足利銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
足利銀行のデータ | |
統一金融機関コード | 0129 |
SWIFTコード | ASIKJPJT |
頭取 | 池田憲人(いけだ のりと) |
店舗数 | 支店 99店 出張所 53店 (2005年6月30日現在) |
設立日 | 1895年9月25日 |
資本金 | 1,474億2900万円 (2005年3月31日現在) |
本店 | |
所在地 | 〒320-8610 |
栃木県宇都宮市桜四丁目1番25号 | |
電話番号 | 0120-21-6565 (あしぎんフリーダイヤル) |
外部リンク | 足利銀行 |
株式会社足利銀行(あしかがぎんこう、英文名 The Ashikaga Bank, Ltd.)は、栃木県宇都宮市に本店を置く地方銀行で、「あしぎん」の愛称で親しまれる。栃木県と県内全33市町村の指定金融機関である。(真岡市は常陽銀行と2年毎の輪番制)
2005年3月31日の時点で、資本金が約1,474億円、従業員数は約2,400人。栃木県と近隣の各都県に99の支店と53の出張所があり、同銀行の貸出金シェアは栃木県内で約5割、中小企業向けでは約8割に達する“ガリバー銀行”である。また、2002年まで北朝鮮への送金業務を取り扱っていたことでも知られている。
目次 |
[編集] 「地銀の雄」から経営破綻
[編集] 逃げの足銀
- 1895年9月25日、弱冠24歳の荻野万太郎が初代頭取として、当時の足利町(現足利市)の繊維業者を中心に創設された。以後、両毛地区を基盤に発展する。
- 当時より地元密着・堅実経営で知られ、例えば、地元の繊維産業に対する融資は手形割引を中心とする短期貸出により行われた。また融資に際しては、不動産担保は忌避され、担保物権の現金化が迅速に行える棚卸資産担保が好まれた。不渡手形が生じた貸出先があると、行員が昼夜交代で会社の前に張り込み、棚卸資産を手に入れようとする他の債権者を追い払い、素早く処分したため、他行からは「逃げの足銀」「石橋をたたいても渡らない」と言われた。
- 地方銀行としては最初に1914年5月には東京支店を開設して情報収集機能を強化した。また、川崎財閥との提携では大不況の到来を察知し、1920年、融資額の実に3分の1を回収し、その後の昭和金融恐慌のによる貸倒被害を最少限に押えた。
- 1944年までの戦時統合にて、県内6行を合併・12行を営業譲受し、一県一行となる現在の足銀が発足した。これ以降、歴代頭取は日本銀行出身の遠田淳・藤松正憲・関根太郎、日本興業銀行出身の岡一雄と、4代続けて東京財界出身者によって占められたが、彼らは、東京にて昭和金融恐慌を直接経験した世代であり、漫然たる融資を常に諌め足銀伝統の「地元密着・堅実経営」の姿勢を崩さなかった。
- 1967年、本店を県都・宇都宮市に移転し、現在に至る。
[編集] 生抜き頭取
しかし、プロパー行員からは”生抜き頭取”を望む声はかねてから強く、そんな中で衆目を集めていたのが向江久夫であった。
向江は、もともと鹿児島県出身、陸軍幼年学校から陸軍士官学校卒で終戦時には陸軍大尉。その後、東京大学法学部に入学し、在学中に司法試験に合格したが、終戦時に陸軍将校であったため公職追放により法曹界には入れなかった。1947年、27歳の時に日銀理事の紹介で足銀に入行し、陸軍士官・東大卒・司法試験合格という華麗なる経歴は、1948年に全国銀行協会懸賞論文で一位入選したことで、「足銀に向江あり」と全国に知れ渡り、将来の頭取候補と言わしめられるようになる。
その後、入行10年目の37歳で大阪支店長、39歳で東京支店長、1965年には弱冠43歳で取締役に就任(ちなみに、自宅は東京都内に構え役員就任以後は本店のある宇都宮に単身赴任をしていた)、1978年には満を持して、初の生抜き頭取(当時の呼称は社長、その3年後に頭取へ変更)に就任し、1997年に会長を退くまで19年に渡りワンマン経営者として足銀に君臨する。
[編集] バブル経済
- バブル全盛期の1991年1月、金融機関のテレビCMが解禁されると、よみうりランドのアシカと、地元出身アイドルの小田茜を共演させたCM「アシカが、よろしく。」を放映、人気を博し一躍有名となった(関東ローカル#関東ローカルのテレビコマーシャル参照)。当時の向江頭取の号令により、足銀は行内で「鶴翼作戦」(鶴の胴体が栃木、頭は仙台・郡山、右翼が茨城、左翼は群馬・埼玉、そして尾は、東京・名古屋・大阪を指したという。)と呼ばれる融資拡大路線を展開する。後に、”融資効率化”と称して審査部門と新規営業部門を統合する本部機構改革を行い、野放図な融資姿勢を鮮明にする。
