ロードサイド店舗
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ロードサイド店舗とは、自家用車でのアクセスが主たる集客方法である店舗のこと。特に都市郊外の主要幹線沿いに立地するものを指す場合が多い。
目次 |
[編集] 概要
商店は客のアクセス動線が無ければ成立出来ないため、店舗に至るまで大小・用途別に様々な道がある。一般的に、店舗に至る最後の数mの交通手段は少なくとも徒歩であるが、ドライブスルーやガソリンスタンドのように、商品までのアクセス動線を全て車に頼る店舗もある。
商店の形態は様々であるが、類型化すると、基本的に中心部商店街が公共交通機関を中心とした交通手段で、降車点からは徒歩でのアクセス動線を客に求めるのに対し、ロードサイド店舗は、自家用車を交通手段とし、車道をアクセス動線として、店舗に付帯する駐車場を集客装置とする商店形態となっている。
中心部商店街の主たる交通手段である公共交通機関は、最も稼ぎ時であるラッシュアワーに、朝は中心部方向、夕方は郊外方向に多くの便を振り分けているため、中心部に人が多い昼間の特に昼休みと夕方の帰り際が中心部商店街の主な稼ぎ時となっており、10時から遅くとも21時程度の営業時間である。対してロードサイド店舗は、自家用車を主な交通手段としているため、主婦層は昼休みを除く昼間に、それ以外の者は自宅への帰り際や自宅に戻ってからの最外出時が稼ぎ時となっており、営業時間が深夜まで、または24時間となっている。
また、中心部商店街は地価が高く、店舗面積が狭いことが多いため、薄利多売が不可能になって商品価格は高止まりしているのに対し、ロードサイド店舗は地価が安い郊外に立地し、床面積を広くつくることが出来るため、薄利多売が可能で低価格が実現できる。
結局、便利で安価な商品が得られるロードサイド店舗が各業種で中心部商店街に打ち勝って、中心市街地が「シャッター通り」に代表される空洞化を来している都市が見られる。現在では、病院や役所も郊外化する傾向があり、まちづくりや交通弱者に悪影響を与えると言われている。
なお、ロードサイド店舗は交通手段のメインが自家用車であることから、売り上げや客数がガソリン価格に左右されやすい傾向がある。
[編集] 歴史
江戸時代には、城下町・港町・宿場町などにおいて、幕府や藩が定めた場所でしか基本的に商業を営むことが出来なかった。明治期以降に成立した中心部商店街は、都市内交通の要衝に成立したものが多いが、都市間交通の要衝の鉄道駅前にも成立した。小規模な都市ではこれらは一体化、もしくはどちらか一方に集約されたが、中規模都市では現在でも双方とも存立している場合がある。また、都市の規模が大きい六大都市では、都市内交通に鉄道・地下鉄・河川交通も利用されていたため、各種駅前や河川の船着場、街道の交差点周囲など、多数の商業拠点が生まれた。
戦後の高度経済成長期には、地方でも都市化が進んで都市人口が激増し、郊外も造られたが、中規模以下の都市では基本的に中心部に向かう公共交通機関(バス・路面電車)・タクシー・バイク・自転車・徒歩などをアクセス動線として集客するシステムが採られ、中心部商店街は人で溢れた。中心部では歩道整備をして歩車分離したり、車を排除して歩行者天国を設置したりして、商店群の一体化がなされた。大都市では郊外化がより一層進んでいたため、中心部商店街の他に、鉄道を主たるアクセス動線と見なし、駅を集客装置とする駅前店舗が郊外各所に見られるようになった。
モータリゼーションは高度経済成長期から始まっていたが、業務用が主流であった。1970年代にはバイク、1980年代には主婦層にスクーター、世帯主が自家用車(マイカー)という所有形態が生まれ、自家用車を交通手段とし、車用道路を店舗へのアクセス動線とする認識が生まれ、駐車場を集客装置とするロードサイド店舗が成立し始めた。この頃のものは、郊外ではガソリンスタンドとスーパーマーケット、都市間ではドライブインやモーテルが主で、駐車場も数台から十数台程度であった。一方で、中心部商店街も「契約駐車場」制度を導入した。
バブル景気が訪れると、新車需要とともに大量の中古車が安価に出回り、一家に2台、またはパーソナルモータリゼーションの時代に入った。都市部では学生も車に乗るようになった。この頃、産業用、または、中心部の渋滞対策として造られたバイパス道路では、道沿いに土地が大量供給され、まずは客単価にあわせて十台から数十台分の駐車場を併設したカー用品・タイヤ専門店・カーディーラーなどの車関係や、ファミリーレストランに代表される外食産業など、客単価が高い業種が参入し、区画の悪い安価な土地には客単価が低い業種が出店した。
1990年代に入って地価が下落し始めると、更に様々な業種が参入し始め、コンビニエンスストアやビデオレンタルショップなどの客単価が低い業種、安売りの紳士服や大きな床面積が必要な家具屋やホームセンターなどの単位床面積に対する売上が低い業種でも参入が始まり、90年代半ばには客単価が高いが立地が限定されるアウトレットモール、90年代後半のIT革命以降は家電量販店、大規模小売店舗立地法によってゼネラルマーチャンダイズストアの郊外化も行われた。駐車場の規模はさらに大きくなり、数百台から数千台の場合も見られ、数種の異なった業種の店舗が集まって大規模な駐車場を共有するタイプのロードサイドショップも現れた。
[編集] 主な店鋪の種類
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[編集] 代表的な地域
ロードサイド店鋪の密集地は、道路沿いの地価が安く、広い土地を一括で取得できる地域である。
人口規模では、30万人程度以上の都市圏であれば郊外に一般的に見られ、都市圏人口が少ない場合でも、商圏が広い場合は10万人程度の都市圏でも密集地がある。都市圏人口がさほど多くなくとも密集地が成立している例は以下の通り。
北陸地方は、峠や山地に挟まれて多くの平野が連なっているため、都市圏規模の大小を問わずに、平野部にはロードサイド店鋪が多く見られる。代表的な地域としては、上越市の上越IC付近、金沢の国道8号金沢バイパス沿線などがある。これらを見ると、上越市は高田平野、金沢は金沢平野というように、「平野のバイパス沿い」となっている。
関東地方は、平野が広いと同時に人口も多いが、人口に対して中心部商店街はあまり発達していない。又、内陸工業地域の興隆によって、通勤のために車社会が既に発達していた。そのため、商圏人口・商圏面積ともに巨大で、かつ、中心部商店街との競争があまりない土地柄との分析があり、大規模なロードサイド店鋪が次々と進出した。結果的にこれらの地域では、中心部のデパートが次々撤退・廃業し、ロードサイド店鋪として再出発している例が見られる。