可部線
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可部線(かべせん)は、広島県広島市西区の横川駅から同市安佐北区の可部駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。全線が電化されており、広島市の都市近郊路線となっている。かつては、可部駅から先、三段峡駅まで非電化で路線がのびていた。
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[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):14.0km
- 軌間:1067mm
- 駅数:12駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
- 最高速度:65km/h
- 運転指令所:広島総合指令所
※全区間、西日本旅客鉄道広島支社の直轄である(但し、2006年6月までは横川駅を除き可部鉄道部が管轄していた)。なお、広島支社独自で与えられているラインカラーは紫。
[編集] 列車の運転
[編集] 快速列車
快速「通勤ライナー」が、夕通勤時間帯に広島→可部間に運行している。 停車駅は、横川・安芸長束・下祇園・大町・緑井・可部である。広島シティネットワークの可部線の項も参照。
[編集] 各駅停車
広島駅を起点に運転されており、一部の列車は広島駅を越えて山陽本線・呉線方面へ乗り入れている。全区間を通しで運転する列車のほか、平日朝ラッシュ時には緑井、梅林折り返し、夕方から夜間にかけては緑井折り返しの区間列車が設定されている。昼間は20分間隔で運行されている。
なお、七軒茶屋駅~可部駅については、七軒茶屋と上八木の両駅ホームが3両編成までしか対応していないため、4両編成の場合はこの区間の全ての駅で広島側の1両のドアは開かない。この扱いは2005年10月1日のダイヤ改正から行われ、それまではホームが3両分である前述の2駅のみで締切とし、残りの駅では4両ともドアを開閉していたが、車掌の取り扱い不注意による事故(誤って七軒茶屋・上八木で4両目もドアを開けてしまう事故)を防止するために、このような扱いとなった。
[編集] 歴史
可部線の現存区間は、私鉄が開業した区間を1936年に国有化したものである。同区間は、1909年、大日本軌道広島支社が軽便鉄道規格で開業したものであるが、数回所有者が変わり、買収時の所有者は広浜鉄道であった。本路線は、改正鉄道敷設法別表第94号の予定線「広島県広島付近ヨリ加計ヲ経テ島根県浜田付近ニ至ル鉄道」の一部として買収されたものである。
可部以遠は国により建設された。1968年に国鉄諮問委員会が提出した意見書で、可部~加計間が鉄道としての「使命を終えた」路線、いわゆる赤字83線に挙げられ廃止勧告を受けた一方で、建設は続けられ、翌1969年に三段峡までが開通した(新規開業区間は非電化)。その後も日本鉄道建設公団の建設線(今福線)として山陰本線の浜田駅を目指して建設が進められたが、1980年の国鉄再建法の施行により工事は中断され、現在も遺構が残る。
2003年には非電化区間の可部~三段峡間が廃止された(詳細は後述)。なお同区間内には、1954年の布~加計開業により国鉄路線延長が2万kmに達した地点(坪野~田之尻間。坪野寄り500m)が含まれており、位置を示す記念碑だけが取り残されることとなった。
[編集] 年表
- 1909年(明治42年)12月19日 - 大日本軌道広島支社線 横川~祇園間が開業。軌間762mm非電化で、軌道法に基づく軌道線。横川停留場、松原停留場、新庄橋停留場、長束停留場(初代・後の安芸山本駅)、下祇園駅、祇園停留場開業。
- 1910年(明治43年)11月19日 - 祇園~古市橋間開業。古市橋駅開業。
- 12月25日 - 古市橋~太田川橋間が開業。古市停留場、緑井駅、七軒茶屋駅、梅林駅、太田川橋停留場(現在の上八木駅)開業。
- 1911年(明治44年)6月12日 - 太田川橋~可部町間が開業。中島停留場(現在の中島駅)、可部町駅(現在の可部駅)開業。
- 1913年(大正2年)6月頃 - 八木停留場(後の中八木駅)開業。
- 1919年(大正8年)3月11日 - 可部軌道へ譲渡。