- 1975年に93ヶ店だった店舗数は、20年後には212ヶ店へと倍増し、1985年に2兆3000億円だった貸出金は1995年には4兆8000億円となった。当時の中曽根民活によるリゾート法の追い風もうけ、鬼怒川温泉や那須高原のゴルフ場といった地元観光業、地場パチンコ店などにも過剰融資を行った。地元で賄い切れない融資額は東京に流れ、一時、東京支店の貸出残高が本店営業部を抜き、都内5ヶ店の貸出金総額は1兆円を超えた。つまり、地銀でありながら、地元で集めた資金を東京他県外で運用していたことになる。さらに、足銀本体以外にも系列ノンバンクである北関東リース・足銀リースを通じて不動産融資を積極的に行った。当時、これに疑問を呈する向きは少なく、逆に「地銀の雄」「地銀の住友銀行」などと賞賛された。1989年7月、向江は全国地方銀行協会副会長に就任、1990年には足銀の預金順位は地銀第5位となり栄華を極めていた。
- 1990年の入行式で向江は「当行には自由な空気があり自由闊達にものが言え、下からの盛り上がりもある。」と挨拶していたが、実際、向江頭取の周囲はその意を酌み積極融資で実績をあげる幹部が重用され、結果的にイエスマンで固められることになる。向江のワンマン振りを語る次のエピソードがある。向江の社長(後に頭取)昇格3ヶ月前の1978年3月、日本橋にあった東京支店が、丸の内の郵船ビルへ移転となった。このビルは前月2月に完成したばかりで、賃料も当時国内最高部類といわれた。他地銀の東京支店が、地銀村と呼ばれる日銀を中心とした一帯に軒を連ねる中、あえてこの一等地に支店を移した理由として、当時内外では”東京支店二階頭取室より皇居前広場が一望できた”からだと囁かれた(その後、東京支店は再び日本橋に移転することになる)。
[編集] 経営危機と地元の支援
- バブル崩壊後に、この無理な拡大路線が災いし不良債権が増加。1994年3月期決算では、破綻先債権額は632億円にも上った。こうした経営不安から1997年秋には取り付け騒ぎが発生、親密であった東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)から1,000億円にのぼる資金調達やリストラ策公表、地元取引先の支援などで沈静化するまでに1997年9月末の総預金は5兆3,740億円は、1年後には5兆856億円に急減し3,000億円近くもの預金が流出した。
- 1999年から翌年にかけ計3回にわたり総額1350億円の公的資金投入を受け、1999年11月には自己資本の増強をめざし6000万株の優先株(1株額面500円、計300億円)を発行。
- さらに2002年1月は約300億円の普通株増資を行った(1株114円)。なお、一連の増資で栃木県および県内12市が総額10億2000万円の株を公的資金で引き受けた。2001年8月には地元財界人を中心に行内に経営諮問委員会を設置したが、景気低迷もあって健全化計画は思うように進まなかった。
- 2003年3月には子会社・北関東リースとの株式移転で金融持株会社「あしぎんフィナンシャルグループ」を設立し、同社の完全子会社となったが、これは同3月期に単体で赤字だった同銀行の優先株復配を果たす目的なのが明白であり、多くの批判を受けた。
[編集] 一時国有化
- 2003年9月期の中間決算で、会計監査を担当する中央青山監査法人が、繰延税金資産を計上しないよう通告、この結果債務超過に陥った。栃木県および地元選出国会議員は、預金保険法102条第1項の1号措置(いわゆる「りそな銀行方式」、この方式なら足利銀行はそのまま存続できる)を要請したが、金融庁は、預金保険法102条第1項の3号措置、つまり一時国有化(特別危機管理)を決定し経営破綻、地方銀行としては初めての適用であった。
- なお、足利銀行単体の2003年3月期決算自己資本比率は4.54%だったが、その後の金融庁の検査で、233億円の債務超過と認定された。
- その後の2005年2月、足利銀行現経営陣は、元会長向江久夫ら歴代頭取3名を含む旧経営陣13人を相手取り、総額46億円の損害賠償請求を宇都宮地裁に起こしている。
[編集] 再生への道のり
- 今後の受け皿銀行として、関東地区を中心とする地銀8行と日興シティグループ証券の連合、栃木銀行・大和証券グループ連合、野村証券グループ・オリックス連合等が名乗りを上げているとされるが、県や県財界を中心に単独再生の道を模索する動きもある。なお、最終決定は、2007年夏ごろの予定。
- 受け皿銀行の選定が進む中、2006年10月18日、向江久夫は多臓器不全のため死去、享年84。その晩年は、”天皇”と呼ばれた男にしては寂しいものであったという。
[編集] 沿革
年月 | 出来事 |
1895年9月25日 | 栃木県足利郡足利町(現・足利市)に株式会社足利銀行設立。 |
1895年10月1日 | 旧本店(現在の足利商工会議所所在地)で営業開始。 |
1897年11月 | 群馬県桐生町(現・桐生市)に第1号支店開設 |
1914年5月 | 東京支店開設 |
1930年11月 | 単独で栃木県金庫事務の取り扱い開始。 |
1939年6月 | 預金1億円達成。 |
1944年3月 | 「下毛貯蓄銀行」の営業を譲り受け、栃木県内一行体制確立。 |
1961年7月 | 預金1000億円達成。 |
1965年2月 | 東京証券取引所第二部から第一部へ指定替え。 |
