南海高野線
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高野線(こうやせん)は、大阪府大阪市浪速区の汐見橋駅から和歌山県伊都郡高野町の極楽橋駅までを結ぶ南海電気鉄道の鉄道路線。一般的には、帝塚山駅以遠発着の列車が全て乗り入れる南海本線難波駅から極楽橋駅までの運行系統を指す(運行形態を参照)。
難波~橋本間にはりんかんサンラインという愛称が(命名経緯は後述)、また汐見橋~岸里玉出間には汐見橋線(しおみばしせん)という通称がある。路線シンボルマークは、高野杉の林をイメージしたもので、ラインカラーは緑。
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[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):汐見橋~極楽橋間 64.5km
- 軌間:1067mm
- 駅数:42駅(起終点駅含む)
- 複線区間:汐見橋~橋本間(汐見橋線岸里玉出駅構内のみ単線)
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 最高速度:100km/h
[編集] 概要
真言宗の霊地高野山への足であり、終点の極楽橋駅からは鋼索線に連絡している。また大阪への通勤・通学路線でもある。かつては、本線である現在の南海本線に対して支線的存在だったが、泉北ニュータウンをはじめとする沿線の宅地開発が進むにつれ、南海本線と並ぶ路線となる。
難波~橋本間は沿線に住宅地が多く、大型車両を運行し通勤客を捌いている。橋本~極楽橋間は山岳路線で高野下駅からは50‰の勾配や急カーブが続くため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる専用車両が使用されている。このような山間部の区間でも各駅に自動改札が完備されているのも特筆に価する。
駅における案内板やその他の設備に関しては南海本線よりも大幅に後れている面がある。堺東、中百舌鳥、北野田、金剛、千代田、御幸辻の各駅ではバリアフリー工事が完成して、近代的な設備になってはいるが、その他の駅では未だに古いままである。
大阪市内の住吉東駅~沢ノ町駅を中心に大きな幹線道路と平面交差になるところもあり、『開かずの踏切』が点在する。沿線住民から高架化工事の要望もあるが、地形的な問題もあるため具体的な構想にまでは至っていない。またカーブが多いことも相まって、なんば~堺東駅間は、南海線のなんば~堺間よりも所要時間が幾分長い。
なお、2006年7月1日より、全線でPiTaPaとICOCAが使用できるようになった。ただし、乗車回数に応じて割引が適用されるサービスはPiTaPaのみが対象となる。
[編集] りんかんサンラインの愛称について
1995年から難波~橋本間には「りんかんサンライン」の愛称が付けられている。1993年に、当時の社長が「高野線の愛称ではローカル線の感が否めない。難波~橋本間の路線名を変更したい」と発言したのがきっかけで、社長案として南海山手線が候補に挙げられていたが、南海沿線の住民からは好意的な意見は少なかった。また、真言宗からの反発も激しく、結局難波~橋本間を「りんかんサンライン」、橋本~極楽橋間を「高野線」とイラストの路線図では区別しているが、沿線住民の間では未だに“高野線”と呼ばれている。また、難波~橋本間については真言宗への配慮から(当時の読売新聞の記事より)「高野線りんかんサンライン」両名併記とした案内も一部で見られる。
[編集] 運行形態
高野線の起点は汐見橋駅だが、現在は高野山方面へ行く全ての列車が難波駅から発着する。汐見橋~岸里玉出間の通称汐見橋線は、この区間だけを折り返す各駅停車の列車だけが運行されている。
難波~極楽橋間に特急「こうや」、難波~橋本間に特急「りんかん」が運転されている。特急のほか、快速急行、急行、区間急行、準急、各駅停車が運転されている。また、泉北ニュータウンの足として泉北高速鉄道と相互直通運転を行っており難波から直通列車がある。
