初芝駅
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初芝駅(はつしばえき)は、大阪府堺市東区日置荘西町にある南海電気鉄道高野線(りんかんサンライン)の駅。
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[編集] 構造
相対式2面2線のホームを持つ地平駅である。駅舎は東側(高野山方面行ホーム側)中央にあり、駅舎から難波方面行ホームへは地下道で連絡している。高野山方面ホームの1番線の裏には、事業用車の留置線がある。 初芝高等学校の学生専用の臨時改札が設けられている。
- のりば
- ■ 北野田・河内長野・橋本・高野山方面
- ■ 堺東・新今宮・難波方面
[編集] 利用状況
2004年度の調査結果では、1日あたりの平均乗降客数は20568人。この数字は南海の駅全体では99駅中13位、高野線の駅(難波~岸里玉出間含む)としては42駅中9位である。
[編集] 駅周辺
北東には南海鉄道(南海電鉄の前身)が1935年に初めて手がけた分譲住宅地があり、宅地開発を機に駅名が社内公募により選ばれた初芝駅に改称された。初芝高等学校付近にあるロータリーはもともと噴水であり、昭和初期に田園都市として開発された頃の名残。
[編集] 路線バス
駅前のバス停から堺市美原区の美原区役所前・平尾方面への南海バスと南海ウイングバス金岡(※印)が発着している。
- 1番のりば
- 53・特53・61・特61系統 平尾 行(黒山・農芸高校前経由)※
- 2番のりば
- 3番のりば
- 47系統 美原区役所前 行(菩提・今井南経由)
[編集] 歴史
- 1898年(明治31年)1月30日 高野鉄道の西村駅として開業。駅舎、改札は現駅舎より50mほど高野山寄りにあった。
- 1907年(明治40年)11月15日 会社合併により高野登山鉄道の駅となる。
- 1915年(大正4年)4月30日 社名変更により大阪高野鉄道の駅となる。
- 1922年(大正11年)9月6日 会社合併により南海鉄道の駅となる。
- 1935年(昭和10年)8月1日 初芝駅に改称、急行停車駅となる。下りホームを島式2線にし、駅舎、改札をホームの難波側の端に移設、改札と両ホームを地下道で結び、地下道の一部を金網で仕切って自由通路にした。駅前には小さなロータリーを造った。
- 1944年(昭和19年)6月1日 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1947年(昭和22年)6月1日 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
- 年月日不明 急行通過駅となる。
- 年月日不明 駅舎、改札をホーム中央に移設。
[編集] 駅名とプロ野球
大阪近鉄バファローズ(オリックス・バファローズの前身の一つ)ファンが、千葉ロッテマリーンズの初芝清選手(2005年で引退)に向けた野次の一つに「初芝各停しか停まらんのじゃー」というものがあったが、これは当駅に由来する。厳密には平日朝上りに準急が走るものの、当駅前後では各駅に停まる。 なお応援歌の歌詞のバリエーションが日本一豊富なことで有名な初芝選手だが、「南海高野線 白鷺の次は 初芝」という歌詞も存在する。 また駅名から各地から千葉ロッテファンがたびたび訪れ、ロッテファンの聖地となっている。