デビッド・ベッカム
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デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム OBE(David Robert Joseph Beckham OBE, 1975年5月2日 - )は、イギリス(イングランド)のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(主に右サイドハーフ)。レアル・マドリード移籍後はセンターハーフ(ボランチ)でもプレイ、この経験から守備の意識が高まり、華やかな外見や評判からは想像しがたい献身的な働きを見せている。愛称は「貴公子」「Becks」。日本では、「ベッカム様」とも。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム(ヴィクトリア・アダムス)。2006年には自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。
多くの企業とスポンサー契約を交わし、幾多の広告・テレビコマーシャルにも出演。現在はブラジル代表のロナウジーニョに次ぐ、世界第二位のお金持ちサッカー選手である。ロンドン郊外に大邸宅を構えており、「ベッキンガム宮殿」と呼ばれている。
イングランド代表として100試合出場を目標としているが、現在のマクラーレン監督からは代表の構想外であると告げられたため、ドイツW杯以降は代表メンバーから外れている。
2007年1月12日、レアル・マドリードとの契約は延長せずメジャーリーグサッカー(アメリカ合衆国)所属のクラブチーム、ロサンゼルス・ギャラクシーと2007年8月から5年契約を結ぶことを明らかにした。
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[編集] プレイスタイル
イングランドが世界に誇るスター選手。 右足で蹴る「inch perfect」と称される正確なクロスボールとロングパスを得意とし、ゴールキーパーが触れることすら出来ないコースにカーブを描いて放たれるロングシュートは、時に「残忍なロングシュート」と形容される。アーリークロスの精度は世界一との評判もある。また、世界屈指のプレースキッカーとしても知られ、「黄金の右足」と呼ばれる右足は正確無比。スタミナも十分にありサイドを何度も往復出来る、守備面でも積極的に相手にプレスしチームに貢献している。
2002年日韓ワールドカップ出場を決定づけたギリシャ戦のフリーキックでのゴールはイングランド代表の歴史に残る名場面である。また運動量も豊富で献身的なプレーも厭わずチームの状況によってはサイドバックでプレーさせられることもあった。
[編集] クラブでの活躍
下部組織からの生え抜きであり、ファーガソン監督の眼鏡にかなったこともあり、若くしてアタッカー的役割を任せられた。エースの証である背番号7を背負い、マンチェスターU時代後期はクラブのエース・顔として君臨した。 中盤の右サイドでプレイし正確なクロスを上げチャンスを演出していた。一番得意とするフリーキックやコーナーキックでは独特な姿勢から放たれ急激に曲がるボールは世界屈指である。
レアル・マドリードに移籍後は会長の意向を具現化するように、右にベッカム、左にルイス・フィーゴ、中にジダンという並びにしたが、余りにもバランスが悪く守備に負担が掛かるために、フィーゴを右に戻し、ベッカムを1列下がったポジションでプレイさせることになった。これにより彼は尊敬するブライアン・ロブソンと同じポジションをすることになった。しかしフィードでは貢献したもののピボーテとしては機能しなかったため、フィーゴの退団後は中盤の右サイドでプレイし、ルシェンブルゴ監督下では徐々に本来の輝きを取り戻すに至った。しかし、カペッロ監督の構想から外れ、新加入のレジェスとロビーニョにポジションを奪われた。
2007年に入るとカペッロは「シーズン中に移籍を決めた選手は忠誠心がない」としてベッカムを出場させない決断をしていたが、常に練習を懸命に行う彼の姿を見てラウールやグティがカペッロに出場を懇願し、カペッロもレアル・ソシエダ戦にて撤回されたのは上記の通り。
[編集] 代表での活躍
1996年の代表デビュー以来、代表に定着。1998年のフランスW杯では準々決勝でアルゼンチン戦でシメオネに報復攻撃を加え退場するなど血気盛んなこともあった(「10人のライオンと1人の愚かな若者」という標語をつけられた)。 2000年11月よりイングランド代表主将としてチームを引っ張り、日韓W杯、ドイツW杯をはじめとして多くの国際大会に出場した。アルゼンチン戦のPK、エクアドル戦のFKは素晴らしい場面であるが、欧州選手権では大事なPKをミスしたり、ドイツW杯ではケガで途中交代し敗退の憂き目に遭うと優勝することはおろか決勝進出も叶わなかった。 ドイツW杯の後、会見で「代表主将の座を退く」と会見した。しかし新しく就任したスティーブ・マクラーレンの下、新体制初のメンバー発表でベッカムは代表メンバーの選考から漏れてしまった。本人は代表キャップ100を希求している。
[編集] 「ベッカム様」
2002年W杯以降、持ち前の甘いマスクで日本の女性たちから絶大な人気を獲得し、付いたアダ名が「ベッカム様」。
ソフトバンクモバイル(旧・ボーダフォン日本法人)、ペプシコーラ、アディダス、東京ビューティーセンター (TBC)、明治製菓、リニューカー、M702iS(NTTドコモ)などのテレビCM出演でもお馴染みとなった。彼が来日する際には空港に多くのファンが殺到し、“ベッカム様フィーバー”を引き起こす。
プレミアシップ発足後、マンチェスターU(プレミアシップ優勝 8回)をはじめ、多くのタイトル獲得に(特に1998年のフランスW杯での失態以降は)貢献した。しかし、チームの勢いが失墜し始めた頃、アレックス・ファーガソンとの確執が露呈し試合でもスタメン出場の機会が減り始めた。ベッカムのプレーからは泥臭さが消え、勝負をしかけることも少なくなっていった。ファーガソンは「昔はあんな奴じゃなかった」と語り、その原因が妻のヴィクトリアにあることをほのめかした。この確執が原因で、03-04シーズンからレアル・マドリードに移籍した。この移籍の直後、マンチェスターUはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、背番号7は彼がつけている。しかし、本人はインタビューにて「僕がイングランドに帰るとしたら、マンチェスター・ユナイテッドにしか行くつもりはないし、親父(ファーガソン)のことは今でも尊敬している」と語っている(ファーガソン自身も「デビッドの心には常にユナイテッドがある。」と語っている)。