難波から高野山方面へ直通する列車をかつては「大運転」と称したが、特急「こうや」や一部の列車を除き大運転自体が減少したこともあって、近年はあまり用いられていない。大運転の高野山方面列車の行先案内は、高野線の実際の終着駅である極楽橋ではなく、鋼索線を経た「高野山」と表示されることが多い。
以下に特急以外の種別の運転概況を示す。特急については当該列車の項を参照のこと。
- ■快速急行
- 難波から極楽橋駅まで昼間時間帯のみに運転されている。停車駅は千早口・天見・紀見峠駅を通過するほかは急行と同じである。2003年5月31日に登場した。なお、案内放送では「快速急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「快急」である。
- ちなみに、平日ダイヤの難波駅11:00発の快速急行極楽橋行きの橋本~極楽橋間は快速急行で唯一ワンマン運転を行う。この場合、車両側の種別幕には「快急」と「ワンマン」の2段表記となる。
- ■急行
- 難波から三日市町・林間田園都市・橋本・高野下・極楽橋駅まで運転されている。2005年10月16日の改正で極楽橋方面への列車は系統分割が行なわれ基本的に橋本折り返しとなった。難波~林間田園都市・橋本間の列車が中心で高野下・極楽橋発着はごく一部のみ。橋本駅で橋本~高野下または極楽橋間に運転されるワンマン運転の各駅停車に接続している。なお快速急行同様、高野下・極楽橋へ直通する列車は橋本で分割併合作業を行う。
- 2000年12月23日の改正以前の急行はズームカーで運転される難波~極楽橋間直通の列車が中心だった。特に深夜の下り急行に関しては激しい混雑が常態化していた。なお現行のダイヤでは大半が大型車に置き換えられたが、ズームカーの運用はまだ残っていて、早朝にはなんば~橋本・極楽橋間の急行において4連で運転される列車が残っている。
- 朝ラッシュ時、8連運転(ズームカーを除く)の、橋本駅または林間田園都市駅を始発とする上り列車は、橋本~天下茶屋間で、難波寄りから4両目に女性専用車両を設定する。
- なお橋本で極楽橋行(高野下行)の各駅停車と連絡する場合、「高野山極楽橋連絡(高野下連絡)、急行橋本行」と表して連絡列車であることを強調している。
- ちなみに、平日ダイヤの極楽橋駅9:10発の急行難波行きの極楽橋~橋本間は急行で唯一ワンマン運転を行う。この場合、車両側の種別幕は「急行」と「ワンマン」の2段表記となる。
- ■区間急行
- 難波から河内長野・三日市町・林間田園都市駅まで運転されている。2000年12月23日の改正で朝・夜のみの運転となっていたが、2005年10月16日の改正で再び終日運転となった。昼間時間帯は難波~河内長野・三日市町間の運転が中心であるが、夕方以降に林間田園都市行きの列車もある。このほか、平日朝に泉北高速鉄道和泉中央発難波行きが運転されている(2000年12月23日の改正までは平日夕方に難波発和泉中央行きも運転されていた。詳しくは泉北高速鉄道線も参照)。なお、案内放送では「区間急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「区急」である(これは南海本線も同様)。
- ■準急
- 難波から主に泉北高速鉄道直通列車として終日運転され、河内長野方面は平日朝に三日市町・河内長野・千代田駅から難波行きしか運転されていない。また毎年8月1日の教祖祭PL花火芸術開催時には、数本程度河内長野方面への臨時の準急が運転される。なお、構内アナウンスや車掌放送では「準急行」と案内される(これは南海本線も同様であるが、泉北高速鉄道線内各駅での自動放送に限り「準急」と案内される)。かつては平日朝ラッシュ時に10連運転が多数あったが乗客減により激減し、2005年10月16日改正時点では準急・区間急行合わせて4往復のみとなっている。
- ■各駅停車
- 難波から堺東・北野田・金剛・千代田・河内長野・三日市町・林間田園都市・橋本駅まで運転されているが、殆どが難波~金剛・河内長野・三日市町間の運転で、堺東発着は始発難波行き・最終堺東行きのみ、北野田発着は平日朝のみ、他も一部のみとなっている。このほか河内長野~橋本間、橋本~高野下・極楽橋間にも運転されているほか、深夜に泉北高速鉄道和泉中央発難波行きが1本運転されている。6連での運転が基本だが、2005年10月16日の改正で十数年ぶりに昼間の大型車での4連運転が復活した。
