New Immissions/Updates:
boundless - educate - edutalab - empatico - es-ebooks - es16 - fr16 - fsfiles - hesperian - solidaria - wikipediaforschools
- wikipediaforschoolses - wikipediaforschoolsfr - wikipediaforschoolspt - worldmap -

See also: Liber Liber - Libro Parlato - Liber Musica  - Manuzio -  Liber Liber ISO Files - Alphabetical Order - Multivolume ZIP Complete Archive - PDF Files - OGG Music Files -

PROJECT GUTENBERG HTML: Volume I - Volume II - Volume III - Volume IV - Volume V - Volume VI - Volume VII - Volume VIII - Volume IX

Ascolta ""Volevo solo fare un audiolibro"" su Spreaker.
CLASSICISTRANIERI HOME PAGE - YOUTUBE CHANNEL
Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions
ノルマンディー上陸作戦 - Wikipedia

ノルマンディー上陸作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ノルマンディー上陸作戦の作戦計画図(1944年6月6日) 赤はドイツ軍の部隊 輸送路が短くてすむが防御の厚いカレーを避け、落下傘部隊の降下と艦船による砲撃、揚陸を組み合わせている
ノルマンディー上陸作戦の作戦計画図(1944年6月6日) 赤はドイツ軍の部隊 輸送路が短くてすむが防御の厚いカレーを避け、落下傘部隊の降下と艦船による砲撃、揚陸を組み合わせている

ノルマンディー上陸作戦(ノルマンディーじょうりくさくせん)とは、第二次世界大戦中の1944年6月6日に行われたオーバーロード(大君主)作戦を指す(Operation Overlord)。ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦であった。最終的に、300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランスコタンタン半島ノルマンディーに上陸した。史上最大の上陸作戦であり、作戦から60年が過ぎた現在でもこれを超える規模の上陸作戦は行われていない。

本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空爆と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われた。上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により二ヶ月以上要した。

ノルマンディー上陸作戦は今日まで第二次世界大戦中の最もよく知られる戦いの一つとして数えられる。「D-DAY」は作戦決行日を表し、現在では作戦開始当日の1944年6月6日を意味する用語として使われる。

「血のオマハ」1944年6月6日
「血のオマハ」1944年6月6日

目次

[編集] 序章

1941年のバルバロッサ作戦によるドイツ軍ソ連侵攻以来、ヨーロッパ本土でのドイツ軍勢力のほとんどがソ連に向けられていた。アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズヴェルトイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、危機的なソ連の状況を緩和するためにヨーロッパに「第二戦線」を開くことに合意した。

イギリス軍は第一次世界大戦同様に正面からの攻撃を繰り返すのではなく、ヨーロッパを周囲から攻撃することを提案した。アメリカ側は前線の延長を望まなかったことと、イギリスの勢力拡大意図について心配したため、ドーバー海峡を渡っての上陸作戦を行うようイギリス側を説得した。1942年のスレッジハンマー作戦および1943年のラウンドアップ作戦が立案され、ラウンドアップ作戦は実施が1944年までずれ込んだがオーバーロード作戦として採用された。

計画立案のプロセスは連合軍総司令部のスタッフによって1943年の1月に始められた。1944年4月28日には南デボンで上陸演習、タイガー演習が行われたが749人のアメリカ軍の死者を出した。連合軍上層部はこの失敗がドイツに伝わり、大規模な上陸作戦の用意をしていることが露見することを恐れたが幸いドイツ軍情報部はそこまで詳しい情報をキャッチしていなかった、

イギリス本土基地からの連合軍戦闘機の航続距離は上陸地点の選択を非常に制限した。地理学的に上陸地点はパ・ド・カレー(カレー港)とノルマンディーの二地点に絞り込まれた。パ・ド・カレーがイギリス本土から距離的に最短であり上陸地点として最適だったが、当然のことながらドイツ側も上陸を想定し最も強化され防御されていた。従って、連合軍は上陸地点にノルマンディーを選択した。ヒトラーによれば大西洋沿岸は『大西洋の壁(Atlantic Wall)』と言えるほど強固に守備されているはずだったが実際は一番防御施設の建設が進んでいたパ・ド・カレー方面でも80%前後、ノルマンディーに到っては計画の20%前後しか防御施設は建設されていなかった。

