カイコ
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カイコ | ||||||||||||||
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カイコ |
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分類 | ||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||
Bombyx mori L. | ||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||
カイコガ | ||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||
Silkworm |
カイコ(蚕)はチョウ目(鱗翅目)に属する昆虫の一種。正式和名はカイコガで、カイコはこの幼虫の名称だが、一般的にはこの種全般をも指す。桑を食餌とし、絹を産生して蛹の繭を作る。
カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれ、野生に生息する昆虫ではない。カイコの祖先は東アジアに生息するクワコ (Bombyx mandarina) であると考えられている。カイコとクワコは別種とされるが、これらの雑種は生殖能力をもつ。
目次 |
[編集] 生育過程
カイコは人による管理なしでは生育することができない。なぜなら体は白く、敵に見つかりやすいこと以上に、腹の足の吸盤が退化して木に登ることもできず、枝に擬態するポーズなどの本能も失われているからである。
孵化したての幼虫は黒色で疎らな毛に覆われ、「毛蚕」(けご)、またはアリのようであるため、「蟻蚕」(ぎさん)と呼ばれる。桑の葉を食べて成長し、十数時間程度の「眠」を経て脱皮する。脱皮後も毛はあるが、体が大きくなる割に、毛は育たないので青白いイモムシ様の虫となる。脱皮を(品種により異なるが)4回前後繰り返すが、産毛として最後まで足の辺りに生えている。また二令幼虫になるころに毛が目立たなくなるのを昔の養蚕家は「毛をふるいおとす」と思い、毛ぶるいと表現した。
蛹化が近づくと、体はクリーム色に近く半透明化してくる。カイコは繭を作るに適当な隙間を求めて歩き回るようになる。やがて口から絹糸を出し、頭部を∞字型に動かしながら米俵型の繭を作り、その中で蛹化する。絹糸は絹糸腺(けんしせん)という器官で作られる。セリシンという糸の元になるタンパク質がつまっており、これを吐ききらないとアミノ酸過剰状態(醤油を一気飲みしたような状態)になり、カイコは死んでしまう。なのでカイコは歩きながらでも糸を吐いて 繭をつくる準備をする。また蛹になることを蛹化というが養蚕家では化蛹(かよう)という。
蛹繭の中でカイコは丸く縮んでいる。これはアポトーシス(細胞の自殺)が体内で起こっているのであり、体が幼虫から蛹に作りかわっている最中なのである。その後脱皮し、蛹となる。蛹は最初飴色だが、だんだんと茶色く硬くなっていく。
羽化すると、尾部から茶色い液(蛾尿という尿。つかんだりしても驚いて出す)を出し、自らの作った繭を破って出てくる。成虫は全身白い毛に覆われている。翅はあるが退化しており、飛ぶことはできない。成虫は餌を取ることは無い。交尾の後、やや扁平な丸い卵を約500粒産み、約10日で死ぬ。
[編集] 用途
カイコは、ミツバチなどと並び、愛玩用以外の目的で飼育される世界的にも重要な昆虫である。日本では、古事記にも記述があるほどの長い養蚕の歴史を持ち、戦前には絹は主要な輸出品であった。またカイコは家畜として扱われているため、「一匹、二匹」ではなく牛などと同じように「一頭、二頭」と数える。
絹を取るには、蛹となった繭を丸ごと茹で、ほぐれてきた糸をより合わせる。茹でる前に蛹から羽化して食い破られるなどして屑になった繭は真綿(絹綿)にする。
絹を取った後の蛹は、熱で死んでいるが、そのままの形、もしくはさなぎ粉と呼ばれる粉末にして魚の餌や釣り餌にすることが多い。また、貴重なタンパク源として人の食用にされる例もある。日本の長野県や群馬県の一部では「どきょ」などと呼び、佃煮にして食用にする(1919年の農商務省による調査では、23府県で蛹を食する地域が存在し、成虫でも2県、幼虫でも食する県が1件報告されたと言う)。韓国では蚕の佃煮を「ポンテギ」と呼び、また、中国でも山東省、広東省などでは蚕蛹(ツァンヨン)と呼んで、素揚げにしたり、煮付けにして食べる。タイ王国でも、北部や北東部では素揚げにして食べる。ちなみに漫画家のさくらももこが自著のエッセイに韓国でポンデギを食べたときのエピソードを載せており、本人曰く「食べる前の後悔より食べた後の後悔のほうが大きかった」とのこと。