なお、マンチェスターU在籍最後の2002-03シーズンはプレミアシップ優勝を果たしており、ベッカム移籍後のマンチェスターUは2002-03以来、FAカップ、リーグカップのタイトルは獲得しているものの、リーグ優勝から離れている。また、現在所属するレアル・マドリードも2002-03のリーグ優勝以来3シーズン連続で無冠に終わっている。
主に右サイドのMFとしてプレーしているが、本人はセンターハーフを好んでいる。これはもちろんブライアン・ロブソンの影響である。
その容姿からマーケティング面での貢献が非常に高く、レアル・マドリードは彼を獲得するために用意した約46億円ともいわれる移籍金を、彼のユニフォームの売上代金のみで取り戻し、さらに利益を得たとも言われる。一方、チームは彼が加入して以来、優勝から遠ざかっているため、ファンからは「彼がレアルにした貢献はユニフォームの売り上げを伸ばしたことだけだ」と皮肉られている。
鳴り物入りでレアル・マドリードに加入したが、いまだに優勝を経験していない。攻撃的なスター選手の多いチームにおいては、守備的な選手の重要性が問われており、特にベッカム獲得の代償としてクロード・マケレレを放出したことはレアル・マドリードにとって最大の失敗と言われている。それ以降3シーズン守備が安定せず、カマーチョ以後の監督の必須命題になっているがカペッロ・ミヤトビッチ体制になっても変わっていないことから、ベッカム本人の問題の域を超えている。
レアル・マドリードに加入した際、背番号7はラウール・ゴンサレスが既に着用しており、ベッカムの背番号に注目が集まったが、その番号はなんと23番であった。驚きをもって迎えられたが、本人曰く「マイケル・ジョーダンを尊敬していて、それにちなんだ」と話していたが、のちに「空いている番号でどれでもよかった」と語った。
[編集] 余談
- 複数の女性との不倫が囁かれることがあり、世界中のゴシップ紙の格好の標的となっている。
- 幼少の頃からマンチェスターUの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。また、欧州遠征で日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。
- ベッカムの身体の各所には、妻や子供たちの名前がタトゥーとして刻まれている。左腕には、インドのヒンディー語等の言語で使用されるデーヴァナーガリー文字で『VHIKTORIYA』と彫られている。ヒンディー語にはCの音がないので変わりにKが用いられる。英単語の語尾のAがYAに変わるのはインド英語の特徴である。VHIはスペル間違いである。
- 2002年日韓ワールドカップの際にベッカムがしていたヘアースタイル(ソフトモヒカン)が「ベッカムヘアー」と称され人気に。
- 明治製菓のバレンタインデーイベントで、チョコレート製の巨大ベッカム像が作られた。
- 「やべっち寿司」にも出演したことがあり、彼が座った席は赤い座布団が縫いつけられている。また、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の1コーナー「ビストロSMAP」では、レアル・マドリードの同僚のグティと出演している。
- 兵庫県の淡路島に滞在していた事もあり、神戸近郊によく出没していた。神戸市にある神戸大丸百貨店で閉店後に店舗を貸し切り、買い物をしたこともある。
- 2003年、アディダスのラグビーCMで、ラグビー・イングランド代表、スタンドオフのジョニー・ウィルキンソンと競演。持ち前のキックセンスで、ラグビーのゴールキックも見事に決める。トルコ戦のPKの大ミスを「ウィルキンソンに影響されたから」とジョークにされた会見は有名である。ちなみに、ジョニー・ウィルキンソンは、「ラグビー界のベッカム」と言われている。
- 日本に限った話であるが、ヨーロッパ出身で、容姿の優れたスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶことがある(上記のジョニー・ウィルキンソンや、角界のベッカム:琴欧洲)
- ロンドン近郊イーストロンドン、レイトンストーン育ちの為、下町言葉コックニー(Cockney:ロンドン下町訛り)を話す。そのため、BBCのコメディや、イギリスの上流階級人やイングランド地方の人達からは冷やかしで真似される事がある(日本のモノマネ番組でベッカムのそっくりさんが登場した際に、ピーコがベッカム本人より品があると語ったという事からも伺える)。
- 少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことがある。
- 2006年1月に愛車「BMW・X5」を盗まれるという被害に遭う。その車が2007年4月になりマケドニア共和国内務省大臣公用車になっていることが判明。内務省大臣は「盗難車であれば、私がベッカムに車を返しに行く」と話している。
[編集] 所属チーム
- マンチェスター・ユナイテッド 1991 - 1994
- プレストン・ノースエンド 1994 - 1995
- マンチェスター・ユナイテッド 1995 - 2003
- レアル・マドリード 2003 - 2007
- ロサンゼルス・ギャラクシー(予定) 2007 -
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
先代: ロナウド |
UEFAチャンピオンズリーグMVP 1998-1999 |
次代: フェルナンド・レドンド |
レアル・マドリード - 2006-2007 |
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