- 山岳路線である橋本~高野下・極楽橋間の系統のうち、2両編成のものはワンマン運転(4両編成には車掌乗務)である。橋本駅でなんば~橋本間の急行と相互接続を行い、橋本駅では基本的に高野山寄りから発車する。
- 汐見橋線
- 全日終日30分間隔(夜間は35~40分間隔)で運転され、ワンマン運転を行っている。終電は22時台とかなり早い部類に当たる。以前は高野線住吉東駅発着の列車も存在したが、今では岸里玉出~汐見橋間の運転のみである。車両は南海線住之江検車区所属の2200系、2230系電車が充当されている。
[編集] 乗務員
- 難波~極楽橋間では、特急以外は橋本駅で乗務員交替が行われ、特急は始発駅から終着駅まで乗り通しである。
- 泉北高速鉄道線の直通列車は中百舌鳥駅で乗務員交替が行われる(平日朝の泉北線からの区間急行は例外として、光明池駅で乗務員交替を行う)。
- 汐見橋線では、高野線に所属する乗務員が乗務する。
- 南海電鉄での運転士と車掌とのペアは「乗組制」を敷いており、一旦組むとどちらかが他の部署への異動や退職、どちらかが休暇をとらない限り、そのペアでずっと組む珍しいシステムを敷いている。
- 高野線において全席指定の特急電車運転士は希望調査の上決定される。
[編集] 歴史
堺から高野山を目指し、高野鉄道が1898年に大小路(現在の堺東)~狭山間を開業させた。その後、南は長野(現在の河内長野)駅まで延び、北は道頓堀(現在の汐見橋)駅まで延伸され大阪市内乗り入れを果たすが、当初の経営は思わしくなく、事業を継承した高野登山鉄道の手で路線延長が図られることになった(なお、高野登山鉄道の社長は根津嘉一郎 (初代)、現地支配人として乗り込んできたのは後に東京地下鉄道を起こす早川徳次である)。高野登山鉄道は、1915年に汐見橋~橋本間を開通させ大阪高野鉄道と社名変更。その後、南海鉄道に合併し、1925年に高野山(現在の高野下)駅まで開通した。
高野下駅以南は別会社である高野山電気鉄道によって建設され、1928年高野下~神谷(現在の紀伊神谷)間が開業、翌年極楽橋駅まで開業し全通した。南海鉄道は1944年に関西急行鉄道に合併し近畿日本鉄道となったが、この高野山電気鉄道は戦後、南海が分離独立する際の受け皿会社となった。
1960年代頃から沿線の宅地開発が進み、南海も美加の台住宅地や南海橋本林間田園都市を建設する。その通勤輸送増加に対応するため、列車編成増強や河内長野以南の線路改良を進め、1995年には橋本駅までの複線化を完成させた。この結果、1980年代前半までは三日市町以北に限られていた20m級車体の大型車の運転区間が、1984年に林間田園都市まで、1995年には橋本駅まで延長された。その反面、橋本~極楽橋間の乗客数は減少の一途を辿り、2000年12月のダイヤ改正で高野下~極楽橋間において日中の運転本数の削減が行われ(1時間に2本→1本)、さらに2005年10月のダイヤ改正では同区間を運転する列車が4両編成の直通急行から2両編成・ワンマン運転の各停が中心となるダイヤに変更された。
一方、事実上支線化された汐見橋線は乗客が減少し減便されながらも細々と生きながらえている状態である。将来建設が計画されているなにわ筋線との接続路線になるために複線のまま維持されている状態だが、現在なにわ筋線の建設計画は事業主体が決まらず、頓挫している状態であり、その動向によっては汐見橋線にも何らかの動きがあるものと見られている。
[編集] 年表
- 1898年(明治31年)1月30日 高野鉄道により大小路(現在の堺東)~狭山間が開業。
- 1898年(明治31年)4月2日 狭山~長野(現在の河内長野)間が開業。
- 1900年(明治33年)9月3日 道頓堀(現在の汐見橋)~大小路間が開業。
- 1900年(明治33年)9月7日 百舌鳥八幡駅開業。
- 1902年(明治35年) 勝間駅を阿部野駅(現在の岸里玉出駅)に改称。
- 1907年(明治40年)1月6日 我孫子前駅開業。