- 1926年(大正15年)5月1日 - 広島電気に合併。
- 1928年(昭和3年)11月9日 - 横川~古市橋間改軌(→1067mm)・電化(直流600V)。古市橋~可部間を運休しバス代行輸送。松原停留場廃止。大師停留場(現在の安芸長束駅)開業。
- 1929年(昭和4年)8月10日 - 古市橋~緑井間を経路変更し改軌・電化。緑井~七軒茶屋間改軌・電化。旧線上の古市停留場廃止。新線上に安停留場開業。
- 1930年(昭和5年)10月頃 - 大芝公園口停留場(現在の三滝駅・松原停留場の代替)開業。
- 7月1日 - 広浜鉄道へ譲渡。
- 1933年(昭和8年)4月20日 - 横川停留場を駅に格上げ、横川町駅に改称。
- 1935年(昭和10年)4月30日 - 七軒屋停留場開業。
- 1936年(昭和11年)9月1日 - 横川~可部間(13.7km)買収、国有化、可部線となる。
- 停留場を駅に格上げ。横川町駅を山陽本線横川駅に統合し廃止。大芝公園口駅を三滝駅に、長束停留場を安芸長束駅に、山本停留場を安芸山本駅に、八木停留場を中八木駅に、太田川橋停留場を上八木駅に、中島停留場を安芸中島駅に、広浜可部駅を可部駅に改称。
- 1936年(昭和11年)10月13日 - 可部~安芸飯室間(11.1km)が旅客線として開業(以後の開通区間は非電化)。安芸亀山駅、安芸飯室駅開業。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 安芸中島駅休止。新庄橋駅、安芸山本駅、祇園駅、安駅、七軒屋駅、中八木駅廃止。
- 1946年(昭和21年)8月15日 - 安芸飯室~布間(2.4km)開業。可部~布間の貨物営業開始。布駅開業。
- 1948年(昭和23年)10月1日 - 架線電圧を750Vに昇圧。
- 1954年(昭和29年)3月30日 - 布~加計間(18.5km)開業。坪野~田之尻間で国鉄路線延長が2万kmに達する。小河内駅、安野駅、水内駅、坪野駅、津浪駅、加計駅開業。
- 1956年(昭和31年)6月1日 - 休止中の安芸中島駅を中島駅に改称し営業再開。
- 1962年(昭和37年)4月23日 - 架線電圧を1500Vに昇圧。
- 10月1日 - 横川~安芸長束間線路付け替えに伴い改キロ(+0.3km)。三滝駅移転。太田川放水路建設のため。
- 1966年(昭和41年)2月1日 - 香草駅開業。
- 1968年(昭和43年)9月4日 - 可部~加計間(32.0km)が「赤字83線」に挙げられ廃止勧告を受ける。
- 1969年(昭和44年)7月1日 - 筒賀駅を田之尻駅に改称。
- 7月27日 - 加計~三段峡間(14.2km)開業。加計~戸河内間で貨物営業開始。木坂駅、殿賀駅、上殿駅、筒賀駅、土居駅、土居駅、戸河内駅、三段峡駅開業。
- 1978年(昭和53年)10月1日 - 可部~戸河内間貨物営業廃止。
- 1984年(昭和59年)1月1日 - 横川~可部間貨物営業廃止により全線の貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。
- 1991年(平成3年)3月16日 - 可部以南を運行の全列車が広島に乗り入れ。
- 4月1日 - 可部鉄道部設置。可部~三段峡間でワンマン運転開始。
- 1994年(平成6年)8月20日 - 大町駅開業(アストラムラインと接続)。
- 2003年(平成15年)12月1日 - 可部~三段峡間(46.2km)廃止。河戸駅~三段峡駅間の21駅廃止。
- 2006年(平成18年)7月1日 - 可部鉄道部廃止により、西日本旅客鉄道広島支社の直轄路線となる。
[編集] 駅一覧
広島シティネットワークも参照。
横川駅 - 三滝駅 - 安芸長束駅 - 下祇園駅 - 古市橋駅 - 大町駅 - 緑井駅 - 七軒茶屋駅 - 梅林駅 - 上八木駅 - 中島駅 - 可部駅
[編集] この区間の廃駅
- 新庄橋駅 - 三滝~安芸長束間
- 安芸山本駅 - 安芸長束~下祇園間
- 祇園駅 - 下祇園~古市橋間
- 安駅 - 大町駅付近
- 七軒屋駅 - 七軒茶屋~梅林間
- 中八木駅 - 梅林~上八木間
- 1943年以前の廃止
[編集] 接続路線
- 横川駅:山陽本線、広島電鉄横川線
- 大町駅:広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)