1942年のカナダ軍のディエップ攻撃での失敗から連合軍は、最初の上陸でフランスの港を直接攻撃しないことに決定した。ノルマンディー正面への広範囲な上陸は、ドイツ軍にとってブルターニュ西海岸のシェルブール港と、パリからドイツ国境へ向けての二つの攻撃の脅威となることが予想された。ノルマンディーはドイツ軍の布陣が薄く、上陸は予想されなかった地点であったが、戦略的にはドイツの防御を混乱させ分散させる可能性を持つ攻撃地点であった。

1943年12月にヨーロッパ方面連合軍最高司令官としてアイゼンハワー将軍が任命された。1944年1月にはモントゴメリー将軍が本作戦の地上軍総指揮官に任命された。

計画の段階で海からの上陸が三個師団、空挺部隊が二個旅団要求された。モントゴメリーはすぐに初期攻撃の規模を海からの攻撃を五個師団、空からを三個師団増加させた。合計で47個師団の投入が承認された。内訳はイギリス軍、カナダ軍、自由ヨーロッパ軍26個師団にアメリカ軍21個師団である。

提督バートラム・ラムゼー卿指揮下で上陸用舟艇4,000隻および艦砲射撃を行う軍艦130隻を含む6,000を超える艦艇が投入された。空軍中将トラフォード・リー・マロリー卿指揮下に1,000機の空挺部隊を運ぶ輸送機を含む12,000機の航空機が上陸を支援した。ドイツ軍に対して投下するために合計5,000トンの爆弾が準備された。

最初の40日間の目標は次の通り定められた。

  • カーンおよびシェルブールを含む上陸拠点の確保。(特にシェルブールは大型艦艇が入港できる港の深さから要求された。)
  • ブルターニュとその大西洋岸の港を解放し、ル・アーブルからル・マントゥールを抜けてパリ南東部に向かって125マイル前進すること。

その後三ヶ月の目標は次の通り

  • ロアール川南部とセーヌ川北東部の地域の制圧。

侵攻作戦の目標がパ・ド・カレーであり、また隙あらばドイツ占領下のノルウェーに侵攻する準備が整っているとドイツ軍に思いこませるために、連合軍はフォーティチュード作戦という大規模な欺瞞作戦を展開した。この作戦はフォーティチュード・ノース(ノルウェー侵攻作戦)とフォーティチュード・サウス(パ・ド・カレー侵攻作戦)の二つからなっており、架空のアメリカ軍師団が偽の建物と装備と共に作られた。また、イギリス各地に偽のラジオメッセージが送信された。さらに作戦によりリアリティを持たすためその架空軍団の指揮官には当時謹慎中だったパットン将軍が指名された。

当然ドイツ軍も実際の上陸地点を知るために盛んな諜報活動を行っており、イギリス南部の広範囲にスパイネットワークを持っていたのだが不運なことに連合国側に寝返った諜報員が多くほとんどの情報は上陸地点がパ・ド・カレーであることを確認するものであった。欺瞞は可能な限り続けられ、その地域のレーダーおよび軍事施設への攻撃は継続された。この作戦は徹底したものであり、ノルマンディーに1トンの爆弾を落とした場合はカレーに2トンの爆弾を落とすと言う感じであくまでノルマンディー方面はフェイントであり、カレーが連合軍の主目標であることを印象付ける事を目的としていた。

また、フォーティチュード・ノースを支援するためにスカイ作戦と言う欺瞞作戦も展開された。これはスコットランドから無線交信を使用して、侵攻作戦がノルウェーあるいはデンマークを目標としていることをドイツのアナリストに認識させるために行われた。ドイツ軍はこの架空の脅威の為、この地域の部隊をフランスに移動させなかった。

連合軍は上陸に備えて特殊装備を開発した。パーシー・ホーバート少将指揮下のイギリス第79機甲師団による特殊車両は「ホバーズ・ファニーズ」「ザ・ズー」と呼ばれた。同師団が開発、装備した車両群は、水陸両用のD.D.(Duprex Drive)シャーマン、地雷除去戦車シャーマン・クラブ、工兵戦車チャーチルAVRE(Armoured Vehicle Royal Engineers)、火炎放射戦車チャーチル・クロコダイル、架橋戦車チャーチルARK(Armoured Ramp Carrier)などである。

また、「マルベリー」と呼ばれる人工港をアロマンシュとサンローランに投入した。この「マルベリー」はコンクリート製の箱と沈船を組み合わせたもので、燃料を始めとする補給物資の揚陸に用いられることになった。