- 1907年(明治40年)11月15日 高野鉄道が事業一切を高野登山鉄道に譲渡。
- 1912年(大正元年)10月10日 汐見橋~長野(現在の河内長野)間が600V電化。中百舌鳥駅、萩原天神駅開業。
- 1912年(大正元年)11月15日 芦原町駅開業。
- 1913年(大正2年)2月21日 津守駅開業。
- 1913年(大正2年)10月26日 汐見橋~木津川間が複線化。
- 1914年(大正3年)5月22日 狭山~滝谷間の池尻信号所廃止届出。
- 1914年(大正3年)8月7日 北野田駅開業。
- 1914年(大正3年)10月21日 長野~三日市町間が開業。以降当初から電化。
- 1915年(大正4年)3月11日 紀見トンネル(通称「紀見峠トンネル」)開通。三日市町~橋本間が開業。
- 1915年(大正4年)6月22日 浅香山駅開業。
- 1915年(大正4年)9月18日 西天下茶屋駅開業。
- 1915年(大正4年)4月30日 高野登山鉄道が大阪高野鉄道に社名変更。
- 1915年(大正4年)9月1日 橋本~(妻信号所)~紀ノ川口間が開業。
- 1917年(大正6年)7月5日 河内半田駅(現在の大阪狭山市駅)開業。
- 1921年(大正10年)5月1日 河内半田~滝谷間に貨物駅として第一半田駅、第二半田駅開業(1913年頃に仮駅として開業? 廃止日不明)。
- 1922年(大正11年)9月6日 南海鉄道が大阪高野鉄道を合併。高野線となる。
- 1923年(大正12年)3月 高野辻駅を御幸辻駅に改称。
- 1923年(大正12年)12月 汐見橋から橋本まで40分ごとに運転(大運転列車)。
- 1924年(大正13年)3月18日 住吉東~我孫子前間が複線化。
- 1924年(大正13年)9月8日 阿部野~住吉東間が複線化。
- 1924年(大正13年)10月26日 汐見橋~木津川間が複線化。
- 1924年(大正13年)11月1日 妻信号所~学文路間が開業。橋本~紀ノ川口間に妻信号所開設。
- 1924年(大正13年)12月25日 学文路~九度山間が開業。
- 1925年(大正14年)3月15日 岸ノ里駅(現在の岸里玉出駅)に南海本線との東連絡線開設。阿部野駅を岸ノ里駅に統合。難波駅乗り入れ開始。難波直通列車はホームがないため岸ノ里駅を通過。清水駅開業。
- 1925年(大正14年)3月28日 高野山電気鉄道設立
- 1925年(大正14年)4月1日 清水駅を紀伊清水駅に改称。
- 1925年(大正14年)6月8日 我孫子前~堺東間が複線化。
- 1925年(大正14年)7月30日 九度山~高野山(現在の高野下)間が開業。
- 1925年(大正14年)8月22日 高野山駅を高野下駅に改称届出。
- 1926年(大正15年)12月3日 西天下茶屋~岸ノ里間が複線化。岸ノ里駅東連絡線複線化。西連絡線開設。
- 1928年(昭和3年)6月18日 高野山電気鉄道が高野下~神谷(現在の紀伊神谷)間を開業。1500V電化。
- 1928年(昭和3年)6月22日 堺東~西村間が複線化。
- 1929年(昭和4年)2月21日 高野山電気鉄道の神谷~極楽橋間が開業し全通。
- 1929年(昭和4年)10月10日 西村~北野田間が複線化。
- 1929年(昭和4年)11月1日 高野線全列車難波駅より発着開始。汐見橋~岸ノ里が事実上支線化。汐見橋発着列車は住吉東折り返し(出入庫列車は堺東まで延長運転)となる。
- 1930年(昭和5年)3月1日 細川駅を紀伊細川駅に、神谷駅を紀伊神谷駅に改称。
- 1930年(昭和5年)4月12日 木津川~西天下茶屋間、北野田~狭山間が複線化。
- 1930年(昭和5年)6月29日 鋼索線(極楽橋~高野山間)開業し高野山上までの鉄道のみでのルートが完成。
- 1932年(昭和7年)4月28日 高野山電気鉄道が600Vに降圧し、南海高野線と相互直通運転開始。
- 1934年(昭和9年)12月26日 帝塚山駅開業。
- 1935年(昭和10年)8月1日 西村駅を初芝駅に改称。
- 1937年(昭和12年)4月19日 狭山~金剛間が複線化。金剛駅開業。
- 1938年(昭和13年)2月11日 金剛~長野間が複線化。千代田駅開業。