また、白殭菌に感染した蚕(白殭蚕)は死んでしまい、当然絹を取る事は出来ないが、漢方医学では癲癇や中風、あるいは傷薬として用いた方法が『医心方』などにあり、前述の農商務省調査でも普通の蚕を含めて民間療法の薬として様々な病状の治療に用いられているとされている。
学術目的では変態やホルモンの生理学などのモデル生物として用いられる。エクジソンはカイコを用いて単離された代表的な昆虫ホルモンである。また、教育課題としてカイコの幼虫の飼育や解剖観察を行うことも多い。
[編集] カイコを巡る伝説
[編集] 日本
日本にカイコから糸を紡ぐ技術は、稲作などと相前後して伝わってきたと言われているが、古来においては様々な言い伝えがあり、日本神話が収められている『古事記』や『日本書紀』の中にもいくつかが収められている。
- 『古事記』上巻にて高天原を追放されたスサノオ(須佐之男命)が、食物神であるオオゲツヒメ(大気都比売神)に食物を求めたところ、オオゲツヒメは、鼻や口、尻から様々な食材を取り出して調理して差し出した。しかし、スサノオがその様子を覗き見て汚した食物を差し出したと思って、オオゲツヒメを殺してしまった。すると、オオゲツヒメの屍体から様々な食物の種などが生じた。頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生まれたという。
- 『日本書紀』神産みの第十一の一書にてツクヨミ(月夜見尊)がアマテラス(天照大神)の命令で葦原中国にいるウケモチ(保食神)という神を訪問したところ、ウケモチは、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。ツクヨミは口から吐き出したものを食べさせられたと怒り、ウケモチを斬ってしまった。これを知ったアマテラスがウケモチの所にアメノクマヒト(天熊人)を遣すと、ウケモチは既に死んでいた。ウケモチの屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ってアマテラスに献上した。
- また、日本書紀における神産みの第二の一書にて火の神カグツチ(軻遇突智)を生んだために体を焼かれたイザナミ(伊弉冉)が亡くなる直前に生んだ土の神ハニヤマヒメ(埴山媛)は後にカグツチと結ばれてワクムスビ(稚産霊)を生むが、出産の際にワクムスビの頭の上に蚕と桑が生じ、臍の中に五穀が生まれたという説話がある。
これらの神話はいずれも食物起源神話と関連している事から戦前の民俗学者である高木敏雄は、これは後世においてシナ(中国)の俗説に倣って改竄したものであり、植物から作られた幣帛を用いる日本の神道には関わりの無い事であり、削除しても良い位だと激しく非難している。だが仮にこの説を採るとしても、『古事記』・『日本書紀』が編纂された7世紀の段階で養蚕が既に当時の日本国家にとって重要な産業になっているという事実までを否定する事は出来ないと言えよう。
[編集] 中国
東晋時代の中国(4世紀)に書かれたとされる『捜神記』巻14には次のような話がある。
- その昔、ある男が娘と飼い馬を置いて遠くに旅に出る事になった。しばらく経っても父親が帰ってこない事を心配した娘は馬に向かって冗談半分で「もし、お前が父上を連れて帰ったら、私はあなたのお嫁さんになりましょう」と言った。すると、馬は家を飛び出して父親を探し当てて連れ帰ってきた。ところが馬の様子がおかしい事に気付いた父親が娘に問いただしたところ事情を知って激怒し、馬をその場で射殺してしまった。その後、父親は馬の皮を剥いで毛皮にするために庭に放置して置いた。そんなある日、娘は庭で馬の皮を蹴りながら「動物の分際で人間の妻になろうなどと考えるから、このような目にあうのよ」と嘲笑した。すると、娘の足が馬の皮に癒着してそのまま皮全体で娘の全身を覆いつくした。身動きが取れなくなった娘は転倒してそのまま転がりだして姿を消してしまった。これを見た父親が必死に探したものの、数日後に見つけたときには馬の皮は中にいた娘ごと一匹の巨大なカイコに変化していたという。
この話をモチーフとしたと思われる伝説は日本国内にも伝わっており、柳田国男の『遠野物語』にも類似した話が載せられている。