アントニオ・カッサーノ
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アントニオ・カッサーノ(Antonio Cassano、1982年7月12日 - )は、イタリア・バーリ出身の同国代表、リーガ・エスパニョーラ・レアル・マドリード所属のサッカー選手(FW)。
1998年に地元のクラブチーム・バーリでキャリアをスタート。鋭い得点感覚で頭角を現し、イタリア期待の若手フォワードとして知られるようになる。2001年にはセリエA・ASローマへ移籍してプレー。代表復帰の期待も大きく、移籍市場ではユベントス移籍の噂が絶えないほど有望なのだが一方で、素行でしばしば監督と衝突するなど話題も事欠かず、2006年のワールドカップの出場メンバーからは落選した。しかしイタリア代表の新監督ドナドーニ政権下で2008年のヨーロッパ選手権の最終予選メンバーに選ばれ、約1年ぶりの代表復帰を果たしている。2006年1月、リーガ・エスパニョーラ・レアル・マドリードに移籍したものの、2005-2006シーズンは調整不足が祟り満足な結果を残せず、マスコミから『マドリードはブラジルのブタ(ロナウド)だけでなくイタリアからもブタ(カッサーノ)を連れてきた』と酷評を受けた。2006-2007シーズンはかつての恩師ファビオ・カペッロがマドリードの監督に就任。復調の兆しを見せつつあるものの、依然として出場機会は乏しく、放出の噂は絶えない。
勉強が苦手らしく中学時代は留年になりかかったこともあるという。
ローマ時代のチームメイト、フランチェスコ・トッティとは親しかったが移籍話が取りざたされ、カッサーノが不穏な動きを取るようになったことから2人の関係はこじれ、現在は不仲だという。
[編集] 選手経歴
レアル・マドリード - 2006-2007 |
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1 カシージャス | 2 サルガド | 3 ロベルト・カルロス | 4 セルヒオ・ラモス | 5 カンナヴァーロ | 6 ディアッラ | 7 ラウル | 8 エメルソン | 10 ロビーニョ | 11 シシーニョ | 12 マルセロ | 13 ロペス | 14 グティ | 15 ブラボ | 16 ガゴ | 17 ファン・ニステルローイ | 18 カッサーノ | 19 レジェス | 20 イグアイン | 21 エルゲラ | 22 パボン | 23 ベッカム | 24 メヒア | 26 ガルシア | 27 デ・ラ・レー | 28 アダン | 29 カシージャ | 30 ブエノ | 38 トーレス | 39 バレーロ | 監督 カペッロ | |
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