[編集] ドイツ側の対応

1943年11月、ヒトラーがフランス侵攻の兆しをもはや無視することはできないとして、エルヴィン・ロンメル陸軍元帥をフランス北部防御の任務を負ったB軍集団の司令官に任命した。ロンメルは侵攻を防ぐただ一つの方法は海岸で出来るだけ早く反撃することであると堅く確信しており、装甲部隊の海岸近辺への配置を望んでいた。しかし彼の権限は制限されていた。全権を持つ西部方面軍総司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット陸軍元帥は内陸部に連合軍を引き込む作戦を支持し、結局、装甲部隊の内陸部への配置と前線防衛ラインが決定され反撃の準備が整った。

作戦運用上の討論は二人の重要な指揮官の戦闘経験を反映した。ルントシュテットとハインツ・グデーリアンドイツ空軍の制空権保持下および東部戦線での戦線拡張下での作戦行動指揮経験はあったが、空軍の支援なしでの戦闘指揮経験はなかった。

一方ロンメルの経験は大きく異なっていた。彼は前線へ空軍力を投入する連合軍の傾向を経験していた。1939年から1941年までのドイツ空軍の絶頂時を経験したルントシュテットとグデーリアンが連合軍の空軍力に関して考慮しなかったことは注目すべき点である。当時のドイツ空軍の能力を考慮すれば、英米空軍の増強は推測できた。ロンメルはこの点を理解していたが、他の上級指揮官は理解しないか過小評価していた。

論争の解決にヒトラーはフランス北部で運用可能な6個装甲師団の内3個師団をロンメルに与えた。残りの3つは海岸から離れた位置に配備されヒトラー直接の承認なしでは運用することが出来なかった。フランス北部の飛行場は英米空軍の頻繁な空襲により大きく破壊され、ドイツ空軍のフランス沿岸北部の防空戦力は169機の戦闘機しか稼働できなかった。6月6日当日ドイツ空軍はヨーゼフ・プリラー大尉率いる2機の戦闘機が出撃するのみだった。

しかも不運なことにロンメル元帥は、家内の誕生日が近かったことと、機甲部隊への指揮権を委譲するようにヒトラーに直談判しようと副官を連れてフランスを出ていて、上陸が始まったころにはまだドイツにいた。ドイツ側の観測によれば6月中、すくなくとも6月中旬の間は大規模な侵攻作戦に適した天候になることはまずないと予想されたからであった。

[編集] ドイツ側の状況

『大西洋の壁』の建設範囲。
『大西洋の壁』の建設範囲。

前述のように、「大西洋の壁」連合軍の攻撃をはじき返すぐらい強力な防御施設のはずだったが実際はそこまで強力なものではなかった、が、それを現実のものにするために注がれた労力は凄まじいものだった。しかし大西洋沿岸(ノルウェー沿岸からフランス沿岸の全て)とは長く広く、そのすべてを上陸不可能なぐらい守備することはまず不可能であった。ロンメルは全力でフランス沿岸における防御施設の充実を推し進めたが多くのフランス人を含む労働者達は必ずしも協力的ではなく、工事は遅々として進まなかった。また、この時点でドイツ軍は空軍力の不足や労働力不足以外にも大きな問題を幾つか抱えていた。

まず、この時点でフランスにおけるドイツ軍兵士の実に6人に1人がOst Battalion(直訳すれば「東方大隊」)に所属していたと言う事実がある。これらの将兵は部隊名があらわすように主にドイツより東方に位置する国からの出身者で構成された部隊の事である(ただしフランス人やイタリア人の部隊なども存在した))。当初は文字通り「義勇兵」が多かったのだが戦局が悪化するにつれ占領区域からの強制徴募や捕虜収容所から志願者を募ると言う方法で部隊が編成され、お世辞にもその戦闘力は高いと言いがたかった。また、東方戦線でドイツが守勢に転じた後は戦力として当てにならないどころか集団脱走や組織的造反の可能性すら出てきたため順次西方に送られた。Dデイ当時のフランスには約200個大隊もの東方大隊が存在しており、この約半分はフランスに駐屯していたドイツ国防軍の師団に配属されていた。普通の師団は1個大隊、多い場合は2個大隊もの東方大隊がそれぞれの師団に配属されていたのである。残りの半分は軍集団司令部や軍団司令部に配属されており、状況に応じて戦線に投入された。

