カール・デーニッツ
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ナチス・ドイツ2代大統領
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任期: | 1945年5月1日 – 1945年5月23日 |
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出生日: | 1891年9月16日 |
生地: | グリュナウ(ベルリン近郊) |
死亡日: | 1980年12月24日 |
没地: | アウミューレ(ハンブルク近郊) |
カール・デーニッツ(Karl Dönitz, 1891年9月16日 - 1980年12月24日)は、ドイツ海軍の軍人。最終階級は元帥。ヒトラー死後の大統領を務めた。潜水艦作戦の第一人者で戦史研究家からは『海のロンメル』と評価された。
[編集] 経歴
1910年、フレンスブルク・ミュルヴィックの海軍兵学校 (de)に入学。1912年軽巡洋艦ブレスラウに士官候補生として配備される。1916年に潜水艦U39の先任将校として勤務。第一次世界大戦に潜水艦長として参戦。1918年、乗艦が潜行中に航行不能となり、急浮上をしたところをイギリス軍に捕らわれて捕虜となる。Uボートの艦長は絞首刑になるという噂を聞き、発狂したふりをして1919年本国送還となる。大戦終了後もヴェルサイユ条約によって縮小されたドイツ海軍に残ることができた。しかし、条約で潜水艦の開発、配備が禁止されていたため、デーニッツも水上艦艇の勤務となった。水雷艇艇長、駆逐艦艦隊司令、北海方面海軍司令部参謀を歴任後、1934年に軽巡洋艦エムデンの艦長に就任する。1935年にヒトラーのヴェルサイユ条約の軍備制限条項の破棄(再軍備宣言)による潜水艦部隊再建のため、大佐だったデーニッツが潜水艦隊司令(BdU)に抜擢された。
[編集] 第二次世界大戦
ドイツ海軍の潜水艦隊司令としてUボート作戦を指揮。開戦当初、Uボート稼働数はわずか22隻であったが、彼の巧みな作戦指揮や、後のUボートの優先生産計画に支えられ、「灰色の狼」と呼ばれる潜水艦乗りは連合国側から最大の脅威として恐れられた。本人は開戦直後「なんということだ! また戦争をせねばならんとは!」と叫んだという。
彼は、イギリスのシーレーンを遮断して兵糧責めにするために、数隻単位で敵の輸送船団を襲うといういわゆる「群狼作戦」で、軍需・民需を海外からの輸入に依存するイギリスを苦しめ、一時、新規建造トン数を上回る撃沈数をあげたこともあった。
これらの功績により、1939年から1940年の間に、少将から中将に昇進。1943年1月レーダー元帥の後任として海軍総司令官に就任する。しかし、連合軍が新型レーダーによる位置探査システムを開発し、さらにイギリスがドイツの無線通信暗号エニグマを解読するに及んでUボートの戦果は減少、これに反比例するようにUボート撃沈数が急増していった。
このころからデーニッツはヒトラーへの追従を深め、反ユダヤ的な言動が増え、ナチス傾向を示した。元々彼は自己顕示欲が強く、功名心に駆られた結果であった。しかし、1943年5月19日にUボート乗組員だった次男ペーター、1944年5月13日には魚雷艇乗組員だった長男クラウスが戦死し、一年間に二人の子供を失ってしまう。
終戦間際ヒムラー、ゲーリングといった有力者が次々と失脚していく中で、1945年4月30日、ヒトラーの指名によって大統領兼国防軍総司令官となった旨の連絡が党官房長マルティン・ボルマンからあり、ヒトラーの死の翌日の5月1日、総統の死と自分が後継者であることを放送で伝えた。ヒトラーの遺言では大統領職のみを継承していたが、首相職を継承したゲッベルスは5月1日に自殺しておりデーニッツは改めてルートヴィヒ・フォン・クロージックを首相に指名した。
部下などからは温厚な人として、また信頼できる指揮官として知られていた。『カールおじさん』、『ライオン』といったニックネームがあったという。
その後、総司令部をフレンスブルクに移して、連合軍との降伏交渉とソ連軍の迫るドイツ東部からの避難民のドイツ西部への海上避難に残存船舶のすべてを投入して、数百万人の同胞を救済した。ドイツは5月7日、無条件降伏した。まもなく彼は戦犯として捕らえられ、ニュルンベルク国際軍事裁判では無罪を主張したが、「侵略戦争の積極的遂行」などの罪で禁固10年の判決を受け、服役して1955年に釈放された。アルベルト・シュペーアによると、デーニッツはヒトラーの後継者になったことを激しく後悔し、自分をヒトラーに推薦したと信じていたシュペーアを逆恨みしていたという。
釈放後、回想録「10年と20日間」を執筆。晩年は信仰に拠り所を求め、ハンブルク近郊にあるアウミューレの自宅に引きこもって暮らした。老衰のため1980年自宅で死去。
[編集] 著作
- Karl Dönitz(著)、山中静三(訳)、『ドイツ海軍魂』、原書房、1981年、ISBN 4562011912
- Karl Dönitz(著)、山中静三(訳)、『10年と20日間:デーニッツ回想録』、光和堂、1986年、ISBN 4-87538-073-9
- Jordan Vause(著)、雨倉孝之(訳)、『Uボート・エース』、朝日ソノラマ、1997年、ISBN 4-257-17317-3
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カテゴリ: ドイツ第三帝国の軍人 | ニュルンベルク裁判 | 1891年生 | 1980年没