マーク・ウェバー
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F1での経歴 | |
国籍 | ![]() |
車番 | 15 |
所属チーム | レッドブル |
年 | 2002 - |
過去の所属チーム | ミナルディ, ジャガー,ウィリアムズ |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 69 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2002年オーストラリアGP |
初勝利 | - |
2006年順位 | 14位 (7ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
マーク・アラン・ウェバー(Mark Alan Webber, 1976年8月27日 - )は、オーストラリア出身の自動車レーサーであり、現役のF1ドライバー。日本のマスメディアにおいて、姓は「ウェーバー」と表記・発音されることもある。
目次 |
[編集] プロフィール
オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のクィンビャンで生まれる。
15歳から18歳までカートで経験を積むと、1995年にオーストラリアのフォーミュラ・フォードにフル参戦した。ランキング3位で終え、1996年に渡英しイギリスのフォーミュラ・フォードに参戦する。ランキングは惜しくも2位となるが、年末のフェスティバルでは他を寄せ付けず優勝を果たす。
1997年はイギリスF3に参戦し、1勝を挙げる。マールボロマスターズでは3位。その年でF3を卒業し、メルセデスのジュニアチームと契約する。
1998年はメルセデスでFIA-GT選手権を戦う。ベルント・シュナイダーらと好戦を演じ、5勝、シリーズ3位で終える。
1999年は、ル・マンでのレースがメインとなったが、レース中に超ロングストレートのユノディエールでメルセデスが宙を舞うと、それに乗っていたウェバー(他に決勝でコース外に出たピーター・ダンブレック)が有名となる。ちなみにそのアクシデントでメルセデスはスポーツカー部門から撤退。ウェバーはフォーミュラに戻った。また、1999年はウェバーが初めてF1マシン(アロウズ)をテストした年となる。
2000年から国際F3000に参加。アロウズのF3000でシーズンを戦う。序盤は得点を重ねるも中盤で失速。ランキング2位から大きく離される3位(1勝)でシーズンを終える。
2001年は名門スーパー・ノヴァで戦う。そこで3勝しランキング2位につける。だがジャスティン・ウィルソンに完敗だった。この年は、ベルギーのスパ・フランコルシャンで開催されたレースで起きたアクシデントにより靭帯を損傷するという災難に見舞われた。
そして2002年にミナルディでF1デビューする。戦闘力の劣るミナルディだったが、地元オーストラリアの開幕戦で5位入賞する。トヨタのミカ・サロを振り切って得た、立派なリザルトであった。その後は入賞できずにいたが、2002年シーズン中盤でジャガーをテストドライブすると、首脳陣の目に留まり、結果的にジャガー移籍を果たす。予選結果ではチームメートのアレックス・ユーン、アンソニー・デビッドソン(第13戦、第14戦のみ)に全勝した。
2003年は飛躍の年だった。ブラジルGPの第1予選で暫定ポールポジションを獲るとコツをつかみ、セカンドロウ2回というジャガーのマシンにしては最高の結果を残す。入賞7回、最高位6位。ランキング10位で2003年を終える。
2004年はマレーシアGPでフロントロウ、2番手をゲットするが決勝で失速。決勝で安定しないのが彼の欠点であるかも知れないが、将来チャンピオンを獲りうる逸材と関係者から評価されていた。
2005年、ジャガーを離れ、名門ウィリアムズに移籍、モナコGPでF1では初めての3位表彰台に上がったが、ウィリアムズの戦闘力不足もあり表彰台1回に終わり、伸び悩む。また、チームメイトであるニック・ハイドフェルドの後塵を拝することが多く、関係者の間でもこれまでの高評価に疑問が呈された。
2006年はウィリアムズの戦闘力が他と比べ大きく低下した年となり、彼も前年から大きく成績を落とす(計7ポイント、ポイントランキング14位)。またこの年参入した大型新人といわれるニコ・ロズベルグには結果1ポイント差で勝利したものの、予選で負けたレースもあった。ハンガリーGP直前、ウィリアムズがロズベルグとアレクサンダー・ブルツのラインナップを発表。移籍先を探すことになったが、8月7日、古巣ジャガーを買収し2005年から参戦していたレッドブル・レーシングに移籍することが発表された。
[編集] 経歴年表
- 1994年 オーストラリアFormula Ford参戦
- 1995年 イギリスFormula Ford参戦
- 1996年 イギリスFormula Ford参戦 フェスティバル優勝
- 1997年 イギリスF3参戦(チーム:Alan Docking Racing) マルボーロ・マスターズ3位
- 1998年 FIA-GT参戦(チーム:AMG Mersedes) 5勝、シリーズ3位
- 1999年 ル・マン24時間レース参戦(チーム:AMG Mersedes)(マシン:メルセデスCLR-GT1)
- アクシデントにより決勝出走せず アロウズF1をテストドライブ
- 2000年 国際F3000参戦(チーム:European Arrows)(マシン:Lola B99/50) 1勝・21ポイント・総合3位 ベネトンF1をテストドライブ
- 2001年 国際F3000参戦(チーム:Super Nova)(マシン:Lola B99/50) 3勝・39ポイント・総合2位 ベネトンF1公式テストドライバーを務める
- 2002年 F1参戦(チーム:ミナルディ(Minardi))(マシン:ミナルディPS02)最高位5位・2ポイント・総合16位
- 2003年 F1(チーム:ジャガー(Jaguar))(マシン:ジャガーR4)最高位6位・17点・総合10位
- 2004年 F1(チーム:ジャガー)(マシン:ジャガーR5)最高位6位・7点・総合13位
- 2005年 F1(チーム:ウィリアムズ(Williams))(マシン:ウィリアムズFW27)最高位3位・36点・総合10位
- 2006年 F1(チーム:ウィリアムズ(Williams))(マシン:ウィリアムズFW28)最高位6位・7点・総合14位
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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