彼らはあくまでドイツ国防軍所属の兵士であり、武装親衛隊が編成した東方出身者による義勇兵師団とは別の存在である。下士官や将校はドイツ人だったが当然大半の兵はドイツ語を喋ることができず、訓練の水準も低くまた武器も古いものしか支給されなかった。当たり前だが一部の部隊を除いて士気は総じて低く、連合軍の部隊が近づいただけですぐに降伏してしまうものが多かった。アゼルバイジャンやトルクメニスタン出身の兵士に、ドイツ軍のためにフランスの地で米軍や英軍と戦って死ねという方が無茶なのでこれは無理からぬことだと言えよう。スティーヴン・アンブロースが書いた『Dデイ』の中にはドイツ人の下士官を射殺したあと嬉々としてアメリカ軍に降伏したポーランド人部隊の話しが紹介されている。わずか3人で40人もの捕虜に投降されたアメリカ兵達は非常に面食らったそうだ(後にポーランド系将兵の通訳で事態を把握したらしい)。

無論、ドイツ国防軍も別にこの東方大隊がドイツ兵と同じように戦うと思っていた訳ではなく、彼ら東方大隊を使って後方地域を押さえておくことでその分ドイツ人の兵士を前線に派遣できると考えていただけである。もちろんこの場合一番の問題は後方地域だったはずのフランスが全然後方地域ではなくなってしまった事だがほとんど全ての方向から攻められていたドイツにしてみればもう他に後方と呼べる地域は(本国ぐらいしか)なかったのだろう。

また、この「フランスは後方地域である」と言う認識・扱いは東方大隊の事に関してだけではなかった。当時のドイツ軍では東方戦線で燃え尽きるまで戦った師団は戦線から抽出し、フランス(もしくは本国)に送ってその地で再建していたため連合軍が上陸した時点でフランスに駐屯してドイツ軍の多くは良く言えば東部戦線帰りのベテラン、悪く言えば東部戦線で磨り減るまで戦った師団の残余、だったのだ。ロンメルがB軍集団司令官に着任してから一部精強な部隊が配属されるようになったがそれらの部隊は主にパ・ド・カレー方面に配属され、その他の戦域では二線級の部隊が主に沿岸部を防衛していた。

東方戦線にほとんど全力を傾注していたドイツは、大西洋沿岸防衛のために今まで軍役を免除されていたな者まで徴集して部隊を編成していた。その中には部隊丸ごと消化器の問題を抱えていたり、第一次世界大戦で戦ったことのある老人、もしくはドイツに送り返された傷病兵などが含まれていた。また、連合軍による昼夜の爆撃により、フランス国内の輸送路は分断され、ドイツ本国からの補充兵や物資はなかなか前線に届かなかった。前述のようにドイツ空軍にはもはや昔日の勢いはなく、ドイツ海軍に到っては潜水艦部隊以外は「海軍」とは呼べない程度の艦隊しかフランスに駐屯していなかった。航空勢力はほぼ壊滅していたが、残された空軍地上要員はまだ多く、ゲーリング空軍総司令官は彼らを集めて空軍地上部隊を編成することを決める。まともな訓練も受けずに歩兵師団として戦闘に投入されたこれらの部隊は、ほとんどが大きな損害を受けた。

[編集] 計画

イギリス海峡を進む上陸船団。
イギリス海峡を進む上陸船団。

イギリスのモントゴメリー将軍の総指揮の下、西から順にブラッドレー将軍指揮のアメリカ軍担当の「ユタ」(第4歩兵師団コリンズ将軍指揮)・「オマハ」(第1歩兵師団ゲロウ将軍指揮)、デンプシー将軍指揮のイギリス軍担当の「ゴールド」(第50歩兵師団ブックノール将軍指揮)・「ジュノー」(カナダ第3歩兵師団)・「ソード」(第3歩兵師団)の5つの管区に分けられた。また上陸海岸へのドイツ軍の反撃を妨害するためにイギリス第6空挺師団、アメリカ第82第101空挺師団が降下することになっていた。

航空機の爆撃・艦船からの艦砲射撃・空挺部隊降下の支援の下、水陸両用戦車を配備した第一次上陸隊が橋頭堡を確保し、第二次上陸隊以降が突破口を広げる計画が立てられた。

[編集] 上陸

戦艦ネバダからの艦砲射撃。
戦艦ネバダからの艦砲射撃。

6月6日、5つの管区で一斉に上陸し、上記のドイツ軍の防衛態度の意見の混乱から、オマハ以外では犠牲を少数にとどめ上陸を果たした。

[編集] 空挺部隊

英第6空挺師団は午前0時10分過ぎに活動を始めた最初の部隊だった。彼らの目的はペガサス橋と着地地点の東側面の川に架かる他の橋およびメルヴィル砲台だった(トンガ作戦を参照)。砲台は英軍による第一撃で破壊され、砲台守備兵の生存者は6名だけだった。上陸部隊への砲撃は防ぐことができた。橋は短時間で確保され、6月6日の遅くにコマンド部隊が交代するまで保持された。

