた。
その成果あって、深夜放送「セイ!ヤング」のパーソナリティに抜擢された。当時の深夜放送は、既にブームは過ぎ去り、廃れた感があったが、ここでも夕焼けワイド同様、誰もやらない・バカバカしい企画を敢行。ある日の夕方、国鉄(現・JR)総武線の車内に現れ、空のビールジョッキを手に持ちながら、放送で呼びかけたリスナー数十名と一緒に、乾杯の音頭を叫び、乗客の反応を窺う「乾杯おじさん」や当時の東京大学一次試験合格発表日当日に、受験生を装いながら学生服姿で登場し、友人の受験生数名(実は番組スタッフ)と一緒に胴上げした姿が、NHKの7時のニュースで放送された「東大ニセ胴上げ事件」等印象に残る名企画も多かった。
当初は水曜担当で、裏番組に、タモリのオールナイトニッポンが放送されて人気を博していた事から「どうせ誰も聴いてないから、自分のやりたい事をやろう」と開き直った結果、口コミで徐々に人気となり、最終的に2年半続いた(1978年4月~1980年3月は水曜、1980年4月~9月は金曜担当)。
「セイ!ヤング」で注目された照美は、ライバル局のニッポン放送、TBSラジオに聴取率で負け続け、低迷していた文化放送の夜の若者向け時間帯(ヤングタイム)を立て直すべく企画された「吉田照美の夜はこれから てるてるワイド」のメインパーソナリティに抜擢される(後に、吉田照美のてるてるワイド→新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあなと番組タイトルが変更)。
それまでの夜ワイドの常識・既成概念を打破した内容と、1980年代前半のアイドルブームの波に上手く乗った事(番組内では、近藤真彦、野村義男、松田聖子が担当する箱番組が内包されていた)が要因となり、首都圏の中高生に絶大な人気を博し、東京キー局の夜ワイドの支配権を、ニッポン放送(「大入りダイヤルまだ宵の口」)から奪い取った。
以後数年に渡り、首都圏の夜ワイドの支配権を独占し、同時に照美自身の人気も上がっていった。
1985年3月、文化放送を退社。フリーとなり、テレビにも進出。週2回の夕やけニャンニャン司会を番組終了まで務めた。
メガネに横わけの髪型が特徴。文化放送在局中はメガネをかけておらず、髪はパーマをかけていた。
近藤真彦が付けたあだ名は「ロバ」。
学生時代までは、人前でしゃべることができない、赤面恐怖症・対人恐怖症だった。2007年3月12日のやる気MANMANで本人が明かした。
コアなファンが多い。照美の出演する番組が深夜枠→夜枠→昼枠→朝枠と移り変わっても、変わらずにリスナーとなっている人が多い。
テレビではラジオとは違い、オドオドとした、あるいは遠慮した態度が目立つ。「やるMAN」でのリスナーからの投稿によるツッコミに、本人は「ラジオとテレビで態度が違うのは当然」と開き直っている。ファンは、テレビとラジオとの印象のギャップを楽しんでいる。
テレビ番組「ラジかるッ」では2006年10月以降、「DJ TERU(ディージェイ・テルー)」と称して新しいキャラクターを演じているが、司会の中山秀征には「ロバ!」とつっこまれることがたびたびである。
「どうーなってるの?!」「ぴったし カン・カン」など、テレビで司会を引き継いだ人気番組を終了させてしまうジンクスがある。一部で“番組クラッシャー”と呼ばれている。
放送作家の小山薫堂は照美の元付き人。小山に関するエピソードを、「やるMAN」で度々、ネタにしていた。しかし、小山は付き人だった事を公表しておらず、照美は「かなり気に入っていない」と言及している。
文化放送からフリーへ転身直後に、フジテレビで「吉田照美のてるてる東京」という帯番組を担当する予定だった。当時、フリーになりたい照美と、させない文化放送がもめていたこともあり、番組は文化放送からの圧力で実現しなかった。その結果、よく似たタイトルの「らくらくTOKIO」が荒川強啓司会で開始している。
その後照美は、同時間帯で放送された帯番組「どうーなってるの?!」で司会を担当している。
