スコット・スピード
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F1での経歴 | |
国籍 | ![]() |
車番 | 21 |
所属チーム | スクーデリア・トロ・ロッソ |
年 | 2006 |
過去の所属チーム | - |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2006年バーレーンGP |
初勝利 | - |
2006年順位 | 20位 (0ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
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スコット・スピード(Scott Andrew Speed, 1983年1月24日 - )は、アメリカ合衆国出身の自動車レーサーであり、2006年にデビューしたF1ドライバー。 特定疾患(いわゆる難病)に認定されている潰瘍性大腸炎と戦いながら、世界最高峰の自動車レース・F1ドライバーのシートを獲得した事は、同疾患・難病と戦う多くの人々に勇気を与えている。
[編集] 略歴
1983年にアメリカ合衆国、カリフォルニア州のマンテカにて生まれる。
2001年にフォーミュラレースに移り、アメリカのフォーミュラ・ラッセルシリーズに参戦、チャンピオンとなる。
2002年にアメリカのバーバー・ドッジ・ナショナルシリーズと同じくフォーミュラ・マツダ・シリーズに参戦。残念ながら、どちらのタイトルも獲得することはかなわなかったが、同年にレッドブルが催したアメリカにおけるドライバー・サーチプログラムでは見事1位となっており、これは後のキャリアへの布石となっている。
2003年は活動の舞台をイギリスに移しイギリスF3にADRチームから参戦。
2004年はユーロカップ・フォーミュラ・ルノーとドイツ・フォーミュラ・ルノーを制し、これにより翌年のGP2参戦の機会をつかんでいる。また、この年はヨーロッパの各選手権に参戦するかたわら、大西洋をまたにかけ、IRLのレッドブル・チーパー・チームでテストドライバーを担当してもいる。
2005年、GP2に参戦。前年iSportチームと交わした契約はナンバー2としてのものであったが、スピードはこれを覆し、シーズン中にナンバー1の座を得て、最終的にニコ・ロズベルグ、ヘイッキ・コヴァライネンに次ぐランキング3位でシーズンを終えた。同年秋にはやはりその年開幕のA1グランプリのアメリカチームでステアリングを握っている。
また、この年、北米開催であるF1カナダGPでは、レッドブルチームで金曜日のテストドライバーを務めている。F1のセッションでアメリカ人ドライバーが走るのは、実に1993年イタリアGPのマイケル・アンドレッティ以来のことであった。秋には、レッドブルが買収したミナルディを改組して設立されたスクーデリア・トロ・ロッソで2006年からデビューすることが発表された。
第3戦オーストラリアGPでは8位でチェッカーを受けたが、黄旗区間でデビッド・クルサードを抜いたとしてレース後25秒加算のペナルティーを受け9位に降格となり、初入賞は幻となった。また、レース後の審議中にクルサードに暴言を吐いた。
2007年も引き続きトロ・ロッソに残留する。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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