米第82および第101空挺師団はそれほど幸運ではなかった。一部はパイロットの経験不足で、また一部は降下困難な着陸地点のため彼らは広範囲に散在して降下した。幾名かは海あるいは湿地帯に降下した。24時間後、第101空挺師団のうち3,000名だけが集合できた。多くが敵の後方を歩き回り戦うことを継続させられた。第82空挺師団は6月6日の早朝にサン・メール・エグリーズの街を占領し、同地は侵攻によって解放された最初の街となった。

[編集] ソード・ビーチ

ソード・ビーチでは英第3歩兵師団が上陸に成功し、彼らの死傷者は少数であった。彼らはその日の終わりまでに約5マイル(8km)進撃したが、モントゴメリーによって計画された目標のうちのいくつかには到達できなかった。主要目標のカーンは、D-デイの終了時にもまだドイツ軍の支配下にあった。

第1特務旅団は、二つのフランス兵部隊を伴った英第4海兵隊コマンドに率いられて第二波として上陸した。彼らはウイストラムに個別の目標を持っていた。フランス兵部隊の目標はブロックハウスとカジノであり、第4海兵隊の目標は海岸を見下ろした二つの砲台であった。ブロックハウスはコマンドのPIAT(Projector Infantry Anti Tank)では破壊が困難であったが、カジノはセントー戦車の支援によって撃破された。英第4海兵隊コマンドは、目標の二つの砲台がすでに砲の外された砲架だけだったことを確認した。歩兵部隊に仕上げの手続きを任せて、第1特務旅団の残り(第3、第6および第45英海兵隊コマンド)と合流するために彼らはウイストラムから内陸へ移動し、続いて第6空挺師団との合流を目指した。

[編集] ジュノー・ビーチ

ドイツのSボートの出現に備えるイギリス海軍の高速魚雷艇。
ドイツのSボートの出現に備えるイギリス海軍の高速魚雷艇

ジュノー・ビーチに上陸したカナダ軍は11基の155mm砲重砲台および9基の75mm砲中砲台に直面した。またそこには機関銃の巣とトーチカや他のコンクリート堡塁、そしてオマハ・ビーチの二倍の高さの護岸堤が立ちはだかっていた。第一波は、オマハ以外の5つのD-デイ上陸拠点のうちで最高の50パーセントの死傷者が出た。

障害にもかかわらずカナダ軍は数時間の内に海岸に上陸し、内陸への進軍を始めた。第6カナダ機甲連隊(第1軽騎兵)は、15km内陸のカーン - バイユー間のハイウェーと交差するという目的を達成した唯一の連合軍部隊だった。

D-デイの終了までに、14,000人のカナダ兵が上陸に成功した。また、第3カナダ師団は上陸拠点で激しい抵抗に直面したにもかかわらず、他の連合軍部隊より内陸に侵攻した。D-デイにおける最初の反撃は、第21装甲師団がソードとジュノーの間で行った。また6月7日および8日には、橋頭堡を構築したカナダ軍に対し第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」の反撃が行われた。

[編集] ゴールド・ビーチ

ゴールド・ビーチでは部分的に水陸両用シャーマンの到達が遅れ、死傷者が増えることとなった。またドイツ軍は海岸上の村を防衛拠点として強化していた。しかしながら第50師団は障害を克服し、その日の終わりまでにバイユーの周辺に向かって前進した。ジュノーのカナダ軍を除くと、第50師団より目的に接近した部隊は存在しなかった。

英海兵隊第47コマンドは最後に上陸した英軍コマンド部隊で、ゴールド東のル・ヘメルの陸上に進出した。彼らの任務は内陸に進撃し、西方に向かい敵領内へ10マイル進軍し Port en Bessin 湾を背後から攻撃することだった。この石灰岩の断崖で守られた小さな港は英軍にとって、沖合のタンカーから海底パイプを通じて燃料供給を行うために初期の最重要目標となっていた。

