キロヴォフラード州
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キロヴォフラード州(ウクライナ語:Кіровоградська областьキロヴォフラーツィカ・オーブラスチ;キロヴォグラート州;ロシア語:Кировоградская областьキロヴォグラーツカヤ・オーブラスチ)は、ウクライナ中南部に位置する州である。州都はキロヴォフラード。
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[編集] 概要
キロヴォフラード州は、1939年1月9日に設定された。キロヴォフラード州の都市ドブロヴェルィーチュキウカは、地理上のウクライナの中心点である。
なお、2006年現在の知事であるエドゥアルド・ジャンギロヴィチ・ゼイナロフは、オレンジ革命で西欧寄り改革派となったヴィクトル・ユシチェンコウクライナ大統領の率いる「我らがウクライナ」のヴェルホーヴナ・ラーダにおける議席を持っている。
[編集] 歴史
現在のキロヴォフラード州に当たる地域は、15世紀から16世紀の間はウクライナ・コサックの所領となっていた。だが、その後ウクライナがモスクワ大公国・ロシア帝国によって併合されると、現在の中心都市であるキロヴォフラードに聖エリザヴェータに因んで命名された「聖エリザヴェータ要塞」(форт Святой Елизаветы)が建設された。
その後、1752年から1764年の間は新セルビア(ノヴァセルビア)の一部となり、その首都ノヴォミールゴロト(ノヴォムィールホロド)の管轄化に置かれていた。
その後、1794年、要塞をもちに皇帝エリザヴェータ・ペトローヴナを記念する都市エリサヴェドグラート(Елисаветград)が置かれ、現在のキロヴォフラードのもととなった。この都市はロシア革命後の1924年に同地の出身であるグリゴリー・ジノヴィエフに因んでジノーヴィエフスク(Зиновьевск)と改称されたが、1934年、ジノヴィエフの失脚に伴い、ジノヴィエフによって暗殺されたとされたセルゲイ・キーロフに因んだキーロヴォに改称された。その後、1939年にソ連とウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の最高議会の同意に基づきキロヴォグラートと改められ、新たにキロヴォグラート州が設置された。1991年にウクライナが独立すると、ロシア語を公用語から排除した同国の方針に従い正式な表記はウクライナ語に改められ、キロヴォフラード州となった。
[編集] データ
- 面積:24588 k㎡(ウクライナの国土の4.1 %の面積)
- 人口:1125704 人(ウクライナ全体の2.3 %)
- 地区数:21
- 州主要都市:4
- 地区主要都市:8
- 知事:エドゥアルド・ゼイナロフ
[編集] 主な産物
[編集] 主な都市
主要都市
その他の都市
- ドヌィーンスィカ
- ハイヴォロン
- ポミーチュナ
- ドブロヴェルィーチュキウカ
- ノヴォムィールホロド
[編集] 州内の主な河川
- ドニエプル川(ドニプロー)
- 南ブーフ川
[編集] 外部リンク
- 州ホームページ(ウクライナ語)
- Kirovohrad Daily News & Web Directory
- 紹介ページ(ロシア語、ウクライナ語)