- 1942年(昭和17年)2月15日 沢ノ町駅、三国ヶ丘駅開業。
- 1944年(昭和19年)6月1日 関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道となる。
- 1944年(昭和19年)9月3日 高野山電気鉄道紀伊細川~上古沢間で極楽橋行き電車が床下から火を噴き、停車して点検中に勾配を下り始めカーブで脱線転覆大破。71名死亡。
- 1944年(昭和19年)9月4日 萩原天神駅で100m以上オーバーランした長野発難波行き各駅停車がホームまで戻ったところへ定刻より約10分遅れで同駅通過の三日市町発難波行き急行が追突、通勤通学客で満員の両電車大破。5名死亡。
- 1945年(昭和20年)3月14日? 難波駅乗り入れ休止、全列車汐見橋駅発着となる。
- 1945年(昭和20年)12月6日 汐見橋発橋本行き電車が速度超過により紀見峠駅の安全側線を越えて脱線転覆。27名死亡。
- 1946年(昭和21年)7月1日? 難波駅乗り入れ再開。
- 1947年(昭和22年)3月15日 高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更。
- 1947年(昭和22年)6月1日 近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡。
- 1949年(昭和24年)7月30日 中百舌鳥~初芝間に(臨)中百舌鳥運動場前駅開業。
- 1950年(昭和25年)4月1日 河内半田駅を狭山遊園前駅に改称。
- 1951年(昭和26年)7月7日 特急こうや号運転開始。
- 1954年(昭和29年)4月1日 長野駅を河内長野駅に改称。
- 1957年(昭和32年)6月29日 三日市町~千早口間に加賀田信号所開設。
- 1958年(昭和33年)5月10日 (臨)中百舌鳥運動場前駅廃止。
- 1959年(昭和34年)12月20日 妻信号所~紀ノ川口間廃止。橋本~紀伊清水間の妻信号所廃止。
- 1964年(昭和39年)2月25日 紀見峠~御幸辻間が一部複線化。同区間に橋谷信号所開設。
- 1964年(昭和39年)5月25日 白鷺駅開業。
- 1966年(昭和41年)3月1日 千代田~河内長野間に千代田信号所開設。
- 1968年(昭和43年)1月18日 天下茶屋駅構内で南海本線春木発難波行き急行が信号を冒進し堺東行き下り回送列車に正面衝突。296名負傷。鉄道事故参照。
- 1970年(昭和45年)11月23日 岸ノ里駅に難波駅直通列車用ホーム設置。
- 1971年(昭和46年)4月1日 泉北高速鉄道と相互直通運転開始。
- 1973年(昭和48年)10月7日 架線電圧を1500Vに昇圧。
- 1974年(昭和49年)3月24日 河内長野~三日市町間が複線化。
- 1979年(昭和54年)5月26日 天見~紀見峠間が複線化。
- 1981年(昭和56年)11月22日 林間田園都市駅開業。
- 1983年(昭和58年)6月5日 千早口~天見間、紀見峠~御幸辻間が複線化。橋谷信号所廃止。
- 1984年(昭和59年)3月6日 三日市町~千早口間が複線化。加賀田信号所廃止。
- 1984年(昭和59年)3月11日 大型車両が林間田園都市駅まで乗り入れ開始。
- 1984年(昭和59年)9月1日 美加の台駅開業。
- 1985年(昭和60年)6月16日 汐見橋線が岸ノ里駅以南と分断。
- 1992年(平成4年)11月10日 特急りんかん運転開始。大型車両橋本駅まで乗り入れ開始。金剛駅が全列車停車駅に昇格。
- 1993年(平成5年)4月18日 岸ノ里駅と南海本線玉出駅が統合され岸里玉出駅となる。
- 1994年(平成6年)7月21日 御幸辻~橋本間を新線に切り替え。
- 1995年(平成7年)9月1日 御幸辻~橋本間が複線化。難波~橋本間に「りんかんサンライン」の愛称使用開始。ズームカーによる急行の増解結の実施駅が一部を除いて三日市町から橋本に変更。平日朝ラッシュ時に難波~河内長野間でズームカーの急行10連運転開始。
- 1995年(平成7年)11月1日 南海本線萩ノ茶屋~岸里玉出間高架化完成。東側2線を高架化。