[編集] オマハ・ビーチ

上陸用舟艇内の兵士達。
上陸用舟艇内の兵士達。

オマハ・ビーチにおいては米第1歩兵師団が最悪の苦難を経験した。ここでは他の海岸に比べ特殊装甲車両の装備が少なく、さらにオマハに割り当てられた水陸両用シャーマンの多くは予想より高かった波のせいで次々と浸水し、海岸に到着する前にほとんどが失われてしまった。対するドイツ第352歩兵師団は海岸に配置された中でも比較的まともな部隊であった(師団自体は1943年11月に編成され、初陣であったが、将校、下士官の多くが東部戦線で壊滅した部隊から集めたベテランだった。兵士は30代の実戦未経験の老兵がほとんどであったが、ドイツ人のみで編成されていた)。彼らは海岸を見下ろす険しい崖の上を拠点とした。公式記録は次のように述べる。「上陸10分以内に(先導)部隊は指揮官を失い活動能力を失った。全ての下士官および軍曹は戦死または負傷した。...それは生存と救助のための闘争となった」オマハ・ビーチでは4,000名以上の死傷者が出たが、それにもかかわらず生存者達は再編成され内陸に進撃した。死傷率が一番高かったので「ブラッディ・オマハ」(血まみれのオマハ)としても知られている。

オック岬のドイツ軍コンクリート要塞は米第2レンジャー大隊の攻撃目標であった。彼らの任務は敵の砲火の下ロープと梯子を用いて高さ約30mの崖を登り、ユタとオマハを射程とした要塞内の砲を破壊することであった。部隊は到達に成功し、おそらく前日の爆撃中に移動された砲は見つかり破壊された。上陸部隊の死傷者の割合はほぼ50パーセントだった。

ちなみにノルマンディー上陸作戦を題材にした映画などで、ドイツ軍の機関銃に連合軍兵士はバタバタとやられてたりするが、実際には機関銃などそれほどなくて、ほとんどトーチカや塹壕からライフルや短機関銃で対応したらしい。

[編集] ユタ・ビーチ

オマハ・ビーチとは対照的に、ユタ・ビーチでの死傷者数は197名で全上陸管区中最少であった。23,000名が上陸を果たし、彼らは内陸に進撃を行って先陣空挺部隊との連絡に成功した。

[編集] 上陸後

  • 6月5日 - 6日:デトロイト作戦(米第82空挺師団)、シカゴ作戦(米第101空挺師団)、トンガ作戦(英第6空挺師団)
  • 6月6日:ネプチューン作戦
  • 6月25日 - 29日:エプソム作戦
  • 7月7日:カーンの陥落。
  • 7月17日:王立カナダ空軍スピットファイアの機銃掃射でエルヴィン・ロンメル元帥が負傷。
  • 7月18日 - 20日:グッドウッド作戦
  • 8月3日 - 9日:トータライズ作戦
  • 8月16日:ドラグーン作戦

一旦上陸拠点が確保されると、二基の「マルベリー」が分割されイギリス海峡を運搬された。一基はアロマンシュで構築され、もう一基はオマハ・ビーチに設置された。しかしながらオマハのマルベリーは暴風で破壊された。アロマンシュ港では9,000トンに及ぶ物資が毎日陸揚げされ、1944年8月末にアントワープとシェルブール港が確保、運用されるようになるまで続けられた。

海岸に配置されたドイツ軍防衛部隊は、訓練不足および補給の不足、一週間にわたる爆撃によりその抵抗は弱体化していった。唯一の例外がロンメルによってサン・ローからオマハ・ビーチ防衛のため移動させられた第352歩兵師団であった。同師団の強固な防御陣と、連合軍諜報部が考慮したドイツ軍第716歩兵師団の二大隊が投入される可能性が同管区の死傷者の激増の原因となった。ロンメル以外のドイツ軍指揮官はこの数時間の攻撃に関する報告を、上陸作戦によるものとは考えなかった。また、多くの上級指揮官が演習を行うため前線を離れていたことが状況をより悪化させた。また、米空挺部隊が北部ノルマンディーに分散して降下したことも混乱を増す原因となった。

米空挺部隊は別に最初から分散して降下するはずではなかったのだが予想を上回る対空砲火のせいで輸送機が分散してしまい、その結果広範囲にわたって降下する羽目になってしまった。しかし、そのせいでドイツ軍は降下してきた米軍空挺部隊の実数が掴めず対応に苦慮することになってしまったのだ。また、ドイツ軍上層部はかなり長い事ノルマンディーへの上陸はカレー上陸を容易にするための陽動作戦ではないかと疑い、カレー方面の兵力を動かすタイミングを逃してしまった。ノルマンディーへの上陸作戦を主攻撃だと断定してカレー方面の部隊に移動命令が下った頃にはすでに状況は手遅れだった。