1967年2月 | 本店を足利市から宇都宮市に移転。 |
1975年9月 | 預金1兆円を達成。 |
1976年12月 | 貸出金1兆円突破。 |
1979年12月25日 | 朝鮮民主主義人民共和国貿易銀行(同国外貨管理法第5条の銀行)と「コルレス契約」締結、送金業務開始。 |
1982年4月1日 | ディーシーカードと共同であしぎんディーシーカード設立。 |
1986年4月 | 宇都宮市指定金融機関を富士銀行から交替。 |
1988年10月 | ニューヨーク支店開設。 |
1990年1月 | 初の海外現地法人「足利財務有限公司」設立。 |
1990年3月 | 店舗数203(県内139、県外64、代理店含む)となり、200を突破。 |
1990年11月 | ロンドン支店開設。 |
1996年3月 | 不良債権処理に伴い最終損失が919億円となり、創業以来初の赤字を計上。 |
1998年3月 | 劣後債で公的資金300億円を投入。 最終損益289億円の赤字。 ロンドン・ニューヨークの両支店を廃止し海外業務からすべて撤退。 |
1998年11月 | 赤羽・新宿新都心の両支店を東京支店へ統合、東京は1店舗に。 |
1999年3月 | 最終損失が1182億円で2期連続赤字。 |
1999年4月 | 同行初のインストアブランチ「パスカルブランチ」を上野百貨店大田原店3階に開設。 |
1999年7月 | インストアブランチ2号店を福田屋ショッピングプラザ宇都宮店1階に開設。 |
1999年8月 | 優先株による428億円の第三者割当増資が完了。 栃木県(3億円)と宇都宮市(1億円)からの協力も得る。 |
1999年9月 | 1050億円の公的資金注入を申請、併せて経営健全化計画を策定(9月と11月に注入)。 |
2000年12月 | 上野百貨店倒産のためインストアブランチ「パスカルブランチ」閉鎖。 |
2001年8月 | 02年3月期決算で1100億円を超える最終赤字となる。 |
中期経営計画「プロジェクトA」をスタートさせリストラを強化。 | |
2001年12月14日 | 名古屋支店を閉鎖し東京支店へ業務継承、愛知県内から撤退。 |
2002年1月 | 299億円の増資が完了(栃木県と12市も協力し6億2000万円を出資)。 |
2002年1月21日 | 宇都宮地区に営業店舗エリア体制を導入。 (本店エリアと宇都宮中央エリア、宇都宮東エリアと宇都宮南エリアは5月27日) |
新タイプの出張所「あしぎんえがおプラザ」がスタート。 | |
2002年3月 | 最終損益が1280億円の赤字に。 |
2002年 | 北朝鮮の銀行との「コルレス契約」を解除。(送金業務打ち切り) |
2003年3月12日 | 北関東リース株式会社との株式移転による、金融持株会社「株式会社あしぎんフィナンシャルグループ」を設立、同社完全子会社となる。 |
2003年8月 | 金融庁から業務改善命令を受け、業務改善計画を提出。 |
2003年11月29日 | 預金保険法第百二条第一項第三号の認定を受ける。 |
2003年12月1日 | 特別危機管理開始決定の旨が官報により公告される。 預金保険法の規定に基づき預金保険機構が全株式を取得し一時国有化。 |
2003年12月16日 | 国が選定した新頭取(横浜銀行OBの池田憲人)就任。 |
2004年7月 | リテール機能特化型店舗「リテールセンター」を導入。 |
2004年8月23日 | 創業地の旧本店(旧足利支店、足利市通3丁目2757番地)を足利商工会議所へ売却発表。 |
2004年12月10日 | 仙台出張所を閉鎖し郡山支店へ業務継承、宮城県内から撤退。 |
2005年4月20日 | あしぎんフィナンシャルグループより「あしぎんシステム開発」の全株式を取得、子会社化。 |
2005年10月5日 | 子会社の足利信用保証が「あしぎんディーシーカード」の全株式を取得。 |
[編集] ATM
- 栃木県内にあるコンビニATM「イーネット」のATM(全て当行が管理)において、直接提携でない金融機関(MICS経由での利用)のキャッシュカードで引き出しを行うと、通常より105円高い手数料がかかる(平日日中は210円、平日夜間・土日祝日は315円)。破綻の影響との関連性は不明だが、「イーネット」と直接提携していない金融機関のカードを利用する場合には注意が必要である。
- 当行の口座では、毎月25日(土曜・日曜・祝日の場合は直前の平日)はコンビニATM(セブン銀行及びイーネット)での引き出し手数料が105円減免され、午前8時45分~午後6時までは無料となる。多くの企業が給料日としており、ATM利用者が急増するためのサービスとして実施している。
- 平成18年7月より、足利銀行口座への時間外の「預け入れ」にも105円の手数料が徴収されている。
- ポイントサービスによりATM手数料が無料になる。
- 住宅ローンの利用者は「あしぎんATM」および「コンビニATM(セブン銀行・イーネット)」利用手数料が全額キャッシュバックされ、実質無料となる。