- 1996年(平成8年)11月24日 御幸辻~橋本間に小原田信号所開設。天下茶屋駅が区間急行・準急の標準停車駅に昇格。
- 1998年(平成10年)9月30日 学文路駅構内難波方の分岐器付近で発車直後の難波行き急行が脱線。いわゆる「せり上がり脱線」。
- 2000年(平成12年)12月23日 狭山遊園前駅を大阪狭山市駅に改称。昼間の区間急行を急行に格上げ。天下茶屋駅が全列車停車駅に昇格。日中のダイヤが10分・15分ヘッドの混在型から一律12分ヘッドとなり、優等列車の増発と各停の運転本数削減。汐見橋線ワンマン運転開始。
- 2002年(平成14年)3月28日 紀伊細川~紀伊神谷間で崩れた土砂に乗り上げた難波行き急行が脱線。高野下~極楽橋運休・翌日復旧。
- 2003年(平成15年)2月24日 紀伊細川~紀伊神谷間で崩れた土砂に乗り上げた極楽橋行き急行が脱線。1名負傷。高野下~極楽橋運休・2月27日部分復旧、3月3日完全復旧。
- 2003年(平成15年)5月31日 昼間時間帯に快速急行を運転開始。ズームカーの10連運転終了。平日朝の上り急行で女性専用車両導入。
- 2005年(平成17年)10月16日 難波~極楽橋間の急行を系統分割化、一部除き橋本折り返しに。橋本~極楽橋間でワンマン運転開始。特急列車の増発。区間急行が終日運転となる。
[編集] 駅一覧
[編集] 難波~岸里玉出~極楽橋間
難波~橋本間は愛称「りんかんサンライン」。
- ●:停車、|:通過
- 準急・区間急行:泉北高速鉄道線直通あり
※難波~天下茶屋間の駅と帝塚山~極楽橋間の駅との間の運賃は、天下茶屋~帝塚山間を1.8kmとして計算する。例えば難波~極楽橋間63.8kmの場合は63.6kmで計算する。
駅名 | 岸里玉出からの営業キロ | 各駅停車 | 準急 | 区間急行 | 急行 | 快速急行 | 特急 | 接続路線 | 所在地 | |
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南海本線 | ||||||||||
難波駅 | 3.9 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 大阪市営地下鉄:御堂筋線・千日前線・四つ橋線 近畿日本鉄道:難波線(近鉄難波駅) 阪神電気鉄道:西大阪線(近鉄難波駅・2009年春開業予定) 西日本旅客鉄道:関西本線(大和路線)(JR難波駅) |
大阪府 | 大阪市中央区 |
今宮戎駅 | 3.0 | ● | | | | | | | | | | | 大阪市浪速区 | ||
新今宮駅 | 2.5 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 西日本旅客鉄道:大阪環状線・関西本線(大和路線) 大阪市営地下鉄:御堂筋線・堺筋線(動物園前駅) 阪堺電気軌道:阪堺線(南霞町駅) |
大阪市西成区 | |
萩ノ茶屋駅 | 1.9 | ● | | | | | | | | | | | |||
天下茶屋駅 | 0.9 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 大阪市営地下鉄:堺筋線 | ||
高野線 | ||||||||||
岸里玉出駅 | 0.0 | ● | | | | | | | | | | | 南海電気鉄道:南海本線・汐見橋線 | 大阪府 | 大阪市西成区 |
帝塚山駅 | 1.1 | ● | | | | | | | | | | | 大阪市住吉区 | ||
住吉東駅 | 2.0 | ● | | | | | | | | | | | 阪堺電気軌道:上町線(神ノ木駅) | ||
沢ノ町駅 | 2.9 | ● | | | | | | | | | | | |||
我孫子前駅 | 3.5 | ● | | | | | | | | | | | |||
浅香山駅 | 4.8 | ● | | | | | | | | | | | 堺市堺区 | ||
堺東駅 | 6.4 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||