こういった悪条件にもかかわらず、第21装甲師団はソードとジュノーの間で反撃を行い海岸への到達に成功した。しかし対戦車砲による強固な抵抗と、彼らが遮断されてしまうという恐れから6月6日の終わりまでに撤退することとなる。いくつかの報告書によれば、上空を飛ぶ空挺部隊の観測が退却決定に影響した。

連合軍の侵攻計画は、初日にカランタン、サン・ロー、カーンおよびバイユーを確保し、ユタとソード以外の海岸を連携させ、海岸から10 - 16km進出することであったが、実際にはどれも達成できなかった。作戦全体の死傷者は予想より少なく(10,000人前後が予想され、チャーチルは20,000名に及ぶことを心配した)、橋頭堡は予想されたほどの反撃は受けなかった。上陸に続く優先事項は、橋頭堡の連携・カーンの奪取・シェルブール港の確保と安全な補給の確立、であった

ドイツ第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」は6月7日、8日にカナダ軍を攻撃し大損害を与えたが、前進することはできなかった。その間に各管区の海岸は全て制圧され統一された拠点となった(ソード:6月7日、オマハ:6月10日、ユタ:6月13日)。連合軍はドイツ軍より急速に前線を強化していった。彼らは海岸に全てを上陸させなければならなかったが、連合軍の制空権およびフランスの鉄道網の破壊は、ドイツ軍の移送を停滞させ危険なものとしていた。

ユタとオマハ後方の地域はボカージュ(生け垣)によって特徴づけられた。高さ3m近い古くからの土手と生け垣は、それぞれが100 - 200mにも及び、戦車、砲撃、視界を妨げ理想的な防御陣地を形成した。米兵の展開は遅れ、シェルブールへの進撃は多数の死傷者で苦しめられた。空挺部隊は停滞する進撃を再開するよう再三要求された。ヒトラーはシェルブールの防衛部隊が連合軍に橋頭堡を与えないことを期待したが、指揮官は6月26日に降伏した。

ノルマンディー地方のカーン(6月25日-7月20日のエプソム・グッドウッド作戦)・サン・ロー(7月25日-8月2日のサン・ローの戦い)・ファレーズ(8月10日-19日のファレーズ包囲戦)で激戦となったが、8月25日パリを解放した。

連合軍の揚陸風景。
連合軍の揚陸風景。

[編集] 歴史的意味および余波

全体的に見た場合この作戦は成功であったとするしかない。連合軍はフランス上陸に成功し、第二戦線を構築した。その結果ドイツ軍は陸上でも二正面作戦を展開することを余儀なくされ、東部戦線で赤軍が開始したバグラチオン作戦に満足に対応することができなかった。この作戦でドイツ中央軍集団は壊滅的な打撃を受け占領していた地域のかなりの部分を失い、ドイツは継戦能力を大きく削がれる事となってしまった。ただし、ひとつの作戦としてみた場合はオーバーロード作戦は完全に成功したとは言いがたい。

まず、作戦でもかなり重要なポイントとされていた大規模な港湾の確保に手間取ってしまったことがあげられるだろう。作戦の初期段階で奪取するはずだったシェルブールは結局6月26日まで抵抗を続け、なんとか占領しても港湾施設はドイツ軍守備隊により完全に破壊されていたため8月末まで港としては役に立たなかった。同じく作戦の初期段階で奪取するはずだったカーンも同地のドイツ軍守備隊のせいで占領に手間取り、連合軍が同市及びその周辺地区を完全占領下に置いたのは7月27日になってからであった。要するに作戦開始から40日間の間に達成するはずだった目標(カーン及びシェルブールの占領)をどちらも達成できなかったと言う事になる。ただし港湾施設の占領が遅れたせいで補給に多少の不備は生じたがマルベリーのような人工港湾施設の活躍もあり、上陸部隊が物資不足で戦闘に不能になると言うような事はなかった(しかし重装備の揚陸は予定よりかなり遅れた)。

しかしドイツ軍の守備の妙もあり連合軍はどの方面でも予定通りに進撃することができず、ノルマンディー以外のフランス解放はかなり遅れた。1944年8月、南フランス上陸作戦(アンヴィル作戦)が行われたが、ドイツの抵抗で、プロヴァンス地方が解放されただけであり、フランス全土の解放は、イタリア戦線で1945年1月、連合軍がゴシック線を突破し、イタリア北部からフランスへの進撃が始まるのを待つこととなった。

