クリスチャン・アルバース
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F1での経歴 | |
国籍 | オランダ |
車番 | 21 |
所属チーム | スパイカー |
年 | 2005 - |
過去の所属チーム | ミナルディ、MF1 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 4 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2005年オーストラリアGP |
初勝利 | - |
2007年順位 | 22位 (0ポイント) |
(記録は2007年第1戦終了時) | |
クリスチャン・アルバース (Christijan Albers,1979年4月16日 - )はオランダ・アイントホーフェン出身のカーレースドライバーであり、スパイカーF1チームに所属する現役のF1ドライバーである。
父親のアンドレ・アルバースはラリークロスレースで活躍した人物で、1979年のオランダ国際ラリークロス選手権(GT部門)においてチャンピオンとなっている。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 初期の経歴
1997年にカートのオランダ国内選手権タイトルを獲得。同年にフォーミュラ・フォード(1800cc)においても、オランダ選手権、ベルギー選手権を同時に制覇したほか、ザントフォールトサーキットにおいてマールボロ・マスターズF3レースと併催されたルノー・メガーヌ・マールボロ・マスターズにも参加した。
1998年にはドイツF3選手権にステップアップし、初年度から2勝を含む表彰台5回を奪う活躍を見せ年間ランキング5位に着け、翌年は6勝、10ポールポジションを挙げてチャンピオンに輝いた。
2000年に国際F3000へと進み、当時ポール・ストッダートがオーナーを務めており、F1のアロウズチームのジュニアチームでもあったヨーロピアン・アロウズチームから参戦した。この年は得点することすら叶わず、これはチームメイトだったマーク・ウェバーが新人ながら一時的に選手権をリードし最終的に年間ランキング3位という結果を収めたのに対して大きく見劣りする形となった。しかしながら、この縁から翌年以降、ストッダートが買収したミナルディF1チームのテストドライバーとしてしばしばそのステアリングを握ることとなる。
[編集] DTM
2001年からはしばしフォーミュラレースを離れ、ドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦。プライベートチームからの参戦ながら初年度で予選3番手、決勝でも2位を記録するなどしばしば好走を見せ、AMGメルセデスワークスチームのドライバーであるウヴェ・アルツェンが去ったことを受けて、2003年からはその後任としてAMGワークスチームのドライバーとなった。
これを契機に一躍トップ争いに名を連ねるようになり、2003年にはチームメイトのベルント・シュナイダーとチャンピオン争いを展開し、最終戦までもつれた結果、ランキング2位に食い込んだ。チャンピオンこそ逃したものの、この年はDTM初優勝を遂げ、最終的にこのシーズンにおいて最多となる4勝を挙げた。2004年もしばしば選手権ランキングトップとなり、1勝を含め6度の表彰台を記録し、年間ランキングは3位に食い込む活躍を見せた。
[編集] F1
フォーミュラカーから離れていた2001年以降も、DTMでの活躍の一方で、ジョーダンやミナルディで度々F1のテストドライブを経験し、2004年12月には、F3000時代のストッダードとの関係や、母国オランダのトラスト社等からの支援を受け、2005年のミナルディのレギュラーシートを獲得した。
最下位チームであることもあって見せ場には乏しかったが、ミシュランタイヤを装着する全チームが棄権したアメリカGPでは、この年ブリヂストンユーザーだったミナルディに在籍していた漁夫の利もあって5位に入賞し、F1における初ポイントを獲得した。
2005年11月1日、レッドブル社によってミナルディが買収され、トロ・ロッソチームとなることが発表されたが、それに先立つ10月31日、アルバースはミッドランド社がジョーダンを買収して創設したMF1レーシングへ移籍し2006年シーズンに参戦することを発表した。
ジョーダン時代となる前年からチームに在籍し、デビュー年ながら高い完走率で注目されたティアゴ・モンテイロをシーズン序盤からリードし、以後は主にスーパーアグリの佐藤琢磨と激しく争うこととなる。
第4戦サンマリノGPではスタート直後にスーパーアグリの井出有治に追突され、自らのマシンは横転してクラッシュしリタイアとなった。この事故を引き金に井出はF1で走る水準に達していないとみなされ、ニキ・ラウダはじめベテランドライバーらから苦言を呈されたこともあって、後にスーパーライセンスを失ったが、当事者であるアルバースはFIAによるこの裁定について「新人ならば誰でも1度はミスをするものだ」と発言し井出を擁護した[1]。
MF1レーシングがオランダの自動車メーカーであるスパイカー社に買収されスパイカーF1チームとなる中、アルバースは2007年シーズンに向けエースドライバーとして残留することに成功する。スパイカー社の大株主であるミッシェル・モルは元々Lost Boysなどの名義でアルバースを支援しており、チームとしてはアルバースのパーソナルスポンサーであるトラスト社の支援も見込め、加えて、オランダ国籍となることを大きなセールスポイントとするスパイカーとしてはオランダ人ドライバーの起用は望ましいことでもあることから、この人事は至極当然とみなされている。
[編集] F1での年度別成績
(2006年第18戦終了時)
年 | 所属チーム | # | ランキング | 獲得ポイント | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | 予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | ミナルディ | 21 | 19位 | 4 | 5位・1回 | 0回 | 13位・1回 |
2006年 | MF1レーシング | 19 | 21位 | 0 | 10位・1回 | 0回 | 14位・1回 |
2007年 | スパイカー | 21 | - | - | - | - | - |
[編集] 外部リンク
- クリスチャン・アルバース公式サイト
- CHRISTIJAN ALBERS ON THE SPOT - itv.com/f1によるインタビュー記事(2006年10月)
2007年のF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||||
マクラーレン | ルノー | フェラーリ | ホンダ | BMWザウバー | トヨタ | ||||||||
1 | アロンソ | 3 | フィジケラ | 5 | マッサ | 7 | バトン | 9 | ハイドフェルト | 11 | シューマッハ | ||
2 | ハミルトン | 4 | コヴァライネン | 6 | ライコネン | 8 | バリチェロ | 10 | クビサ | 12 | トゥルーリ | ||
レッドブル | ウィリアムズ | トロ・ロッソ | スパイカー | スーパーアグリ | |||||||||
14 | クルサード | 16 | ロズベルグ | 18 | リウッツィ | 20 | スーティル | 22 | 佐藤 | ||||
15 | ウェバー | 17 | ヴルツ | 19 | スピード | 21 | アルバース | 23 | デビッドソン |