カール=ハインツ・ルンメニゲ
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カール・ハインツ・ルンメニゲ(Karl-Heinz Rummenigge、1955年9月25日 - )は、ドイツ・リップシュタット出身の元同国代表サッカー選手(FW)。現バイエルン・ミュンヘン会長。
1970年代を代表するドイツのストライカーがゲルト・ミュラー、そして1990年代を代表するドイツのストライカーがユルゲン・クリンスマンなら、1980年代を代表するドイツのストライカーは間違いなく、ミスター・ヨーロッパこと、このカール・ハインツ・ルンメニゲだろう。その類まれな、スピード、テクニック、決定力を武器に、ファンを魅了し、世界一のドリブラーと呼ばれた。
1974年に、ボルシア・リップシュタットからバイエルン・ミュンヘンに移籍し、そこで3度の得点王に輝く。(1979年/1980年、1980年/1981年、1983年/1984年シーズンの3回)その後、セリエA・インテル、セルベッテ(スイス)でプレー。1980年、1981年には欧州最優秀選手に選ばれる。
代表では、1976年10月6日ウェールズ戦でデビュー。ワールドカップには3大会(1978年アルゼンチン大会、1982年スぺイン大会、1986年メキシコ大会)に出場。W杯の舞台では、1982年と1986年は怪我のためフル出場試合は少ないが、合計10得点を挙げている。特に有名なのが、1982年大会の準決勝・フランス戦の延長戦、および1986年大会決勝・アルゼンチン戦で、ともに2点ビハインドの場面で記録した追撃のゴールである。前者はアクロバチックな体勢から決め、後者はまさに「魂で押し込んだ」とも言うべき泥臭いゴールであった。代表通算成績は95試合45得点。
かつて浦和レッズに所属していたミヒャエル・ルンメニゲは実弟にあたる。「ルンメニゲ来日」と聞いて、カール・ハインツが来ると勘違いした浦和サポーターは多かったはずである。奇しくも彼が会長をつとめるバイエルン・ミュンヘンは、2006年に浦和レッズとパートナーシップを締結した。同年7月31日には埼玉スタジアムで両チームの親善試合が行われた際に来日し、OBオールスターマッチにも参加して往年の技を披露、ハットトリックの活躍を見せた。
[編集] 選手経歴
[編集] 主な獲得タイトル
先代: ケビン・キーガン |
欧州年間最優秀選手 1980-1981 |
次代: パオロ・ロッシ |
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