[編集] 信じられないような史実

アメリカのノンフィクション作家スティーヴン・アンブローズが書いた『Dデイ』によると上陸し内陸に進撃したアメリカ軍はなんと韓国人の部隊を捕虜にしたらしい。彼らは日本軍に所属していた朝鮮出身の兵士達だったのだが日本がソ連と戦った時に(ノモンハン事変ではないかと思われる)ソ連軍の捕虜となって赤軍に編入され、バルバロッサ作戦時に今度はドイツ軍の捕虜となってしまい、フランスに送られ『大西洋の壁』の守備につかされたのだと言う。

[編集] 映画

  • 史上最大の作戦(The longest day)』:コーネリアス・ライアンの原作。ケナン・アキン、アンドリュー・マートン、ベルンハルト・ヴィッキ監督、1962年
  • バンド・オブ・ブラザース』 - Band of Brothersスティーヴン・アンブローズによるノンフィクション。 スティーブン・スピルバーグトム・ハンクスによってテレビシリーズ化された。
  • プライベート・ライアン』 - Saving Private Ryan(1998年、アメリカ映画):『戦場にかける橋』を観て映画監督を志し、8mmカメラで最初に作った映画が第二次大戦ものだったスティーブン・スピルバーグが念願かなって作った第二次大戦映画。トム・ハンクス主演。行方不明になったライアン二等兵を救助すべく派遣された8人の兵士を描いている。わざと旧式の機材を用い画質を落とすなど、スピルバーグらしい手の込んだつくりになっている。ドイツ兵をスキンヘッドにする(ネオナチのスキンヘッドを連想させようとした)など事実の意図的な歪曲もあるが、武器を捨て降伏したドイツ兵を米兵が射殺する場面の冷たいリアリズムなどが、ドイツ軍を単なる悪役にはしていない。また、MG42機関銃の銃声を実際に録音して使ったり、2cm機関砲の破壊力を直接描写したり、ティーガーIケッテンクラートなど、ドイツ軍の装備に関するスピルバーグならではのこだわりが軍事マニアを狂喜させた。作品の冒頭20分間では、オマハ・ビーチでのリアルなシーンが話題を呼んだことでも知られている。
  • 『鉄路の闘い』 - La Bataille du Rail(1945年、フランス映画):ルネ・クレマン監督の下、実際にレジスタンスとして戦った人々をキャストに迎え、ノルマンディー上陸を援護するフランスレジスタンスの鉄道線妨害活動を描いた。上映の翌年カンヌ映画祭第1回グランプリを受賞した。
  • パットン大戦車軍団』 - Patton(1970年、アメリカ映画):アメリカ第3軍司令官として、実際に機甲師団を率いて大活躍したジョージ・パットン将軍の半生を描き、アカデミー賞を受賞している。

[編集] 参考文献

  • Kenneth Macksey(著)、『戦闘 (原題:Battle, 1974)』、白金書房、1976年
  • Kenneth Macksey(著)、『ノルマンディーの戦闘』、白金書房の『戦闘』の改題復刻版、朝日ソノラマ、1988年
  • Friedrich Ruge(著)、ロンメルの部下の回想録、昭和12年の杭州湾上陸作戦に使用された上陸用舟艇「大発」に関する記述がある、『ノルマンディーのロンメル』、朝日ソノラマ、1985年、ISBN 4-257-17064-6
  • コーネリアス・ライアン(著)、原題のThe longest day は上陸第一日が勝負であると見たロンメルの言葉の引用である、『史上最大の作戦(原題:The longest day)』、早川書房、1995年
  • Micheal Reynolds(著)、武装親衛隊「ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー」と「ヒトラーユーゲント」装甲師団のノルマンディーにおける戦闘記録、 Steel Inferno, I SS Panzer Corps in Normandy, Sarpedon, 1997, ISBN 1-885119-44-5
  • パウル・カレル(著)、親衛隊中佐であった戦記作家のドイツ軍側からのノンフィクション、『彼らは来た(原題:Sie kommen)』、中央公論社、1998年
  • スティーヴン・アンブローズ(著)、『D-デイ (原題:D-Day June 6, 1944, The Climactic Battle of World War II)』
  • Stuart Hills(著)、ノルマンディ上陸作戦に参加した英軍戦車兵の回顧録、 By Tank into Normandy, A Memoir of the Campaign in North-west Europe from D-Day to Ve Day, Cassel, 2002, ISBN 0-304-36216-6

[編集] ボードゲーム

  • コマンド・マガジン第46号 『西部戦線1944』、国際通信社

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

Static Wikipedia (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2007 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2006 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu

Static Wikipedia February 2008 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu