ロバート・クビサ
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F1での経歴 | |
国籍 | ![]() |
車番 | 10 |
所属チーム | BMWザウバー |
年 | 2006 - |
過去の所属チーム | - |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 6 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2006年ハンガリーGP |
初勝利 | - |
2007年順位 | - (0ポイント) |
(記録は2007年第1戦終了時) | |
ロバート・クビサ(Robert Kubica, 1984年12月7日 - )は、ポーランド・クラクフ出身の自動車レーサーである。
ワールド・シリーズ・バイ・ルノーの初代チャンピオン(2005年)で、ポーランド人初のF1ドライバーである。
日本語表記については、姓は「クビカ」「クビサ」と表記されていたが、本来のポーランド語では「クビツァ」(例: サッカー選手のアンジェイ・クビツァ)、ポーランドの一部地方では「クビチャ」のように発音する。2007年シーズンより、モータースポーツに手厚い東京中日スポーツを始め、朝日新聞、共同通信など主要メディアでは「ロベルト・クビツァ」と表記の切替が行われている。
目次 |
[編集] 経歴
4歳の時に両親にねだって買ってもらった4馬力のオフロードカーが自身のキャリアの出発点であると、本人は語る。
[編集] カート
1995年から2000年にかけてカートを駆って数々のレースに出走し、1995年から1997年にかけポーランド国内選手権で6つの選手権タイトルを獲得、国際舞台に出た1998年には、父親の勧めでイタリアへと渡り、インターナショナル・イタリア選手権チャンピオン、ヨーロッパ選手権ランキング2位、モナコ・カップ優勝、と初年度から華々しい結果を挙げた。翌年も、参戦したイタリア、ドイツ両選手権においてともにチャンピオンを獲得したほか、数々の名のある大会でも優勝を収めた。2000年にヨーロッパ選手権と世界選手権をともにシリーズランキング4位で終え、この年をもってカートを終えた。
[編集] 4輪
2001年に4輪レースにステップアップし、フォーミュラ・ルノーのユーロカップとイタリア選手権への参戦を開始した。フォーミュラ・ルノーには翌年まで留まり、2002年にユーロカップをランキング7位、イタリア選手権をランキング2位というまずまずの結果で終えた。
2003年にF3ユーロシリーズへと参戦の場を移し、2004年に同選手権でランキング7位、同年のマカオグランプリでは2位表彰台、と、このカテゴリでもまずまずの結果を残す。
2005年には、この年ワールドシリーズ・バイ・ニッサンから改組されて新たな選手権の初年度として開催されたワールド・シリーズ・バイ・ルノーに参戦し、4勝を挙げて初代チャンピオンに輝いた。F3マカオグランプリにも参戦し、前年同様2位表彰台を獲得した。
同時に、この年はルノーチームやミナルディなどからF1のテストにも参加し、ステップアップへの足がかりを築いた。ワールドシリーズ・バイ・ルノーのチャンピオン確定後は、グランプリのフリー走行にも出場する予定であったが、スーパーライセンスの問題により実現はしなかった。
[編集] F1
2006年はBMWザウバーチームの第3ドライバーとしてシーズンを迎え、特にシーズン中盤になってチームが力をつけるにつれ、タイムを出しやすい立場を活かして金曜日のフリー走行、グランプリ間のテストなどで好タイムを記録し、しばしば注目を浴びた。
チーム首脳のマリオ・タイセンからは評価が厚く、翌年のデビューを期待されていたが、レギュラードライバーのジャック・ヴィルヌーヴが第13戦ハンガリーGPへの欠場を申し出たため、このレースにおいてポーランド人初のF1ドライバーとしてデビューを飾った。荒れたレースの中7位で初完走し、初レースでポイントを取ったはずであったが、マシン重量が最低基準より2kg低かったため失格という結果になっている。その後、ヴィルヌーヴはそのままBMWから離脱したため、以降のレースもクビサがステアリングを握ることとなった。第15戦イタリアGPでは3位でフィニッシュし、デビュー3戦目にして初の表彰台に輝いた。
そもそもF1の世界を志したきっかけは、1997年にニュルブルクリンクで開催されたルクセンブルグGPを観戦した時であった(本人曰くF1を観戦したのはこの時が最初で最後)。1997年のワールドチャンピオンは当時参戦2年目のヴィルヌーヴであり、またヴィルヌーヴのF1においての生涯最後の勝利となったのがこの年のルクセンブルグGPであった。皮肉な事にそのヴィルヌーヴのシートを奪う形でF1のデビューを果たしたのであった。
[編集] F1での年度別成績
(2007年第1戦終了時)
年 | 所属チーム | 獲得ポイント | ランキング | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | *予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | BMW | 6 | 16位 | 3位・1回 | 1回 | 6位・1回 |
2007年 | 0 | 0回 | 5位・1回 |
*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリッド
[編集] 外部リンク
2007年のF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||||
マクラーレン | ルノー | フェラーリ | ホンダ | BMWザウバー | トヨタ | ||||||||
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