[編集] 可部~三段峡間の廃止について
可部駅~三段峡駅間(46.2km)は、2003年11月30日限りで廃止された。西日本旅客鉄道(以降JR西日本と記す)は、利用者の減少が続く可部駅~三段峡駅間について廃止の方針を打ち出していたが、地元は利便性が高まれば利用者は増えると主張した。JR西日本はこれに応え、2000年の104日間と2001年の1年間、列車の試験増発を行ったが、乗客が増えたのは土曜・日曜日に運転された広島駅からの臨時快速(「三段峡観光号」)だけで、地元の利用、とりわけJR西日本が重視していた定期利用客はほとんど増えなかった。結果、JR西日本が設定した存続の条件・輸送密度800人には達せず、廃止が決定した。その後、地元自治体を中心とする第三セクターへの移行も検討されたが、断念された。
廃止後は広島電鉄(可部~三段峡間、国道191号経由)、広島交通(可部~安芸飯室間、広島県道267号宇津可部線経由)による代替バスに転換された。
線路跡については、JR西日本から当時の広島市・湯来町・加計町・筒賀村・戸河内町(現在、湯来町は広島市に編入、加計町・筒賀村・戸河内町は合併し安芸太田町)の各沿線自治体に無償で譲渡された。可部駅~河戸駅間(1.3km)は広島市とJRの協定の関係で殆どそのまま残し(踏切部分はアスファルトで覆われている)、これから先の河戸駅~三段峡駅間(44.9km)は廃止から1年以上、踏切部分のみ撤去されて路盤など設備はほぼ原状のまま残っていた。しかし、2005年に入り、駅の撤去や路盤から道路への転用が始まっている。三段峡駅跡地は交流施設となっている。
廃止後も旧JR可部線廃止区間を鉄道として再生しようという動きがあり、2004年4月に太田川鉄道株式会社(同年12月に有限会社に改組)が設立され、募金を基に観光鉄道としての運行再開を目指していたが、集まった募金はわずか700万円で、同規模の第三セクターと比較すれば工事費はおろか開業時の運転資金にすら遠く及ばない額でであった。加えて可部線の線路、枕木の撤去や駅舎解体などの理由で事実上鉄道の復活が不可能となったことを受けて、2005年5月25日に太田川流域鉄道再生協会会長の名義で支援金の返還を決定する文面を掲載、太田川鉄道のサイトは閉鎖され、可部線再生計画は事実上消滅した。
一方、可部駅~河戸駅間では廃止前から地元住民らが電化を求めており、路線廃止後も電化路線として復活開業を求める運動が活発に行われている。広島市はJR西日本との線路敷地無償譲渡協定において「市から電化延伸の協議要請があれば応じる」との約束を取り付けているが、電化延伸と再開業を行う場合にはかかる費用の全額を地元が負担することとなる。しかしながら広島市は財政難を理由に資金を拠出する意志はなく、電化で恩恵を受ける住民も資金集めなど具体的な活動を行っていないため、今のところ具体化の目途は立っていない。
可部線の広島市内の廃線跡の処置については2006年3月に広島市がビジョンを公表している。これによれば、旧河戸駅の先、長井・荒下地区までは電化再生、それ以遠は道路拡幅用地や自転車道、公園などへの整備が謳われており、長井・荒下地区以遠は正式に復活開業を断念している。また、長井・荒下地区までの区間についてもスケジュールや費用負担などの具体的な言明は一切なく、現状の再確認にとどまっている。その上で当面は廃線跡にヒマワリを植える計画であり、市として復活関連の事業は当面何も行わないことを事実上明らかにしている。 河戸駅#可部駅-河戸駅間電化計画も参照の事。
[編集] 廃止区間の路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):46.2km
- 軌間:1067mm
- 駅数:21駅(可部駅を除く)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:
- 可部~加計:特殊自動閉塞式
- 加計~三段峡:スタフ閉塞式(1992年3月までは単線自動閉塞式)
[編集] 廃止区間駅一覧
(可部駅) - 河戸駅 - 今井田駅 - 安芸亀山駅 - 毛木駅 - 安芸飯室駅 - 布駅 - 小河内駅 - 安野駅 - 水内駅 - 坪野駅 - 田之尻駅 - 津浪駅 - 香草駅 - 加計駅 - 木坂駅 - 殿賀駅 - 上殿駅 - 筒賀駅 - 土居駅 - 戸河内駅 - 三段峡駅