三国ヶ丘駅 | 7.9 | ● | ● | | | | | | | | | 西日本旅客鉄道:阪和線 | ||
百舌鳥八幡駅 | 8.8 | ● | ● | | | | | | | | | |||
中百舌鳥駅 | 9.5 | ● | ● | | | | | | | | | 大阪府都市開発:泉北高速鉄道線(直通あり) 大阪市営地下鉄:御堂筋線 |
堺市北区 | |
白鷺駅 | 10.5 | ● | ● | | | | | | | | | |||
初芝駅 | 12.0 | ● | ● | | | | | | | | | 堺市東区 | ||
萩原天神駅 | 12.9 | ● | ● | | | | | | | | | |||
北野田駅 | 14.7 | ● | ● | ● | ● | ● | | | |||
狭山駅 | 15.6 | ● | ● | ● | | | | | | | 大阪狭山市 | ||
大阪狭山市駅 | 17.2 | ● | ● | ● | | | | | | | |||
金剛駅 | 18.3 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||
滝谷駅 | 20.0 | ● | ● | ● | | | | | | | 富田林市 | ||
千代田駅 | 21.3 | ● | ● | ● | | | | | | | 河内長野市 | ||
千代田信号所 | (22.0) | | | | | | | | | | | | | |||
河内長野駅 | 23.4 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 近畿日本鉄道:長野線 | ||
三日市町駅 | 25.1 | ● | ● | ● | ● | ● | | | |||
美加の台駅 | 26.7 | ● | ● | ● | ● | | | ||||
千早口駅 | 28.6 | ● | ● | ● | | | | | ||||
天見駅 | 30.3 | ● | ● | ● | | | | | ||||
紀見峠駅 | 34.0 | ● | ● | ● | | | | | 和歌山県 | 橋本市 | ||
林間田園都市駅 | 35.3 | ● | ● | ● | ● | ● | ||||
御幸辻駅 | 37.3 | ● | ● | ● | | | |||||
小原田信号所 | (38.2) | | | | | | | | | |||||
橋本駅 | 40.1 | ● | ● | ● | ● | 西日本旅客鉄道:和歌山線 | ||||
紀伊清水駅 | 43.2 | ● | ● | ● | | | |||||
学文路駅 | 45.8 | ● | ● | ● | | | |||||
九度山駅 | 47.6 | ● | ● | ● | | | 伊都郡九度山町 | ||||
高野下駅 | 49.6 | ● | ● | ● | | | |||||
下古沢駅 | 51.3 | ● | ● | ● | | | |||||
上古沢駅 | 53.0 | ● | ● | ● | | | |||||
紀伊細川駅 | 56.0 | ● | ● | ● | | | 伊都郡高野町 | ||||
紀伊神谷駅 | 58.4 | ● | ● | ● | | | |||||
極楽橋駅 | 59.9 | ● | ● | ● | ● | 南海電気鉄道:鋼索線 |
[編集] 汐見橋~岸里玉出間
通称「汐見橋線」。
- 全列車各駅停車
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
汐見橋駅 | 0.0 | 阪神電気鉄道:西大阪線(2009年春開業予定) 大阪市営地下鉄:千日前線(桜川駅) |
大阪府 | 大阪市浪速区 |
芦原町駅 | 0.9 | 西日本旅客鉄道:大阪環状線(芦原橋駅) | ||
木津川駅 | 1.6 | 大阪市西成区 | ||
津守駅 | 2.6 | |||
西天下茶屋駅 | 3.6 | |||
岸里玉出駅 | 4.6 | 南海電気鉄道:南海本線・りんかんサンライン |
[編集] 過去の接続路線
- 天下茶屋駅:南海天王寺線 - 1984年11月18日まで