三国ヶ丘駅
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三国ヶ丘駅(みくにがおかえき)は、大阪府堺市堺区向陵中町二丁目にある南海電気鉄道と西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
なお、当駅は南海電鉄の管轄駅であり、JRは乗換改札口業務のみ行なっている(ジェイアール西日本交通サービスに委託)。そのため当駅にはみどりの窓口がなく、ラッシュ時には普通しか停車しない鶴ヶ丘駅の駅員が、ホームで旅客整理を行っている。これは阪和線が南海鉄道山手線だった時代に駅が開設された名残と思われる。
なお、南海の駅ホーム上の駅名標には、本来ローマ字で「MIKUNIGAOKA」と表記されるべき場所に該表示はなく、代わりに「阪和線 のりかえ」と書かれている。また、下りホームに限り、行灯式の簡易な行先表示機があり、次に来る電車が隣の堺東駅を発車した後に、「通過」「泉ヶ丘方面」または「北野田方面」とだけ表示される。
[編集] 駅構造
南海高野線、阪和線ともに相対式2面2線となっている。 高野線のホームは地平に、阪和線のホームは掘割部分にあり、相互のホームは北口改札部分と地下道によって連絡している。 駅舎は南海、JRの共用となっており、改札口は北口と西口の2ヶ所にある。北口はJRと南海の乗換え口、南海とJRそれぞれの改札口がY字型に並んでいる。西口は直接南海の上りホームにつながっているため、JRから西口を利用する場合、いったん南海との乗り換え改札を通り、地下道を降りる必要がある。 便所は南海高野線の両ホームにあり、難波行きホーム側は男女別の水洗式、高野山行きホーム側は男女共用の水洗式。
- 南海高野線のりば
- 阪和線のりば
[編集] 利用状況
- JR西日本阪和線三国ヶ丘駅の乗車人員は1日平均20,305人(2004年度)であり、JR西日本の駅では49位、阪和線・関西空港線の駅の中では第3位の利用者数である。1999年5月のダイヤ改正までは快速は通過扱い(区間快速は停車)であったために夕方以降を中心に普通電車が激しく混雑し、天王寺~鳳間で遅延が常態化していた。
- 南海高野線三国ヶ丘駅の1日あたりの平均乗降客数は36,392人(2004年度)であり、この数字は南海の駅全体では99駅中6位、高野線の駅(難波~岸里玉出間含む)としては42駅中6位である。また、準急以下の種別しか停車しない駅では最多である。ただし、このうち阪和線への乗り換え客が占める割合は40パーセント以上に及んでおり、近くに堺東駅があることや、遠近分離、経営戦略上などの観点から急行停車は実現していない。
[編集] 駅周辺
北側(高野線高野山方面行ホーム側)の駅舎にショップ南海あり。北側ロータリーにはバス停とタクシー乗り場がある。南側ロータリーにはバスは乗り入れておらずタクシー乗り場だけがある。バス停は国道310号(さんとお線)沿いにあるが、西口から見える場所にあり遠くはない。
- 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
- ジョーシン三国ヶ丘店
- コーナン堺三国ケ丘店
- 堺向陵中町郵便局
- 清恵会病院
- 大阪労災病院
- 民芸肉料理 はや総本店
- たんぽぽのくに堺三国ヶ丘駅前保育園
[編集] 路線バス
[編集] 歴史
- 1942年(昭和17年)2月15日 南海鉄道の高野線と山手線(旧阪和電気鉄道線、現在のJR阪和線)の乗換駅として開業。改札口は現在の西口のみで、阪和線へは高野線の線路を踏切で渡ってから階段に続いていた。
- 1944年(昭和19年)5月1日 南海山手線が戦時買収私鉄に指定されて国有化、阪和線となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 南海鉄道の会社合併により国鉄と近畿日本鉄道の駅となる。
- 1947年(昭和22年)6月1日 近畿日本鉄道から南海電気鉄道への旧:南海鉄道の路線譲渡により、国鉄と南海電気鉄道の駅となる。
- 年月日不明 高野線のホーム延伸。構内踏切を廃し、地下道を設ける。
- 年月日不明 北駅舎、改札口新設。
- 1986年(昭和61年)11月1日 ダイヤ改正で区間快速停車駅(当時は朝夕ラッシュ時、夜間のみの運転)になる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化によりJR西日本と南海の駅となる。
- 1999年(平成11年)5月 JR阪和線のホームが8両編成列車の停車が可能になるよう駅北側に延伸され、ダイヤ改正により快速・B快速の停車駅となる。