2006年7月19日、小島嵩弘とのユニット「YK型」(ワイ・ケー・ケー。吉田・小島の頭文字)のファーストシングル「卍固めでTurn The Night」をリリースした。小島は以前から「吉田照美のやる気MANMAN!」でピンチヒッターをつとめていた。
2006年10月20日、公式ウェブサイト開設[1]。YK型としての活動や、ラジオアナウンサーとしての活動、Tim Yoshidaとしての直筆絵画の作品紹介などが公開されている。
かつて文化放送の深夜枠時代、ニッポン放送でライバル番組のパーソナリティだった三宅裕司とは、現在同じ事務所(アミューズ)所属である。
昭和63年に結婚。
2001年4月17日発売の週刊誌「女性自身」に於いて、「やるMAN」のアシスタントだった小俣雅子との不倫疑惑が報じられた際、照美は同誌の取材で小俣との不倫交際を認めた上で、「軽率な行動を取ってしまった」と前置きし、夫人には正直に告白し心から謝罪したと述べた。
[編集] 現在出演中の番組
- 伊東四朗・吉田照美 親父熱愛(パッション)(文化放送)
- マエセツ YK型(文化放送)
- 汽車に乗ろうよ(静岡第一テレビ、ナレーション)
- be ON AIR!・be Medical(BS朝日)
- ラジかるッ(日本テレビ)※DJ TERU名義でナレーター担当。ただし、司会の中山秀征からは「照美さん」と呼ばれている。
- 吉田照美 ソコダイジナトコ(文化放送、2007年4月2日放送開始・月曜~金曜6:00-8:30)
[編集] 出演していた番組
[編集] ラジオ
- 夕焼けワイド(文化放送 外回りレポーター)
- 大相撲熱戦十番(NRN系 力士インタビュアー)
- セイ!ヤング(文化放送)
- 吉田照美の夜はこれから てるてるワイド(文化放送)
- 新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあな(文化放送)
- 土曜ワイド・吉田照美のハッピーTOKYO(TBSラジオ)
- 吉田照美のびんびんタイムス(TBSラジオ)
- ヤングタウンAM(文化放送製作・NRN系列地方局向け番組)
- 吉田照美のやる気MANMAN!(文化放送、1987年4月6日~2007年3月30日)
[編集] テレビ
- 今夜はあなたとミステリー(NHK総合)
- ぴったし カン・カン(TBS系 三代目司会者)
- ママはアイドル!(TBS系)
- 夕やけニャンニャン(フジテレビ系)
- 11PM(日本テレビ系 出演期間は1985年10月~1990年3月)
- 炸裂!スポーツパワー(TBS系)
- どうーなってるの?!(フジテレビ系 二代目司会者)
- スーパーモーニング(テレビ朝日系 討論コーナー司会 出演期間は2002年4月~9月)
- 日本ジツワ銀行(日本テレビ系)
- 新体感クイズTVタッチアンサーズ→タッチアンサーズα(BS朝日)
- 所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝(テレビ東京)
- be on TV(BS朝日)
- 吉田照美の湯河原オーマイマインド(日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!・絶対に笑ってはいけない温泉旅館」の中で、浜田雅功・山崎邦正・田中直樹を笑わせる為に制作された架空のラジオ番組)
[編集] その他
- 初監督映画「バネ式」
- 映画「スカイハイ 劇場版」(ゲスト出演、編集長役)
- 映画「ゴジラ2000 ミレニアム」(本人役)
- ライオン「white&whiteプライム」CM(ナレーション)
- キリンビバレッジ「体質茶」CM(自ら出演)
- アニメ版こげぱん(ナレーション)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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